髪結いの亭主

年末にやる気を失ったまま、大晦日に申し訳程度に何品かのおせち料理を作り、大掃除もせずに私は21世紀を迎えた。
新年になってもやる気はでないまま。
まだ少しは元気だった頃に21世紀は少しスポーツでもしてみようかと思い、区のスポーツセンターに申し込みはしていたものの、行く気力すら出なかった。
去年から続けていた無料英会話教室も休みっぱなし。
仕事も特になかった。

やる気がなくなったからできなかったのか、できないことがあせりにつながったのかはわからない。
気が付いたら私は昼過ぎに起きてお酒を飲み、気が向けば1日1食食べ、薬を飲んで寝る毎日をおくっていた。
起きている間はインターネットをしているが、以前のようにネットサーフィンをしたり、11時になると同時に多くの人とチャットをすることはなくなり、夜中の3時、4時から限られた人とだけページャーをするようになっていた。
つまりネットの世界でも引き篭もりになっていたのだ。

その朝、何がいつもと違ったのかはわからない。
テレホ終了間際の朝8時、珍しく私は3人の人と同時にページャーをしていた。
その人達との会話の中で何かがあったというわけではない。
ただ何となく寂しかった。
しかしそれと同時に幸福でもあった。
毎朝ページャー中でも旦那が会社に行くときは玄関に見送りに行くのに、なぜかその日に限って「もう8時だからみんなにお別れの挨拶をするから今日はお見送りしなくていい?」と旦那に聞いて、私は旦那を玄関に見送らなかった。

「見送らなくていいよ」と笑って答えてくれる旦那がいて、パソコンに向かう私の膝に登って来る猫がいて、ページャーで話し相手をしてくれる人が3人もいる。
急にこの幸せを永遠のものにしたくなった。
私は3人に「それじゃあ、また。」と言うとパソコンの電源を落とした。

腕にナイフで細い傷をつけて血を見たら落ち着くかも知れない。
そして薬を飲んで眠ろうか、とも思った。
でもそれではまた目が覚めて同じ1日が始まる。
私はもっと根本的な解決を望んでいた。

冷蔵庫からビールを持って来ると、今飲んでいる薬の残りと、前の病院でもらって余っていた薬を全部机の上にあけた。
前の病院でもらった薬が想像以上に残っていて、こんなにたくさんは飲めないだろう、と直感した。
しかし薬を6錠くらいまとめて手のひらに乗せ、口に入れてビールで流し込むと簡単に薬が減っていく。
途中で煙草をすって休憩もした。

メジャートランキラーザーと睡眠薬を飲み終わった頃、ハッと気づいた。
今回は旦那にも友達にも遺書を書くつもりはなかった。
友達にはある日風の便りで私が死んだことを知ってもらえば良いと思っていた。
仕事も中途半端な形になってしまうが、今なら私が抜けてもいいだろうと思った。

しかし!
この時になって私は前もって知らせておかなければ失礼になる人々がいることに気づいたのだ。
私はゾンビメールというポストペットのようなものをやっていて、そのHPも作っている。
そしてゾンビメールで知り合った人達には直接ゾンビメールのHPアドレスを教えていたのだ。
ということは、そこで知り合った人達が私が死んだことを知らず私にゾンビを送ってくれたらそのゾンビ達は行方不明になってしまう。
ゾンビのメル友に対してそんな失礼なことはできない!
今ならまだ間に合うと私はパソコンを立ち上げ、ゾンビメールのHPの掲示板に簡単に謝罪の言葉を書くとパソコンの電源を落として、また薬を飲み始めた。

途中で2回くらい煙草をすって休憩したことは覚えている。
テレビをつけたことも覚えている。
薬を取り出すパチパチという音がおもしろかったのか、私を止めたかったのか、猫が私の足に体を摺り寄せてきた。

こうして私は薬を飲み終えた。
テレビを消して、お手洗いに行き、ベッドに横たわるつもりだった。

夜、家に帰って来た旦那によってつけっぱなしのテレビの前でおもらしをして倒れている私が発見されたそうだ。
どうやらテレビを消しに行く段階で意識を失ったらしい。
それにしてもおもらしとは・・・。
やっぱり薬はビールで飲んじゃダメよね〜。
というか、服毒自殺は飛び降り自殺と違ってきれいな姿のまま死ねるというイメージがあるけど、やっぱり意識を失ったらどうなるかわからない。
絶対おもらししながら死にたくない人はやめたほうがいいかもね♪


       テレビの前で倒れている私の想像図


パトリス・ルコントの映画「髪結いの亭主」で奥さんは幸せなままで死にたいから突然自殺した。
私もそうだったのかも・・・。
今回は今までのようにこれ以上生きていたくないという絶望的な気分ではなかった。
ただ、今死にたいというのは事実だった。

ま、どっちにしろパトリス・ルコントは「髪結いの亭主」や「仕立て屋の恋」のようなシリアスな映画よりミッシェル・ブランと「レ・ブロンゼ」のようなコメディー映画を作っていたのほうがおもしろいと思うけど!