(21)あるがままが認められる

 やりたいことをやればいいあるがままでいいというのはコインの表裏の関係、ひとつのものであると思います。あるがままを認めることができないとやりたくないことをやってしまうということが起こります。こんな自分ではいけない、こんなはずではない、自分の欲望だけを満たすようではいけない、みんなのことも考えないと、等の考え方、あり方でもってやりたいことをやらずにやりたくもないことをやってしまう。ホントに欲しいものがあるにもかかわらず別のものを選んでしまう、本意に反したモノを手に入れてしまい取りり返しのつかないことになる。つまり不幸に落ちいっていくことになる。

 自分の敷居を低することによって、ひとつは手に入るが、同時に悪いものやガラクタも一緒に背負いこんでしまうことになる。昔の家は敷居が高かった、風が吹いても木の葉や塵は敷居の外で吹き溜まり中え入ることはなかった。これと同じことが人にも言える。結婚、進学 就職などでもまあいいかでレベルをさげると結婚はできる進学も就職もできる、しかし同時に悪いものを取り込み背負い込むことになる。

 戦争や飢饉や拉致問題等も今の状態を認めるわけにはいかないから反対する怒るというのでは平和や幸福にはなれない。すべてあるがままを認めることができるならば、そこから私が戦争なくすには、飢えで亡くなる人々を救うためには、ホントにどうしたら一番いいのかということが見えてくるはずです。反対すること怒ること批判すること攻撃することが良い結果を産むとは思えません。

 「あるがままでいい」「あるがままの自分を認める」ことができるとホントに「やりたいことが見えてくる」やりたいことが出来る」ということが起こってきます。それは自分のホントにやりたいことを認めることがあるがままを認めるということだからです。

これが身に付き行動でき始めると素直に物事が見え出します。正確に見え出すということです。やりたくもないことをやっていては、自分を誤魔化ししていることになります。ありのままの自分ではないのは当然です。

 人はどこかの時期に満たされないものを抱えることがあります。その穴を埋めるためにそれを取り戻すための努力や修行が始まります。その努力や修行その他の諸々が物事を正しく見えなくさせます。「ホントにやりたいこと」「やらないといけないこと」が見えず、不満感、劣等感をどうにかするための行動を始めるのです。そして正しい道(やりたいことをやるという)から外れるということになります。

それがうまくいき成功することもあると思いますが、心身はなんらかの病といえるものをもつことになるかもしれません。

あるがままが認められるというのは、そのまま苦しみからの開放になります。しかし人は苦しみ(人に認められるとか、名誉を得るとかも苦からのがれるため)から逃れるために行動に出ます。でもまずやるべき事はありのままを認めるということです。不満や不平や名誉や地位を行動の原動力にするとその人は不幸になります。不幸行きの電車に乗ってしまっていることになります。

あるがままを認めるということを、出発点にしないといけないということです。

ではどうしたらいいのかということですが、これは自分のありのままは認められるけど、他の人やほかの物事は認められませんというのでは成り立ちません。この宇宙のすべてのことが認められるのです。もちろん戦争もです。戦争を肯定するのでなく、いま起きていることを認めるのです。正確にみるのです。

テレビの画面に映っていたことは、ホントに事実でしょうか、NHKのニュースでやっていたから絶対に事実でしょうか。だれかが意図して映画のように製作して放映していたかもしれません。今の事実は私はそういう映像を見たというのが事実です。ここから出発しないことには何処へ行くかわかりません。誤認の積み重ねをしているかもしれません。正確な事実にそって行動していくということです。

また自然界は刻々に変化しています。これが事実なのです。この変化を認める感じる覚るということがありのままに認められる第一歩になると思います。

生死の問題も実は解決されているのです。変化のままに変化とともに変化していくだけです。変化するから病も治る可能性があるのです。私のいのちも自然のままに過ぎていくように見守ってあげるだけです。私にできるのはこれだけです。