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序にかえて
詩はもともと得意分野ではないのです。大学の4年の時、ある商品開発のアルバイトがあり、
その条件が、週末に図面なりレポートなりを提出し、所用時間を申告すれば、時給800円とい
う当時としたら破格の金額でした。
これにすっかりのめり込み、その頃、経営していた寺子屋式学習塾も閉鎖して打ち込みまし
た。やがて、自分の発想力に限界を感じていた頃、オリンピックの中継で、ルーマニアの少女
が段違い平行棒で小鳥のように舞う姿を見たとき、『神々に愛でられし人々』という想念が生ま
れ、やがて、『詩歌は言葉の発明である』というインスピレーションがあったのです。
当時、KJ法という発想法があり、後にQCなどに組み込まれて言った概念だと思うのです
が、これが下敷きに在ったのでしょう。ともかく、詩を書くことによって、自分の発想力を伸ばせ
ると考えたのです。
その頃、萩原朔太郎の詩集と出会い、終日、レポートを書き続けては、彼の詩を読み、夜の
街に繰り出しては深夜まで飲み続けました。当時、仕送りや奨学金の他に相当な収入があり
ましたが、ほとんど酒代に消えて、月末は米とみそのみの生活でした。
そんな生活が長続きするはずもなく、やがて、自分の病変に気がつきました。忘れもしませ
ん、『直江脳病院』という精神病院の門の前まで行ったのですが、どうしても中にはいることが
出来ずに帰ったその夜、深夜の3時頃でしょうか、雨戸の外に人の気配がして目覚めました。
電気を付けてもその気配は消えません。明らかにこの世のものではないというか、雨戸を開け
放てばそこにはなにもいないはずなんですが、どうしても出来ません。『一時撤退』と決断したと
きその妄想は消え、気がつくと朝の縁側に呆然と座っている自分を発見しました。もっとも当
時、ぼくの住んでいたアパート群では女の霊がよく目撃されており定かなことは分かりません。
詩には一部に『誇大妄想術』がかけてあるのもあります。『誇大妄想術』はぼくの創作思考の
概念で、誇大妄想とは少し違います。当時のシュールリアリズムの詩を読んでいて発案したの
ですが、あるイメージとインスピレーションをそこから連想される様々なイメージが浮かぶ思念
の海に投げ込んで激しく混合します。そして、浮かび上がってくるイメージを記録するのです。
ほとんどが図形の形でアウトプットされ、言葉でアウトプットされることは少ないです。
例えば、四色問題の研究は二度の躁病を挟んで三年ほど断続的にかけ続けあの図をアウト
プットしたのです。もともと、四色問題にどれほどの興味が有ったわけでは有りません。四元論
という訳の解らないインスピレーションが、頭の中で五月蠅かったんで退治したかっただけなの
です。
『誇大妄想術』を使うと、神経伝達物質が一時的に多量に放出されるのでしょうね。決まって
少し躁気味になります。というか、少し躁気味になるから『誇大妄想術』が使えるのかも知れま
せん。昔は多量のアルコールで止めていたのですが、最近はロドピン様のおかげで助かって
ます。 言葉でアウトプットすると、どこか借り物の言葉になり面白くないのです。
当時の作品集は二度目の躁病の時、ブルーバックスの「四色問題」と共にゴミ箱に棄ててし
まい、今残ってるのは僅かです。一部復元したものもありますが、ほとんどは最近のものです。
最近、何故か20年ぶりに文芸モードで、色々なところに書き留めていますが、このままにして
おくといずれ流れてしまうので、ここに収録しておこうと思いました。
2004.5.26 記
カゼ文庫

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