入院体験記
・海外で気胸になったら ・海外での気胸に備える ・入院で役立つ英語 ・掲示板
入院、チューブ挿入、手術。エジプト'Kasr El Aini Hospital'での20日間。
発症
入院
チューブ挿入
手術前
 
手術後
退院
現在
                             
5、手術 (12日目)

前夜。

手術の前の夜、看護婦が2人で採血に来た。ナースセンターでのおしゃべりをそのまま移してきたように、高らかに笑いながら、準備をしている。僕は2人ともガムをかんでいたのであまりいい気分ではなかったけど、この国では仕事中にガムをかむ人はたくさんいるので、しかたないと思っていた。

いざ針を刺しても、血管に当たらずぜんぜん血が出てこない。それでも注射を注しながら話をやめないので、日本語で文句を言ったら、その言葉がおもしろかったらしくケタケタと笑う。そんなので血管に当たるはずはなく、一度抜いて、2度目も失敗。3度目も当たらないので、こんどは針を途中まで抜いて方向を変えて注す。当然痛い。それでもダメで、あきらめて抜いたときに、耐えかねて「チーフナースにしてくれ」と懇願した。

こんなことがあってもぜったい謝らないのがエジプト人。理由はわからないが、これは看護婦に限ったことではない。謝罪を意味する「アースィフ」というアラビア語は存在するが、日常生活でこれを聞くことはない。文化なのか宗教観なのか、ちょっと理解できない。

前夜の受難は採血ばかりではなかった。次は「剃毛」。シャワーに行こうとすると看護婦に呼び止められた。私が何かしなければならないことをアラビア語で何度も繰り返し話すのだけど、どうしてもわからない。ちょうどそこへドクターが通りかかって、脇を剃るジェスチャーをして、笑いながら去っていった。看護婦にどうしてこのジェスチャーができないか、と毎度ながら思う。

私が「どこで?」と聞くと、風呂場を指差した。私が風呂場へ向かうと、彼女はどこかへ電話をした。ここの看護婦が男性患者に、この手のことをするわけがないから、看護士?を呼んだのだと思った。私は先に体を洗い終えて、「彼」が来るのを待った。
素っ裸で、お湯のはってない浴槽にぽつんと立っていると、ノックの音と同時に彼が入って来た。くたびれた開襟シャツから、ちりちりの胸毛がはみ出している。手には黒いかばん。大男。宝石商かと見紛えるような「剃毛屋」だった。私が軽くあいさつすると、彼は私が東洋人なのと、おまけに素っ裸なのにおどろいた様子。どうやら素っ裸になる必要はなかったようだ。

彼は7つ道具の入った革鞄を開け、かみそりの刃を選んでいる。いやな予感がしたけど、果たして、どれも使い古した刃だった。私はてっきり、石鹸か何かをつけると思っていたら、何もつけないと言う。案の定、最初のひと剃りで、僕は声を上げてしまった。チューブのおかげで、腕を上に上げることさえままならず必死で痛みをこらえている。そこへ、この最悪な切れ味の刃が脇の下を直撃した。しかしここで不用意に動いては、切れてしまう。とうとう、途中で耐えられなくなって「ちょっと待ってくれ」とお願いした。「刃を替えてほしい」という身振りをすると、露骨にいやそうな顔をしながらもかばんを開けた。紙に包まれたまっさらな刃は望めないにしても、ちょっとでも新しいのに替えてほしかった。すると一応、いくつか見比べて、そのなかの一つに取り替えてくれた。それでも切れ味はまったく同じだった。おまけに左の脇も剃るという。いや、手術は右だと言っても聞かない。僕は素っ裸で口論するのもむなしくなって、左もやった。どうなることかと思ったけど、終わってみればどこも切れていない。「無血」なのにびっくりした。やはりプロかも知れないと思った。だけどしばらくは、脇の下から唐辛子が生えたような痛みに耐えた。

ここまで「ぼやき」ばかりになってしまった。しかし振り返ってみると、とくにこの病院がどうということはなく、すべてはイスラム教の精神「インシャアッラー」(神のみぞ知る)が医療現場に反映されてるにすぎないのだと思う。何がおこってもそれは神の思し召しであって、私の知ったことではない、というのだ。そんな気持ちで医療にのぞまれては、普通は困る。しかし医師や看護婦が「致命的な」ミスをする頻度は、日本と変わらない気が”何となく”ではあるが、する。エジプト人特有のするどいカンが、許されるミスと許されないミスを直感的に区別しているように感じるのだ。だから、僕ももっと大らかに構えていなくてはならなかった、と今になって思う。

当日。

さて、手術の朝、大使館の医務官の先生は約束通り11前にやって来た。これまでのレントゲンを見ながら、僕の聞きたかったことに丁寧に答えてくれた。そして手術については、日本でも同じように金属ピンで留めるだろうと言ったので、これが僕にとって、最終的な手術のゴーサインになった。11時にサミーアの携帯に電話をすると「on the way」だと言ったが、結局、彼が現れたのは12時前で、当然、医務官が帰ってしまった後だった。エジプト人は時間にルーズだ。

約束の時間に遅れてやってきたサミーアに、僕は今しがた、日本人の医者に会って、

唯一頼りになる看護婦のハイヤムさん(チーフナース)。ヒラの看護婦とは「教育も待遇も違う」らしい。

手術を予定通り受けることを決めたと伝えた。「うまくやって下さいよ」「お願いしますよ」と、こちらとしては一大事のつもりで話すのだけど、サミーアにしてみれば、しょっちゅうやっている手術で、ぜんぜん難しい手術じゃないというふうだった。しかしそれが、かえって、手抜きをされるのではないかという不安になったりした。

それから手術までは、日本にいる家族に電話したり、見舞いに来てくれた日本人の友達と話をしていると、あっという間に過ぎた。看護婦が書類を持ってきた。手術の同意書のようなものらしいが、全部アラビア語でさっぱりわからない。エザトさんの友達のエジプト人、カドリさんは日本語がとても上手なので、その場で訳してもらった。健康状態や既往症をチェックして、最後に「医師の判断によって適当な処置がとられることに同意します」というような一文がついていて、ちょっとドキッとしたが、これにサインをしなければ何も始まらないと思い、名前を書いた。

しばらくして、こんどは手術用の紙のパジャマのようなものを渡され、これ一枚だけに着替えるよう指示された。素っ裸になって、ごわごわしたエプロンのようなものを着て、頭にも紙の帽子をかぶった。いよいよだという感じで、身構えるような気分になった。用意ができたことを知らせると、ついに移送用のベッドが運ばれ、その上に寝た。別に手術室まで歩いて行くこともできるけど、手術室にはこれで行くものと決まっているらしかった。

エレベーターで地上階まで降りて、手術室セクションのような一画に入る手前で、付き添ってくれているエザトさんや、日本人の友達と別れた。「がんばって」と言われて、うれしかった。やはり、こういう時には一人じゃなくて、誰かがいたほうがいい。さすがに大病院らしく、手術室がいくつもあり、大勢の医者や看護婦が忙しく行き来している。僕のそばにいるのは、4階で世話になってる看護婦ではなく、手術室付けの看護士だった。しかし彼は、僕を手術室の横の控え室に運んで、どこかへ消えた。一向に手術が始まる気配がなく、おまけに控え室の冷房がきつくて体が冷えてしまい、何度もトイレに行った。

周りは、それまで会ったことのない人たちばかりで、僕は、自分の手術についての情報がちゃんとここにくるのか心配だった。幸い、日本人という最大の特徴があるから、患者を取り違えることはないにしても、気胸の手術をサミーアがすることになってるという情報が入ってきているのか疑った。通りすがりの医師に「僕はサミーアの患者だ。彼が手術をすることになってる」と言ったら、僕のベッドの下からカルテのようなものを抜き出して「まあ慌てるな。もうすぐだ」と言った。1時間以上たってから手術室に入り、麻酔をうってから意識がなくなった。だからサミーアが来るのを見ていない。

目が覚めたのは、病室ではなく、手術室と同じ棟にある大部屋だった。すでにかなり痛い。しかし、僕が目を覚ましたのを目ざとく発見した看護士は、「よし、病室に戻るぞ」と言わんばかりに、移動用のベッドを持ってきて僕を移そうとする。めちゃくちゃ痛いので、何とか今寝ているベッドのまま、病室まで運んでくれないかと思うのだけど、そんなわがままは彼らに通用しない。僕が体を起こせないでいると、何人かが寄ってきて、ソレッと無理やり起こされた。もうちょっとデリケートに扱ってくれ、と一人でぶつぶつ言うのが関の山だった。

病室に帰ってからは、またまどろんでしまい、この日のことはあまりよく覚えていない。

次の日も痛みは強く、レントゲンとトイレと食事に起きるのが精一杯だった。しかし何より不満なのは医者が捕まらないこと。手術が終わってから一度も医師に会ってないのだ。手術は成功したのか、予定通りの処置ができたのか、真っ先に知らせてくれるのが普通じゃないかと思った。その夜、サミーアではなくアブダッラーを見つけて、手術について聞いたところ、「成功だ」と言い、そもそも失敗のしようがない手術だというようなことを言った。どうもここでは、僕はいろいろと心配しすぎる患者らしい。