・1971年平凡な家庭の長男として生まれる。
・1973年長女誕生
・1975年次女誕生
・小学校時代:
市立の小学校に入学し普通に送る。(一時いじめられた時期もあったが、別に今は何とも思っていない。)
・中学校時代:
市立の中学校に入学し普通に送る。(成績は、結構優秀であった。このころが一番勉強した。)
・高校時代:
県立の高校に入学し普通に送る。(勉強は、あまりしなくなる。友達と一緒にマージャンしたり、
パチンコ行ったり(良い子は、行ってはいけません。)、若狭湾へ自転車旅行をしたりして楽しかった。)
・大学時代:
国公立の大学に入学し一人暮らしをはじめる。(何とか入れた。)
サークル活動(イベントの企画等)に力を入れすぎ、授業にあまり出席しなかった。(このサークルの仲間は、
留年する人が多く、別に気にせず。マージャンも結構やった。(怠け癖って伝染しますよね。))
案の定、1年生を3回もやった。4年目にしてやっと進級できた。(仮進だったが・・・)
この大学は、2年になるとキャンパスが、変わるため引越しをする。一年下の後輩も一緒に進級したため気は楽だった。
その後輩と授業をどっちが先にサボるか賭ける。が、半年位たったころ体調を崩し授業をサボってしまった。その後、
授業をサボりがちになり始める。このころから家にこもりがちになり、外出するのが億劫になる。コンビに以外外に
出歩かないようになる。電話も取らず、友人が訪ねてきても居留守を使うようになる。
調子が悪いので、93年9月ころ自宅に帰り、休養を取った。K病院の精神科では、「自律神経失調症」と診断された。
後期の半年を休学することとなった。薬を服用し体調も良くなり1ヶ月くらいで、アパートに戻る。病院もK病院から紹介
状を書いてもらい定期的に薬をもらい服用していたが、自分で、回復したと判断して、行かなくなった。
それ以後の大学生活は、好きなスキーをしたり、して充実した(授業にはあまり出なかったが・・・)
ものであった
結局は、単位が足りず、卒業できないと思い退学を決意した。(後悔はしていない。)
・就職
大学時代コンピュータを買って使用していた(現在もそれを使用中)ので、少しは、知識があると思い、職安に行き
コンピュータ関連の仕事を探し、今の会社に中途採用で、入社。(97年6月9日)
発足したばかりの部署で、部員は、部長(取締役で、他部署の統括責任者兼任)メーカーからの出向してみえた方、
(M次長、M課長)2人と僕1人。
98年4月新入社員で、僕の部署に一人配属(女性Kさん)、99年1月人事異動で、Kさんが、他部署へ行き、H君
(歳は下だけど、入社は、僕よりはやい)が、配属される。
99年4月新入社員で、O君配属。
99年8月ころより2社で、システム開発の受注があり、M次長と僕の2人は、それにつきっきりになる。
2000年3月中旬までは、無難に仕事をしていた。(と思う・・・・・)
父: 会社員(性格は、無口で、あまり社交的ではない、結構頑固?)
母: 兼業(?)主婦(性格は、明るく、愛想がいい。)
自分: 会社員(うつ病のため休職中)(性格は、几帳面(?)で、周囲に気を使い、責任感が強い(とうつ病になりやすいらしい・・・・))
(妹M): 結婚し2児の母親(性格は、明るい。ある宗教法人に入っている。(3年前やめさせようと思ったが、今は、特に干渉しない。))
(妹K): 結婚し1児の母親(性格は、最近は明るい。一時産後に軽うつ状態になり、実家(僕の家)で、静養した。)
メーカーから、出向していただいていた方が、メーカーへ、帰る事となり、僕が、システム開発の2社を担当することと
なる。と同時に係長に昇進する。(入社3年目で、係長は、異例らしい。)部下2人を管理せねばと思うが、それどころ
ではない状態。
システム開発が、初めてな私は、顧客からの質問にもすぐ回答できず、いろいろ電話で、聞いて回答することとなる。
(元M次長に聞いても分からなければ、プログラムを委託していたKさん(大阪)にも電話で聞くこと多々・・・
顧客の言ってる事も理解できず、電話で相談するにもうまく話せず、かなり自己嫌悪に陥る。)
やらなければいけないことが、整理がつかないため、パニック状態になる。顧客先でも、今まで、M課長が処理して
いただいていたことを自分がやることとなったためさらにパニック。(ほかの人に任せればよかったのだが、
説明もうまくできないことを恐れ任せられず、抱え込むことに・・・)
また、ある企業(F)とのタイアップ商談の話しが、持ち上がり自分がやらねばいけないのに出来なくまた、自己嫌悪。
システム開発の2社からは、納期の催促、不具合、質問など、毎日のように電話がかかってくる。そのたびに、いろいろ
聞きまわる。
心配してくださる方は、たくさんいたが、それも、耳に入らず。自分の意見を求められても何も考えられない・・・・・
顧客へ行っても、塞ぎこんだままなので、非常に居心地が悪くなる。みんなが、自分から、離れていく感じ・・・・
もう限界だ。逃げたい、逃げたい、死んでしまいたい。と思う日々が、4月中旬より続く。車に乗りながら、
このまま電柱にぶつかろうか、駅のホームで、飛び込もうかいろいろ考え始める。首吊り用のロープも持ち歩くように
なる。でも、死にきれない。(彼女に申し訳ないという思いがある。励ましてくれていたから・・・)
でも、死しか、考えられなくなった。(死ぬ気になれば何でも出来る。とよく言われるが、その時は、どうせ死ぬんだ
から何もしなくていいや・・・と思っていた。)会社から電話が掛かってきても出ないこともあった。
毎日、朝会社へ行くのがすごく憂鬱だった。
そして、4月27日の夜死ぬことを決心、ニュースで、風邪薬で、人を殺したという人が、いたので、前もって買っておいた
風邪薬とカッターで自殺しようと・・・。コンビニで、お酒を買い酔ったところでと思ったが、
酔っ払って寝てしまった。
4月28日、朝食時にニュースで、誰かが、自殺したという報道があり、自分もと思った。
7:30いつもなら会社へ出かけるのだが、母が、ちょっと出かけると言うので、その隙とまず、風邪薬を一瓶飲んで
から、カッターで、左手首を切る。TVのドラマシーンのように血が飛び出るかと思ったが、ダラーと流れ出る
感じだったこれでは死ねないと今度は、右手の手首をでもだめ、次に首を数箇所切るが、これもだめ。意識は、
はっきりしている。なぜか痛みは全く感じない。そこで、台所へ行き、出刃包丁を探すが、刃先が折れたものしか
無く、あきらめる。今度は、油をかぶって死のうと思いZippoの油を探すが、見つからない。その時、母が、
運良く帰ってきて、逃げるように2階に駆け上がり、死なせてくれと叫ぶ。母に諭され冷静に戻る。
母は、冷静に救急車を呼び僕は、K病院へ、運ばれる。
病院に着くと傷を約100針くらい縫った。右手は、腱が断裂しているので、午後から手術をすることに・・・
本日、右手のリハビリも終わり、ほぼ、日常生活では、利き手として使えるようになりました。
(元通りとは行きませんが)
精神的にも、落ち着いてきました。(でも、まだ会社のことは考えられませんが・・・)
2週間に一度のペースで、精神科に通い をもらって服用しています。
彼女や、家族、上司(直接は、まだ連絡していませんが)の理解もあり、少しずつですが、良くなっている
と実感できます。
いろいろと、やりたいことが出てきました。
あせらず、ゆっくりと直していきたいと思います。
うつ病の治療には、3つの重要な要素が、あると思います。
1.可能な限りゆっくり休養すること
2.精神科、心療内科等にかかって、薬をきちんと服用すること(完治してからも半年は、服用が必要との事です。)
3.周囲のかたの理解(これが、一番重要ですが、あまり認知されていないのが現状です。)