暖かい年明けだと喜んだのもつかの間 名古屋にドカ雪で、慌てて予定を変更して帰ってきた お天気も、人生も思うようにはならない 悪い時ばかりじゃない、よい時ばかりでもない そんな事わかっているけれど、だけど・・・
年末に、母が利き腕を骨折した。2度に分けて、手伝いに介護帰省した。息子を連れての事だから、何が出来るわけでもない のだけれど、姉の負担を減らしてあげる事になると思って。それでも、やっぱり”何してるんだろう”って思いで、潰れそうだった。 父の病院に行っても、ゆっくりしてあげられない。買い物に出かければなかなか戻れない。家にいれば、遊ぶ(暴れる)息子・・・ じれったさと虚しさと、惨めさ。役に立たないあたしの存在価値ってなんだろう?ずっと探してるけれど見つからない答え。
本日、診察日。年末、年始の疲れも取れて経過は良好。そんな報告をして帰ってきたら電話がなった。母からだった。 いつもかかってくる時間なのに、胸騒ぎがした。予感敵中!父がICUに入ったとの事だった。心不全と、腎不全を併発した そうだ。2〜3日がヤマなのだという。帰った方がいいのかと聞いたが、とりあえず今日は大丈夫との事で電話をきった。
天気が良く、いつものように息子を公園で遊ばせていた。そこへ、姉から携帯に電話がはいった「すぐに帰って来い」と。 主人に連絡をとり、用事をやっつけて、息子を引きずって”ひかり”に飛び乗った。名古屋につくととたんに雪が降り出した。 1/3も、父に会ってから帰る筈だったのに、あのドカ雪で会わずに帰ったのに、また雪で最期の瞬間に会えないのではと、 怯えながら実家にたどり着いた。そこから、姉に送ってもらい病院に向かった。父は静かに眠っていた。薬が効いているの だろう。脈も血圧も安定しているようなので、今日は起こさずに帰った。
朝から、もう一度病院に向かった。今日も眠っている。そこへドクターがやってきて、父に声をかけた。すると、目を明けて 私達に気付いたようだった。声は出せないようだったけれど、しっかりと目を開けて、握っていた手を力強く握り返してくれた。 もしかしたら、この瞬間が父に気持ちを伝えられる最後になるかもしれない・・・伝えておきたい気持ち・・・後悔しないために・・・ 「お父さんが大好きだよ。大事なお父さんだよ頑張って・・・」それが、私の思いの全てだった。 父は倒れてから、何度も危篤状態になった。その度に、強い生命力で持ちなおしてきた。冗談交じりで、「不死鳥」なんて 呼んで笑っていた。だけど、今度もそうとは限らない。何をどう考えていいのかすら、今の私にはわからない。
26日に、主人が来てくれて、その日のうちに息子を連れて帰っていった。「子供がいたら何にも出来なくて困るでしょう?」と 言って。(父の容態もとりあえず安定してきた事もあって、一緒に帰りたかったのだけれど・・・) いざ、帰るとなると後ろ髪を引かれてしまう。「帰りたくない」と泣きながらも、父に背を向けて駅に向かった。駅に着いても 新幹線に乗る気になれず、高島屋の中をふらついていた。
今日は私の誕生日だ。父の容態も少しずつ良くなっているらしい。少し、気が抜けかけていた。 午後になり、予報より早く雨が降り出した。そこへ、母からの電話が鳴った。「お誕生日、おめでとう」そう言ってくれた。 でも、その声には少し、疲れを感じた。「大丈夫?」そう尋ねると、「お母さんは大丈夫、でも、今日のお父さんは輸血の せいか、汗をかいて脈も激しかったよ」と答えた。輸血?初めて聞く話だった。腎臓が機能しないので必要な措置だった らしい。でも、これで一つ希望の光が消えた。「いつ、その時が来てもおかしくない」母とふたり、再確認して電話をきった。 今日で丸35年。父にはたくさんの事を教えてもらった。お父さん、ありがとう。大好きな、お父さん。後は、秒読みなのかも しれない。でも、1秒でもいいから、言葉なんて要らないから、一緒に生きよう・・・今すぐ行く事はできないけれど
今日は息子の一日入園の日。特に心配なこともなく、気楽にお出かけした。思ったとおり問題なく済んだ。そして、うれしい事も あった。公園で顔見知りの子が、泣いている所へ行って、「向こうで一緒に遊ぼう」と、誘ってあげたそうだ。いつの間にか、そんな 優しさまで、身につけていたんだね。
大変だ。年末からストレスと戦うために食事は、好きなものを好きなだけ食べてはいたが、太ってしまった・・・・・ 去年の3月から頑張って7kgのダイエットをしたというのに、7kg太ってしまった。そして、それで危機感を感じているのに 食べる事が止められなくなっている。これは過食症の再来か?まずいぞ。4月には入園式があるのに、このままでは スーツが着れない。後1ヶ月、なんとかしなくてはっ!!!
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