一期一会のあなたへ 古典より学ぶ・
管理者の個人的な見解ですのであしからず
古典より人が人としての生き方・活き方・気の持ち方・最も大切な愛・慈悲・思いやり・希望等を学ぶ事で自己の在るべき姿を学びあうことで自己改造への道・癒しの道として自分を知る道しるべとしましょう
人は一人生まれ一人去る・自己に宿る神仏は自己そのものであるからです。譬え親、兄弟と云えども同一でなく別物だから、生まれも育ちも時間も環境も異なるからです。故に学ぶことも人それぞれであると想います。一人一宗で一人一神仏は自己に宿る神仏それは宇宙意識に目覚めることだと想います。故に健康法も先祖供養も自灯明・法灯明です。この自からと法を灯りとする為に古典からの教訓を学ぶ必要があるのです。自分に合った哲学などを学びましょう。此処意外にもありますから、限定した枠に囚われないことが大切です。
人の寿命は人それぞれで、生まれた順番ではない「老少不定」、故に生死から健康的な人生を過しましょう
私は自己に宿る神仏を内なる光の国と想っています。hpに書き込みしたり、詩などを書くときは閃きによって書いてますがその時に、此れでいいですかねと想えば、いつも白い光がフラッシュされます。光はいいものですね。ポエムワールドも見てね。
hpへの嫌がらせは止めよ。嫌な贈り物はそっくりお返しします。悪因悪果で自分へ帰ります。人から感謝されることを。人からの喜びは自分にも帰りますよ。因果応報ですよ・迷惑な嫌がらせは犯罪。
一人一宗一は一人一神仏
一人一宗で一人一神仏は個々のDNA[遺伝子]は異なる故に自己自身を確立して自己に宿る神仏に目覚めることが先祖供養としての感謝行法であり、それは宇宙意識に目覚めることだと想います。
人は心の持ち方・気の持ち方で如何様にもなります。病は気からで精神的な心気は、今も昔も変わらないようで人生の教科書となります。自己成長の縁とするか、自己否定で他を責めるかが人としての分岐点となる。
生老病死の四苦を意識の段階で深く認識することが根本として、死を自覚すれば生の意味合いも深く尊重されると想います。
宗教という社会では、香臭いイメージ、心の呪縛、など何かに囚われた社会をイメージされるようですが、本来は宇宙意識という人としてのあるべき姿、自己に宿る霊魂「神仏」と一体化する方法を私達に教え説く社会なのです。宗教とは、誰がこの世の法則を説いたかで、・・・教。・・・宗。などとなるのです。 宗教概念でとらえると、一人一宗であり一人一神仏であり自己に宿る神仏に気付くための宇宙意識に目覚める行法としての集団社会として ・・・教団、 ・・・宗、 ・・・教 ・・・神教 ・・・等々が存在すると想っています。自己の波動と合一したところで学んでおられると想っています。「類は類を呼ぶ」諺に合致するからです。
自然の法則である陰と陽の中に宇宙意識として、私達の学ぶべき事柄が含まれているのです。 この世は、陰と陽の世界であり、この陰陽の法則・自然の法則・自然の摂理なるこの世の法則を如何にバランスを確保し、如何に維持して、人生の意味合いを修行していくかということでしょう。
この学ぶべき事柄は人それぞれですが、人としてのバランスつまり如何にして人格の向上を得るかであり、その方法に様々な行法体系と知識などがあるのです。 此処に宗教という名のこの世の法則を学ぶことが必要となるのです。本来は、哲学であり、自然の法則なのです。
誰がこの世の法則なる自然の法則を説いたかで、○○教・△△宗・・・などに分かれているだけなのです。 自己にあった方法で修行することが適材適所であると想う。類は類を呼ぶで同じ波動で集まっているのです。
元気村では、このhpに書いているようにトータル的に修行・修業・修養の三蜜一体化を基本としてます。 多くの教えを「人は我が師」として、自己に宿る神仏との一体化を目指すことが自己を知ることになると想っています。
一人一宗が原則です。自己に宿る神仏は自己そのものであるからです。譬え親、兄弟と云えども同一でないからです。 一人生まれ一人去る「独去独来」が自然の摂理であり、生まれも育ちも時間も環境も異なるからです。故に学ぶことも人それぞれの道があり、人それぞれの法門があると想います。