退院経過その3
2001年1月5日。
退院後2度目の検診。
今回も、問診と内診、超音波検査。 前回の便秘の件も聞かれたが、ここ何日かは調子がよいので他には特に何も無しで、これで子宮筋腫に関しての入院・通院も終了。
「もう、普通の生活をして下さい。運動も少しづつはじめて結構です」
にこやかな笑顔で見送られて診察室を後にし、はた、と気づく。
「私って、すでに普通の生活してるんだけど・・・・」
まぁ、いいか。元気でいるのが子供達もうれしいみたいだし、体力もついてきた。何しろ年末からは仕事にも復活したモンね。
出社すると、まずは挨拶回り。入院中に同僚がみんなからのメッセージを届けてくれたので、一人一人に感謝を伝える。みんな、「もう大丈夫なの?」と心配してくれる。でも、自分でも調子がいいのに休んでいられないし、グループの仕事が忙しいのを知っていたからなおさら家には居られなかった。お休み中、子や友達と一杯遊んだしね。(上司の子には内緒・・)
挨拶が終った途端、どっさりと目の前にお仕事が置かれたのには閉口したけど、契約社員が2ヶ月近くも欠勤したのだから、契約破棄でも仕方がないと旦那には言われていたので、実際は安心したというか嬉しかった。「あなたじゃなきゃだめなのよ」といわれれば、お世辞でも鼻が高くなっちゃう。
仕事納めには、快気祝だと称して飲み会にも誘われるし、いい仲間を持って本当に幸せなのである。

体質的には、あまり変化はない。
卵巣が残っている分、ホルモンのバランスが崩れるということはないのかもしれない。冷え性があるくらいで、他には特に変わったことはないようだ。
貧血が治ったおかげで、前より元気。顔色も良くなったと言われる。
階段の昇降も息が切れない。年のせいだと思っていた体力の衰えは、実は体調不調によるものだったのだ。
今回の手術は、突発的に決定してしまったけれど、時期的には良かったみたいだ。子供も手がかからなくなってきたし、仕事も何とか段取りがついた。早い段階で手術できたので卵巣を残すことも出来たし、若いので傷の回復も早かった。
そういえば、検診で入院中同じ部屋にいた、Kさんを見かけた。Kさんは子宮ガンで癒着がひどく人工肛門になった方だ。入院中は毎日「なんで私がこんな目に」「もういやだ」と泣いてばかりいて、看護婦さんや業者の人が器具の使い方を説明にきても御主人に任せっきりで、みんな心配していたのだけど、すたすた歩いていたし、元気そうだった。服装も普通で、器具の装着を感じさせなかった。なんか、自分のことより嬉しかった。お元気でよかった。

2001年01月07日 11時00分00秒

退院経過その2
手術日から丁度一ヶ月の12月6日、検診がある。
相変わらず混雑している待合室で、文庫本を読みながら時間を過ごす。すっかり、読書主婦になってしまった。
診察は問診と内診。中の傷を見て、超音波で内臓の様子も確認。
すこぶる順調なのだが、実は退院してから、極度の便秘になってしまった。腸を圧迫していた筋腫を取り除いたことで便通が楽になることはあっても便秘になることはまずないと思うので、自分でも不安で聞いてみた。ここで問題になるのは癒着によって尿が出ない、膀胱が機能しない状況になることらしいが、超音波で見る限り、そういった腫れやむくみもなく、生活習慣の変化によるストレスや、食生活が原因ではないかと推測される。そうすると、自分では能天気に振舞っているつもりでも、何かしらのストレスを貯めていたってこと?入院したことで迷惑をかけた家族や会社に人知れず気を使っていたってことかな?張り切って、動いていたこともいけなかったかもしれない。
その話しをすると「単なる食べ過ぎじゃないの?」と、旦那には一蹴されてしまった。冷たいやつ・・・
一応、便秘薬というものをもらう。便秘薬なんて飲むの生まれてはじめてじゃぁ〜〜。記念にとっておこう!!!
診察前には次男も便秘になったとかで、いろいろドラッグストアを回ったのだが、センナなどに代表されるお通じがよくなるお茶というものは、子供が飲めるものはないんだね。お茶よりは、と整腸剤を勧められるのだが、なるべく薬には頼りたくないのでゼリーやスープや試しては見たけれど、これというものは見つからない。結局食品だと悟って、野菜を多く調理し水分を多く取るよう心がけ、軽く運動もし、気分をリラックスするよう務めたら、大分落ち着いてきた。なんだか、本に書いてあるような初歩的な方法ではあるが、基本が一番という所。
今日から、湯船に入ってよい。

すでに、普通の生活を送っている私ではあるが、ひとつだけ、守っていることがある。
「重いものは持たないこと」
何が起こるかわからないので、これだけはいいつけを守っているのだ。
おかげで、中学2年生の長男はいいように荷物持ちにされている。普段の買い物は下の子でも務まるが、知人から精米していないまま買ったお米30kgや灯油などは無理。今までは旦那の帰りを待って4階の自室まで持ってきてもらっていたのに、男の子はこういう時役に立つのね。自分で運べるようになった。2月生まれで学年でも小さいグループでいつまでも子供扱いしてきたけれど、身長もとうとう私を追い越し、腕力はとてもかなわない。成長したんだなぁ〜と実感させられる。
うれしいような、さびしいような・・・

2001年01月07日 10時30分00秒

退院経過その1
退院して、日常生活に戻った。
入院前より冷え性になった。帰ってすぐ、「寒い」を連発。速効で買いに走ったものは、ファンヒーター用の灯油と、ばばシャツ・ばばパンツ。
最近のばばシャツはよく出来ていて薄くて肌ざわりもよく、デザインも可愛いものがある。暑がりで、冬でも家の中では靴下をはかなかった私が、ばばシャツを買って喜喜と浮かれているのを見て旦那の呆れた目線が飛ぶ。
お腹の方は保護のためと力が入るように腹帯を巻いているのだが、会う人会う人「意外と太った?」なんて聞いて来るのでやめてしまった。
シャワーはOK。でも、細菌感染予防のため、次の検診時まで湯船につかるのは我慢。病院によって違うみたいだが、この地方は割りと昔からの風習が看護の際にも残っていて、出産時のシャワーもなるべく控えるよう指示されるのだが、今回の入院でも手術後洗髪できたのはたったの一回。施設が古く風邪でもひいたらいけないという配慮かもしれないが、段々べたべたしていく髪の毛を鏡で見るのは嫌だった。それに比べれば、湯船に入れないぐらいなんてことはないのだが、季節は冬。シャワーだけですませるにはちょっと寒い。手術するなら、春か秋がよかったかも・・・(夏は汗をかいて傷に障りそう・・)
体力的にはまだまだ全面的に回復していないので、階段の昇り降りは少しつらい。恥骨に当たる傷の先端が少し痛いので、シートベルトを締めないで運転している。警官に質問されたら、診察券を見せれば納得してもらえるだろうか?もし、傷を見せてなんて言われたらどうしよう・・いわれるわけないか・・そんなばかなことを考えているときにはパトカーに会うことがない。実はどういう展開になるのか、ドキドキしながら待っているおばかなわたし。
体重は入院前の3kg減。ってことは、摘出した分だけしか減っていないってこと?あの、何食かの絶食はダイエットにはならなかったってことね。トホホ・・
2001年01月07日 10時00分00秒

11月19日 退院
ついに退院!!
日曜日なので、家族総出でお迎え。
ついでに、日用品を買いにスーパーへ。
通いなれたお店もなんだか懐かしく、たった20日間留守にしていただけなのに何年も旅行していた浦島太郎の気分だ。
家に着くと、なんでもない日常生活が始まる。普通にご飯を食べて普通に家族と話す。こんな普通の生活がとても心地よい。
思ったほど家の中が散らかっていなくて感心!感心!
退院直前、医師や看護婦さんから、退院後の生活について説明を受けたが、まだ、ゆっくり身体を馴らさなければならず、家事も抑え目に、休みながらやるようにとのこと。とはいっても、主婦が家にいて全く家事をしないわけがないのだ。家に着いて昼食こそ旦那が作ってくれたが、そのあとは、動かざるを得ない。「俺がやるから」と言ってくれても、ただ座っているのもむずがゆく、結局自分が手を出していたりする。貧乏性ってことか??
2001年01月07日 09時30分00秒

11月18日 手術後12日目
明日、家に帰れると思うと精神的にも余裕が出来、今のうちにゆっくりしようかと一日中寝てばかりいた。
そろそろ軽い運動もしなければと、地階の売店への往復に階段を昇り降りするとひざがガクガク、腿がパンパン、筋力ってものは使わないでいるとすぐに衰えていくものだということがよくわかる。
アパートの4階の自分の部屋まで無事に上がっていけるんだろうか?

料理本を買って来て献立をあれこれ検討する。
掃除の計画表も完成し、ついでに今春小学生になるチビの机を置く為の子供部屋の模様替えに悩む。
仕事をして、時間に追われている時には考えられないほど、頭が家事のことで一杯だ。私ってこんなに家庭的な人間だったろうか?
何もすることがどんなにつらいことか。怠け者のうちの長男に説いて聞かせよう。

病院生活の達人によると、やはり時間つぶしには読書がダントツだとか。いつもは取りかかれない長編をわざわざ入院までとっておくのだそうだ。
患者さん達との井戸端会議も楽しい。ノートパソコンを持ちこんで遊んだり仕事をする人も・・
そして、極めつけがお顔のエステ。ゆっくり時間をかけてパックできるって。
ただし、看護婦さんや突然訪問する見舞い客にはご注意!!

貧血検査の結果が少しだけ正常値に届かないということで、「お土産に鉄剤をあげましょう」と薬を渡される。薬飲むのが苦手だけど、二度も倒れたので懲りました。素直に受け取ることにする。

2001年01月07日 09時00分00秒

11月17日 手術後11日目
退院のための診察がある。
隣のベッドの若い患者さんが予定日数の2日前に退院したことを知って、担当の医師に「私も退院します」とうるさくいったので、しぶしぶ診察してくれたのだ。
分娩室に呼ばれて内診を受ける。手術前のように遠慮なく器具を挿入されることはなく、中のほうの傷の確認程度で済んだ。中の傷からの出血はほとんどなく、お腹の傷も本当にきれいという事で、何とか予定より一日早い19日の退院が決まる。
診察されている間、(分娩台での格好は考えてみるとひっくり返った蛙みたいです。人には言えませんが・・)ふと思ったことがある。これからもし、卵巣の病気にでもなって再度婦人科を受診しなければいけなくなった場合、いちいち「私は子宮がありません」って言わなければならないんだろうか?会社の健康診断の子宮ガン検診申しこみの際も「私には必要ありません」って断るのかな?どうでもいいことなんだろうけど、些細なことが精神的には重くのしかかることって結構ある。いつもは笑える冗談が、その日に限って気に障ったり、ストレスの原因になったり。
でも、病棟にはもっと大変な患者さん達がたくさんいる。みんながんばっているのを見ると私なんかかすり傷だと言われそうだ。

婦人科の病気は自覚症状が全くないか気づきにくい。
みんなで話していても、術前は健康そのものだった人が多い。だからどうしても我慢できないほどの痛みや不正出血などで思い腰を上げやっと受診すると、子宮摘出だとかガン宣告だとか思ってもいなかった現実をつきつけられる。
特に生理痛は病気だと思われず、薬などで抑えがちだが、出血の多さや鈍痛は何がしかの異常を訴えている場合が多い。個人差があるから、体質だからと言う前に積極的に受診したほうが良いと思う。受診して何でもないとわかれば安心だし、なにか病気が見つかったとしても、早期なら治療方法もいろいろ選べるはず。筋腫だけを切除する方法も今は一般的だ。
私達は女性なのだから男性とは違って複雑にできている身体をもっといたわるべきなのだ。

2001年01月06日 19時10分00秒

11月16日 手術後10日目
看護婦さんは忙しい。
看護婦さんが廊下を走るのは緊急時のみと思っていたのに、この病院の看護婦さん達は”とても静かに歩いている暇なんてないわ”とでもいうかのように、始終走り回っている。
最初、「なにか緊急事態か・・・!」と、気が気ではなかった私もすぐに慣れ「あ、あのドスドス歩きは○○さんだ!!」と聞き流せるようになった。
これも、巷で言われているように看護婦不足の為なのだろうか?資格を持って働きたいと意欲を持っている主婦さん達は結構いるようなのに、実際に就職できる機会がないのはやはり過酷な労働条件とそれに見合うだけの待遇が確保されていないせいなのかもしれない。
「ひまだ!ひまだ!」と叫んでいる患者を尻目に次から次へと仕事をこなす看護婦さんを見ていると「世の中はみんな動いているんだ。みんな働いているんだ」と不安を覚えたりもするが、あせっても仕方がないのは承知済み。「これは神様がくれたお休みなんだ」(パクリ・・・・)と思ってゆっくりするしかない。
会社へは長めに休暇願いを出しているし、年末の大掃除をちょっと早めにやってみようか・・・仕事をはじめてから、忙しさにかまけて念入りに掃除していないし、体力をつけて仕事をはじめるためのリハビリにもなって一石二鳥かもしれない・・というわけで、家へ帰ってからの大掃除計画表を作ることにする。
計画表を作るところまでは好きなんだけどねェ〜〜〜
2001年01月06日 19時00分00秒

11月15日 手術後9日目
食堂で来週手術を受ける人と知り合いになる。
術前ということでかなり緊張している。会話の中で「切るの、いやだなぁ〜」と何度も繰り返す。わかるわかる、その気持ち。
苦しい部分と楽な部分をなるべく細かく正確に話してあげたら「少し、ほっとしたわ」と言ってもらえた。
実は、自分自身、術前隣のベッドの患者さんが手術経験者で、詳しい事を教えてもらってとても助かったのだ。忙しい医師や看護婦さんにはちょっとした疑問やほんの些細な質問はなんだか悪くて聞けないものだし、医学的には「正常な痛み」であっても個人差があって、これは経験してみなければわからない。
井戸端会議にこそ真実があるのだと確信した私なのであった。

私についてくれている看護学生は、自分が大病をした経験を持っていて、その時優しく面倒見てくれた看護婦さんに憧れて看護婦になることを決めたのだそうだ。痛みを経験している分、患者に優しく出来るし、気持ちもわかってあげられると思うと話す。
いい看護婦さんになってくれると思う。

2000年12月26日 16時00分00秒

11月14日 手術後8日目
今日は洗髪をしてもらった。
看護学校では友達同士で洗いあって練習するんだそうだ。
私みたいに元気に走り回っている人間は楽だろうが、全く動けない人には頭の周りにプールみたいに土手を作って寝たまま洗ったりすることもあるそうだ。
そういえば、昨日から同室になった方はもともと婦人科の病気なのに、腸や他の臓器まで侵食されて結果人工肛門になって、外科・泌尿器科と回ってきたそうだ。子宮ガンで子宮摘出後も何度となく入退院を繰り返している患者さんもいる。
健康なときには考えもしなかった入院生活。いかに多くの人が必死に病と戦っていることだろう。本人・家族・医師や看護婦。みんなが戦っている。
病気に勝つために。
生きるために。生かすために。

地下にある売店まで散歩がてら買い物に行く。
脚力は落ちているが、貧血によるふらつきはなくなった。
が、数値がまだ低いので錠剤の鉄剤を飲むよう渡される。

2000年12月26日 15時40分00秒

11月13日 手術後7日目
抜糸の日。
傷部はへそしたから外陰部ぎりぎりまで15cm程度。
正確にはホッチキスの針のようなもので止めているので"抜針”が近い。取ったものを見せてもらったら本当にただのホッチキスの針だった。数は20個ほど・・記念にもらおうかと思ったが医者に呆れられたので断念。
内部の圧迫されるような痛みはまだ感じるが、抜糸して身体を動かしても、くしゃみをしても傷にひびかなくなったことは大きい。
歩く時もすいすい。
ただし、手術後1日目に怠けて身体の向きを変えたりしなかったので、軽い床ずれを起こしているお尻が痛く、ペンギン歩きは相変わらずだ。

元気になると時間が余って仕方がない。
不思議なもので、熱があったり傷が痛んだりしていたときは、いくらでも寝られたのに、調子がよくなってくるとなかなか寝つけない。それに、昼寝を取りすぎると夜寝ることが出来ない。ただでさえ、騒々しくて寝られない病院の夜をぐっすり睡眠できるためには昼に体力を使いきってしまう必要があるのだ。
家から持ってきたパズル雑誌も文庫本も全部読んでしまった。
冬なので、あまり外にも出られないし、ノートパソコンでも持ってくればよかったなぁ〜〜
(??持ってったっけ?わたし・・・・)(願望なのだ)

2000年12月26日 15時30分00秒

11月12日 手術後6日目
9時と15時に行っていた抗生物質の点滴も今日で終り。
手術の時、出血が少し多めだったために点滴の際に造血剤も一緒に入れてもらっていたが、それも終了ということで針を抜いてもらう。
隣のベッドの人は同じ場所で何日も点滴すると血管が細くなって通りが悪くなり腫れてくるのだそうだが、私は一箇所で手術日から一週間もってしまった。針を刺すときは血管がよく見えなくて看護婦さんをてこずらせたのに、実は丈夫な血管だったのだろうか??

午後から子供達が全員見舞いに来る。
帰り際の寂しさが嫌で入院中は連れてこなくていいと旦那には言ってあったのだが、皆で「絶対顔を見に行く」と言ったのだそうだ。

今回の入院では家族皆に負担をかけてしまっている。
中学生の長男と小学5年の次男は毎朝保育園に末っ子を送り、帰りはどちらか都合のつくほうが迎えに行く。いつもは自動車で私と登園する末っ子も文句言わずてくてく歩いているらしい。
慣れてきてからは、主人も出勤するようになり、帰りの遅いときはみんなで相談の上なにかしら食べて過ごす。
主人はなれない手料理や洗濯・掃除をこなし、(普段は全くやらない亭主関白)仕事が定刻で終われる日は病院へ面会にも来てくれる。
田舎の両親には知らせていないので男どもだけでがんばってくれている。
何回か、夕食を届けてくれた友達にも感謝!!
そういえば、ただ普通のご飯が食べられるようになったことに感謝し、動けるようになったことに感謝している。健康でいられることや、支えてくれる人達がいること、改めてありがたく思えるのは病気になった副産物かもしれない。

2000年12月26日 15時00分00秒

11月11日 手術後5日目
毎朝、目覚めると昨日よりはいくぶん痛みも減ったことに気づき少しだけ身体の動きも滑らかになったことを感じる。
人間って強いものなのだ。

今回の手術は子宮全摘出だった。大きい筋腫が直径約10cm程度。そのほかにも子宮内部に小さいのが無数あったらしい。幸い、卵巣は両方とも問題なしで残してもらえたし、腸もきれいで、生体検査に出した筋腫も良性で年齢的にもまだ若く回復も早いとお褒めの言葉をいただいた。
何の問題もなく生活できていたのだから無理して手術することもなかったのかと考えないこともないが、この先なにかあってからでは遅いということもある。傷を小さくすませるために筋腫の成長を止める処置をしたり、筋腫だけを根気よく取る事だって出来た。しかし、仕事が面白くなってきた今の時期の私には病院に何度も通っている時間なんてなかったし、筋腫の再発による数回の手術なんて耐えられそうもなかったし、迷いや心残りは全くないことはないけど(男の子ばかりなんでやはり女の子、欲しかったんです・・)結果については納得している。
ただ、丈夫な身体に産んでくれたのに、内臓ひとつ切り取ってしまって申し訳ないと、実家の母親にはいつか謝るつもりだ。

9時と17時に行っていた血圧測定が今日で終りになる。

2000年12月26日 14時30分00秒

11月10日 手術後4日目
朝になってやっと熱が平熱に下がる。会社の同僚や御近所の友達がお見舞いに来てくれた。極力、入院は知らせていないが自分や旦那の会社には報告しなければいけなかったので、結構入院話は広まっているらしい。

何気ないおしゃべりにとても元気付けられる。
自分を待ってくれている家族や同僚・友達の存在がどれだけ励みになるか。
『病は気から』というが病気の治癒力は自分の身体だけでなく心の中にもあったのだと気づかされる。

明日も痛いだろうけどがんばって歩こう!!

流動食→三分粥→五分粥→七分粥→全粥と進んできた食事が夕食から普通食に戻る。硬めに炊けたご飯のおいしいことおいしいこと!!
嫌いじゃないけど、しばらくおかゆは食べたくない。

2000年12月26日 14時00分00秒

11月9日 手術後3日目
なんと今日は15回目の結婚記念日だった。
夫は出勤し、妻は入院。子供達は父母の帰りを待ちつつお留守番。
なんて、寂しい結婚記念日なんだろう。
手術の話がなかった頃は二人で日帰りの小旅行でもしようかなんて話していたのに・・
つくづく、人間は健康が一番なんだと身にしみる。

午前の回診で脊髄の痛み止めのチューブを抜いたので傷も少し痛み始めた。それまでは、傷の部分だけが神経が麻痺していたような感覚だった。
が、それよりも腸が活動し始めようとグルグルグルグル”ガス”が移動するのが最も痛い。腸が癒着していればそんなことはないのでこれも順調に回復している証拠ではあるのだけど、痛いものはイ・タ・イ。ピンポン玉でも入っているかのようだ。ガスが出ると少しは楽になるので布団の中でも気になどしていられない。お隣さん、臭ったらごめんなさいm(_ _)m 元気な私の腸は便通も再開した!!

2000年12月26日 13時30分00秒

11月8日 手術後2日目
今日はバルンカテーテルを外す。
バルンを外すということは、歩いてトイレに行け!ということだ。
脚に出来る血栓が元で手術後亡くなった事故があったことで、最近ではすぐにでも歩かせたほうがよいという方向にあるらしい。
とはいっても、痛み止めが効いてはいるものの痛みはお産の非ではない。
午後、いつまでもバルンを入れていると細菌感染するからと、強制的に抜去され、しぶしぶ第一回トイレ歩行チャレンジをしてみたのだが、立ち上がろうとすると下腹部に血液が集中するかのようにぐーーーッと重苦しくなり、腸のあたりも痛む。傷が外陰部すれすれのところまできているからか、恥骨も痛い。おまけにやっと辿り着いて用を足した途端、貧血を起こし2回目の車椅子出動事態となってしまった。
なのに、一度目は付いてきてくれた看護婦さんも二度目からは自分で歩けという。さらに、夜は人員が手薄になるのでポータブルトイレを使えともいう。
病室でトイレなんて勘弁してくれ!!というわけで、それからは意地でも自分の力で歩くようにする。これって、看護婦さんの策略だった!?
2000年12月26日 13時00分00秒

11月7日 手術後1日目
脊髄に入っている痛み止めのおかげで、傷自体が激痛というほど痛むことはなかったが、内臓全体が重く苦しい感覚があり、膀胱に入っているバルンカテーテルというものがむずがゆくてどうにも気持ち悪い。
熱は38度7分を下らない。手術後の反応としては正常な値らしいが、普段あまり熱を出さない人間としては、きつい。
昨日、手術後部屋に帰ってきたときには、寒くてガタガタ震えていたのに、今日は暑くて汗びっしょり。体のあちこちに病衣がはりついてかゆい。
昼、流動食が出たが、カラカラの喉には甘ったるい味ばかりで飲む気になれなかった。

午後、温湯で体を拭いてもらうが、熱が下がらないのですぐ汗ばんでしまう。

「かかとがいたい」と看護婦さんに訴えると、かかとは体重がかかるところなので気をつけないと床ずれを起こすとのこと。床ずれというのは腰や背中に出来るものだと思っていたのでびっくり。
脚にはなんだかふわふわの布が巻かれている。血栓予防のためなのだが、「体格のいい人がこれをするのよ!!」と、親切な看護婦さんが教えてくれた。聞かなきゃよかった・・・

後がつかえているので(帝王切開も含めて婦人科の手術はとぎれることがないそうだ・・)他の部屋へ移動。
「動けない」とわがままを言ったら、看護婦さん4人がかりでシーツ毎抱えられストレッチャーに乗せられる。
どう見ても華奢な人ばかりなのに・・・
看護婦さんの仕事はまったくもって力仕事です!!

2000年12月26日 12時00分00秒

11月6日 手術当日
手術の日が来た。
ここまで来ればまな板の鯉。意外にも冷静でいられるのが不思議だ。
朝、2度目の浣腸。
ここで貧血を起こしてしまい二人がかりで抱えられ車椅子でベッドに戻る事態になってしまった。毎日、いたい造血剤の注射を我慢していたというのに・・・
退院したらまたほうれん草をいっぱい食べよう。

落ち着いてから部屋を移動。
術後一日過ごす、ナースステーションに近い個室に入る。
寂しがりやの私は初めから4人部屋を希望したので、貴重な個室生活だ。酸素ボンベやら器具が置かれていてドラマのセットのようだ。

点滴が始まるので手術衣に着替える。
マジックテープで前身ごろと後ろ身ごろがくっついていて、要するに脱がせやすい構造になっている。
この格好で2回もトイレにいったのでいたるところのテープがはがれてその都度旦那につけてもらう。なんだか、手術前の患者には見えないぐらいハイテンションになってしまった。
手術台の関係で右手に針を刺すところだが血管が曲がっているため左腕、手首より5cm上のところへ太くて長い針を刺される。

前の手術が長引いて2時手術室入室の予定が、3時過ぎてしまった。
心配なのか午前中から待機している旦那は暇をもてあまし気味。煙草の本数が少ない。私より緊張しているかもしれない。

手術室入室30分前に筋肉注射。
今回はおしりにぶすっとされる。おしりに注射なんて小学生以来だ。しかもこの注射が入院期間の中で一番痛かった。
麻酔がスムーズに効く効果がある。
電話で呼ばれて手術室へ。
ストレッチャーに乗って見る、蛍光灯がどんどん後ろに走っていく景色は、コンタクトをはずした眼に煙が空に上っていくように写る。
おっとと、縁起でもない。
手術台に乗ると同時に心電図計や血圧計などの装着が始まる。みんなプロだけあって手際がいいのが安心感を生む。
背中に軽い麻酔注射。それから、脊髄に沿って痛み止めが入る。
後から聞いた話では、細い針状のものを入れ、そこに随時痛み止め(塩酸モルヒネ、マーカイン)が流れていく仕組みだそうだ。薬の入った器具は、この後袋に入れて首からぶら下げられることになる。
あおむけになると麻酔医の「眠くなりまーース」の声が・・ここで記憶は止まった。

麻酔から覚めたのは術後30分と標準だった。
その途端口に入っていた人工呼吸器を外され喉がいがらっぽいのに気づく。
手も足も動くし、喉が痛いのを我慢すれば話もできる。ぼーっとしていても、周りも見えるし本当に手術なんて受けたのかしらと思うぐらい。
部屋に戻ると旦那が待っていてくれた。
手術直後に摘出した筋腫と子宮を見せられ説明を受けていてくれた。できれば自分で見たかったのに・・
酸素マスクをつけて、手指が冷たくなっている妻の姿をどんな気持ちで見ていたんだろう。患者より家族の方が精神的にはつらい時もあるのかもしれない。
その夜は30分から1時間おきに看護婦さんが検温・脈拍・血圧・傷の具合をチェックしに来たのでうつらうつらと過ごす。

2000年12月26日 11時40分00秒

11月5日 入院第4日目
手術前日。
今日は忙しい。
まず剃毛。
へそあたりから、大腿部の真中まで、かなり広い範囲をそる。外陰部も剃毛しなければいけないので、分娩台に上がる。足を広げっぱなしという態勢がかなりきつい。
こういうのが婦人科の受診を足踏みさせる要因なんだと思う。
しかし、患部に細菌が入らないように万全を期す訳で、仕方がないのだ。看護婦さんだって喜んでやってくれているわけではない・・・
午後、入浴。
しばらくはいれなくなるので、念入りに洗う。
整髪料はつけられない。当然の事ながらマニキュア・ピアス等もはずす。
食事は昼食まで
午後8時浣腸。
これも苦手なもののひとつ。普段から腸の働きは活発なほうなのでできるだけ我慢してからトイレに行くように言われても速攻駈け込んでしまう。処置室からトイレまでそろそろ走り歩きする自分のなんて情けないことか・・・
明日に備えていつも見ている午後9時からのTV番組をあきらめて就寝。
2000年12月26日 11時30分00秒

11月4日 入院第3日目
毎日「畜尿」という作業をしている。
尿を貯めておいて一日の量を計り、手術前と後で変化がなかったか調べるのだそうだ。計量カップに尿をしてそれを“かめ”にいれる。こんなに医療技術がすすんでいる時代になんて原始的な方法なんだろうと思う。
他にはすることもないので、ぶらぶらしたり、本を読んで過ごす。
2000年12月26日 11時20分00秒

11月3日 入院第2日目
一日の流れ
6:00 検温 寝ていても強制的に起こされる。
         熱と脈を計り昨日のトイレの回数を聞かれる。
7:30 朝食 元気な人は食堂に行って食べる。
     具合の悪い人、術後一週間は部屋で食べることができる。
     面会も普通はこの食堂で行う(多分部屋が狭いから・・)
9:00 回診 医師が各部屋を回り問診・消毒等をする。
     この病棟は看護婦さんのほとんどが助産婦の資格を持っていてプロ意識が強く、平気で医師に指示を出したりするのが面白い。
12:00 昼食 この病院の食事はメニューが2通り有ってA・B好きなほうを選べる。
どうしても、肉食中心になってしまう自分に反省。
13:00 タオル配布 体を拭くための温タオルが配られる。
13:30 検温
14:00 入浴 手術前日の人が優先。
15:00 洗濯物回収 この病棟は何故かコインランドリ−が使えないので、係りの人が洗濯物を洗ってくれるサービスが有る。出すものすべてに名前を書かなければいけないので、利用するのはやめた。
17:00 検温
18:00 夕食
21:00 消灯 「消灯」とあるので、皆電灯を消してこっそりTVを見ていたりする。
     産婦さん軍団は、10時に授乳があるのでそれまではおしゃべりしたりしてにぎやかだ。

今日は、午後シャワーを使わせてもらう。

2000年12月26日 11時10分00秒

11月2日 入院第1日目
9:30 入院。 てきぱきと支度を整え入院患者に変身!! 早速注射が来る。 細いのを3本、手首に近いほうに並べて打たれる。 どうやらアレルギーの反応を見るらしい。ついでに採血と造血剤の注射。 院内施設の説明に看護学生が一人ついてくる。 今回の入院中つきっきりで実習するらしい。 嫌なら断っても・・・といわれたが、未来の優秀な看護婦さんを増やす手伝いになればと快く承諾。 出身地が近いということも有って話も弾む。話し相手GET!! 午後、旦那と一緒に手術説明を受ける。 確実に病巣を切除するために全摘出する事を改めて確認。今更しょうがないがこれでもう子供はうめなくなるのかと思うとやはりさびしい。 筋腫の大きさは新生児の頭ぐらい。『非常に大きい』と協調されてしまった。 麻酔科の医師も来て麻酔についての説明。 最初の麻酔と痛み止めは腰に打つらしい。これってうわさによると相当痛いらしい。私は注射が大ッ嫌いだ!!!(ここは子供には見せられない) 夕方、内診や超音波検査などの術前検査をする
2000年12月26日 11時00分00秒

入院前の日々 その4
いよいよ入院日が近づいてきた。
主婦が20日も家を空けるので用意することが多い。といっても、買い物に行くと可愛いパジャマや、便利グッズなどを手にしてしまって「なんか、楽しんでない?」と旦那に言われたりする。
家事の方は全面的に旦那が見てくれることになっている。田舎に双方の両親も健在なのだけど、無理させて体を壊されても困るし、男5人で何とかやるさ・・の一声に甘えさせてもらうことになった。あれこれ心配は尽きないが、任せた以上口出しは控えることにし、生活費をポンっと渡し「よろしくお願いします。」と自分の入院の用意をする。
会社の仕事の引継ぎも、早いうちに入院の報告をしてしまったおかげですんなりと終り、心残りなく病院へ向うこととなる。
2000年12月21日 18時00分00秒

入院前の日々 その3
10月下旬  全身麻酔手術を受けることで、術前検査が必要になる。手術中の心不全や麻酔に対する事故予防に万全を期すためだろう。X線検査、心電図、血液検査等を行う。
私の場合、子供が四人(も?)いて年齢も40代に近いので子宮全摘出を勧められる。どうしても子宮を残したいのなら温存手術でもいいけれど、その必要はないし(未練はあるけど・・)温存した場合再発する可能性が極めて高いことなど考慮して全摘出で任せることにする。
“筋腫”か“悪性腫瘍”かは、実は手術してしこりを検査しなければはっきりと断言できないらしいのだが、“悪性腫瘍”であることは稀で大概普通の子宮筋腫なのだそうだ。しかも、たいていの女性が大小にかかわらずもっていて、手術経験者も大勢いる。私の知りあいにも何人もいるし、この病気で入院することを報告したとたん2〜3人に「実は私も・・」と相談を受ける羽目に。
そんなわけですっかり気分も軽く、会社にも許可を得てすっきりと入院をむかえることになったのだ。
2000年12月20日 19時00分00秒

入院前の日々 その2
10月中旬  隣の市の総合病院をはじめて受診する。ここは混雑しているのと建物が古いことで有名なので来たことがなかったのだが、手術となると小さな個人医院よりも安心かも?ということで行ってみた。
婦人科外来で前の病院での検査内容を説明し、再度筋腫の確認の為に検査することになった。婦人科での内診では組織を採取して子宮ガンの検査もしてもらった。採血で貧血の程度の確認、超音波検査で筋腫の様子を見て、「子宮筋腫でしょう」と手術を勧められる。
いわゆる“ガン”と“筋腫”“悪性腫瘍“などはとりあえず別々のものであるので、変に心配しないように釘を刺されたのだが、やはり人間なにかあると悪い方にばかり考えてしまうのだ。”ガンだったら・・“ ”医療事故があったら・・“あまりにも考え込みすぎて疲れてしまい早々に寝てしまう。
翌日、能天気母さんは立ち直りが早い。「手術する!!」
あきれ顔の旦那に宣言し、通院・入院することを決める。
2000年12月20日 18時00分00秒

入院前の日々 その1
7月の会社の健康診断で、貧血・ヘモグロビンの数値が低すぎるという指摘を受けた。
貧血なんて、今に始まったことじゃないし・日常生活に支障はないし・仕事はこれから忙しくなるし・・・と気にもとめていなかった私。
今回の入院は、そもそも子供を小児科に連れていって、ついでに貧血の薬でももらっておこうか・・という気軽な受診から始まってしまった。
10月某日  家の近くの病院で貧血検査を受けると、「女性の貧血はほとんどの場合、筋腫があることが多いんです。」というわけで、超音波検査まで受けさせられてしまった。
結果、「なにか影が見えますから、婦人科を受診してください。」
そこで、ショックを受けるかと思うと・・・実は相当受けてしまった。楽天的なこの性格をもってしても、程度の差はあれ病気の宣告を受けたのだから平常ではいられない。しかも婦人科!毎年12月に新聞配達のおじさんが持ってきてくれる“高島歴”にも婦人科系の病気には注意!って書いてあったもんねェ。夜、布団の中で下腹のあたりを恐る恐る押してみるとなんだかしこりがあるような・・・(!)これはいかん、即病院だ!!!
こうして、私の闘病生活がはじまったのだ。(結果的にそんなおおげさなものでななかったのだけれど・・)
2000年12月19日 18時07分33秒

母の入院日記
日記ツールをいじっていたら、新規に日記帳をつくってしまった。(-_-;)
また、新たにかきこみしなければ・・・
トホホ、、、、

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