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| 私がこの病気になったのは、今から10年程前、独身の頃です。最初は下痢から始まりました。潰瘍性大腸炎と診断されるまでは何の病気かわからず、あちこちの病院を転々としました。 先ず近代病院で、医学生10人以上に囲まれおしりを突き出すような感じでベットに寝かされ太いカメラのようなものを入れれ痛みと恥ずかしさをこらえながら検査を受けました。その結果、痔と診断され、痔の薬を4ヶ月ぐらい服用しましたが、一向に良くならず、それどころか悪くなる一方で、しばらく通っていると次は過敏性大腸炎と言われました。しかし、薬が変わっても良くなる傾向がなく、不安になり違う病院で診察してもらうことにしました。 違う病院に通い出したときには、血便が多量に出て、1日に何十回もトイレにと行かないといけない状態までひどくなっていました。 そして即入院、検査の結果、潰瘍性大腸炎と診断されました。 そのときの治療としては、サラドピリンと出血止めの点滴を受けていました。しかし、しばらくたつと、サラドピリンの副作用で肝臓を悪くし高熱で苦しめられました。すぐサラドピリンの数を減らしてもらいましたが、今度は肝臓まで悪くなりその分の治療も増え大変でした。 その後2ヶ月ほどで退院しましたが、職場(デザイン企画関係の仕事)に復帰して1ヶ月ほどで病気が再発。結局仕事も続けられなくなり退職。それからは、何度か入退院を繰り返しました。 今思えば、病院での入院生活が私にとっては命の尊さを知るいい経験になったと思います。 そんな、ある日主治医の先生から、「この病気に特に取り組んでおられるK.Kと言う先生が大阪市立大学付属病院に、おられるので、そちらの病院に変わってみたら」とK.K先生を紹介され、大阪市立付属病院に行きました。 その先生の治療法というのは今まで受けていたものとは、まったく違ったもので、すぐ下血も止まったのですが、やはり仕事をしたりすると体に無理があるのか、急に病状がひどくなり、ある日の夕方からかなりの下血回数になり、20分毎に血がたまりトイレに行きたくなるという状況で、次の日の明け方にはフラフラになっていました。 翌日は幸い主治医の先生の受診日だったので、両親に朝一番に病院まで連れて行ってもらいましたが、そのときは、もう立っていられない状態でパジャマのままで椅子に、横たわっていました。しかし大阪市立付属大学病院は入院待ちがあって、最低2週間は待たなくてはいけないのでベットが空くまで近くの病院に一時的に入院ということになりました。 その日から絶食になったのでIVHをすることになったのですが、私は以前から血管が細いと言われていて、いつも注射が2〜3回でやっと入るという具合だったのですが、このときは10回以上刺されました。いい加減どうなっているのかと怒ったら院長が来たので、今度は大丈夫だろうと安心したのも束の間、針を刺された瞬間血が、ブワ〜と噴水のように吹き出し、みるみるうちにベットが血で真っ赤染まってしまいました。私は一体何が起こったのか分からず先生方は、ばたばたして私をタンカーで運び出しそのままレントゲン撮影したり、あちこち回され、落ち着いたときには、首から肩が紫色になって鉛のように重く体が動けない状態でした。 下血が続いて、ただでさえしんどいのに、なんて゛こんなことに・・・と悲しいやら腹が立つやらでした。 入院の前からよくトイレに間に合わなくて、下血で下着を汚してしまうということがあったのですが、このときは、かなりしんどかったのでポータブルトイレをベットの下に置いてもらいました。 下血した後はしばらくの間症状が治まり、自分で汚物処理が出来るため、点滴棒を押しながら一晩中、何度もトイレまで汚物処理に行きました。 看護婦さんに言えば処理して下さるのですが、自分の汚物を見られるのが恥ずかしかったので言えませんでした。この時期が闘病生活の中で精神的に一番苦しかったです。 2週間後、市大病院のベットが空き本格的な治療が始まりました。最初はプレドリンを点滴量からスタートし、他に座薬と飲み薬もありました。 市大病院はとても内装が明るく清潔で新しい病院で部屋も4人の大部屋でかなりゆったりしており洗面台もあり療養するには、とてもいい環境でした。 治療をしてしばらくすると、顔がムーンフェイスになってきて、食欲もでてきました。 プレドリンは飲める量ぐらいに少しずつ減っていき、その頃になると外見はすっかり健康状態になっていました。 病状が悪く一向に良くならないときは「人工肛門つけなければいけないのでは・・・」と不安で、精神的にもかなりつらい状態でした。でも、そんな私を支えてくれたのは、友人達でした。遠くの病院まで毎日のように誰かが面会に来てくれ、とても励ましになりました。 それに、学生の時から油絵を描いていて、いつかはフランスへ行って美術館巡りをしたいと、思ってフランス語を勉強していたのですが、病院では、勉強するいい時間になりました。(結局この夢は叶わなくて観光でパリ近郊の美術館で終わりましたが、)油絵は現在下の子が1歳になったばかりなので、休止中ですが、またいつか描いて、展覧会に出展したいと思ってます。 この病気になる方々は自分の意志が強く頑固で曲がったことが嫌いな人が多いと思います。でもそれを故に、今、自分のしたい事、方向性を見出し自分周辺の環境さえ整えれば、たとえ難病であろうと立ち向かって行けると思います。 この病気は、いかに家族、周囲の人々にこの病気について理解してもらえるかが再発防止のキーポイントになると思います 私は市大の退院後、幸運なことに病気のことも理解してもらえる今の主人と出会い、新しい家族を築くことができました。 私にとって環境が良い方に変わったせいか、今のところ出産前の入院以外は、していません。 私は結婚、出産、という新しい環境変化があった結果、体が良くなり以前程の病状もなくなり平和に暮らしています。 けれども男性の方はもっと深刻だと思います。仕事にしても大変だと思いますが、まして既婚者の方は家族を養わないといけない場合も多々あることでしょう。通院するにしても仕事を休まないといけないこともあるでしょう。それに比べれれば子供2人連れての病院通いくらい気楽なものですね。 |