病をお手本として一病息災、病と調和、人格を高める礎のためにある
健康への道は、固定化された一つではありません。どんな良いことでも”過ぎたるは及ばざるが如し”です。何事もバランスですよ。この世の法であり法灯明・健康管理は自分だけが解るから自灯明
親でも兄弟でも医者でも、どの位痛いのか、苦しいのか解りません。本人だけです。
肉体だけとか、精神的だけとか、霊的だけとか、個別的に求めても成されるものではく、全体的な調和です。
例えば、多くの食物、多くの健康食品、多くの健康器具、此処にあげればきりがないくらいあります。それで、本当に皆さんが健康的に過されているかと言うと・・・?病人は増えるばかりですね。
私は個別的でなく、森羅万象より学んで行くことと・自己を知る瞑想行法から自己に適した自己健康への道があると思っています。
それ故に、肉体的・精神的・霊的な健康も相好作用による調和活動で、自己を高めていくことが最も大切な事だと思っています。
病は自然に癒すものであり、病と闘う事でもなく、人格・霊格を高めるためにある・・・・・煩悩即菩提であるが故に自分探しで自己自身に気付くことへの道標として様々な煩悩が存在するのだと想lっています。一病息災で病を縁として自己コントロールしていけば、日々を健やかに過せると想います。
・・・寝たきり老後の防止・薬などの副作用からの防止・・・自分の心身状態・自己発見で無理なく運動もできる
・・・死・老後・病などを自覚することで、生・若さ・健康の有り難さが理解でき、この世の意味合いとか他人を労わることも大切な学習・修行ですよ。
・・・お迎えがきたら、さっさとこの世に未練を残さずに霊魂を神仏に委ねることが肝要だと想います。それまでは神仏に生かされていると想っています。
病は治すのでなく、病と闘う事でもなく、人格を高めるために自己に内在している神仏からのメッセージなのです。自然に癒されるように多くの行法があります。その行法から自己にマッチした方法で人格を高めるためのヨガ、気功、瞑想などを実行して下さい。
よく病と戦うと聞きますが、戦いは勝負の原理であり、勝者の裏には敗者が存在します。病に勝者も敗者もないことを肝に銘じてください。肝心なのは、病より学ぶことです。自己のこの世の意味合いを学び、自己の霊魂の進化を高めるための人格向上の方便として病い苦悩などがこのよに存在するのです。ヨガ・気功・瞑想は自己自身で心と体と霊魂の三蜜一体化で行う古来から未来に到る人類の健康法ですので、病は自己を見つめて高めていく過程の中に自然に癒されるものです。
依頼心を去り・体力・気力・霊力・自然治癒力・心と体の柔軟性・自立訓練と浄化鍛錬で健全な肉体と精神が基本。医者も癒すのも自己自身・薬は普段の食事。食事は運動・気の持ち方の重要性をhpに詳しく書いてアピールしているのです。その為に○○健康食品、●●健康器具、薬など様々なものに依存する依存症からの脱却が基本であると想います。但し緊急的な処置が必要なときは依存と云うより手助けが健康を得るために友好的であると想いますので、そのときは大いに活用すべきであると想っています。
病と闘うことを止めることから初めて行くべきです。管理者「まさる・著者」の体験を基本とした個人的な見解・哲学と行法・意識改革・運動行法などを行じて行くところにヨガ・気功・瞑想・カラーヒーリング・マントラ&サウンドヒーリングなど様々な心と身体の健康法となるものです。 故に、病を縁として人としての道を育成していくで人格を向上が大切に想います。 精神修養を学び会い相好扶助の心で健全な肉体に健全な精神は宿る心身を養いましょう。 スマイルが健康の基で心と体の健康は一体であり、私もOKあなたもOKで自他一如を学ぶことです。
健康は自己の責任で管理するもの。痛い想いするのも本人しか理解できまません。気の病いと書くと病気となる。また、草を楽しむ事で薬と書く。一病息災の如く、健康の意味合いが体得できれば、心身ともに充実したものとなる。
心の持ち方で、健康 にもなり、病の基ともなる。肯定的に物事を捉えるか、否定的に自己中心とするかで、分れるもとになる。心の進化は、自然の在り方など総てに関係してくる。
健康に暮らすには、爽やかな酸素、新鮮な空気が必要です。樹木を多く育てれば、私達に酸素を供給してくれる。この酸素代金は支払ってないことを認識して下さい。 お金だけを求めないで、以下に社会に還元するかが大切です。お金も心の持ち方次第です。健康も心の持ち方次第です。心の管理として様々な方法があります。自己に合った方法で実行して下さい。
健康の道は、癒すのも自己自身・薬は普段の食事。食事は運動・気の持ち方の重要性を深く認識して人格の向上と霊格の向上という解脱の門に到るための、心身のバランスより成り立っていることに気づくことが大切なのです。その事により人の進化の道は、健康の道より生まれることになります。
自己を高め人格向上・自己自身の霊魂の進化を図る為にも自己を知るための気付き療法としての自己ヒーリング瞑想&外気功・内気功のヨガ・気功・瞑想などがあるんですよ。類は類を呼ぶで同じ波動のグループが多くありますので、自己に合った方法で行じて下さい。
ヨガ・気功・瞑想・精神世界・ボディ・マインド・スピリット・ヒーリングで自己改造・意識改革を目指すコミュニティへのお問い合わせは元気村まで・・・この世はお互いの学びの場としての生かされ縁があるんですよ。
あとは登ることのみで有り難い・・・幸福感覚も気の持ちようで如何様にもなります
どん底は なくすものなく 得るばかり ありがたきこと 捨身の行
人生も霧の中ですよ。
霧の中 人も車も よく見えず 今の世の中 みとうし暗し まさる作詩
陰と云うどん底を究めれば、陽となるだけですよ。なるようにしかならないことも自覚しましょう。
この世は陰と陽のバランスの世界を自然の法則で表し、陰極れば陽となり、陽極れば、陰となる。
例えば、太陽も夏至「昼が最も長い」、陽が極れば、陰となる、つまり昼が短くなる。冬至「夜が最も長い」、陰極れば陽となるつまり昼が長くなる自然現象を自然の法則と云う。月もまた同じで、満月なれば、月も欠けていき新月となる。新月なれば、月が満ちて長くなり、満月となる。山もまたしかり、頂上を究めれば、下山にて谷となる。谷はまた山を目指し頂上へと導く。
人生も上がれば下がる。下がれば上がる。山と谷の道の中に人生の極意が凝縮されている。運気も上がれば下がる。下がり究めてどん底を味わえば、上がるだけですので希望が持てる。そのうえに、なくすものがないから愁うこともなくなる。
一喜一憂に囚われることなく、自己に与えられたこの世の役割を究めることが悟りへの道となると想っています。私は、亀さんのように、のろいと罵倒されていますよ。しかしいつのひか、山の頂きをと日々悪戦苦闘しているものです。
どん底の人生を味わいから、開き直りの人生に変換して日々好日としていきたいものと想っています。
あなたと共に健康哲学を学び合い、知識と行法が一致するように日々を意識して楽しく過しましょう。
自分の生命は自分で守り自己管理に基づく意識改革が基本であり、自灯明としての自分を拠り所とし、法灯明としての法を拠り所としていく。つまり、自分自身に宿る神仏との会話「自問自答」、また法としての自然法則を教えとして、自然と共に生かされていることを自覚することです。
すなわち、医者は自分自身であり・薬は食事において医食同源としてバランスよく頂く・処方箋は自分を観つめる行法としての瞑想から、自然の恵みに感謝して森羅万象より学ぶことです。
元気の気を充実させる心身霊の調和健康法は、身口意の三密一体として、身体・肉体、口・食事と言葉、
意識・精神性の活用で人間性の充実をはかることです。
健康的に暮らすには、自分を愛するように他人を愛することです。
人が欲していることを与えないで、自分の自己満足の為に与えることはエゴイズムにほかなんらない。
親子、夫婦の関係では、人の望んでいること無視して、自己満足のため「あなたの為よ」と言う言葉のもとに行われ、人は苦痛しか沸かないだけでなく、ストレスが沸いてくる。、
与えた人は感謝がないと愚痴る?。なぜなのかを熟慮して欲しい?真実の愛・思いやりがないことを?
人としての生きがい療法を与えれば、ストレス解消で自律神経失調症なども癒される。
健康的に暮らすには、人としての道があります。人の道を学ぶことに健康哲学としての行法が存在する。交流分析の心理学を学んでいるときにマズローという心理学者が人間の行動に五つの欲求がある事を学びました。
1、生理的欲求・・・衣食住、セックスなどの本能的な欲求
2、安全欲求・・・自己防衛欲求で安全を求める本能的な欲求
3、社会的欲求・・・社会の一員として欲求で、仲間意識として人に愛されたい、人に理解されたい欲求
4、自我的欲求・・・自尊心、見栄、虚栄心など人より良く思われたい、認められたい欲求
5、自己実現欲求・・・自分の可能性、能力などを伸ばしたい、創造力を発揮したいなどの欲求
この五つをバランスさせて、高次の欲求実現としての自己成長を図ることが大切に思います。生理的および安全の為の低次的な欲求は、生存する為の本能であり、動物の欲求と同じです。この動物的な欲求にブレーキをかけるのが、知足を知る高次的な人間としての哲学が必要となる。
例えば、お腹が減れば誰でも食事を求め食欲を満たします。満腹で満足すれば終わりです。しかし、自己成長としての高次の欲求は、これで良しと言うことはありません。一つのことに成功すれば、次は高度の目標を掲げてチャレンジして精神的な充足を求めます。故に、動物的な欲求で終わるか、人間としての高度な悟りへ導くかは自分の心の欲求をいい方向へ導くことが肝要です。
精神的な病は、低次的な欲求に陥り、自分の存在、自分の能力、自分の可能性などを見つけることが出来ずに、家に閉じこもったり、毎日が退屈の生活で無気力、無感動、無関心などのような精神不安定、自律神経失調症という悪い自爆にかかってしまうのです。
裕福な家、国民にこの様な精神的な病に陥りやすいのです。それは、何もしなくとも食べていける状態、何でも手に入れられる恵まれた生活者に、退屈病としての精神的な充足が得られないからです。つまり、生きがいがないからですよ。人としての生きがい療法を与えれば、自律神経失調症なども癒されます。
何か目的をもってチャレンジ精神を持たせること。こらは危険、あれは危ないなどと称して危険に立ち向かい多くの失敗から学ぶ創造世界と何かを生み出す発明発見の世界に精神的な充足感が生まれます。
昔の人はこのことを「かわいい子は旅に出せ」といわれています。今と違い旅は生命に直接関わりあう生と死の隣り合わせのことだからです。
すべての出来事には、原因があるから結果があります。結果に対しては自己責任が伴うことを認識して、決して他を責めるのでなく、自己を観つめる手がかりとして下さい。
嫌な贈り物はそっくりお返ししますよ。人からのうらみは自分にも帰ります。人から感謝されることを。人からの喜びは自分に帰ります。因果応報・迷惑な嫌がらせは犯罪
病気、ストレスなども例外はない事実を認識していただく為にここに書いてみました。
健康で穏やかに過ごすことは、人生での大きなテーマでもあります。このテーマがあるから心身の働きで、私達は色々なことを学び、自己自身を進化の方向へと導くことができるのです。この人生問題としての提起は、自己を深く観つめる瞑想行法で可能なのです。
病気などを自己の問題として捉え、依頼心を捨てることが、まず初めに求められます。自己の健康は自己にしか理解できません。よって他に頼らないことで、自己を改造する為の方便として健康問題が活用されて来るのです。
大病を患って、生死をさまよったり、医者から宣告されたりして、初めて人生の意味合いが提供された事を認識される人がおられるようです。
しかし、多くの人達は、この様な人生を省みることなく過ぎ去っておられるようです。
仏陀の最後の教えである涅槃経に次のように説かれています。
仏陀は、弟子に対して私を頼ってなんになる。私は涅槃に入らなければならない。自灯明、法灯明の大切さを説かれています。
自灯明とは、自分自身を頼り、自分自身で明かりをつけなさい。
法灯明における法とは、自然の法則であり、善因善果、悪因悪果であり、自業自得の法則であるが故に、この世の法を頼り、この世の法に従い自ら明かりを灯しなさい。
仏陀さえ自灯明、法灯明を説いて、私(仏陀)を頼るなと、最後の教えである涅槃経に在ることを深く認識して下さい。他に依存することの愚かさを戒めておられるのです。
人は、病気の時の薬にしろ、即効性の魔法を求めているから困り者です。 自業自得として、仏陀の最後の教えを忘れておられるようです。
この様な観点から健康問題を考えてみると実に心身共に不健康生活者で他に依存することで、自己は何もしないで魔法の薬などを求まる人、としか想えない人達が多い事は、ひとえに神仏の教えに反しているとしか想えてなりません。
@「病気」になるのは、身体の使い方の誤りを この様に、人生の修業法として、病気、苦しみ、失敗などを道しての健康法として、人が人としての精神的な成長過程があるのです。故に、気の持ち方と生活の在り方などの誤り・間違いなどが自己自身の心身的な痛みとして教示されていることに気付くことこそ寛容と想われます。つまり、今までの生活を反省して誤った生活態度を修正しなさいという内なる神仏からのメッセージを受け取ることです。
すなわち、自己に宿る内なる神仏からのメッセージは、新たなる飛躍への掛け橋と生るのです。それも貴方次第です。其の為には、何時も肯定的に解釈し前向きに生きるチャレンジ精神が必要です。チャレンジ精神と共に、他との協力関係による調和と自己自身の調和により生かされている現実を確認する必要が生じます。それは、いかなる善であろうとましてや悪なる行為に執着することは、自己を傷つけるストレスの原因になります。
つまり、何事も「過ぎたるはなお及ばざるが如し」であり中道の心が問われます。仏教では、八正道として説かれ、中国では、儒教の教えの中に中庸として説かれています。楽行だけでも行けない。此れを陽とする。苦行だけでもいけない。此れを陰とする。この事から、陰究めれば陽となり、陽究めれば陰となる。このように、陰と陽のバランスが最も大切なことであり、この自然の法則によって生かされている事を認識してください。
この様な、中道の心を維持し管理することが如何に困難化であることを学んで行くところに、様々な精神訓練法と精神修養法がこの世に存在するのです。まさに、中道の道は進化の道であります。このことが、自己に宿る神仏への帰依であると想います。
自己を小宇宙とするならば、大空の中に大宇宙があるように、私達のこの地球も一つの小宇宙の空間に浮いて廻っている存在です。太陽も一つの大宇宙に浮かんで活動している惑星です。この様に、さまざまな宇宙のリズムが中道のようにバランスよく活動しているから私達の一日一日の積み重ねとして一年があります。
中道の心で、過ごすことが日々穏やかに平安に満ち足りた人生を過ごせることと想って何故ならば、十人十色と申すように、個性があるから自己にあった方法で進化と進歩を確立していけばよいのです。
肉体の鍛練としての気功・ヨガであり、呼吸を調える訓練法が気功・ヨガであり、意識の調和を図る行法が気功・ヨガであります。
私利私欲で他を返り向かない自己本意の人が、自己に宿る心のメッセージとして天罰のように重い病気になったり、事故にあったりしておられるようです。自己に宿る心のメッセージを有りがたく受け止めれば、自己に目覚めていく過程で仏のように慈悲深い心へと、大転換できるチャンスに感謝されんことを願っております。このような宇宙の法則が分かれば、善とか悪などは存在しません。私達が自己本位に決めつけていることが善悪なるものです。
善因縁は善なることを生じ、悪因縁は悪なることを生じる法則があります。
いついかなることでも、因果応報なる宇宙の法則により、悟りの道を歩くか、六道輪廻の道を歩くかは、私たち一人一人のこの世の生き方によります。
キリストは一人広野のなかで神に対して深い祈りのなかでの瞑想で、[自分で蒔いた種]は自分で刈らねばならない」と聖書のなかに幾度も書かれています。またお釈迦さんはこのことを「自業自得」として強く説かれています。
ちなみに、六道は地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の六つの界を云います。この六道から脱却するには、自己に目覚め、自我を離れ、菩薩道を歩く事です。
心を清め、喜びを与える布施の行法で、多くの徳を積むことです。この様な観点から私は、自他一如の心を縁ある人にお話をして、皆様方に功徳を積むことを薦めているのです。それも陰徳としての人徳培って下さい。つまり、見返りを期待しない真実の仏の供養です。
私はヨガのポーズ、気功の功法などで心身の訓練と呼吸法と瞑想法、色を使ったカラー瞑想法などで日本はもとより世界の遺跡「インド、アイルランド、イスラエル、ミャンマー等」で訓練を受けてきました。また、ロンドンで はマントラ、ペンデュラムなども学んできました。
人は失敗から学ぶものです。ところが明日のことさえ解らないのに自己流の立場で失敗を予測して行えば何も行動できない。行動できないから創造活動もできない。何も出来ないから、理屈だけの机上の空論は生かされないことが多い。生かされるためには多くの失敗を積み重ねることが大切 ですよ。人は失敗を恐れて手も足も出ない惨めなことを止めて、新しいことが出来ないチャレンジ精神を忘れないように前向きなチャレンジャーになって欲しい者です。
特に日本人は一度でも失敗をすると、それ見よといってけなして起ちなをることに足を引っ張る 島国根性特有のいじめを行い自分より先に生きていく人をけなすことを止めてもらいたい者です。小さな縄張り根性の国では、ねたみ嫉妬を受けるので、発明発見のクリエイトな人は野武士のように自己を確立することへの一匹狼の精神が必要とされるようだ。
他を気にしない一人旅の人生を味わいましょう 。
人は固定観念で物事を見たり・人を見たり・自己中心の偏った見方では正しい判断は下せませんよ。ノウあるたかツメヲ隠す・人は見かけによらないと古来より言われている。いろいろな角度から観察することで、正しい判断もなされる。このことを仏教では八正道で説かれています。それだけ、いかに誤った判断のもとに決断が下され、人を傷つけているさえ理解できてないのですよ。自覚症状のないのが最悪ですね。以前とは、異なった見解もね同様である。
井戸の中の蛙大海を知らずですよ。見解を広め、正しい判断を下され様に旅に出かけましょう。そして、心は平静で安定することが肝要であり、いつも清らかな気持ちを保ち続けたいと想っています。故に、心の修養と体の修行がワンセットとして修業体系が必要に想われます。
総合的な健康法哲学
トータルヒーリング元気村のモットーとして、@皆様の幸福 A地球の平和 B宇宙の調和 により、自分の人生に目覚めましょう。
@皆様の幸福・・・人を大切にすれば自分も大切にされます。一人では生存できない他者との共存共栄が基本。一人で衣食住すべてをまかなうことができない。他への依存関係にあるから、共存共栄にもとずく人間関係が存在することです。
A地球の平和・・・一カ国では生存できない関係にあることに気付けば、平和であることが共に生存できる。テロ、戦争などの争いのなかでは安心して暮らせない。平和であるから食料など貿易も出来る国際社会で日本が成り立っていることです。
B宇宙の調和・・・宇宙と云う壮大な惑星が調和しているから自然現象としての季節にもとずき生存できる。太陽、月などの惑星との引力が調和されて干潮・満潮・冬至・夏至など自然の法則で暮らせるのです。
健康への近道は、何よりも自分に正直になること。仏教、聖書、中国古典などに心のあり方が説かれています。
「はい」 という素直に心。
「ありがとう」 と言う感謝の心。
「すみません」 という謙虚な心。
「私がします」 という積極的な心。・・・・・・・などなどの肯定的な心と行動を持つことです。
ストレスをためないことが寛容ですからね。健康と幸福をクリエイトする為にも、一緒に学びましょう。
体操などで、体力の向上で心身のバランスを保ちましょう。
気功などで、気力の向上と充実を図りましょう。
瞑想などで、自分を見つめ勘を養成しましょう。
自他一如の心を養う為にも、写経、読経、みそぎ などで、知識と行法の一致を図りましょう。
私の健康になる行法としての道を究めていくと、密教では、三蜜といって、身口意で表しています。
@肉体を鍛える修行;身体の柔軟性
A精神を磨く修養;心の柔軟性
B自己に宿っている神仏(霊魂)と一体化する修業法;身体と心の一体化としての存在を気付かせる為に、身体、精神(心)、霊からのメッセージとしての病の存在、故に、個々に対応した諸々の健康行法たる要素が個々に教示していることが解りました。
ダルマ禅師は少林寺で座禅と武術の一体化を説かれています。日本でも剣禅一如と言って、強靭な体力と精神の鍛錬を行う事の大切さが説かれています。つまり、三蜜一体の調和なのです。その為にも先ず始めに肉体の訓練が不可欠なのです。
つまり何処其処が痛いなどと言っては話になりません。ましてや、武士の不意打ちなどされたら堪ったものではないし命がいくつ有っても足りません。その為にも、精神を研ぎ澄ますことで殺気を感じ自己を守る訓練が必要なのです。
何事も一日一日の積み重ねが重要であって、何もしなくてある日突然にわく霊感などは、後々に問題が生じるように想えて成りません。しかし此れも人それぞれなのでよくは解りません。少なくとも私は、お薦めできません。>習うより慣れよ”のように日々実践するしかないと想います。
体力の無い人、気の病で病気の人、姿勢が悪くて様々な病を持っている人などは、先ず初めに背骨を整えて、姿勢を正す、と共に筋肉の柔軟性を持つことで心と体を癒すことになる。
この様な心身の健康法が健康増進ともなり、気を高めることで自律神経も調和されていくのです。故に、老若男女、誰でもが行える健康法で自己に自信を持つことになります。
此処に私のヨガ:気功等に関係して体得したことを簡単な箇条書きにして述べたいと思います。1体操法。背骨、筋肉などの修正と鍛錬で体力の向上と血行促進が付いてきます。
2)練功法。太極法、八段筋などで気力アップを図り気血の流れを整えます。
3)供養法。真言、祝詞、写経などで自己自身と他者の霊魂を供養します。
4)信仰法。新約聖書、仏教経典、中国古典などで人としての在るべき姿を学ぶ。
5)瞑想法。内観、曼荼羅、一点集中などで神仏と一体になる訓練を行う。<
6)食事法。食べ物は肉体を維持する為の物であり、それによって修業が出来るのです。
7)呼吸法。新鮮なプラーナを取り入れて邪気を吐き出すことで、新陳代謝を図る。
私の健康法はこの様な行法と哲学を基本理念と上で箇条書きにしましたが。個別のように錯覚しますが、本当は個別に存在しません。総てがワンセットとして存在しています。
健康とは、まず肉体的な健康、そして精神的な健康、その上に霊的な健康のもとにこの三つが調和してこそ人間本来の最も心身の安定した状態であると思っております。この状態が、心の平安と安らぎにみなぎっている時であるからです。 健康の源は、自力更正であり自己を改造することで自然治癒力も増すものと思います自分になり代わっての健康法はないからです.
例えば、頭痛、不眠症、肩こりなど様々な病いの苦しみや悩みなどの問題点は本人しか解らない。故に他人、親、兄弟といえども変わりに苦しんだり悩んだりすることは出来ないのです。本人しか解決できないからです。
肉体の修行、精神の修養、霊魂の修業の為にかけがえのないこの地球に生まれてきたことを自覚して下さい。
肉体の修行を建物に譬えれば、礎としての土台で根本的なものとなる。また弓矢に譬えれば、弓となる。 精神の修養を建物に譬えれば、目に見える建物となる。また弓矢に譬えれば、矢となる。 霊魂の修業を建物に譬えれば、建物の住人となる。また弓矢に譬えれば、弓矢を使う人となる。
私は、肉体、精神、霊魂のように三蜜一体の調和によることが健康の原理原則であり、健康哲学であると想っています。トータルヒーリングとしての具体的な行法を、ヨガ・気功・瞑想を日々実践することが寛容かと想っています。
根本的には、ヨガも気功も同じ行法であると想っています。インドではヨガ、中国では気功と呼んでいるだけのように想います。自己に合った方法で行えば良いのです。三者三様、十人十色と申します。要は、人格の向上であり道徳の道しるべでとして様々な行法としての健康法などが存在するだけです。
「類は類を呼ぶ」の譬えの様に、同じ心を持った人たちで集まると云う事だす。そこで、良い友を持ってお互いに切磋琢磨していきたいものです。
私どもの道場・教室で健康問題より人生としてのいろは・・・を学んでいきましょう。 一緒に学んで自分探しの旅及び人生の修行と人格の向上を目指そう。
明るい元気村の人達による憩いのたまり場で相好扶助の精神で共存共栄/P>
元気村に入村されませんか・村民を募集中・・・一緒にワークショップで学びあい、切磋琢磨しましょう
村人・サポーター・道場提供者なども募集中・・・お互いの情報交換で切磋琢磨ですね。
実技と講演などの出前指導・人生相談・健康相談・関心・興味ある方の問い合せは電話でお待ちしてます
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