2001/4/14
関内クリニック6F AAあひるの会参加
野毛場外JRA
1,2Rに常連と意見交換参加し、久久に病院行くからと早引けした。
馬券は 1,2Rとも外れだったが
AAの例会には遅刻せず参加できた。(sat.AM10:30〜11:30)
一年以上前とはメンバーもゴソッと変わっていても「このアル症という病気」の悩みを
打ち明ける迫力は変わらず
切ない。
ほとんどAA色になっていたけれど、司会者から3番目に発言を求められた私はあっさ
り飲み始めちゃってることを告白し、32周年を迎えるくりはまの会の30周年の文集を
照介して司会者に委ねた。
会の終わりに古顔・断酒歴の長い通称[岩]さんが『これしかねえのか?一冊あずかる』
とおっしゃってくれたのが救いでしたけどコップ類のかたずけはせず、逃げるような気持
ちでバイクで帰り、発泡酒さっぽろの北海道生絞りをやりながら中山7Rと阪神10Rを
GETしてしまいました。
AAは今回のような特段の理由・目的が無い限り参加するには心苦しい[場]と感じてし
まいますが「迷惑にならなければ」とかぎかっこ付きで[在るがままに]の生きざまをお見
せしたいという不遜な考えもチラチラ持ってますが[お呼びでない]でしょうね。
4/15になってしまった 本日これまで
2001/4/10 高校時代友人への告白的 E_mail
[くりはまの会]から第32回総会の案内はがきが来まして[欠席]にチェックして返信しまし
た。関内クリニックに一年以上行ってませんし、AA・断酒会の合流・融合会の皆さんに会
うのが「やや重たい」感じがあります。
30周年の文集が優れものだったので5冊頼み、おまけの一冊で六冊が一年以上眠ってし
まいました。今週の土曜 4/13には AAに参加して三冊ほど活用してもらう予定です。
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1963(S38)入社した会社は労働組合が分裂して第二組合の方が大勢になっていました。
非組合員でも良い[オープンショップ制]でしたから「ノンポリシー派」だった私は2〜3年
非組合員でした。その後第一組合の人達だけ一ヶ月昇給を遅らせる目的で非組合員も含めた
全員に[組合加入調査]を会社が行ったのです。(その後二度とはやりませんでしたが)
私はそれをきっかけとして[差別待遇が見え見え]の第一組合に加入させてもらいました。
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2000/4の mail送信控えより
2001/2/7 私の酒歴発表 2/16/1999T様>日本から外国へかける電話代と、外国から日本にかける電話代にかなりのひらき
>があります。
>もう少し、日本人は公共料金の高さに関心をもちましょう。
>中国とは歴史、文化がちがうのである程度はしょうがないことでしょうが!!![中国人と日本人]という本はやっと読みましたがその何%が吸収されたか奈良漬
の脳みそですから自信はないです。
この本の中で「中国人は商人」「日本人は職人」とし、個人レベル比較すると中
国人のパワーが高いとありますが最近 台湾にプリント基板関連で視察に行って来た
部長が「タバコノミニュケーション」で『侮れない』とこぼしてましたから的をつ
いてるんでしょうね。俺は[少数第一組合]を「選択」した時点で自分の等身大の大きさを超えて「背伸
び」してたな〜と最近思い始めました。(34年前位の選択でしたが一生の路線?)
カミさんには私はキャパ大きいから法華の太鼓でだんだん良くなりますと結果的
にはダマし、11年後には「アル中」で4ヶ月弱の入院で恥ずかしいことです。今日横浜駅前で日本共産党の演説会が行われていました。例の通り「真の野党は」
「日本共産党だけ」ですからと言うのを聞きながら高島屋まえのスキ間を抜けて来
たんです。
S労組は共産党系といわれていますが元気だった社会党も多数でした。私は
どちらの「シンパ」でもなく自称「ノンセクトドジカル派」のスタンスです。
この立場はいわゆる「過激派」とも交流を持つ機会が有りましたから 状況判断に
「奈良漬脳みそ」は危険でしたが容量オーバーのプレッシャーの中で悪循環になり
つつも切り抜けて来たのでは?と思い返してます。私は白状すると、日本人の中でも典型的な無頓着 typeに属すると思ってます。
晩婚で子供の負担が無いことをいいことに競馬をいいかげんにやってますし、酒
も呑み始めちゃったし、[緊張感]を思い起こす必要大と言われる対称でしょう。
4/2中山3Rヒット\5,080(x5) 『呑んでないと当てる』カミさん談。
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話は変わりますが
小渕主相 有珠山の噴火対策検討中に具合悪くなったそうだけど最悪の事態になって
るようで。62歳といったら我々も近い。
脳梗塞と脳溢血では治療方針が 180度異なるのは俺らの年代では良く知られてい
るけれど同時的に起きたら医者も「お手上げ」状態になるでしょう。
脳梗塞の判断で治療後に「出血」が観測されたという事らしいが、俺のおふくろ
の場合は幸いにも脳梗塞治療継続で72歳発病から数え90まで17年というのは
ラッキーとも思える。本人の最後は避けたがってた呼吸器系で気の毒だったけど。以上 疲れました
ホンデハ 又
======================送信 mail控えここまで================================本日これまで
1998/11/5 アルコール症と心不全で入院した国立久里浜病院も翌年1999/2/23退院の予定に
なり、恒例の[酒歴発表]がやってまいりました。
看護婦さんから事前のチェックを求められましたがお断りし、入院者の前で読み上げる形
で発表した(アドリブは入りましたけど)原稿をここに公開します。
この発表時に東六病棟長のS先生が『それで解ったと反応してくれたのは私が小学生後半
に「斜に構えるようになった」といった時』です。参考にして頂ければ幸いです。
******************************************私の酒歴発表 2/16/1999 D班 トマト
まず「アル中」になる前の生まれ育ちを話させて頂きます。
今皆さんがやってる断酒の継続の参考にして頂きたく私の酒歴を報告・告白します。
昭和19年5月15日 横浜市磯子区滝頭町、美空ひばりさんと同じ通りの三軒長屋で生まれ育
ちました。
両親は群馬の出身です。競馬好きだった父は 11年前の昭和 63年に 84歳で亡くなり、母は一
昨年 89歳で他界しております。
私は姉、兄、姉、私と妹で次男です。
丘の上に借りた土地で畑仕事もやっていた父からは厳しいながらも長男程の期待は受けず、
のほほんと育てられ小学校4〜5年位までは癇癪持ちながらも素直だったようです。
小学校6年頃から物事を斜に構えて見るようになったようで、先生の質問『自分が将来何
になりたいか』と聞かれた時に一人だけ『サラリーマン』と答えていました。
現代の子供には多いらしいですが、昭和32年当時の小学生としては 飛行機のパイロット
とかバスの運転手とか会社の社長とか自分自身が主人公となる夢ある回答が多い中で ヒネた
応えだったと思ってます。酒との関わりについて
初飲は少年マガジン・サンデーが創刊された昭和34年の年末で14才でした。
正月用で忙しい餅屋さんにアルバイトに行き、仕事の最終日茶碗酒2杯位を飲んで フワフワ
しながら自転車で帰った時だと思います。
茶碗の冷や酒を頂いた時は『苦くねえか』とからかわれましたが、すこしホロ苦く甘いんだ
と思いました。辛くなかったと覚えています。酒飲みへの入り口について
長屋で内風呂が無かったので銭湯に行き、岡村商店街の人達と近所の小料理屋で飲んでから
帰るようになったのが高2の16才位でした。時には勢いがついて伊勢佐木町に繰り出し、商
店街の先輩たちからおごられて泥酔やブラックアウトの体験も早く、酒に呑まれるクセもつい
てしまいました。
先輩の中にはアンテナ工事中に2階から落ちた事が元で亡くなった電気屋さんが居ました。
もし生きていれば『久里浜病院に行く程飲めとは教えていない』と云うでしょう。
その電気屋さんは私達の前では決して酔った顔を見せなかった強い人でしたが閉店後の暗い
中で机に両手をつき半眼になっていた所を一度だけ見たことがあります。
『帰れ!!』と言われてゾッとしたのが思い出されます。アルコール依存症
アルコール依存症になったのは30才弱だったと思います。会社の帰りに飲み歩くようにな
り、横浜市電の停留所で寝こけていた私が初めて加賀署のトラ箱に入れられ、その後は6本木
のトラ箱に2回程、それからここに入院するまで[アル中]のまま世間にいた事になります。
外には「アル中予備軍」がいっぱい居るとよく云われてますが、「入院して当然」の人が多
いのが実態ではないかと私の体験から実感しているところです。
その間失禁状態になって何回も寝小便したり、会社の先輩の背中でもらしたり、ずいぶん母
親を苦しめました。
無くし物は数えきれないほど、給料毎抜かれたのも数回、免許証はついに16回も再発行し
て末尾が7になっています。
もうまわりに迷惑かけまくりメチャクチャでした。2年前に漫才の横山やすしさんが自宅で亡くなったのをテレビで知らされた時『俺もああいう
死に方かも知れない』と身近に感じ、ショックを受けました。
この時たまたま骨折で会社を休んでいたので久里浜で診てもらおうと決意しました。
月曜日だった為アルコール外来の受付が無く丁度久里浜から転職する事務の人に照介されて
通院可能な関内クリニックのY先生に診てもらい 11ヶ月の断酒をしました。
除夜の鐘で再飲酒を始めたら2年ももたず、肝臓だけでなく心臓までいためてしまい西下に
入院して東6(トーロク)に来た訳です。退院後の生活
今回の入院を得難い機会ととらえ、退院後は横浜市民病院で心臓を診てもらい、直しながら
毎日をもっと大事に送れるよう力まずに努力するつもりです。
皆さんも自分の体と周囲の人々を大切にして下さい。
ありがとうございました------------------------------------------------------------------------------------
退院後の「断酒」に触れないところが「ズッコイ」 本日これまで
2001/01/02
お墓参り
バイク仲間からもらった軽のワンボックスで父母の墓;横浜霊園と妻の父のお墓;日野墓地
そして会社の先輩;相沢管理の3個所を一気にお参りして来た。知りたがりカミサンの質問で
横浜霊園の大きなお墓三船さんは[三船敏郎さんのお兄さん]だそうです。
2000/12/26バイクでまわったことも有るコースではあるが空調なしの車でも有り難い。日差しでぽかぽ
かするほどだった。バスと電車では不可能な時間の使い方。月2万円の駐車料金が活きたか?
3ヶ月ぶりのエンジン始動はハラドキ!!で、思いかえせば[チョークいっぱいアクセル一杯]
で(燃料過多の危険)良かったように、ガソリンが届いていない症状だった。
燃料噴射式エンジンでフルオートの世代の方にはご理解いただけないかも知れないけれども
キャブレター式の燃料供給エンジンは個性があって付き合いながら[季節ごとの]適性をつかむ
作業があるのです。バイクの方がこの点でデリケートです。で年4回の墓参+αの車だったらレンタカーの方が安くなるというのが結論であり、webでも
使用頻度が低い場合では 自家用>タクシー>レンタカー という負担度が示されていました。このエンジン・車の「クセ」をもう少し理解してからアルコール系燃料ガイアックスに挑戦
してみようかなと思ってます。本日これまで
これは久里浜東6入院中隣のベッドだった人への E_mail控えです。
L.A.Toshiさんという方からメッセージを頂いたもんで私のプロフィールを
兼ねて照介します。(定年間近の55歳で就労許可も不安だった)--------------------------------------------------------------------
Y様
トマト@ワッピー
pm10:34〜 2/24 1999
退院おめでとうございます
24日は横浜市民病院の循環器科が水曜の定休日でしたので I−ネット
のパスワ−ド整備などでサポ−トセンタに電話し、ついにREGEDIT
(windowsのレジストリ書き替え)の起動までするはめになり忙しくハラド
キでした。・・・・中略
ところで前医院長の河野先生の一文ご覧になったと思いますが、入院中
に見せてもらいたかった。〔 自ら気付くように〕という医療方針がある
にせよ私のような早トチリの 曲解をする奴が今後も出ると思う位の悟り
レベルの内容が含まれた「自分への誓い」だったと考えています。本意;〔変えられない物〕と〔変えられる物〕とが〔区別〕出来、変え
られる勇気と知恵を持つ事。これを敢えて〔自分の在り方だけに〕矮小化して見るとどうでしょうか
1.自分を変えられなかった事を素直に認めるゆとりを持とう
1.自分を変える知恵と勇気を持とう問題は「問題飲酒」にある訳ですから「自分への誓い」の大きな意味の
一部としては間違いでは無くなります。
「問題飲酒」の中の「健康」と「人を困らせる」、この2番目が問題だと
考えています。一般的にいえば「迷惑」ですが「自由」と同様の難しさが
有り、この手の〔定義〕にうるさい奴が「スリップ」し易いと言うのが
巷の断酒会やAAの経験談に多いのは聞いています。
しかしながら私としては嗜僻っぽいですがこだわってしまうのです。
東六で不足してた勉強にこの辺の事が大きかった、私の場合は勘違いの
「反発」レベルのまま退院し、女房の一言(キリスト教関連、マ−フィの
法則、D.カ−ネギ−等)で気付いた次第です。仕事嗜壁っぽい Y さんも若い人が 浅薄な理解で振り回す「人に迷惑
かけてねえだろう」という言い訳(最近も昔も)について考えてみて下さ
い。 明日は出勤します。 11:30pm 2/25 1999ホンデハ又
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本日これまで
2000/12/02
酒飲みの見栄と失敗
1999/03/23久里浜病院退院後一応「おそるおそる」500mlの缶ビールから再開した飲酒は「一人で飲む」----------------------------------------------------------------------------
限り、「コントロール下」に在りました。
その後みんなと飲むとペースを失い、普段よりアクセルオーバー(緊張のためでしょうか・それほど「
ヤワ」とは思いたくないんですが)そしてブレーキタイミングが遅れます。車の事故分析ではありません。
という傾向になり、ヤバイなと思ってましたが・・・・。やってしまいました11月末に佐島マリーナで開かれた会合に2リットル入りの箱の酒を持ち込んで普段
は4〜5合のところ6〜7合飲んでしまい、朝方トイレにたって後ろに倒れバスタブにもぐって身動きで
きず、助け出されたそうです。
ゆかたは小便まみれで幹事さんが着せ替えてくれたようです。聞いてみれば確かに後頭部をブツけたらし
い痛みが残っています。本当にあぶなかった、こんな痛み程度で済んだのが不思議な状況でした。「みんなと飲む」、ここでペースを狂わす最大要因は[見栄]だと思っています。
お酒は 依存している飲み手を何時の間にか呑み込み 奴隷にしてしまう作用についてとりわけ強力な薬物
と云われています。この使い方に問題があるわけです。
「みんなと飲む」時は普段より控えめにという心構えで行かないと心臓以外のアクシデントであの世へ
(そう簡単には)行けないか・!?。
本日これまで
トマトさんへ
このページを好きなようにアレンジしてみてください。
トップページからはリンクしてありますので
いつでも見ることができます。