3月1日(水)
お昼ごろから尿が出にくくなってる感じ。排尿痛もひどい。尿も濁ってる。
19:00過ぎ、右腹部から腰背中にかけて激痛。こんな痛みは初めて。痛む場所も強さも!
救急車にしようかと思ったが、夫の携帯にTELするとちょうど家に向かってるところだというので、車で救急外来へ。
最初、「暫くお待ちください。」と、当番の看護婦は在り来たりの応対。
「婦人科と泌尿器科の医師を呼べよ!!!」夫が怒鳴る。
私は、痛くて辛くて、入り口に一番近い椅子に倒れこむ。やがて、深刻な様子に気付いた看護婦さんに支えられ移動し、緊急処置室で横になる。
まず到着したのは、橋本医師、新野医師ら婦人科の医師。「ずいぶん痛がってますね。」と橋本医師。どこが痛いか、いつからかと訊き、とりあえず痛み止め。
そして車椅子で、エコーの部屋へ。泌尿器科の医者は、まだ来ない。待たされているうちにトイレに行きたくなる。なにせ膀胱が小さくなったままで、1時間おきに行かないとダメなひど〜い頻尿なもので・・・。が、尿が溜まってる方が、検査の画像が良く見えるという事で、「もうちょっと我慢して」と看護婦さんに言われる。やっと柳谷医師が到着して検査開始。婦人科の医師達も真剣な顔でモニターを覗き込む。
「あー、腎臓に水が溜まってるな」
えっ、それって・・・。途中、私のトイレ休憩を挟みつつ、画像診断。
エコーの部屋を出る。廊下には心配そうな夫が待っている。「何だって?」
「前に聞いてた予想される最悪の状態!水腎症っていうのになっちゃったみたいよ」
緊急入院決定。5階西病棟、6人部屋のベッドへ。痛み止めは少ししか効かない。痛い。
ドクターの説明と処置があるからと、車椅子でナースステーションへ。婦人科の医師も勢ぞろい。夫もメモを片手に説明を聞く。
腎臓から膀胱へうまく尿が流れず、水腎症になった。管が詰まっていると思われる。
役に立っていない管を抜いてみる。
抜いて、尿管を尿がうまく流れなければ、管を取り替え、入れ直す。
すごく喉が渇いていたので、水を飲んでいいか柳谷医師に尋ねる。たくさん飲むと腎臓にさらに水が溜まるから程々にということで、看護婦さんが持って来てくれたコップの水を2口だけ飲む。
夫はまだ質問したいことがいっぱい。
原因は何か?腎臓への影響は?
でも、とにかく私は痛くて辛くて、何とかしてーー。たまらず、ドクターに言う。「早く処置してください」。柳谷医師が既往症について確認。大きな病気?無し!手術の経験?子宮筋腫の手術だけ!!!そう、そのたった一度の、たいして難しくも無いはずのオペで失敗され、今、私は苦しんでいるのだ。なにげなく柳谷医師が言う。「じゃあ、足を抑えるのは、婦人科の先生方にお願いして・・・。」
足を抑えるぅ〜????何か覚悟しなきゃいけない処置なのでしょうか?不安になる。
1F透視室。医師に看護婦、検査技師。うようよ10人ぐらいいる。私は、平らな台に寝かされる。眼鏡をはずされ、看護婦さんが持っていったので、周りの人の表情はぼんやりしている。が、なにか重ーく緊張した空気が漂う。
「じゃあ、寝巻きの下の方と、下着を取りますよ」。明るい部屋で、何人もの人に注目される中、脱ぎたくないのに、脱がされる。そして、触れられたくも無い男のドクターに足を開かれ、抑えられる。抑える役は、新野医師と土橋医師。手の生暖かい感触が伝わり、気持ち悪い。せめて、足を乗せるところがある物や、羞恥心に配慮したカーテン付きとか、婦人科にあるようなまともな診察台は無いのか?
「えーとどこだ」と言って、柳谷医師が、私の大事な部分を覗き込み指で弄る。そして、何かが尿道から挿入され、グイグイ動かされる。これは、集団レイプだ。そう思った。痛い、恥ずかしい。でも、「イヤッ」と拒むこともできないなんて・・・。
その痛さは半端じゃない。「ううっ、ああーーー。ぎゃあーーーー」うめき声じゃない。悲鳴だ。もともとお腹、腰、背中が痛くて辛いのに、さらに、体内に異物を入れられ、動かして、ぐちゃぐちゃ弄られる。痛い!酷い!あまりに痛がるので、看護婦さんが私の手を握る。「頑張って」と。その手を私も握り返す。というよりは、しがみ付く。看護婦さんの掌に、私の少し伸びた爪がくい込んでしまう。
いくらか処置が進むと、「ちょっと体の位置をずらしますよ」とドクターが言う。すると、私を取り囲んでいた連中が、無理やり50cmほど私の体を引き摺る。これがまた、その動きにあわせてグキグキズッキン痛い!なぜ動かすのかというと、カメラで透視するのだ。カメラの方を動かしなさいよ!!!バカ!!!なんて設備の病院なの。で、モニターでチェックし写真を撮ると、また元の位置に引き摺られる。作業はその繰り返し。
「痛い、痛い!お腹が破れる〜〜〜。」と訴える。が、ハードな突っつきはなかなか終わらない。ほとんど拷問状態だ。
結局、カテーテルを入れ替えることになるらしい。しかし、本人に説明無く勝手に処置が続けられている。たまらず、「一体、どうなってるんですか?」と、声を上げる。柳谷医師がモニターを私に向ける。「眼鏡持ってきてください。」と、看護婦さんに言うが、病室に置いてきたという。頑張って上体を起こして、モニターに目を近づける。
「造影してみたところ、尿管の下の方が狭くなっている」と説明を受ける。確かに、画面での尿管の白の造影ラインは、膀胱に近い下の方が消えている。近視の私にもはっきりわかった。
管の入れ替えの処置が終わると、もうぐったり。生きてるのが不思議なくらい。あまりに激しい痛みと屈辱で、もう駄目。動けないし、気持ちのダメージも・・・・。
「病棟へは、ストレッチャーで戻りましょうか。」と看護婦さんが心配りしてくれる。そう、来たときは車椅子だったけど
、今はそれも無理。下だけ脱げば良かったはずの寝巻きも、上衣まで消毒液でびちゃびちゃ。なんと言う凄まじい処置だったことか。この部屋で起こったことをTV中継したなら、”残酷すぎるーーー!!!”って、苦情の電話がジャンジャン掛かって来ることでしょう。ちなみに、ドラマ化した場合、あの辛い痛み、苦しみをリアルに表現できる俳優もまず居ない事でしょう。
この時の様子を、柳谷医師は、”野戦病院”と表現。→3月4日、退院時のレクチャー
病室に戻った頃には、荷物を取りに行ってた夫も、もう戻っていた。汚れた寝巻きを替えなければならないが、痛みと疲労でひとりではできなくて、看護婦さんに下着を出してもらい、着替えを手伝ってもらう。そして点滴して横になる。夫は明日から2日間出張なので、ベッド脇に置いてもらった荷物をざっと確認して、柳谷医師に説明聞きに行く。米谷医師、新野医師が様子見に来る。
追加した鎮痛剤が少しずつ効いてきたかも。とにかくもう眠ろうと思う。が、激しいイビキがお隣から・・・。せっかく落ち着いてきたのに・・・。
夫はやがて家へ帰る。眠れないまま、また痛みが激しくなる。座薬を使う。少し楽になり、うとうとする。しかし、また激しい痛みに襲われる。ベッドの手摺にしがみ付き「う〜んう〜ん」うなる。「グーー、グーー」&「う〜んう〜ん」。お隣さんのイビキと合唱する状態になる。笑い事じゃない。こんな辛い痛みは初めてだ。先月、子宮筋腫の手術をした日の夜の10倍以上に感じられる。右側のお腹から、脇、背中にかけてのその痛みで、”いっそのこともう私を殺して楽にして!助けて!!!”と叫びたくなる。加えて、今度は吐き気もある。ううっ、く、くるじ〜ぃ。苦しい。限界。そうか、ナースコールって、こういう時の為のものなのか。これまで点滴が終わった事を知らせるぐらいでしか使ってなかった。今は、本当に”助けて”のコール。点滴に、薬が追加された。楽になりたいよ。
看護日誌によると、夜中なのに、私の痛みや吐き気について投薬の指示をしてくれたのは米山医師だったそうだ。感謝。(ちなみに乱暴な処置をした柳谷医師は早々とお帰りになったみたい)
3月2日(木)
強い痛みで目が覚める。今、何時?多分、日付が変わり、朝が近いと思うんだけど、枕もとに時計が無いからわからない。周りの患者さんはみんな寝ている。痛い。やっぱり痛い。いつまで痛いの?吐き気の方は、ぎりぎり吐かずに済んで、弱くなってきた。また座薬挿入となる。
起床時間を過ぎ、同室の患者さんたちが目覚め、話を始める。まだ、寝て居たいのに、収まらない痛みと、話し声で眠れない。どうしてこんなに痛いの。なぜこの部屋なの。
朝食が運ばれる。食事は昨日の昼以来。テーブルを持ってきてもらい、ベッドをリクライニング。あー、もうぐったり。食べる元気なんて無い。お隣さんが話しかけてくる。
「奥さん、どうしたの?ずいぶん辛そうね」
「 夜、急に入院することになって、お騒がせしてすみません」と一言詫び、体の事をざっと話す。
「あらー、子宮筋腫の手術で・・・。怖いわね〜〜〜」
そう、みんな「怖いわね」なのだ。私が不運だったという感想のようで・・・。
”不運”で片付けられてたまるか。医師の責任、どうしてくれる!!!
しかし、今の私は、そんな怒りの気持ちを人に語る元気なんて無い。食事もほとんど食べられず、痛みに耐えるのみ。お膳は、親切にお隣さんが片付けて下さった。
8:00過ぎ、産婦人科の新野医師(失敗手術の執刀医)が症状を訊きに来る。今日の彼にはいくらか疲れが見えるような。昨夜の事で、少しは何か感じてくれたでしょうか。
病室、二人部屋に移る。痛みがおさまらないと看護婦さんに訴える。が、柳谷医師は「我慢するように」と言っているとのこと。我慢できないくらいの辛さだから、何とかしてくださいと言っているのに、厳しい。不快になる。助けてはくれないのね。
外来の診察室でDr柳谷によるエコー検査。昨日に比べると、少しは腎臓の水が引いたそうだ。
お昼、米山医師が抗生剤と蠕動運動を抑える薬を出してくれる。チアトン、クラビット。投薬については、米山先生の方が詳しいのかな、もしかして。
午後、37度台後半の熱。だるい。アイスノンで冷やし、じっと横になっている。痛みは、激痛ではなくなった。が、辛い。
18:00 産婦人科橋本部長、口頭で謝罪。
「昨日の様子を見て、さすがに・・・。申し訳ありませんでした」と。同時に、今日の病院幹部会議で、私の医療事故の件が報告されたと聞く。彼らが見たのは、昨日の壮絶で屈辱的な処置。あれがあって、はじめて病院上層部へ報告され、話題になったということか。婦人科退院後、順調に経過したならば、中途半端にされた? もっとも、痛みについて言えば、処置の時よりも、その後、夜中のほうが凄くて、その様子は看護婦さん以外、誰も見ていない。私ひとりがひきうけた痛み。悲劇のヒロインになるつもりは無い。が、本当に孤独で、半端じゃなく痛かった。この件で、一番辛いのは私だから。逃げたり、保身に走ったら許さない!
19:00 新野I医師が私の病室を訪問。具合はどうか訊いた後、何気なく「頑張ってください」と言う。すかさず、「その言い方、ちょっと違うんじゃないかな。」私が言う。彼は黙って病室を出て行った。まあ、嫌味じゃないのは、わかっているけど、苦しみを作った張本人なんだから、言葉を選んでください。頑張れないよ〜。ただただ今は辛いの。耐えてるだけ。
結局、トイレに行くにも大変なので、消灯前にポータブルトイレをベッド脇に置いてもらった。ところが、今日手術をした同室の患者さんに、旦那さんがお子さん連れで(しかも赤ちゃん)、消灯後もずっと付き添っている。赤ちゃんの泣き声で目が覚め、よく眠れない。そして、トイレの時は音を聞かれちゃうという訳で・・・。熱のだるさ、痛みに加え、ストレスが・・・。家族の心配はわかるけど完全看護だから泊まる必要ないのにね。正直、迷惑だと思う私はわがまま?安らぎの日は、いつ来るのだろう。
この日、院長来れるはずのスケジュールなのに現れず。
3月3日(金)
お腹の痛みは、何か引っ張られるような感じに変わってきた。でも、トイレに行くときなど、辛くて、脇腹を思わず抑えてしまう。
それはそうと、トイレで自分の尿を採るとき使うカップ、どうして泌尿器科病棟は1リットルの大きいのなんでしょう。寝巻きのズボン&下着を足の途中に下ろした状態だと我々女性は採りにくいのよね。婦人科では500mlのカップが標準だったのに。もっとも、同じカップを皆で使い回して、水洗いするだけってのも不潔。病気もらいそうで心配。
それから、この泌尿器科病棟で発見した事。おしっこバッグ(=留置カテーテル)を入れて、他の人に見えない様にする巾着袋みたいなカバーがあるではないか。ある患者さんが使っているのを見つけた。産婦人科入院中、私は自前で手提げバッグに入れていたのに。きちんと配布してくださいよ。あんまり例がなく、ナースも知らなかった可能性もあるけど。
外来の部屋で診察。さらに昨日より水引く。柳谷医師、3月7日のカテーテル(腎臓〜膀胱)抜去予定をどうしようか迷っていると告げる。
夕方、新野医師、橋本医師、別々に訪問。
橋本医師、体内のカテーテル抜去時期について、教科書的には、術後3ヶ月だと話す。3月7日、1ヶ月も経たないうちに無理矢理抜く予定の私って何?面倒な患者と早くオサラバしたいとか?たいしたことない医療事故に見せかけるため?
3月4日(土)
今日もエコーで診察。さらに腎臓の腫れが引いてきたそうだ。が、3月7日にカテーテルを抜くのは延期。いつになることやら。治療はじっくりやったほうが良いけど、見通しがたたないのは、不安。いつまで異物を入れたままの体なの?
ひとまず、退院することにはなったけど・・・。これからの通院も大変・・・。
3月5日(日)
久々、お昼に夫とお蕎麦屋さんで外食。買い物も少し。まだフラフラで荷物持つのは辛い。ひとりでは、当分無理かな。
15:00 胃のむかつき。薬?それとも水分の取りすぎ?そういえば、ただ「水飲め、水飲め」っていうばかりで、どのぐらいとか目安を言ってくれてないんだよね。
3月6日(月)
夜、左下腹部痛。今度は一体何?気になって眠れないほど。
3月7日(火)
まだ左下腹部痛む。う〜ん何なんだろう。
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