入院体験記
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入院、チューブ挿入、手術。エジプト'Kasr El Aini Hospital'での20日間。
発症
入院
チューブ挿入
手術前
手術
 
退院
現在
                             
6、手術後 (13〜19日目)

これで肺がもとに戻らなかったら、手術は失敗だ。だから僕は、毎日のレントゲンを自分でも見ながら、祈るような気持ちでいた。例によって、サミーアのスパルタリハビリが再開したが、今度はできるだけがんばった。売店へ行くのもエレベーターを使わずに階段で行く。誰かが見舞いに来てくれたら、できるだけ病室から出て、一緒に歩く。暇な時に、肺の運動のおもちゃをできるだけ使うようにした。もう、何をしてもチューブの先からプクプクと空気が漏れることはなくなった。破損個所が金属によってふさがれたことを示す何よりの証拠であり、手術の成功を実感することができた。

ファラガさんの入院。

2日目に、僕の隣の空いているベッドに新しい患者さんが入院してきた。はじめに看護婦さんから聞いた時、正直なところ「ちょっと面倒くさいな」と思った。いろいろ気を使わなければならないだろうし、すごいうるさい人だったりしたらいやだなと思ったのだ。

だけど、その患者、ファラガさんはとってもいい人で、むしろ日本人のような気遣いをする人だった。ファラガさんは心臓に菌がついたか何かの病気で、かなり大きな手術をした。それなのに僕のことをすごく心配してくれて、これを食べろとか、このジュースを飲めとか、いろいろ差し出してくれる。自分で売店にいけるようになってから、同じジュースを買って返そうとすると、とんでもないというふうで受け取らない。

毎日、奥さんが、とてもかわいい赤ちゃんを連れてお見舞いにやって来る。赤ちゃんはファラガさんのベッドで、すぐにうとうととまどろんでしまい、それを見ているととても気分が和んだ。

ある夜、ファラガさんが輸血の最中に突然激しく震えだした。ナースコールを自分で押すことができないほど激しい震えだったので、僕が代わりに押し、すぐに毛布で体を包んで抱きしめるようにした。ナースコールにはインターフォンが付いてないので、緊急性を伝えることはできず、看護婦が来るのを待つしかない。そうしてイライラし始めたころにやっと現れた看護婦は、ファラガさんの震えを見て、すぐに輸血を抜いた。しかし、ファラガさんに対して何も声をかけず、注射を持ってくるのも走ることなく、手を握ったりといういたわりもまったくない。
その間も、震えはますます激しくなり、ファラガさんは「あー、あー」と、うめくような声を出している。僕はファラガさんの不安を思って、いたたまれない気持ちになった。どうして看護婦は、「もう大丈夫です」の一言が言えないか。

イスラム社会の習慣として、看護婦が、男性患者の手を握る、体をさするなどという行為はできにくいのかも知れない。それでも、震えの原因を説明し、仮にそれが看護婦の輸血ミスであるなら、謝り、何よりもまず、ファラガさんを安心させるべきではないのか。

注射を手にやってきた看護婦の態度がまた、あまりにも緩慢なので、とうとう僕は切れてしまった。「お前らは最低の看護婦だ!」と知ってる限りの英語を並べて、泣きながら訴えた。廊下にまで出てわめき散らしたから、ほかの患者が、何事かという様子で出てきた。もっとも当の看護婦すら、僕が何に対して怒ってるのか、まったくわかっていないようだった。

結局、注射を2本打ってしばらくしてから、ファラガさんの震えは徐々におさまっていった。後で日本人の知り合いの看護婦に聞いたところ、輸血のスピードが速すぎたのだろうと言った。ファラガさんが震えだしたのは、2パック目の途中で、たしかに、僕が見てても「大丈夫かな」と思うくらいのスピードで落ちていた。血液型を間違えて輸血したのではないかとも思ったが、震えが止まったところを見ると、問題は点滴が速すぎたことのようだ。それにしても看護婦のミスであることには変わりない。僕は本当にここの看護婦が嫌いになった。

翌朝、ファラガさんに「おはよう」と言ったとき、ファラガさんは笑みを浮かべて、「昨夜はありがとう」と言った。お見舞いに来た奥さんに、彼は昨夜の「事件」について話した。そしたら、奥さんもとてもうれしそうにしてくれて、感謝を伝えてくれた。それ以来、僕とファラガさんは、とても気持ちがわかりあう友達になったような気がした。

痰抜き。

僕としては一生懸命リハビリしたつもりだったのだけど、どうやら十分ではなかったらしい。手術から4日目のレントゲンで、肺は膨張傾向にあるものの、今度は痰が溜まって、空気の自由な出入りを妨げているとの診断だった。

ファラガさんのお子さん「モハメド」くん。エジプトの赤ちゃんは目が大きくて、とてもかわいい。

たしかに、レントゲン写真を見ると、右肺の、ちょうど気管とつながったくらいのところに、白いモワモワした影が写っている。肺の運動をしたときには決まって、血の混じった痰がでるが、それはこんなところでつくり出されていたのだ。痰は積極的に出すように言われていたが、まさかこんなに溜まっているとは知らなかった。サミーアに言わせれば、これもすべて、僕が強い咳をしないのが原因らしい。それで必要な処置として、気管から管を入れて、この痰を吸い取るという。

サミーアは「いいか、あんたが私のインストラクションに従わないから、またこんなことをしなくちゃならないんだ」と、あくまで僕のリハビリの怠慢を指摘する。こんなことなら、痛み止めを自分からもらいにいって、もっともっと咳をするべきだった、と言っても遅すぎる話である。

次の日、またあの青い紙パジャマを着て、手術台に乗った。別にどこかを切るわけではないから、むしろ汚い痰を取って、「これでおしまい!」という感じで病院を出て行けるだろうという希望が強かった。

しかし意識が戻ったとき、また前回の手術と同じ程度の痛みに苦しめられた。前回以上だったかもしれない。その証拠に、この日はトイレに行く事もできず、僕は初めてベッドの上で用を足した。夜中に目が覚めたときは、尿瓶が床に転がっていたので、必死で足でまさぐったけど、つかめず、「ファラガさ〜ん」と助けを求めてしまった。

痛みは体の奥深くに感じる。管をかき回して痰を吸い取った時に、傷ができてしまったのではないかと思う。しかしこの後、通気が良くなった肺は、たちどころに元気になり、呼吸はほぼ通常に戻った。

3日間でほぼ肺はもとの大きさにまで膨らみ、前回、最後まで残った右肺最上部の空洞もなくなっていた。その代わり、そこには数センチにわたって、鎖状の金属の影が写っていた。痰の影もない、とてもきれいな肺である。そしてついに「明日、退院しましょう」と言われた。何かにつけて宣告が唐突だ。うれしい知らせもいやな知らせも、突然やって来る。

家族。

手術前に大使館の医務官が「本当なら、手術中は何かあったときの決断のために、家族が待機すべきだけどね」と言った。そういう考えがまったく無かったから、はっとした。付き添いといえば世話をしてくれる人という考えしかなかったから、それならなんとかエザトさんやエジプトにいる友達に頼める。家族がわざわざ来る必要もないだろうと思っていた。

だけど医務官が言ったのは、重要な決断をするための家族。万が一、危険な症状に陥ったときに医師が処置の同意を求めたりする相手は、家族や身内しかいないのだ。これは手術の難易によらず、ほぼ常識のようだった。しかし、医務官と話したのは手術の当日だったので、そこから家族を呼んでも意味が無いのでやめた。そして術後、痰を抜く処置を行うと決まったとき、たしかにこの時点で家族を呼んでも、結局エジプトに着くのはもう退院するころになるのはわかっていたけど、実家に電話し、兄に来てもらうよう頼んだ。実際、兄は退院の2日前に来た。

発熱。

手術後、熱が38度くらい出た。すると看護婦は水を入れたビニール袋を2つと、氷水を入れたトレイとタオルを2枚持ってきた。どうやらこの国では、「熱はとことん冷やして下げろ」という方法らしい。タオルをびちゃびちゃに氷水に浸して、それを足首の上に置いた。これでもう足元はびちゃびちゃ。それから水入りのビニール袋は脇の下へ。あろうことか、これに穴が開いていて脇はずぶ濡れ。思わず「ワー」と声を上げてしまった。「もういい!やめてくれ!」と言ってすべてを拒んだらかなりいやな顔をされた。