1.0 はじめに



主よ、変えるべき変えられることを変える勇気を
   変えられないことを受け入れる平和を
   そしてその区別をつける知恵を与えたまえ
(恐らくアメリカの)アルコール中毒者匿名会の座右の銘

    森の中で、木を倒そうと一生懸命ノコギリをひいているきこりがいました。
    「何をしているんですか?」と通りがかりの人は聞きました。
    「見れば分かるだろう、この木を倒そうとしてるんだ」きこりは答えます。
歩行者:「すごく疲れているようですが、いつからやってるんですか?」
きこり:「かれこれもう5時間だ。くたくたさ。たいへんな作業だよ」
歩行者:「それじゃ、少し休んで、ついでにそのノコギリの刃を研いだらどうですか?
     そうすれば仕事がもっと早く片づくと思いますけど」
きこり:「刃を研いでる暇なんてないさ。切るだけで精一杯だ。」
(いずれも、『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著 より)


己楽道の狙いは、
何はともあれ、まずは体の心地よさを最優先すること
です。

現代人にとって何が一番必要かと言えば、これなのではないかと思います。

つまり、
常に、いつでも、一呼吸一呼吸、
体のどこも緊張させずに、硬くさせずに、ストレスを感じずに、
体がどこも柔らかく、リラックスして、全身がバランスしている
ということです。

ですから、
歩いている時も座ってる時もパソコンしてる時も喋ってる時も
本読んでる時も映画観てる時もスポーツしてる時も何か食べてる時も
常に体がリラックスして心地よくあることを最優先します。

それ以外のことは、二の次です。

なぜそうしたいのかというと、それが出来ているのといないのとでは
それ以外の、普段していることの快適さ、心地よさが全然違うと思うからです。

それが出来ていないと、
いくら物質的に豊かになったところで、
いくら楽しいことをしたところで、
出来ているときに比べたら、快適度合いが全く違うのではないでしょうか。

また、精神的肉体的な多くの問題、例えば肩凝りとか眼精疲労とかストレスといったものも
常に全身の心地よさを追求していくのが解消への一番良い方法だと思います。

人の体を個々のパーツで捉えようとすると、個別に深いところにばかり
入り込んでしまって、本当に自分が望む結果を得れているのか疑問になってきます。
お医者さんや学者の方々はそれでいいかもしれませんが、
自分の体が快適であってくれればそれでいいだけの当事者である本人にとってみれば、
実は、個々のパーツがどうこうというのは、病院や薬が分かれているから
分けて考えがちなだけであって、全身がうまくいけば万事OKなはずです。

視力が弱くなってきて眼科に行っても、視力を測って眼鏡かコンタクトを勧められて
終わりでしょう。
何故弱くなったのか、回復できないのか、可能ならどうやったら回復できるのか。
そういった視点で考えるとき、答えは殆ど誰もくれません。

アトピーや花粉症の類にしても、原因は杉か、ハウスダストか、とかを血液検査で
調べるようなことはしてくれますが、じゃあ根本的に何が悪いのか、という部分の
説明は無いような気がします。

肩凝りなんて、どうしたらいいんだかさっぱり分かりません。

私は、それらは、結局、【流れ・全体性・関連性】といった枠組みで捉えるべきもの
だろうと思います。
体のあちこちに、近視や肩凝り、腰痛などの問題があるということを、全体のバランス
という視点からひっくるめて考えたほうが、分かりやすいし有効だと思うのです。

どうせ自分の体は1つなのですから、呼吸器や循環器、消化器系などの動きを
妨げなければ、体全体は本来の流れを取り戻し、個別の問題も解消すると思います。
逆に言うと、体が1つに繋がっているのということは、どこかがおかしくなると
他の所にも必ず何らかの影響が及びます。
そして、痛みや凝りを感じる時は、そこはただ単に他のどこかのしわ寄せを受けて
悲鳴をあげているだけかもしれませんから、
目や肩、腰といった部分で捉えていると、モグラにやられっぱなしの
モグラ叩きから抜け出せないような気がします。

ですから、【流れ・全体性・関連性】といった視点でゆったりと捉えることで、
体本来の動き、関係性に沿って対応することが出来ると思うのです。

私達の多くの問題は、
・頭で考える楽しさ、快適さ、リラクゼーション、が体で感じるそれらと異なる
・自分の中の自然な流れを取り戻せない
・自分以外の人やもの、情報との間に、自然でリラックスした流れを作れない
ことに起因していると思います。

体が実際求めている心地よさ、快適さ、リラクゼーション、といったものを
頭が妨げることなくいられれば、
自分の精神的なものや肉体的などこかの滞りを無くすことができれば、
パソコンや書類や周囲の人々と自然な関係を築くことができれば、
私達はそもそも豊かな社会に暮らしているのですから、
そんなに疲れたり緊張したりストレスを感じたりイライラしたりピリピリしたり
しないで済むはずなのです。


そうした私達の問題の多くは、
自然な状態を忘れてしまったことに起因していると思います。
特に、二足歩行の動物としての自然さを忘れてしまったことに対するものです。
二足歩行でバランスする、というのは、本来かなり微妙で難しいことのはずです。
昔の人(実際は今でも国際的に見れば多くの人)は、体をしょっちゅう動かすことで
そうしたバランスを体が分かっていたのです。

というか、私達だって体は分かっています。
ただ、頭がやたらと体の邪魔をしすぎるのです。

漢方薬だって、昔の人は一時的にバランスが崩れたとき、心身のどこかが滞った時に
服用していたのでしょうから、それなりに有効だったと思うのですが、今の私達は
違います。
そうしたものを飲んでるそばから緊張やストレスを抱え込んでしまうからです。

自分の頭が体の邪魔をしないように、リラックスしていられるように、
本当に心地いいようになるためには、自分がどうにかするしかないわけです。