流れ←→滞り、というのは、漢方などの東洋思想と同じ意味合い(のつもり)です。 体を見ても、口から食べたものはいつの間にか血となり肉となり、不要なものは排泄されますし、 呼吸や血液の循環によって酸素とか二酸化炭素は体中を流れます。 頭で考えなくても、勝手に細胞分裂とか新陳代謝とかしてくれるわけです。 精神的なものも、流れていると落ち着いている、と言えなくもありません。 呼吸も、柔らかく深い呼吸は、流れているように思えなくもありません。 自然本来のすがたは、全て流れているものだと思います。 地球もそうですね。大気の循環とか、海流とか、マントルとか。 そういった本来の流れが、何かしらの理由で滞ると、どこかに何かしら不具合が生じます。 というか、私達が勝手に不具合と思うだけで、実際は単なる「変化」です。 本来の流れが妨げられたわけですから、それはどこか関連する所に影響を与えます。 そこから更に、また他に影響も及ぶかもしれません。そうした「連鎖」というのは、本来 流れているだけに、ありがちだと思います。 逆に言えば、滞っている元を特定できなければ根本的な対応とは言えませんし、 滞りが「連鎖」したどこかを流せれば、それがこんどは流れの「連鎖」を引き起こすことも 可能です。
活性←→不活性、というのは、私が勝手に考えました。 これは、両手足と、顔、を特にイメージしています。 胴体から外に離れた部分であり、そのためその人の「表情」が表れやすい部分です。 実際は手の平や足の裏も、表情が表れる「顔」のようなものだと思います。 そういった胴体から遠い所まで意識が届かず、活き活きとしていない状態が 不活性な状態です。 私達は、文化的歴史的背景のせいか何か分かりませんが、 腕や足、顔が、不活性という形容がぴったり来るような人が多いような気がします・・・ グラビアを飾るアイドルなども、たまに物憂げな表情であったりもするので、文化的に 無意識のうちに強要されているのかもしれません。 不自然に顔や手足を緊張させていたり硬くさせていたり、 逆にぶらぶらさせたりだらーんとさせたりするのです。 欧米の人などは、通りがかりでも目が合うとニコッと笑顔になったりします。 それがいいか悪いかは別にして、最近私が思うに、それは、顔を常に活性な状態にしている からできる、というかしちゃう、のだと思います。 ボディランゲージもそうです。手足が活性な状態だから、自由に動くのです。 顔つきを見ても、中心のポイント、軸がはっきりしている人とそうでない人がいます。 はっきりしている人は、眉間のあたりを中心にして、放射線状にパーツが位置するような 印象を受けます。 それに対して、ハッキリしない人は、下向きの力をイメージさせるような気がします。 それはつまり、その人の意志が表れているに過ぎないようにも見えます。 両手の平、両足の裏、顔、といった体の末端を柔らかく意識するだけで、 それらの隅々までが、今まで忘れていたものが生き返るような気がすることがあります。 不活性な状態だったものが活性化したような感覚です。 それは、全身のバランスが取れることにほぼ近い(後は当然胴体も含められれば) ものだと思います。