このみや闘病気



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何故こやつが闘病気であって闘病記で無いかというと
私が気まぐれで、気分によって書いたり書かなかったりの気分次第の記なので気の当て字をしております。

さてここでは、今まで、そう今までの病気の軌跡をできる限り順繰りにお伝えしたいと思います。



このみやの病に気付いてやるまで…


このみやの不調:不明〜大学2年生

 何故なのかは知りませんが、私の生理は周期32日前後、期間8日前後というのが、初経が来た時からのパターンでした。
 多少、周期と期間が長めな気もしますが、ほぼ落ちついていると言えば落ちついてはいました。

 しかし、その妙に落ちついた生理の周期も高校に入ると崩れてしまいました。原因は多分、過度のストレスかと思われますが、その後、そのストレス原因である高校を止めると3ヶ月の間、全く来なくなっていた生理が再び来始める様になりました。

 ただし今度は頻発月経でした。
 頻発月経、稀発月経を繰り返し、新たに入り直した別高校を卒業する時には、過長月経と過多月経もラインナップに加える多彩さとなりました。

 そんな生理不調のデパートみたいな私の周期が、再び大学の1年の時に回復します。ただし、周期40日、期間10日という、病院に行くべきだろうというような、どうしようもない周期と期間でした。

 その、不健康ながら安定してしまった周期の変換点は大学の二年生。夏の終わり頃だったと思います。
 過多月経の過多の割合が明らかにおかしくなってきたのです。

 どの位かというと、500円玉大の血の固まりが1時間に2、3個出るのを3時間位、期間のピークに経験するようになったのです。
 おかしいのは分かっても、産婦人科の敷居は本当に高いものです。
 なので、貧血を起こさないのをいい事に無視を続けました。

 しかし12月。さすがにギブアップ。
 10月と12月にどちらも生理期間が20日を超えたのです。
 貧血を起こさなくても、さすがに私もヤバイ病気では困るからと産婦人科の門を叩く事にしました。




このみやの訴え:大学2年生冬

 色々と病院の看板やHP、タウンページ、睨めっこはしたもの、良い女医さんのいる病院が分かりませんでした。
 そこで、引越しを中学の終わりにしたために本当は隣町だし、大学の通り道でもない、少し遠めの病院にかかる事にしました。

 何故なら、その病院は中学2年の時の職業体験で実習に1日御世話になった産婦人科で、出産風景や色々な器具の説明などもしていただいた優しいお婆さんみたいな女医さんがいるのを私は知っていたからです。
 しかし、私の考えは非常に甘い物でした。

 そこには御目当ての女医さんはおらず、元気と言うか…横暴なお爺さん先生しかいませんでした。
 更に診察は酷く恐ろしく、2度と産婦人科などにかかるものかと思わせる物でした。

 何が起こったのかというと、先生は私の事も見ず、私の書いた初診カードの過長月経について『いつから?』と聞き、私がコレで2回目なのだと言う暇も無く、すぐにベッドでエコーをかけられ、先生が一言、私に言うので無く、カルテに書くために『筋腫は無いようだ』と言ったのを聞きました。
 更に『処女か?』とコレについては診察室の外に聞こえるような大声で尋ねられました。
 答えずにいられないので仕方なく否定すると有無を言わさず内診台に上げられ、『問題無し』とこれまたカルテのためにつぶやき、看護士さんに『ホルモン打って、ホルモンの薬を処方する』と告げて、私を内診台に残したまま何処かへ行ってしまいました。
 何の指示も無いため、私は内診台から足も下ろせず、何が起こったのかも分からず、呆然とするだけでした。

 結局、私は、ホルモンを打ちに来た看護士さんから、『先生が降りて良いと言わなかったのね?注射打つけど、大丈夫?』と言われるまで5分近く、ひっくり返った蛙の様になっていました。

 私は、注射を打たれる際に、何の注射をされるのか、薬は何が出されるのか?女医さんがいたのではないか?などの質問を看護士さんにしてみました。
 看護士さんは『注射はエストロゲンで、出される薬の成分も同じ物ですよ』と答えてくれ、更に『女医さん…あの方は週に1度、月曜日だけに大先生の変わりを務める、先生の妹さんなんですよ』と教えてくれました。

 それを最初から知っていれば、決してあの曜日に行かず、月曜日に行ったのに…そう考えても後の祭です。

 薬で生理は止まりましたが、引き換えに私は2週間飯も食えない、眠れないというような、まだ過長月経の方がマシという、悪心・嘔吐・だるさという酷い目にも遭いました。本当は薬を止めてしまいたかったのですが、ご丁寧にも、吐き気があっても最後まで飲みつづけなければ再び生理になるので必ず飲む事と薬の注意書きにあり、私は冬休みだし、我慢しようと…今、考えれば無駄な頑張りを見せました。

 そして結果、私はすっかり産婦人科恐怖症になってしまいました。




このみやの必死の訴え: 〜大学3年生2回目晩秋

 大学3年生で留年してしまい、3年生2回目を迎え、高校1年を入り直しのために2回している私は、ついに23歳になってしまいました。
 この23歳、大した事無いと思うでしょうが、結構大変なのです。何がと言うと、本来なら大学も卒業し、社会人になっているからです。
 まだ、私が就職もせず親の脛をかじっているのが大変なのもありますが、それ以上に保険の世界が大変だったのです。何故かと言うと、親の保険料にチョットした金額の上乗せで守ってもらえる子供特約が23歳になると切れてしまったのです。
 私の誕生日は6月。本来なら、それに合わせて入りたかったのですが、少し忙しかったりして、結局3ヶ月後の9月に、自分1人でがん保険を含む病気や怪我の保障の付いた保険に入りました。

 その頃の生理は一月生理の月があったら、二月程の間を空けて、再び一月ほどの生理と、また変な安定を見せていました。ので、私はソレを勝手にストレスから来るホルモン異常ととらえ、放っておりました。

 そのささやかな均衡が崩れる気配を見せたのは、11月の事でした。
 生理が遂に30日を超えても止まらなくなりました。
 ソレだけでなく、1週間ほどの周期で経血が増減を繰り返し、内訳としては塊を出す日を3日とダラダラと血の流れる4日を過ごす感じでした。更に3日の内の頂点の日は、ナプキン夜用二枚重ね、タンポンスーパー、生理ショーツ、中履き、ズボン、完全防備で1時間持たず、90分の授業に参加する事も出来ない有様でした。
 その頂点の日の有様は、週を重ねるごとに勢いを増し、さすがの私も貧血になり始め、40日を超えた頃、再びかかる産婦人科を探し始めました。

 そして、決めた病院は自分の産まれた病院でした。
 はっきりいって、その病院に行くのは22年ぶり位で、かなり緊張をしました。もちろん先生も覚えていないし、向こうだってこっちを覚えているはずがありません。

 病院は産まれた頃とは様変わりし、妊婦向けのホテルの様になっていました。
 産科としては良さそうだけど、婦人科としては大丈夫かな?一抹の不安を抱きながら、初診カードを記入し、呼出しに病院用PHSを持たされ、待つ事、10分程でした。
 受付の事務員さんに『忙しいので30分位待たされるかもしれないけど、かなりの過長月経みたいだし体調は平気?』と聞かれて、平気と答えたのに、随分早いなと思いながら、診察室2番に通されました。

 先生は私の初診カードに目を通し、『10月からの生理が止まらないとあるけど、今、11月の半ばを過ぎてるの分かってる?』と聞きました。
「ハイ…、分かってます。でも、明日は止まるかな?明日は止まるかもと思っているうちに一月過ぎ、40日過ぎって感じになりまして…」
 私が言い訳をすると、『止まらない物は、何日待っても止まらないと思って、早めに受診!もうすぐ、50日になるじゃないか!』と怒られてしまいました。

 母が私を産んだ頃は、元気なオジさん先生だったらしいのですが、すっかり元気の有り余っている爺さん先生で、私は終始押されっぱなしになりました。まぁ、コレから母になるため強くなっていく妊婦と同等に渡り歩くためにはコレくらい元気じゃないと駄目なのかもしれませんが、血の足りなくなってきている私にはチト辛い物がありました。

 私が反論出来ないでいると、先生は『じゃぁ、原因が筋腫なのか、ホルモンバランスなのか、それとも別物か見るために隣の部屋の内診台へ上がってくれる。それから、子宮がん検査はした事あるかい?』と聞いてきました。
「無いですけど、まだ23歳だし、必要無いですよがん検査なんて…」
それを聞いた先生は『まだ23歳でなく、もう23歳。うちの病院では20歳を過ぎたら、皆にがん検査を受けてもらってるから、安心のためと思って、受けておきなさい!』と押しきってきました。
「分かりました…」やはり血の足りなくて押しの弱くなっていた私は言い負けてしまいました。

 触診とエコーが終わり、内診台から病室に移ると、『エコーで卵巣嚢腫が見つかったけど、3センチにならない小さい奴だし、出血の原因になるような種類の嚢腫では無いし気にしなくて良いよ。それから筋腫も無いし、これはやはり、ホルモンバランスが問題だな。取り敢えず、今日はホルモン打って、家では止血剤を出すから飲みなさい。また、10日後か、それ以内に病院に来なさい。薬が終わる前に来ないと、また出血するだろうからね』と言われ、日にちを確認し、病室を後にしました。

 その日は、概ね、そんな物で、その後の9日間も、薬飲むのが面倒だなと思いつつ、薬を飲んで2日後には血も止まったし、吐き気も無いので、ほぼ快適と暮らしておりました。

 そして9日経ち、再び病院に参ると、その日は何故か診察室7番という妙に奥まった診察室に呼ばれました。ただならぬ気配を感じつつも、気のせいだと必死に自分に言い聞かせ、他の番号の診察室の患者さんを診ている先生を待ちました。(この病院では何故か先生のいる病室に患者が行くので無く、患者の待っている診察室に先生がやってくる)

「今日もホルモン剤を打って、止血剤を飲んでいけば良いのですよね?」私は、やってきた先生に挨拶もそこそこに先に、そう話しかけました。
 先生はカルテを広げると『この間のがん検査だけど、疑陽性が出ていた。コレからは、3ヶ月に1度くらいがん検査をしてもらう事になるけど、その前に今日は詳しい検査をしてもらうから、内診台へ上がって。少し血も出るけど明日には止まるから心配無いよ』と私に言いました。
「疑陽性ですか。分かりました」私は何が分かったのか自分でも分かりませんでしたが、そう答え、検査を受け、結果の出る日を聞いて、前回とほぼ同じ、ホルモン剤注射と止血剤の薬の処置を受けて帰路につきました。



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