入院体験記
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入院、チューブ挿入、手術。エジプト'Kasr El Aini Hospital'での20日間。
発症
入院
チューブ挿入
 
手術
手術後
退院
現在
                             
4、手術前 (3〜11日目)

チューブを挿入したら48時間で、肺がもとの大きさに戻り、それと同時に破れたところがふさがると聞いていた。それが結局8日間、まだかまだかという焦りとともに過ぎてしまった。

起床。

看護婦が体温と血圧を測りにやって来て、起こされる。また、うとうとしていると、朝食が運ばて、だいたい目が覚める。チューブ挿入から1,2日は、ベッドから起き上がるのがつらいくらい痛かった。朝食はいつも多すぎるから、食べきれないパンはエザトさんにあげるために取っておく。紅茶のティーパックを入れたコップを手に、ナースセンターにお湯をもらいにいくのが最初の運動。お湯を電気ポットにセットして、沸くのを待っている間、暇そうな人たち(そこらじゅうにごろごろいる雑用職員)と雑談。僕のアラビア語ではあまり会話にならないのだけど、なぜか盛り上がる。

朝食が終わって、しばらくするとシーツ交換。毎日真っ白なシーツに替えてくれる。続いて掃除の時間。めちゃくちゃ肥満で、牛乳瓶の底みたいなめがねをかけたおばちゃんと、めちゃくちゃ細いおばちゃんがセットでやって来るから、見ているだけでおもしろい。

だけど掃除のやり方をめぐって、ちょっとしたバトルになる。彼女たちは1から10まで拭く場所が決まっている。だから汚れてもいない同じところばかりが毎日ぴかぴかになって、そこ意外の汚れには見向きもしない。僕一人の病室だから、もともとそれほど汚れるわけないのだけど、いつも消毒剤のにおいをぷんぷんさせて水拭きする。そして「今日は掃除、いらない」と言ってもぜったいやる。

レントゲン。

看護婦が忘れている場合には、僕が教えてあげなければならないのだが、たいていは午前中にレントゲンを撮りに行く。レントゲン室には、これまた「革命戦士」のような技師がいて、ちょっとおっかない。肺のレントゲンは立ってとる。横からの写真を撮る時には両手を挙げて、頭の上で組まなければならず、これが痛くてなかなか手が挙がらない。そしたら革命戦士が腕を持って無理やり挙げる。最初のうちはちょっとしたけんかのようだった。さらに、彼は英語がまったくだめだから「大きく吸って〜、止めて」の合図も、なかなかうまくいかず、何回かは現像後に再度、撮り直しをするはめになった。

できあがった写真は、その場でもらって自分で医師に渡しに行く。何回か続けるうちに、自分でも少しはわかるようになったから、ナースセンターに持っていって、医師がいないときには、蛍光灯にかざして「うーん、昨日と変わらないなぁ」などと分析していた。看護婦は「わかるの?」と言いたげだったが、要は右肺が左肺と同じように膨らめばいいのだから、素人でもわかる。

私を診た医師。

主治医「サミーア」
時々、思い出したように回診にくる。そのくせ、携帯番号を教えてくれて、必要なときはいつでも電話しろと言う。中東きっての名医らしく、多忙につき、病院内で自分からつかまえようと思ってもまずいない。しかし、腕はたしかなようで海外でも研修経験も豊富。もちろん英語はペラペラ。カイロ大学医学部卒。50歳くらいで、頭はちょっと禿げ上がって、腹が出てて、どこから見ても「ドクター」という感じ。いかにも裕福そうで、エジプトではトップ数%のお金持ちに違いない。

こちらが病気のことで不安げにいろいろ質問しても、ケセラセラとした表情を浮かべるのが気に食わない。必要なことは答えてくれるが、必ず最後に冗談を付け加える。「ビン・ラディンに聞いたところで何々と言うはずだ、ハハハ」といった具合。

「アブダッラー」
歳は40歳くらいで、エジプト人にはめずらしく仏頂面。サミーアの下についているらしいことから、副主治医?だと思うが、その親しみにくさゆえに、交わした言葉は数少ない。チューブ挿入後、2,3日経って胸の痛みを訴えていると、レントゲンを見ながらチューブの先端の位置があまり良くないと言い、ちょっと修正しようと提案した。しかしこの案は、その後すぐにサミーアによって却下された。サミーアに言わせれば、僕が指示通り、ちゃんと強い咳をすれば、チューブの先端はすぐに適当な位置に来るということであった。英語も早口なうえに癖があり、聞き取りづらい。

「アリー」
アブダッラーよりもさらに下、30歳くらいの若い先生。僕はこの先生が一番好きだった。医師がとても強い立場にあるエジプトで、患者と同じ目線で話しをしてくれる。気取ったところがなく、とても真摯に医学を志してる感じがする。一度、医師の控え室に寄ったとき、アリーしかいないことがあった。夜遅い時間だったけど、難しい医学書を開いて一生懸命勉強していた。僕が「こんな厚い本、全部覚えるの?」と聞くと、「これはまだ1巻で、5巻まである」と言って笑った。「日本を離れて、しかもエジプトのような国(医療途上国)で手術することになって、不安だろうね」と言ってくれて、とてもうれしかった。こんなことを言ってくれるのはアリーだけだった。彼はとてもよくたばこを吸うので「肺のスペシャリストが肺の病気になるよ」といやみをいうと、バツの悪そうな苦笑いをした。

リハビリ。

チューブ挿入後、僕に課せられたことがいくつかあった。

まずは咳をすること、それもできるだけ強く、空気をいっきにたくさん出す咳をすること。それから肺の運動のために作られたおもちゃのような器具で、息をいっきに吐いたり吸ったりして、プラスチックの玉を上下させる運動。さらに、病院内をできるだけ歩くこと。どれも結局は、肺の膨張を促すためなのだけど、3つともかなりの痛みを伴い、ついつい怠けてしまう。

肺の運動をすると、チューブから空気が出て、水槽の中でプクプクと泡を出す。泡が出るうちは、まだ肺に穴が開いている証拠だから良くないのだけど、じっとしていると泡が出ないから、ついつい「あ、治ったかな」と思ってしまう。でもそれは、単にリハビリを怠けているだけで、ちょっと咳をすると結局はプクッと泡がでて、ついでにため息もでてしまう。

病院内を歩くことは、何とか実行しようと思い、売店に行く理由を無理やり考えて、ジュース一本買いに行ったりした。1階(日本式には2階)に、売店と食堂が隣り合ったとても大きな場所がある。


エジプトは、イスラム教の習慣で金曜日が休み。ふだんはにぎやかな病院の玄関も、人影はまばら。

外国人が入院していることが珍しい上に、東洋人が水槽を手にぶらぶら歩いているとかなり目立った。じろじろ見られること自体、けっこう疲れる。しかしそれも徐々に慣れてきて、売店のお兄さんなどは、何日か顔を合わせるうちに、かたことのアラビア語や英語で話しができるまでになった。

主治医のサミーアは、会うと必ず、とても厳しい口調でCough! Cough! (咳をしろ!)と言う。そこで空気が漏れているかどうかを見るのだけど、僕が胸の痛みをかばってひかえめに咳をすると怒る。「私の指示に従え」と言うのだけど、強い咳をすると、チューブが肺の中で揺れるためか、胸の奥がえぐられるように痛む。いかにもこれが精一杯だという表情で咳をしても、「No」と言って、自ら手本を示してくれたりする。スパルタドクターなのだ。

シャワー。

チューブを入れてから2日間は、痛くてシャワーなどする気になれず、濡たしたタオルで体や頭を拭いた。3日目に洗面台でシャンプーをして、ついに4日目、バスルームに足を踏み入れた。

シャワーといってもチューブが右の横腹から出ているのだから、お湯を頭からかぶるわけにいかない。浴槽に入って、チューブと水槽は浴槽から出して、体を左に傾けながら洗えるところだけ洗う。その後、洗面台で頭だけ洗う。時間がかかるわりには部分的に洗えただけで、とくに体の右半分はどうしようもない。それでも全部を終えて部屋に帰った時には、体からせっけんのにおいがしてとても気持ちが良かった。

病院食。

エジプトの病院食。メニュー云々ではなくて、とにかく毎日同じものが出てくるのにまいる。

朝:パン、豆のソース(タヒーナ)、チーズ、紅茶。昼:ライス、鶏か牛のグリル、トマトスープ、いちじく、パン、チーズ。おやつ:クッキー、紅茶。夜:パン、チーズ、ヨーグルト、洋なし。

典型的なエジプトの家庭料理ではあるのだけど、調理の手間がかからないものばかり。例えば、きゅうりが出てくるときは、まるごと1本をきざんでレモンが添えられているだけなのだ。恐ろしく単品思考。材料の種類は非常に少なく、しかも乳製品への極端な偏りが気になる。日本の栄養士が見たらびっくりすると思う。3食のうち昼が最も豪華。人口の約90%がイスラム教徒のため、イスラムの戒律に従って豚肉は出ない。

手術の決断。

チューブ挿入から48時間で、肺は元に戻ると言われていたのが、3,4日経ってもまだ空気がプクプクと抜けている。しかし僕はなぜか、このまま行けばきっと治るという楽観的な気持ちでいた。レントゲンも、順調に肺が膨らんでいたし、健康なときと変わらない深さで息ができる。チューブから出て行く空気も、日ごとに減っていってる感じがした。だから、「もしこのままで肺の穴がふさがらなかったら」という仮定の話をサミーアとしなかった。

しかし8日目に撮ったレントゲンでも、右肺の最上部に残ったわずかな空洞は消えず、依然として、咳とともにチューブからわずかな空気が出た。そして9日目の朝、サミーアがやって来て、「しかるべきアクションを取るときが来た」ときり出し、手術の説明をした。それを聞いて、僕はかなり落ち込んだ。

肺の穴をふさぐために、金属のピンを使うという。そんなものが一生、体内に残ると聞いて、とてもショックだった。別の方法はないかと尋ねたら、糸で縫うこともできるが、金属のほうが進んだやり方だという。先進国でも一般的なテクニックかと聞けば「Yes」という。逆にサミーアが、その金属はチタンでできたアメリカ製で、高価なものだが、お前はafford(余裕)かと聞くので、お金のことはどうにでもするから、とにかく最善の治療を望むと答えた。幸いにも、肺の破損個所ははっきりしていて、しかも一か所に限られているため、手術そのものはとても簡単とのことだった。

それからもう一つ気になっていたのは、肺を切り取るのかどうかということ。肺活量が落ちるのだけはいやだった。サミーアの説明によると、肺の破損個所をクイッとつまんで閉じるから、ごく小さな切除はするけど、肺活量に影響があるほどではないと言う。さらに、チューブ挿入の時と同じように、「最悪のことが起こるとしたら何か」と「輸血の可能性」を聞いたら、答えも前回と同じで「何も起こらない」「輸血はしない」だった。

しかし、すぐに手術の決断をするには不安が大きかった。金属=錆びる、ピン=何かの拍子に外れる、一生付けたまま=金属疲労。いやなイメージばかりが先行する。「考える時間をくれ」と言うと、「明日の午前中、できるだけ早く結論を出して携帯に連絡しろ。そしたら午後には手術ができる」と言う。
9日間もチューブが入ったままで、これ以上続けるとinfection(感染症)の危険があるらしく、翌日にはともかくもチューブを何とかしなくてはならない。かと言って、空気がまだ漏れてる以上、チューブを抜くことはできない。もう手術をすることは避けられないようだった。

私はそれから、日本大使館に電話をかけた。そしたら医務官の先生が、翌朝病院に来てくれるという。サミーアにも直接会って、話を聞いたほうがいいだろうから、午前11時に病室で3人で会いましょうということになった。さっそくサミーアの携帯に電話すると、彼も快諾してくれた。

次は保険会社(AIU)に電話。パリのセンターに医師がいて、相談に乗ってくれた。これまでもずっと病状の経過を通知していたので、僕の症状をよく理解した上で、サミーアのやろうとしている手術は妥当なものだと教えてくれた。これで僕は「フランスでは妥当、あと日本で妥当なら迷わず手術をしよう」と思った。