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このページの目次 |
| 3.4話にならないサヨクとの論争 | 3.5社会主義は間違っている |
| 3.1 終わっていない「南京大虐殺」でっちあげ問題 |
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| 「南京大虐殺」とか、「従軍慰安婦強制連行」なるものが、ことごとくでっちあげであることは関係者の努力により明らかにされた。ただ、筆者は、サヨク連中が行った嘘宣伝の論破完了により、でっちあげ問題が終わったとは考えない。
* なぜ終わっていないと言えるのか 終わったとは考えない理由の一: 終わったとは考えない理由の二: *
でっちあげ問題を終わらせる方法 (1) でっちあげ宣伝者への証人喚問 (2) 嘘宣伝を抑止するための立法 * 狂信者への説得など無意味 * サヨクによるでっちあげ問題の解決は、我々国民が対応していくべき事柄 「(1)サヨクの嘘宣伝→(2)報道被害者など関係者が嘘を看破→(3)しかるにサヨクは、嘘宣伝になんら反省もなくペナルティもなし。日本人への誤解のみが残る。→再び(1)に」という、ばかげた繰り返しを停止する必要がある。 * 「南京大虐殺」に関する参考ページ: @ 南京大虐殺はウソだ @ あやしい調査団、南京への南京大虐殺の館 要人訪問者の名前を書いたリボンには、自民党の野中氏や社民党村山氏などおなじみの面々や、県教職員組合などが。 それにしても人間の骨を展示する発想。我々日本人には考えられないものだ。例えばアメリカによる空襲の犠牲者の人骨の山を展示する「東京大空襲記念館」を思い浮かべてみればいい。東京各地にある墓をあばいて人骨を掘り出し、ポーズをつけて展示する「東京大空襲記念館」を。おぞましさに身の毛がよだつ悪趣味さ。 このおぞましい記念館は↓こういう公式を明瞭に証明している。 「ナンキンダイギャクサツ」を盲信する人間=人間の大量の遺体を政治宣伝に用い「記念館」で展示するというおぞましい発想への嫌悪や疑念を感じない人間=社民党田辺氏村山氏自民党野中氏=サヨク。 という公式である。 社民党田辺氏、自民党野中氏、社民党村山氏の骨も、ぜひここに飾りたいものだ。土下座ポーズをさせ「支那共産党への忠義をつらぬいた紅衛兵の骨」の説明付で。この提案、本人達は嫌悪するより案外喜ぶかも。 @ 南京大虐殺の虚構 余談:「南京大虐殺」を盲信するサヨクにある、「殺される側の論理」の圧倒的な欠如 この文化大革命時代の支那政府の恐ろしさは現在の北朝鮮よりさらにひどいと思えば良い。毛沢東率いる支那政府当局は、支那全土において数千万人以上の人間を虐殺した。空前絶後の恐怖政治の時代だったのだ。
(筆者が昔住んでいた場所の近くにあった支那料理屋の主人も、叔父を殺されたと語っていた。)
サヨクは、この恐怖政治下における「民衆の証言」なるものを盲信する。馬鹿ではないか。「南京大虐殺」を疑問視するなど、政府見解と異なる意見を言えば即座に殺される社会体制に暮らす人々の恐怖や苦しみへの共感が全く無い。「殺される側の論理」を全く理解できないわけだ。 人間は生きるためなら、俳優だろうが演技者だろうが何にでもなる。たとえば現在の北朝鮮で金正日について問うと全員が口をそろえて「金正日様のすばらしさ」を演じるだろう。こういった社会体制に暮らす人々の「証言」を聞いて「ううむ、金正日って素晴らしい人なんだなあ。」「南京でそんなひどい大虐殺があったのかあ。」と納得するようでは、ほとんど馬鹿である。 文革支那政府が「南京大虐殺」を流布した目的は、文化大革命という本当の大虐殺を誤魔化すためでもある。つまり、「南京大虐殺」を宣伝したり盲信したりするサヨクは、文化大革命という本当の大虐殺隠蔽に加担しているわけだ。 サヨクなど「南京大虐殺」捏造加担者は、社会主義体制で虐殺される人々に対し往々に圧倒的に冷酷だ。「殺される側の論理」を少しぐらいわかって欲しいものだ。 余談:「南京大虐殺」捏造に見るサヨクの冤罪捏造吊るし上げ体質 「証言が疑わしくとも、南京大虐殺が無かったことの証明にならない。」
馬鹿ではないか。そもそも「南京大虐殺」を盲信した理由が「証言」にあったはずだ。「証言」が疑わしいのであるなら、「南京大虐殺」そのものも疑わしいということになるのだ。 こういうサヨクにある冤罪捏造吊るし上げ体質は支那など左翼全体主義体制に共通する体質である。旧ソ連スターリン時代や文化大革命においても「旧体制の手先」と疑われた人物は何一つ証拠なしに吊るし上げられ次々と殺された。
「なかっとは言えない。」→「あった。」という論理。サヨクには、旧ソ連スターリン体制から続く恐るべき冤罪捏造吊るし上げ体質が今なお脈々と受け継がれているのだ。 余談:「南京大虐殺」捏造者=カンボジア大虐殺隠蔽者 カンボジアにおいて行われたポルポト共産政府による数知れない大虐殺。これについては現在は疑うものはいない。 大虐殺の事実を認めず、ポル・ポット派擁護の超党派運動に参画した政治家、著名な知識人、マスコミ関係者は、旧社会党(現在の社民党)の土井たか子氏(ポル・ポット派支援組織だったカンボジア国際会議日本組織委員会の顧問)、自氏党AA研のメンバー(故伊東正義外相ら)、総評の市川誠元議長、市川房枝氏などだ。 中でも恥知らずなのが「中国への旅」における「南京大虐殺」捏造でおなじみの本多勝一氏である。 カンボジア大虐殺という歴史を「修正」しようと策謀に励んだサヨクが「歴史修正主義者」と罵倒とは片腹痛い。まあ、例によって「歴史修正主義者」と喚いて逆ギレすることにより、自らの歴史修正体質を誤魔化そうとしているのだろう。
カンボジア大虐殺を隠蔽したサヨクは、支那政府による「南京大虐殺」捏造の積極的協力者でもある。朝日新聞などサヨクは今後も支那政府やその影響下にある人間などによる「証言」とかを持ち出し、あらゆる嘘を捏造するだろう。サヨクがもたらす情報は、二重にも三重にも眉に唾を付けて聞いたほうがいい。 参考ページ:本多勝一研究会ホームページのリンク集にある「カンボジア大虐殺否定問題」 追記: |
| 3.2 「平和憲法を守れ」にあるバレバレな嘘 |
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| 戦後、日教組や日本政府内サヨクなどはバレバレな嘘を撒き散らしてきた。ここに特に有名かつひどい大法螺の具体例、憲法論を中心とした嘘八百を記す。どれも馬鹿らしいかぎりであり、教科書でもおなじみなものだ。これに騙される馬鹿っているのだろうか。実はいる。それはサヨクである。
嘘その一 「明治憲法は欽定憲法、昭和憲法は民定憲法」 つまり、 更に、両憲法については、以下の表現もそれぞれ正しい。 昭和憲法は憲法についての素人アメリカ人が作成した「素人憲法」。明治憲法は専門家が作成したから「専門家憲法」。 つまり、右翼団体が拡声器で言っていることは、憲法論において完全に正しいのである。ちなみに、筆者は右翼団体だろうが左翼団体だろうが竿竹屋であろうが、拡声器はうるさいので大嫌いである。 嘘その二 「戦前は天皇主権、戦後は国民主権」 * 憲法による規定(すなわち形式論)による考察 形式論(憲法上の規定)から見た主権者は つまり戦前は現在同様国民主権といっても間違いはないが、成人男子国民主権というほうがより正確である。戦後は成人国民主権という言い方がより正確である。 * 実質的な政治行為者(すなわち実質論)による考察 @ 2/26事件を起こした将校への判断 双方、天皇自身が積極的に政治判断をされたものではない。手におえなくなった時の為政者から判断を求められ答えたに過ぎない。 更に言うまでもないことだが、 どこが主権者やねん。司法立法行政のことごとくを完全に行う権力を持ち、かつ実際に行う存在を主権者という。 そもそも戦前も秘密選挙は保証され議会は機能していた。明らかに国民は立候補権や投票権をもっており、国民(正確には成人男子)は主権者だったのだ。ただし、軍隊は統帥権条項を楯に、議会に反発する場合があったといわれる。 実質的な主権者は、 サヨクは上記のうち形式論のみを根拠に「戦前は天皇主権」と主張する。馬鹿げた見方だ。紙の上に何が書かれていたかなどより、実質的にどうだったかの方がはるかに重要なのだ。 余談:サヨクは憲法とか資本論とかを崇める「紙の国」の住人。 紙(憲法)の上の規定:天皇による政治判断を認めるいくぶんかの規定が存在する。 サヨクは戦前における↑こういう状態を「天皇主権」とまで強弁する。 紙(憲法)の上の規定:国民による政治判断を認めるいくぶんかの規定が存在する。 戦前を「天皇主権」とまで強弁する政治家であるなら、我が国を↑こういう社会体制にしておいて、「国民主権」とまで強弁することも当然ありうる。例えばサヨクが愛する支那や旧ソ連などだ。こういった国々では憲法上では「国民主権」であり「言論の自由」「信教の自由」「集会の自由」が保証されている。しかし実態は完全に「共産党党首主権」であり、「言論の自由」「信教の自由」「集会の自由」など全く保証されていない。
主権者の定義A「憲法上でαに対し、いくぶんかの権力が規定されていればαは主権者と定義できる。αに実際に三権全てを行使できる制度があるかどうかとか、また実際に三権の行使をできるか、また行使したかどうかなどは、主権者の定義とは無関係だ。」 定義Aの立場に立ってはじめて、戦前を「天皇主権」と結論ずけることができるのだ。
現在の教科書を含むサヨクの「第二次世界大戦は民主主義と全体主義の戦い」とか、「戦前は天皇主権」という総括は、ある意味一貫している。定義Aにもとづくものだという点で。 もちろん一般的な「主権者」は定義Bのものだ。普通の民主主義者なら、当然前提Bの立場に立つ。よって、「第二次世界大戦は民主主義と全体主義の戦い」とか、「戦前は天皇主権」という総括を嘘八百だと即座に理解できる。
要するに、はっきり言って「第二次世界大戦は民主主義と全体主義の戦い」とか「戦前は天皇主権」などという総括は、「自分は定義Aを支持する立場に立っている。自分はまともな民主主義者ではない。」という自白に他ならないのだ。 結局、サヨクは「確信犯的に民主主義を瓦解させプロレタリアート独裁を目指す反民主主義者(筆者の言う上級サヨク)」か、「それに騙され踊る阿呆(筆者の言う下級サヨク)」のいずれかに他ならないということだ。
更に具体的に言うなら、
「実際に天皇が政治関与をしたかどうかなど、どうでもいい。憲法上でいくぶんかの天皇の政治関与が規定されていれば天皇主権なのだ。」
↑こういう発想をする政治家や政党とは、↓こういう発想もしかねない政党や政治家に他ならないのだ。
「実際に国民に政治参加の権利が認められているかなど、どうでもいい。憲法上でいくぶんかの国民の政治関与が規定されていれば国民主権なのだ。」
共産支那がさまにこういう発想だ。こういう実態を無視し、憲法など紙の上の記述のみに執着する発想。↓この有り様にあって社会主義を信じ続ける発想と全く同じだ。
紙(資本論)の上の記述:社会主義体制では人々は搾取から解放され幸せに暮らす。 時に実態に目を向けることが合っても、それは紙の上での記述にあてはまる側面、もしくはあてはまると歪曲できる側面に対してのみだ。
サヨク政治家やサヨクマスコミが政治家を批判する場合、実際の政策内容などを無視し、ナントカ発言とかにやたら執着する。言葉じりを捕らえ、悪意ある上げ足取りに終始する。森総理による「神の国」という言葉へのいいがかり騒動に見られるように。また、ひたすら憲法とかを崇め奉る。 余談:「天皇主権←→国民主権」という形で両者を対立要素として提起すること自体が嘘 戦前:天皇が支配して戦争をした悪い社会体制 完全な革命史観やんけ。ロシア革命にあこがれた戦前の共産党レベルで意識が停止している。幼児向けヒーロー物テレビ番組並みの発想。こんなマヌケなイメージ操作にやすやすと引っかかるのは、下級サヨクの他にはおるまい。
結局「天皇主権←→国民主権」という形で主権の対立要素として提起すること自体が嘘なのだ。 @
政策行為者である官僚に対して、民衆が政策を押し付ることのできない社会体制(例えば江戸時代) こういう状態を、国民の主権が制限されている状態と言う。今現在、国民の主権が組合教師により制限されている現状にあるのだ。
「天皇主権←→国民主権」という構図の喧伝は、「官僚主権←→国民主権」という本質的な主権の所在を示す構図を誤魔化す効果がある。組合官僚が国民の主権を剥奪している現状を誤魔化す効果が。
我々国民はこういう誤魔化しに乗せられてはならない。「天皇主権←→国民主権」という構図の喧伝は、テンノーセーハンタイのプロパ効果があるのと同時に、サヨク官僚による国民に対する主権侵害の現状を誤魔化す効果があるのだ。 嘘その三 「昭和憲法の特徴は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」という歪曲 昭和憲法の特徴は、あえて三つあげれば、 これに、憲法第九条について付け加えるとするなら(この条文は、確かに諸外国にある普通の憲法には見られない異様な特色とは言える)、平和主義ではなく戦争放置主義というのが妥当だろう。むろん、日本への侵略戦争であっても放置するということであろう。国民の生命財産軽視主義とも言いうる。 見ての通り、どれも少し調べればバレるあほ臭いばかりの嘘だ。とにかくサヨクは平気で嘘をつく。バレバレな嘘がほとんどだが、教科書上で記すなどあまりにもあからさまなので、気をつけないと騙されることになる。 ただ、仮にこれらの嘘が文部省の指導要領に入っているなら、これらの嘘を教えていることについて教師を責めるのは、理不尽である。我々国民の選んだ代表者である内閣総理大臣が任命した文部大臣に、官僚である教師が従うのは当然だからである。もし、これらの嘘が文部省の指導要領に入っているなら、責められるべきなのは文部大臣であり、それを任命した内閣総理大臣であり、それを選出した国会議員であり、それを選んだ国民である。 下記に原文を記したアドレスを紹介する。まあ、とにかく読んでみてほしい。 余談:「第二次世界大戦は民主主義とファシズムの戦い」も嘘 * 民主的な社会体制だったのは、敗戦国側。むしろ戦勝国に非民主的な国が多かった。 @ 敗戦国側 @ 戦勝国側 上記下記を比較してみて欲しい。「戦勝国側=民主主義、敗戦国側=非民主的」などとは全く言えないことが判るはずだ。 # 日本やドイツは戦争をしている→だから非民主的 # ドイツはユダヤ人を虐殺している→だから非民主的 我々はおうおうに政治制度と政策を混在させて論じる。特に民主主義とか全体主義を語る場合に。政治制度とは、為政者の選出方法、為政者の交代方法、為政者の権力組織関係(三権分立など)、などの規定をいう。政策とはそういった規定のうちで実際に行われる政治の内容をいう。
* 戦前の日本はファシズム国家ではない そもそもファシズムとは何か。広辞苑の記述をまとめるとファシズム国家の要件はおおむね以下である。
要件一:全体主義(国家などが個人に対して絶対的に優位とする思想)的 戦前の日本について要件のそれぞれを検討する。
要件一:全体主義(国家などが個人に対して絶対的に優位とする思想)的 要件二:議会制度の否認 要件三:一党独裁 要件四:政治的自由の極度の抑圧 要件五:侵略政策 見ての通り戦前の日本は要件一〜五全てに該当しない。当時の世界の諸国情勢をかんがみた時、当時の日本はなんらファシズム国家ではないのだ。「教科書に日本はファシズム国家と書いてあった→だから事実」ではなく、このように時に自分で検証してみる必要がある。 ただしイタリアはまぎれもなくファシズム国家である(なにしろファシズムの語源となった政党が与党)。ドイツも同様である。
* 「第二次世界大戦は民主主義とファシズムの戦い」は占領軍の洗脳宣伝によるもの ヨーロッパ大戦は、 だが、
大東亜戦争は 要は
大東亜戦争とは人種差別主義者と虐げられてきた有色人種の戦いなのだ。 余談:「戦前は独裁体制」もまた嘘 1:軍部独裁体制論 * 軍部独裁体制論、天皇独裁体制論、東条英機独裁体制論を同時に主張する一部サヨクの愚劣 はっきり言って、上記のように「独裁者」とあてはめる存在が戦前独裁体制論者の間で多種多様であるという事実自体が、戦前が独裁体制でなかったことの証となるのだ。
* 共産党一党独裁国家支那との比較で明らかになる、戦前独裁体制論の馬鹿馬鹿しさ @ 司法権 @ 立法権 @ 行政権 見ての通りである。共産支那は間違いなく独裁体制である。しかし戦前独裁体制論など、全くのトンチンカンとしか言いようがないのだ。 サヨク教師は「戦前は学校で嘘が教えられました。」などとプロバカンダする。いいかげんにしろ。嘘八百を教えているのはサヨク教師だろう。 要するに教育に限らず戦後とはそもそもが嘘と虚構の上に成り立っているのだ。「明治憲法は欽定憲法、昭和憲法は民定憲法」などという嘘の上に。 |
| 3.3 サヨクの伝統的主張テンノーセーハンタイ |
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| 自分をサヨクと分類されるのを嫌がるサヨクもいる。しかし、そういった連中も結局テンノーセーハンタイなどという最も伝統的なサヨク思想を支持していることを露呈し馬脚を現す。我々国民はこの馬脚に注目していればいい。
* 皇室の価値をサヨクが理解できない理由 ちなみに、筆者は世の中の人間全てが教養豊かである必要などないと考える。無教養な人間はいてもいっこうに構わない。無教養な人間にも、善良で勤勉な人は沢山いる。 余談:教養とは何か *
サヨクが思い込みがちな「教養」とは @ 西欧のナニガシカのエライヒトが記した晦渋な用語や言い回しの知識 サヨクはこれらを「教養」と信じる場合が多い。そしてこれらの知識を大量に口移すことのできる人間(つまり、それにより自分を過大評価させる能力に長じた人間)を「教養人」と考える場合が多い。特にこういった「教養」に秀でた人間の中には、テレビや著作物で日本人や日本社会や日本政府を相手に、西欧人になりきって高飛車に説教する者もいる。「おそ松くん」に登場する、おフランス帰りを自慢する「イヤミ」のようなキャラだ。「シェー、チミたち遅れてるザンスねえ。おフランスでは..」 とはいえこういった俗物はサヨクに限らず多い。知識自慢の俗物君はあらゆる場所にいる。これはグッチやアルマーニを身につけることで虚栄心を満たす女と同じだ。グッチやアルマーニの代わりに西欧系の知識を身につけて虚栄心を満たしているというだけの話だ。空虚だがおおむね害は少ない。 * 真の教養とは @
茶道:他人をもてなし見苦しくない所作を行うための心構え つまり他人とより誠実に接するための心構えが教養なのだ。その心構えを、より完全に緻密に身につけた人間を教養人という。これらの心構えを身につければ、なんら知識自慢で虚勢を張らなくとも品性品格がにじみ出て人を和ませる。
人は誠実であればそれで人として十分だ。その点を直接鍛練する発想に立ったこれらの文化は、あまりに高度で偉大である。こういった文化は外国では見られない種類のものだ。人と誠実に接する技術が一つの文化となっているなど、外国での例を知らない。これらを軽んじてきた明治維新後以降特に戦後という時代を、実に残念に思う。誠意とか礼儀とかへったくれもない利害の権化である支那とか西欧の蛮族による侵略の危機にあっては、これらを捨てざる得なかったのは事実だが。
ちなみに筆者は到底教養人などと言える人間ではない。筆者はそんじょそこらの下品なあんちゃんだ。ただ、下級サヨクが崇拝する「教養人」がただのニセモノであることを知っている。かつ真の教養人がもつ品性を感じ取れないほど愚鈍でもない。かつ真の教養人がもつ品性品格を妬み、自分並みのレベルに貶めようとするほど卑小ではない。という程度の人間に過ぎない。 * サヨクの存在が証明する皇室の重要さ (1)思い上がればテンノーセーハンタイ ただ、サヨクの場合オウムより更に醜怪である。サヨクはオウムより、更に情熱を込めてテンノーセーハンタイを訴える。これはサヨクの本質的な目的「他人を困らせたり悲しませたりして楽しむこと」に起因する。 (2)テンノーセーはジンケンシンガイの馬鹿馬鹿しさ (3)テンノーセーハンタイが生み出す大衆の乖離 ある意味、サヨクがテンノセーハンタイを主張している限り国民は安心していられよう。テンノーセーハンタイという主張自体、大衆は支持しないからだ。よって、付帯する様々なサヨクの主張も支持されないことになる。 * 総括 サヨクは、 1:大衆意識から逸脱し、自分たちの主張を絶対視する狂信集団(サヨクとかオウム)が現れる。 という有り様を明瞭化させることに役立っている。 つまり、皇室の重要性を明瞭にしてくれているのがサヨクなわけだ。無論、こういったサヨクの意義は原発事故程度の意義だが。 今後ともサヨクはテンノセーハンタイの呪縛から解き放たれることは無いだろう。それゆえ、大衆の支持は得ないだろうし、基本的には安心していいというわけだ。(だからこそサヨクはテンノーセーハンタイという主張をおうおうに隠そうとする。) |
| 3.4 話にならないサヨクとの論争 |
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| サヨクは論争が大好きだ。論争をしたいがためにサヨクになったのかと思えるほどだ。サヨクとは実証を放棄して、言葉遊びに走った存在でもある。とにかく共産党の昔からサヨクはやたら論争が大好きだ。 ところがそのくせ、その論争といえば「レッテルを張る」、「常套句スローガンを繰り返す」、「罵倒する」、「相手の言葉を遮る」、「相手の提起や質問に答えない」、「そのくせやたら質問が多い」、「わざとらしく笑う」、「怒鳴る」、「わめく」、「大袈裟に驚く」、「大袈裟に呆れて見せる」、「さくらを動員して相手を封じる」、「そもそも論議の場から反対派を除外する」というものだ。 それが文章の場合は、「てにおはがおかしい」、「主語や目的語などの省略が多い」、「一つの文が長く冗長」、「一般性の無い用語を多用して虚勢をはる」などなど。 内容については「嘘歪曲偏向」、「すり替え」、「いやみ」、「恫喝」、「無関係な個人情報あばき」、「威張る」という類だ。 と言っても実はサヨクは論争そのものが好きなのではない。相手をやり込めたり困らせたりするのが好きなだけなのだ。言葉に詰まってうろたえる人間を見るのは、なんとも愉快ではないか。サヨクにとり、論争とは単にそのための手段に過ぎない。 以上のようなサヨクの主張、論争に見られる病理傾向。そこからいくつかを抜粋し以下に解説する。 @ サヨクのレッテル罵倒常套句愛好癖 幼稚園児ならいる。 レッテル張りではないが、こういうのもある。 とにかくサヨクには、気のきいた言語表現が全く見られない。いつもどっかで誰かの言ったセリフ、言い回しの目白押しだ。ひとしなみに、十把一からげに、常に同じセリフ、同じコピー、同じ論法だ。とにかく気持ち悪い。 * よしりん教徒、よしりん信者 <○氏は戦後問題を提起する主張をした。→小林氏の著作に同じ提起があった。→○氏はよしりん教徒>。 * 右翼 なさけない。 * 軍国主義者 日本の防衛能力 原子力潜水艦:なし 見ての通り丸裸で、おまけに機動力なしだ。 更に 防衛力を先進国一般のレベルにするべきであると考える人間→軍国主義者 であるなら、先進国に暮らす全ての人間は、軍国主義者ということになる。これにそのとおりだと言われれば、なんとでも呼んでくれというほかない。 * 軍靴の響き * ファシスト * テンノーシュギシャ * テンノーセー * ナニナニ氏でも、こんなこといいませんよ。 * ナニナニの第五列 * 広義のナニナニ *
近隣諸国の懸念 *
偏狭なナショナリズム * 歴史をきちんと見つめましょう * 謝罪と反省 * 日本の戦争責任 * 悪いことをしたら反省するのが本当の誇りです *
日本の戦争犯罪をごまかそうとしている *
日本の戦争犯罪を認めたくない人々 *
歴史修正主義者 * 何やらきな臭い匂いがしてきた。 *
危うさを感じる *
殉国を美化するような *
後ろ向きの *
戦前への復古 * 腹をくくってご回答願いたい。 * サヨク * きちんと勉強してください。 @ サヨクの論争手口(嘘つきっぱなしを許してはならない) (1) サヨクはまずとりあえず嘘をついて相手の様子を見る。(南京大虐殺数十万人とか。「この事実は保守の間ですら既に常識なんですよ」などのハッタリをかましつつ。) (2)数を減らしたり、別件にすり替えたりする。 (3)更に数を減らしたり、別件にすり替えたりするが、いよいよダメとなると広義の虐殺などに転化したり、数は問題でないなどと主張 見ての通り、サヨクには一貫して誠意なしだ。 こういうふざけた真似を許さないためには、(1)の嘘を看破した時点で決して相手を許さないことだ。嘘を看破して安心し終わってはいけない。 具体的には、(1)の嘘を看破した時点で以下のようにするといい。 (あ)サヨクに(1)を結論づけた文献を示させる。 (い)誤りであることを示す文献をサヨクに示す。 (え)捏造、デマ飛ばし行為について徹底的に何度も謝罪要求を行う。謝罪文をかかせ、撤回するまで何度でも謝罪要求を行う。 これを行う上で注意する点は、サヨクはなんとか(2)に進めて誤魔化そうするが、それに決して乗らないことだ。 |
| 3.5 社会主義は間違っている |
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| 筆者はこのページを開くにあたって、伝統的サヨク思想である社会主義について論じるつもりなど当初はなかった。社会主義は間違っている。こんな話は、筆者がわざわざ論じるまでもなく、昨今あたりまえだと考えていたからだ。更に、今時大まじめに社会主義を信奉するなど、ごく一部の変わり者であり、特に論じる標的とする価値がないと考えたからだ。 しかし、どうやらその限りでないことが判明した。少なくともネット世界では、いくぶんか社会主義を信奉する伝統的左翼が徘徊しているようだ。 今更馬鹿馬鹿しいが、社会主義がなぜ間違っていると断定できるのかを、結果論と、論理的な観点の二点から考察する。読者はあくびをこらえて、読んでいただきたい。 (1) 具体的な結果からの社会主義考察 結果から判断するなら、社会主義は地球上に存在する全ての宗教、全ての思想を圧倒的に凌駕して、飛びぬけて最悪の思想である。問答無用に、人類史上最大最悪の悲惨が社会主義によりもたらされている。 以上のことから、普通の判断力があれば、社会主義はダメだと即断できる。しかし、社会主義が自分のアイデンティティーとなった狂信的社会主義者はぬけぬけと言うだろう。「やりかたが誤っていただけだ。」と。 * 飛び降り主義と階段歩行主義 この飛び降り主義者が社会主義者である。社会主義者の言い草を真に受けて、ソ連に飛び降りた人や、北朝鮮に日本人妻として飛び降りた人。こういった多くの人々が弾圧され、拘留され、死亡しているにもかかわらず、今なお「やりかたが間違っているだけ。」などと強弁する。 この圧倒的現実逃避無責任体質こそがサヨクなのだ。 (2) 論理的な社会主義考察 社会主義=「生産手段の公的所有にもとずく社会体制」 これがなぜ間違っていると言うことができるのか。簡単である。社会主義は一言で否定できる。 「公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うから。おわり。」 シャカリキに社会主義を何十年も勉強してきたおじいさんやおじさんには悪いが、これで終わりである。必死で理解した社会主義の数式や、晦渋な社会主義用語の暗記は、全て徒労だ。ご苦労様。 @ 社会主義思想における生産手段を私的に所有する存在とは @ 社会主義思想における生産手段を公的に管理する存在とは という発想だ。これが間違っているのだ。人間観が定まっていないのだ。「資本家」と称する存在には、物欲の権化のような性悪説を論じる。しかしながら、「労働者の権力」と称する存在には、物欲のない神か仏かのような性善説を論じる。人間の本性についての価値基準が二重になっているところが、誤っているのだ。 * 筆者の主張を論破する方法 筆者の主張は以下。 提起「生産手段の公的所有にもとずく社会体制(社会主義)は、間違っているか。」 以上の主張を論破する方法が、以下。 1 根拠を否定する。 2 根拠が結論に結びつかないことを証明する。 以上のいずれかを為し得たなら、筆者の主張は崩壊する。 社会主義者にしてみても、詭弁は好きなはずだ。「ホラ証明できました(笑)」とか、得意げに書いてみたくないか?だったらがんばって証明して見せて欲しい。証明が完了したなら、投稿枠に投稿して欲しい。 なぜ、社会主義(生産手段の公的所有にもとずく社会体制)が間違っていると断定できるのか。「公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うから。おわり。」 余談:社会主義者は勉強して馬鹿になった人間 中卒で若いときから働く人間に、理路整然とした的確な真理を話す人間が時折いる。論理的で、創意工夫にたけた人間。若い時に学習能力を訓練する機会を得ることが無く、思考能力に長けた人間だ。松下幸之助氏や、田中角栄氏のような。 余談:とにかく勉強しなけりゃ解らないのは馬鹿 例えば、筆者は、オウムの教えについて詳しくは知らない。にもかかわらず、オウムは間違っていると断定する。これは筆者に限ったことではない。多くの民衆もオウムの教義など知らないが、筆者同様にオウムは間違っていると断定する。 |