(1) N先生のエネルギー療法

 N医院でガンを始め難病が先生にさわっていただくだけで治るという話を知人jから聞き、先生に会ってみたいと思いました。7月25日に診ていただくことができましたので、感想を書いておきたいと思います。

受け付けを済ませ待合室で名前が呼ばれるの待っていました。たくさんの患者さんが待っていて、みんな誰かと話をしていて楽しそうで待ちくたびれたというような雰囲気がなかったです。先生に呼ばれても、話がとぎれるのがおしいのかしゃべりながら診察室にはいっていく人もいます。年寄りの方は見かけられず、 中年の方 定年前後の方 20代と思えるような男女などが中心だったように思います。

そして私が呼ばれました。だいたいの経過を話しすると先生は「あなたは、私のことを信じて来ています」と言われました。その後は私の方は見ずに妻に話かけていて、私は内容はほとんど覚えていない。治療をしていただいてから先生は「今日はうちで泊まっていきなさい、明日もう一度みてあげるから」とおっしゃられた。

それで会計をしようと窓口の人に声を掛けると「入院されますか」といわれ「えっ」「入院できるんですか」ほんまですか」と聞く「部屋は空いてますから」と言われる、入院予約待ち6ヶ月と聞いていたのでラッキーだと思った。

そんなことで私は病室で、妻はコンテナハウスで泊めていただくことになりました。翌日は土曜日で妻は二泊して先に帰り、私は1週間入院させていただくことになりました。入院中はほんまに暇です、患者さんたちと四方山話をし、ロビーで先生の講演会のビデオがながれているのでそれを見てるか、ベッドで寝てるかです。車で来院されている患者さんに温泉に連れていていただいたりとかしながら、快適に毎日がすぎていきました。

一般病院に入院しているときのような、一日も早く帰りたいということがなく、家族と家庭にいるような日々です。僕は講演ビデオを沢山みて過しました。先生の話は医療だけにとどまらず多岐にわたります、農業のことまで見とおされている。私は農業に従事していたので共感でき、先生の治療が全体として、体系的に納得できました。

そしてとくにどうということなく1週間がすぎ退院することになりました。楽しい病院だとはいっても退院はやはり嬉しいものです。

下記の文章は退院後の感想体験記です、今の心境とは少し違う部分もある。
N先生 スタッフの皆様へ

私がN医院を知ったのは先生の伊勢講演会の前でした。

4年前にガンがみつかり、その後、食事療法に健康食品、漢方、気功、免疫療法、などを続けながらも、答えがだせないまま、再発治療を数回繰り返してきました。

知人から2冊目に出版された本とビデオテープを借りて、読みました。読んでみて先生の言われることには、一点の疑問も入りませんでした。

でも,自分は「人にたよらなくても、自分でやる」というのと、先生が「わたしを信じなさい」というところで、「冗談じゃない信じるなんてできるか」信じるなんて1番やりたくないことだと思っていたので、講演会にいこうとか、まして診療を受けようなどとはこの時には思いもしませんでした。

それから、7月になって3冊目,4冊目の本を読みました。やはり、すべてそのとうりだと思いました。先生のサインの上に置いた水も変わりました,喉越しが確かに違います、何回やっても違います。

この僕が書いた本以外は全部、闇のことが書いてある、というところもそうだなと思いました。はっきり自覚できていなかったけど、いままで読んだ本はみんな暗い、なにか満足できない、そうだったのかと思いました。宗教も暗い、宗教ではない、これは科学だと言っていても暗いんです。やさしさがない、愛がないのだろうか。光を出さないで逆に自らに吸込むような暗さなのです。

最近は「光がほしい」といような考えをもち続けていました。自力ではどうにもならない。残された時間からみても限界でした。
先生のところ行けば、光に出会えるかもしれないと思いはじめました。

そして、運よく1週間入院させてもらうことができました。

はじめのうちは、いままでやってきた食餌療法や免疫療法などをやめることにたいする不安と恐怖で混乱していました。それなりに効果はあると認めていましたから。

しかし、もうすべてを、やめてしまいたい気持ちもありました。いろいろ自分のためにやることはすごいストレスでもありました。

入院5日目あたりで、自分はほんの、ひとにぎりの物(健康食品、薬、等)を信じて、これからの自分の命を託そうとしていると思いました。同時に物を信じて、人を信じようとしてないことに気がつきました。

人を信じないで、わずかな物を信じて死んでいくなんて絶対にしたくないと思いました。

そのときに、不安や恐怖が消えていくのが解りました。死に対する不安もなくなったようです。それは今も、続いています。

この時の信じるというのが、神様 仏様 宗教などを信じると言う、信じ方と違って、親に抱かれる赤ん坊のような任せ方です、安全も危険もない 疑うといことも信じるということもない、そう言う信でした。

入院中は先生の講演ビデオをよく聞きました。「我は神なり」 「我は生命なり」 「我は霊なり」と認めるだけでいいんですよ。というところを何回も聞きながら、そうだなと思いました。 歯磨きをしていたとき、コップに入った水が 「我は霊なり」と思っただけで変わるように思いました。変えようとは思わないで、「我は霊なり」と思っただけでした。その時、見えない世界が事実としてあると感じました。

そして、なにかを求めてばかりいる心の問題が解決しました。
「我は霊なり」 のみでいいんだと、その後も先もいらないんだと思えました。

ものを信じる治療は自分の中にある治癒力を否定する、言いかえれば自分を否定することになるんだなと思えます。そんなことはもう自分に対してしてやりたくないと思いました。

先生、スタッフの皆様、それから元気な患者の皆様
      ほんとに有り難うございました。

   これからもよろしくお願いします。
    

それで私にも奇跡が起きたのかというと なんとこんなことが起きたのです。医者から余命半年と宣告されたのです、こんなこと言われたぐらいでへこんでいたら生きていけません。医者は最悪のことを言ってくれていると思いますし、もちろんそういうこともありうると言う話であります。そして10月6日に入院することになりました。以後11月と12月と入院治療は続くことになります。

一般外科的な治療を受けるときは苦しいし、生命を脅かしながらの処置になります。体に針を刺して治療するのだけれど、それは同時に死につながるものです。針を刺して殺すこともできるわけですから、治すか殺すかのどっちかですから当然恐怖心がでてきます。その時「われは かみなり」「われは れいなり」「すべては ひとつです」と思うと先生からのエネルギーを感じるこができて楽になっていくというのは経験できました。遠隔治療などでも効果ははっきりと感じます。

しかし しばらくすると私は先生から直接エネルギーをいただくとは感じられないようになってきました。先生をひとつの縁にして起こるのだが、なにかべつのところからやってくるように感じだしました。先生も「私とあなたがたが直接つながっているのでなく私と神がひとつで その神とあなたがたもつながっている」「私は神です あなたがたも神です」「誰でも私と同じようになれる」というようなことを言われています。

私は「われは神なり」という言葉に力があるのではないかと思う。「我は実在なり」「すべてはひとつです」などでもいい。神という言葉はどうも宗教に繋がるからそれを外してみるほうがいい。この言葉を言ってみるとわかります。ちがう次元に入ってしまうような感じがします。

要は自分が神であるなんて夢にも思ったことなんてないのだから、それは衝撃的な出来事になります。そして ほんとは我々は神だったのだからそれは大事なものを無くし、それが見つかったときのように晴れ晴れとした心になります。(神だったというのは自分と言う自己中から離れた時、あるいは小さい子供時代のような)と簡単に考えて間います。夜もすぐ寝つけるし元気もでてきます。

私は先生からエネルギーがどれほど入ってきているかということはよくわからないです。もっともエネルギーということが何なのかわからない、体感できないのだけれど、最近それが感じられる兆候のようなものがあり、この方向でいけばいいだろうというところにいます。

(話しを元にもどして)ここでまた、人に頼っている自分、先生に頼っている自分が見えてきます。もし先生に頼って死ぬことになれば後悔しないだろうか。それはそれで「良し」とできる「OK」だ。でも でも自分というものはなんだったんだろうというのが残るのです。自分を信頼できないのか 自分にあたえられた《いのち》を信頼できないのかという、不満がみえてきます。

そして12月の入院治療も終わり新年を迎えることができた。

16年1月に先生の新年講演会が大坂であり、私と妻は1泊2日で参加させてもらうことができました。2日目の講演は、私は疲れていて眠かった、まどろみながら聞いていました。私の記憶に中にある先生のいままでの話と、今話されていることを 照合しながら新しいことは聞きのがさないようにしようと聞き流していました。

講演も終わり近くになって私は先生の顔をよくよく見つめた、幸い一番前の席にいたのでよく見えました。私は「ハッ」としました、そして気がついたのです。「先生は疲れた顔をしている」と思った。前日の先生の姿を拝見していてもわかる、多くの患者さんに接しられているのです。

よく講演の話の中で先生が話されていたことを思い出しました。「患者さんが多くて私だけでは対応できない状態です 限界です もうこのような講演会も終わりにしたいです」というようなことをよく話されいる(言葉は違っているかもしれないし先生の真意とは違うかもしれないです)が、それを聞いている時は「そうなの やめないでもっと話ししてくれたらいいのに」などと思っていました。

日々 訪ねてくる患者さんにたいして、せいいっぱい対応、治療されている姿をみても大変さがわかります。このとき私は先生の姿から「困っている人がいたら全力をあげてたすけてあげなさい、人が喜ぶことをしてあげなあい、美味しいものがあったら大きい方をあげなさい」というメッセージを初めて受取ることができました。

それは先生の言葉や真意とは関係なく私のこととして受取ることが出来ました、先生が嘘を偽りを話されていたとしてもそんなこととは関係なく、自分の中での出来事として入ってきました。

すべてのものが やさしく愛にあふれているのを感じました。私は豊かな愛情ややさしさに満ちた人たちに囲まれて生活しているのを感じました。