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1993年10月15日

生死を分けた想い

後方に映る天を突く鋭鋒は聖山・芦別岳である。


 1993年10月15日、私は芦別岳北尾根で吹雪の中動けなくなり、生命の危機を感じていた。芦別岳は標高1726.9mとさして高くはないが、険しい岩稜が続き、天を突く鋭い山頂は他の山にはない言い知れぬ威圧感がある。
 昔から遭難が多く、登山道の所々には慰霊の碑が建立されている侮れない山であり、とくに旧道は距離も長くてかなりハードな道だ。前日には初雪が山を覆い、冷え込みは厳しかったが、富良野の大地に染み入る美しい朝の陽光を浴びて私は旧道を進んだ。すれ違う者は無論、前にも後ろにも登山者はいないようだ。
 高く透き通った青空の下、変化に富んだこのルートは自然の豊かな表情を見せてくれ、とくに尾根に上がってすぐ眼下に見下ろす崕(きりぎし)山の姿には圧倒された。
 それはまるで大地に横たわる龍そのもの。刃物のように切り立った岩の柱が続き、芦別岳に付き従うかのように朝日の中で金色に輝いていた。
 芦別岳は、大本教の出口王仁三郎によれば国祖神・国常立大神が押し込められた山であるとのことだが、巨大な龍神を従えるその威容は、近づくほどに聖なる力を感じさせる。
 
 北尾根までの道程はかなりハードで、気温は低かったのだが私は全身にビッショリと汗をかいていた。しかし、この先まだまだ険しい道が続くので、着替えるのは頂上真下の岩壁まで行ってからにしようと衣服が体にべとつくのを我慢して先延ばしにしていた。
 ところが、山の天気は瞬く間に変化する。さっきまでの青空はいつの間に消えたのか全店は雲で埋め尽くされ、山頂部は黒い雲にすっぽりと隠れ、その雲が物凄い速さで流れている。中は間違いなく暴風雪だ。その時私のいた地点には昨日の雪が残っており、陽が当らなくなって強い風が吹き、次第に雪も降り始めると強烈な寒さが襲った。
 気温は氷点をはるかに割りこんでいた事と思う。ましてや全身は汗でビショ濡れなのだから対処する間も無く体温は奪われ、手足は痺れて言うことを聞かなくなってきていた。

 事態は急を要する。低い木の蔭まで急いで移動し、風をしのぎながらなんとか着替えようとするが、ボタンもファスナーも思うように外せない。親指と他の四指の対向運動が全くできなくなっていたので、ものをつまむことができないのだ。
 やっとの思いでなんとか着替えたが、こんな状態で無理をしたので両足の筋肉が痙攣を起こし、立っている事さえ出来ない激痛が走る。体はどんどん自由を失ってゆき、非常用として持ってきた食料を口に入れようにも、密閉式のビニール袋のジッパーを左右に開く事すらできない。
 冷静に状況を考えてみた。山頂に至るのは諦めて来た道を戻るのが通常の安全策だろう。しかし戻るにもかなり大変なルートだ。距離的には恐らくこのまま進んで新道を下る方が近いはずだし、頂上さえ越えてしまえば新道にはほとんど難所らしきところはない。
 だが、頂上までのルートは今まで以上に険しくなるし、第一あの暴風雪の中に入っていくことは全くもって自殺行為に他ならない。とにかく生還することを第一に考えねばならない。身体状況は極めて切迫しているのだ。

 ただ祈るしかなかったそんな時、御神酒として日本酒の四合瓶を持ってきていた事に気づいた。これだ! 内側から体を暖めるしかない。
 動かぬ両腕で何とかビンをはさみ、歯でスクリューキャップをこじ開けてそのまま半分くらい一気にラッパ飲みする。
 自分の体を脳の命令通りに動かす事ができず、「死」というものが現実的に迫って来てはいても、私の中には「何とかして生き抜かなくてはならない」という思いはあっても、恐怖や焦りは不思議と感じなかった。
 一つには研究や臨床を通して「死」というものへの理解があったからだろうが、もう一つにはいつもどこかで冷めていて熱くなりきれない性質から来ていると思う。
 自分には充分情熱的な面があることも知ってはいるが、コントロールしきれない感情が勝手にこみ上げてくる事はまずなかった。良くも悪しくも理性の力が強いのだ。
 
 百薬の長が体に浸透していくのを待っている時、ふと私が死んだら誰が一番悲しむだろうと思った。やはり、その当時付き合っていた女性であろう。とても一途で、奉仕的な愛情を注いでくれた、本当に可愛らしい子だった。
 そしてその時、私の死を知って取り乱して泣き叫ぶ彼女の姿が思い浮かんだ。その瞬間、かつて感じた事のない、熱い制御不能の感情が私を貫き、いっきに涙が視界を曇らせた。
 「死んでたまるか! この子を悲しませるわけにはいかない!」
 その強烈な想いが私の心を奮い立たせ、動かぬ体を突き動かした。足が、手が、再び私の意志に応え始めた。
 私は吹雪の中を山頂への道を選んだ。危険が去ったわけではない。旧道はあまり整備されていないので、深い笹薮が何度か道に迷わせ、折角着替えた服も雪ですぐにビショビショ。何度も戻った方が良いのではと思ったが、同時に何故か必ず帰れるという確信もあった。
 進むにつれやがて雲も消えてゆき、風も穏やかになって、ついに頂上手前の最後にして最大の難関「キレット」に辿り着いた。激しいアップダウンが続き、足場には氷塊が張り付く。慎重の上にも慎重を期して進まねばならない。
 御神酒の力か、通常一旦感覚を失った手指などの抹消部が、同じ温度環境のままで回復する事は考え難いが、どうにか動くようになってきた。
 全く見えなかった山頂部もすっかり姿を現し、やっとキレットを越えて“お花畑”に入った。ここの雰囲気はなんとも表現し難い独特のものだ。そう、聖域と呼ぶにふさわしい。
 一気に岩壁を攀じ登り、再び霧に覆われた山頂に達した。視界ゼロで、どこが降りる道かも全く見えなかったが、神と彼女に感謝の祈りを捧げ終わった頃にはスウッと霧は晴れ、岩場の中を下界へと続く新道がくっきりと見えてきた。
 私を守り、導き、試練を通して私に必要な気づきと体験とを与えてくれたのは確かに神であろう。それは宇宙を包む意志であって私の本質であり、芦別岳の聖霊であり、私の守護霊達でもある。
 一にして多、多にして一。そして私を救ってくれたのは、紛れもなく愛する人であり、愛する人への切なる想いの力である。


 これはだいぶ前に書いた「至高の恋愛」というエッセイの一部分である。写真は「キレット」の手前で撮った。
 エイエルは愛する人の為に全霊をもって生きる。
 

2001年10月21日

 a' la collette ? 4プラ.2001新世界〜雄冬岬にて
手にしているのはススキノファンキーフラッグ。アラコレ2001の衣装だが、新世界の振付には関係ない。この年ファイナルステージは8位だったが、個人的には最高の踊りになったし、シンフォニーでYOSAKOIを踊るのは夢だったので今でも特別の愛着がある。最初に8丁目ステージを踊り終わったあとの嵐のような観客の反応は一生忘れられないだろう。



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