
第三巻
闘争と生活と交流(1982年ごろ)
愛媛百人委員会が活発になり、健常者と共に「保安処分反対闘争」を繰り広げていく。
何でも反対する学習会も活発。
ごかいとしては、街頭カンパを始める。
私事では、約1年の入院生活から自立のために。結婚生活を選んだ。1年後破局。
桧垣君自殺(初めての自殺者)=ひがき号誕生
愛をむさぼる会(身体障害者)の長谷さん、大森さん宅へ介護を始める。
名古屋(病者集団)へ武内征治さん一人で行く。その他東京、京都、岡山、高知、新居浜などへ
野本功次の「人類世界愛し合おう」の貴重な投稿がある。『現代の日本は、最初からガッチリ組み込まれた管理社会で、個性と情熱と才能を自分なりの生き方で発揮できない若者、ロマン飢餓の時代である。・・・・・前進する人類の明日の未来は、愛と平和なのです』(実に今も言い続けたいことである)
地道な会員社領政男=現在も活躍中。