(6)観察するということについてIさんの談話を読んで思
(6)観察するということについてIさんの談話を読んで思ったこと
観察するということについてIさんの談話を読んで思ったこと
K誌に掲載されたIさんの談話を見ました。僕はある期期 彼と農業の仕事を一緒にしました。今になってみて、なにか大事なことを伝えることができなかったように思いました。読んでみて気になることを書いておきたいと思います。もちろん今僕が何か言うことで返って大きなお世話になるかもしれません、でも私のやってきたことは間違いだったと思えるところも多々ありますので少し書いておきます。
「目標は・・・・今ませでのような甘い観察では・・・・頭でやったのでは達成できない」
まず始める前に「観察の仕方が間違っていないか」ということを見直すべきじゃないかと思います。正しい観察の仕方を会得しないといけないということです。今の事実をありのままにみれるということが必要だと思います。頭でやらないというのは、《問題点を探す、どうしてこうなるのか》と探求するということをやるのでなくて、今の事実を正しく観察すればよい、そうすれば観察したことが答えになります。つまり答えはもう既に出ています。見たことが答えになります。答えを実行するのです、答えを生きるのです。考えることや調べることはいらないのです。正しく観察ができれば、必要な知恵、知識は出てきます、全体を把握できるような知恵がはたらくなら、何故だろうと考えることはいらなくなります。
なお全体とは時間のことで「どこを始まりとし、どこを終わりにするか」によって見えるものが違ってきます。横の広がりは空間のことで「どこまでを自分の範囲とするか」によって見え方は変わってきます。栽培においては苗が来た時か種を蒔くところか蒔く土を用意するところかあるいは今年の作が終わったときか、等々です。
「他よりも倍程の期間収穫できる栽培方法の習得と・・・・」
生業としての農業は技術でなく経営なのですから、他の人から技術のみ学ぼうとするとポイントが少しずれると思います、なぜならその技術を持つ人が経営という視点をもっていての技術で、自分は技術という視点のみだとしたら、その技術を完全には理解することはできないのではないでしょうか。さらにその人はもっと違う視点をもっているかもしれません、心の奥にその人の本当の目的があるかもしれません。そこまで見ようとする方が早く上記の栽培方法を習得できるのではないかと思うのです
たとえば《一体、無常、無我、無所有》等の真理とされているものがあります。これらをどういうことかと探ってもわからないです、知ることはできるかもしれません。しかし納得はできないでしょう。真理は探ることではなかったのです、考えることでもなっかたのです、この自然界の、あるいは自分の事実をよくよく観察すれば、《あっそうか》と納得できます、それで終わりです、でもこれはほんの始まりにすぎません。よくよくこの世界をみれば一体であり無我であり無所有だったと見えます。そこには一点の疑いもはいらないのです。野菜を育てることでこの自然界をみつめることですべてのことがはっきりしてくる時が必ずくるはずです。明瞭に物事がみえるようになってくると思います。よくよく事実を観察すればこうだったという解り方です。よく考えてこう思うというのではないのです。
「反あたりの収量目標をどうクリアーするか・・・・かなり高い目標です」
収穫目標は結果であって最後の目標ではないです。それは副産物です。獲(とる)るということを中心にしてはいけないと思います。自分に取り込むのじゃなくて、野菜にどれだけしてあげることができたかということを日々の目標にしないといけないと思います。獲るということは野菜も人も疲れます。してあげることを目標にすると、その日その日で満足できます、足元に幸せがあります。あまり目標が高いと達成できない不満が続くので日々が楽しくないということにもなりかねません。もっとも毎日楽しく畑でやっているならなにも問題はないです。一概に言えないですがハウスの前で車がパンクして困っている人がいたらしてあげることを目標にしていたら、喜んで助けてあげる事ができると思います、収量が目標だと野菜を優先してしまう可能性があります。どっちを生きようとするかです。
ただ、大きな目標を持つことは、それを達成する過程も大きな意義があるということなので、目標がなくていいということにはならないです。正しく観察し、正確に判別し、全力を尽くさないと目標は達成できません。目標が達成されたときはそれらのことも身についたということなのですから、目標をやることは大事なことなので勘違いのないようにしないといけません。反収○○トンは目標だけど、その少し手前に本当の目的があるということです、ここを会得できればどんな条件にも左右されない、安定した経営ができるだろうと思えます。それは自分の人生の経営でもあります。
今はすばらしい環境が用意されていると思えますので、楽のしく全力で取り組んでください。僕自身はほんとにできてないとるに足らないものなので、T.I さんがもっと先へ進めば(あいつもたいしたことなかったな)と思う時がきっとくると思います、尊敬できる人がいることはいいことですが、いつまでたっても周りは尊敬できる人ばかりというのではいけないのでないでしょうか。尊敬に値しないひとを尊敬しているかもしれません。自分が先に進まないとその見分けがつかないと思います、本物と偽者を判別できる知恵必要です。ほんとうに尊敬できる人でも、それらの人を超えていかないといけません。超えた視点を持って、超えたことが言えるようになっていかないといけないと思います。
以上は僕の思ったり考えたことです、考えには必ず反対の考えも存在するので気を付けてやってください。元気でやってください。