実生活におけるスブド


以下の記述は、

服部氏が受けた「スブドの世的指導原理」を要約したものです。




生きる意味

金銭について

職業について

愛について

欲望とその結果について

病気について

運命

神と人間の関係

名誉

人間の生と死

神は人間を支配できるか

ラテハンと日常生活

スブドは人間をどう変えるか?

バパのトークの要約

人種差別について

スブドの起源

世界の情勢


なぜスブドは人々に与えられたか


この教えを世に出した目的

トップページへ;スブドの解説:真の生き方




生きる意味

神の指示に従って行動する事が生きる意味である。本当の人生を生きるには神の指示

に従って行動する事である。本当の人生を生きようと望むなら,神の指示を受けなけ

ればならない。神の指示を受けるには、人は神に委ねなければならない。神に委ねる


には、ラテハンを受けなければならない。



金銭について

もし、事業が人々の生命に真に寄与するものであるならば、お金はどこからでも自然


に集まってくるものである。クマラは、これから事業を起こし、センターを
設立

する事を望んでいる。これは、人々を救い、人々がスブドについて良

く理解する
助けとなるでしょう。スブドについて理解することにより、

人々は人生を生きること
をより深く理解するようになるでしょう。

このようにして、この世は改善され
るのです。



職業について
 
人は、この世において、職業から偉大な生命力を得る。生命力を得るとは、この世


に生き甲斐を感じることである。生き甲斐の感じが生命力です。もしこの世が職業に

生き甲斐を感じている人々で満ち満ちていたなら、この世は調和し、すばらしく、生

き生きとしているでしょう。この世をよりよいものにするには、人々が、生き甲斐を

感じることができるようになることです。そのためには、人々がどんな職業に就くの

がもっとも良いかを知る必要があり、この点で、クマラは人々に助力する。すなわ

ち、スブドに入ってきた人々に、どのような職業に就くのがもっとも生き甲斐を感ず

ることができるかを自ら内部で感知できるようにすることです。



愛について
 
愛は人間の感覚の中で最も崇高なものである。これは魂の最も崇高な表現である。


愛は、人のハートを一緒に結びつける接着剤でもある。正しく用いれば、人々の間に

よい雰囲気を作り、間違って用いると、結びついてはいけない人と結びついてしま

う。

私心なき愛でなければならない。愛は間違って用いられると、それは油のように燃え

尽きてしまい、後になにも残さず、人々は、互いに憎しみあうようになるでしょう。



病気について
 
 病は人の行為の誤りによって生ずる。患者は病から回復しても、行為が間違ってい


ると再び病に陥るでしょう。だから、患者は完全には救われていないのです。ですか

ら、患者をスブドに導き、患者が正しい行為をするように指導するのがスブドの役割

であります。スブドは、単なる霊的修練ではなく、人々を世的な事柄から霊的な教え

に導き、そして、再び世的な事柄に繋げるものであります。このようなことが、これ

からのスブドには必要です。そうでなければ、スブド会員はただ霊的修練をただ受け

ているだけで、スブドが何を意味し、何をもたらしてくれるかを理解することが

非常に困難であります。スブドはこの世を生きていく上で大きな力を発揮するも

のです。




欲望とその結果

人間の欲望は無限であり、決して満足されることはありません。もしこれらの欲望の


虜になってしまうと、人間は、終いには、破滅するでしょう。ですから、人間生活に

おいて、欲望を制限する仕方を知っていることが非常に大切であります。しかしなが

ら、人間自身の力でこれらの欲望を従えることは極めて困難なことです。人間は欲望

の制御を神に委ねなければなりません。我々は、ラテハンに頼らなければ、欲望を神

によって制御してもらうことが困難であります。ラテハンは、人間の欲望が神によっ

て制御されるようにするものであります。



運命

運命というものは存在するものだろうか?

人は運命というものを、どのように考えているか。

運命というものを、人々は、まるでちょうど、それをなるようになることだと考えている。

運命というものは、そのような、なるようになるというようなものではない。

運命は、人が神と、どの程度結びついているかということの結果である。

ですから、もし、その人が、神と密接に結びつくならば、その人の運命は非常に

よくなるであろうし、その人が、神と離れているならば、その人の運命は、あま

り良くならないでしょう。 

人間が神と絶えず密接に接触していることが神の意志である。この接触を通して神


は人間に働きかけ、人間を良き方向に導く事ができる。

 神と接触するためにはラテハンを受け、内部を汚れのない状態にしてもらわなけれ

ばならない。このようにして、人間は、人生をより良いものにすることができる。人

生が神によって導かれるということです。神との接触もなく、導きもなく、自分だけ

で人生を送っていくことは極めて困難である。



神と人間の関係

 神の目から見ると、人間は神により生み出された、あるいは、創られた存在であ

る。従って、人間が神により支配されるのは当然のことです。神は、人間を理解する

ことができますが、人間は「神が人間を支配することができる。」と思っていませ

ん。

多くの人は生まれてから死ぬまで、神について全く理解しないまま、一生を送ってい

きます。神はこれを喜んでもいないし満足もしていません。神もまた人間によって理

解されたいと望んでいます。神を理解してくれた人間に、神はいかなるものも与える

ことができます。神が人間に何かを与えるとき、神と人間の間にある種の接触が必要

です。その接触に際し、人間が思考を捨て神にすべてを委ねるのでなければ神は人間

に接することができません。「神は人間が神と接触することを望んでいる。」とすべ

ての人に伝えてもらいたい。神は存在し、あらゆるものを人間に与えることができる

のです。



名誉

 人々は名誉を非常に喜び、しばしば、自分を見失ってしまう。名誉は人間にとって


障害となります。名誉は、人間が生きるのに必要のないものです。本当の

人生を生き
ようと望まないのなら、名誉は必要でしょう。名誉は人を節

度ある道から踏み外させ
るものです。名誉にあまり強く捕らわれてはい

けません。そのようなものを望まない
なら、ほんとうの人生の道を見

つけることができるでしょう。スブドに従う我々は、
神の指示のみに

従わなければなりません。この点だけが重要で、ほかのことはほとん


必要ないことであります。ひたすら神の指示に従って行動することが

本当の人生を
生きることであり、名誉は本当の人生を生きるのに何の

意味もありません。神に従う
あなたは、名誉に捕らわれて誤った行為を

しないようお願いします。これが神に従う
人にとって正しく生きる道で

す。名誉は神には何の意味もありません。スブドに従う
人々は名誉に捕

らわれないで下さい。


 神は名誉がいかに空虚なものであるか示そうと思っています。人々は、

それによ
り、力を与えるものは名誉ではないことを理解するでしょう。

名誉は人に力を与えま
せん、本当の力は、名誉ではありません。名誉と

は無関係に、人間がなし得ることが
何であるか人々は真に知るでしょう。



人間の生と死

 人間が生を受けるとき、人間の能力でそれを受けるのではありません。神の力でそ


れを受けるのです。人間が生まれるのも死に面するのも神の支配によるものであり、

神は、神の力により、人間に生と死をもたらします。

 神が人間に生をもたらすとき、それぞれの人間に、個別の神の使命を与えます。神

はそれぞれの命に神の使命を与えます。しかし人間はこのことを理解できません。

従って、人間が彼の命を生きるということは、彼に与えられた使命を完遂することで

あります。人間は、生命の存在にどんな使命が与えられているかを理解することによ

り本当の人生を生きることができるようになります。しかしながら、人間はこれを理

解できませんので、神と接触し指示を受け神から人生の使命を教えてもらうことがで

きるのです。したがって、神の指示を聞くと言うことは、自分自身の生命の使命を聞

くことと同じです。神は、人間が神から与えられた使命に従って生きることを望んで

おります。これが神の望みですが、人間がこの神の望みを理解することは困難です。

神は、人間が本当の人生を生きることができるように、そして、神によって与えられ

た使命に従って生きることができるように、指示を与えようとしています。従って、

人間が神から指示を聞き、指示に従って生きることができれば、彼は、神によって与

えられた生命を正しく使ったことに他ならないのです。これが生きることに他なりま

せん。本当の人生を生きるとは、神から指示を受け、指示に従って生きることです。

 人間が指示を聞くことは非常に困難でありますから、神は人間に霊的修練であるラ

テハンを与え、人間が神と接触できるようにしたのです。従って、ラテハンは神から

指示を受ける方法に他なりません。ラテハンに通っている人々がこのことを理解して

いないと、ラテハンから受けるものが何であるかを本当に知ることは非常に困難であ

ります。ラテハンは神の指示を聞き、正しい人生を生きるための手段です。

 死とは何でしょう。生も死もひとつのものです。内部自己の生命にあっては、内部

自己の魂にあっては、生もなければ死もありません。死も生もひとつの魂の生きてい

る様態なのです。内部自己の魂は、死後もまた生き続けるのです。ラテハンはそのよ

うなことを体験できる手段であります。



神は人間を支配できるか

人間は、自分の意志では、低い力に駆られてする行為を止めることができません。

低い力の行為があまりにも過度になると、神は行動を起こします。人間は低い力に影

響されてあらゆる種類の行為をします。これらの中には人間が抑制できないものがあ

りまあす。神自身がそのようなことについては制御します。

 神は単に人間を制御するだけでしょうか。人間を良き方向に導くということもまた

神の常であります。しかし、人間が低い力から切り離されて神と接触できなければ神

が人間を良き方向に導くことはできません。低い力を過度に用いる人に対しては、神

は良き方向に導くことが非常に困難であります。低い力が人間に住み着いていますの

で、人間から低い力を駆逐することから神の指導が始まる、ということを人間がよく

理解してほしいと神は望んでおります。ですから、神の指示を受けるためには低次の

力を分離し神と接触することが絶対に必要であります。人間が低次の力を過度に用い

たときに神は制裁を加えますが、低次の力を分離し、それらに影響を受けなくなった

ときにのみ、神は人間を導くことができるのです。



ラテハンと日常生活

 ラテハンは霊的修練ではありますが、だだの霊的修練ではなく、日常生活に影響を

与えるものでもあります。それは日常生活を根底的に変革するものであります。場合

によっては、改善されることもありますが、別の場合には、悪くなることまります。

それは人間の日常生活が改善される過程であります。その過程で、生活が改善された

り、悪化したりしますが、遂には、良い方向に導くものであります。なぜならば、神

は人間の日常生活を常に導いているからです。人間がこのことをよく理解しているか

否かに関係ありません。人間が気づいていようといまいと、神は人間に常に働きかけ

ております。このようにして、ラテハンは、人の生活に実際に影響を与えておりま

す。ラテハンを受けているときは、思考をあまり用いず、自然な態度で受けることが

非常に重要です。なぜなら、この状態で神が最も働きやすくなるからです。神の働き

は、思考を用いすぎると妨げられるでしょう。ラテハンに従いながら、人は自然な態

度で日常生活を営むべきです。そうでないと、神の力は妨げられるでしょう。このよ

うに神は絶えず人を導いております。これがスブドにおける日常生活のあり方です。

神からの指示を確実に受けることにより、自分がどこに向かっているか、神が自分に

何を意志しているかを必ず理解できるでしょう。そうであれば、神は人間を混乱状態

に導くことはないでしょう。人が真実をはっきりと受けることができ、日常生活でそ

のようなことを神からますます多くのことを受けることができるなら、ついには、神

が与える真の幸福を見いだすでしょう。真に幸福な状態に達するでしょう。これが神

が指導する人生であります。人は次第に神の指導を受けるでしょう。それがラテハン

に従う人の人生の道であります。ラテハンを行っている人は、スブドがただ霊的修練

であるだけでなく、日常生活の中で働いている力であることを理解すべきでありま

す。



スブドは人間をどう変えるか?

最初に、人々は、ラテハン中に、自分のものではない力を内部に受けるでしょう。そ

の力は、次第に、人々をその力の意志する方向に変えて行くでしょう。人々は、意志

や感情を要さず、その力についての知識さえ必要ではありません。その力は、このよ

うな行為がないとき最もよく働くことができるのです。人は、この力によって、何か

が次第に自分の内部自我に起こっていることを感じ始めます。内部から何かが変化し

ていることを感じ始めます。その変化は、次第にその人の全身に広がり、彼のあらゆ

る身体部分に達するでしょう。遂に、自分の体全体がこの力に覆われてしまったと感

じ、自分の体がこの力によって支配されていると感じるでしょう。これは、肉体の浄

化または、純化と呼ばれるものです。肉体の浄化に続いて、その力は、人間の内部か

ら始まって、次第に、感情、意識に影響を及ぼします。このようにして、感情、意

識、知性がこの力によって徐々に変化させられるのです。これらの変化は、自動的に

起こり、そして、その人の情緒、意識、知性が神の意志に合致するように整えられて

いきます。このようなことが成し遂げられた後、その人は、神の意志をはっきりと受

けるでしょう。その人は、神の意志を、口を通して、あるいは、耳、肉体、ハートを

通して受けるでしょう。従って、その人は、神の意志を受けることができるのと同様

に、神の意志に従って行動することができるようになるでしょう。このようなこと

が、その人にはできるようになる、すなわち、その人は、真の人生を得たことになる

のです。このような変化はラテハンによってもたらされたものです。このような変化

によって、その人は、正しい方向に身を置くことができるのです。即ち、その人は、

この世で、神の意志と神の使命に沿って、人間として生きることができるでしょう。

これが人間の生き方の正しいあり方です。神はラテハンを通して人間をこのような生

き方に導くのです。



バパのトークの要約

ラテハンは確かに霊的な修練ではありますが、人々はその意味を理解することが非常


に困難であり、日常生活でラテハンが役立つものであることを納得することは容易な

ことではありません。バパ自身も人々にこの霊的なラテハンが何をもたらし、それに

よりどの様な恩恵が人々にもたらされるか指し示すことが困難でした。しかしなが

ら、ラテハンは決して霊的な修練であるだけではありません。それは、人々が人生を

生きる指針であります。このことはスブドに従っている人々でさえ的確に理解されて

いないことは確かですが、ラテハンはやがて人々をこの世において真の幸福に導くで

あろうことは事実であります。スブドはこの世で現実の意味を持つことが示されるで

しょう。この目的のために、これまで行われてきた霊的なラテハンの他にある教えが

必要であります。神はこれをここに示そうとしているのです。これらの教えを通し

て、神は人々に、ラテハンが実生活で人々を導き、真の幸福に導くものであるという

明らかな証拠を示すでしょう。スブドがこの世を癒し、人々を世界の混乱のさなかか

ら救うであろうことは事実であります。



人種差別について

人種差別の解消は、人間の本質的な性質が変わらない限り、極めて困難であります。

もし、人の内的な自己の性質が変えられるなら、人種差別を解消することが可能で

しょう。しかしながら、通常の方法で解消することは全く不可能です。従って、人種

差別の解消のためには、人の内的な自己の性質が変えられることが極めて重要です。

内的な自己を変えるためには、人間の内部にある種々の低次の力を分離し、自己を純

化してもらって、高次の力の支配下にある人間になることが極めて重要であります。

ラテハンは、このことをするのに有効な修練です。従って、人がラテ

ハンを行えば、低次の力は、その人の内部自己から次第に分離され、その人を支配し

ている低次の力は次第に弱まっていき、やがて、その人は高次の力の支配下におかれ

るでしょう。そうすれば、人種が異なっていても、その人は、他の人種の生命と存在

を尊敬するようになるでしょう。これがラテハンの成果です。ラテハンは内部自己を

純化し、人を高次の力に支配下に置き、人種差別をなくする方法であります。



スブドの起源

スブドの起源は神であり、人間から出たものではありません。スブドは神の意志によ


り人間に授けられたものです。それは神の所有するものであって人間のものではあり

ません。神の意志がなくては、スブドは決して存在することはありませんでした。ス

ブドは神が所有するものではあっても、神の力は、神の力をすでに受けている人が通

路となって、他の人に注ぎ込まれることが可能であります。これはオープンと呼ばれ

ておりますが、オープナーが他の人を自分の力によってオープンするのではなく、た

だ通路となるだけです。人々はラテハンが神の力によってもたらされたものであるこ

とをもっと深く理解する必要があります。人々がこのことをよく理解するとき、ラテ

ハンを本当に受けるとはどういうことか次第に明らかになるでしょう。このことにつ

いて徹底した理解がないと、人々が本当に受けることは非常に困難になるでしょう。

「スブドは神の所有するものであり、人間のものではない。」という基本が、人々に

よってもっと深く理解される必要があります。人々は、ラテハンがあの人またはこの

人の所有するものではなく,神から来るものであり、ラテハン中にできることはただ

受けることだけであり、この受けることは意志を用いてなされるものではないことを

もっとよく理解する必要があります。もちろん、神は、神の力を人間に与えようとし

て人間に大いなる力を注いではおりますが、神の側だけではなく、人間が上述したこ

とをよく理解して、本当に神に服従する(神に全托、明け渡すこと)状態、ないしは

態度でいることもまた必要なのです。



世界の情勢

最近、世界は混乱に陥っております。これは、世界中の人々が人間性を失い、欲望、


名誉、利益を追い求め、自身と互いを傷つけ続けているからです。人間が自分自身を

見失ったために、この混乱は世界のあらゆる国で起こっていることです。人々は、正

しい人生はどのように送ったら良いか全く知らないのです。世界が陥っている情勢

は、いかなる権力も、政治家も、指導者も、宗教も、言い換えれば、なにものも何人

も変えられないのです。これは、人間が外的な事物で自分自身を傷つけてしまったか

らです。これを改善したり、変えたりすることは、人間が有するあらゆる物が用いら

れたとしても、極めて困難であります。そのような現在の世界情勢になってしまった

のは、人間の過剰な自信によるものです。人間は、自分自身を、この世で最高のもの

と考えておるからです。現在の世界情勢を見て判断すれば、人間が最高のものではな

い事が頷けられるでしょう。人間の目では、この世で至高であるのが何であるか見る

ことはできません。しかし、神は確かに存在します。神はあらゆるものがどのように

なろうとしているか、どのように変化しようとしているか既に知っております。神

は、人間に神の力を与えることにより、この世の姿を変える意図を持って働いており

ます。世界の情勢を変えるには、世界の姿を変えるには、権力や他の外的な事物を

もってしては不可能であるため、人間の内的自己が変えられる事が本質的に重要であ

ります。神はこの世に存在し、人間の上にあって、あらゆるものを見つめておるので

す。神は、人間が自分自身の性質からあまりに遠ざかり、過度に道を外れたときに、

何に対してであろうと、ある制裁を加えることができるのです。



なぜスブドは人々に与えられたか

スブドが人々に与えられた理由と、スブドが持つ意味について話をする。スブドは、

世界が争乱の時期にあり、人々が争乱のために実に混乱の極みにあった1923年に、既

にバパに与えられておりました。クマラは、この混乱が短期にには容易に収まらない

事を知っておりました。この混乱状態は、形は変えますが、永久に続くものでした。

今日まで続いているそのような混乱は、人々が人間として正しい生き方を見失ったと

き、世界に発生したものです。

そこで、クマラは、バパに、人間が人間本来の生命と尊厳を回復する手段を与えまし

た。スブドが日常生活で役に立つようになるには長い時間がかかるでしょう。真のス

ブドは、今行われているような霊的な修練であるだけではなく、人々の日常生活にお

いても役に立つものであります。スブドは、真の生命を生きることの意味が何である

かをよく認識する手段であります。スブドは、人々が真の生命を生きる方法を見つけ

る助けをするでしょう。

クマラ神がスブドを人間に与えた理由は、この世界が神の方法によりより良いもの

になるためです。



この教えを世に出した目的

ただ唯一の目的は、人間がこの世を生きるのに最も良い道は何であるかを示す事にあ

ります。人間がこの世を生きるのに最も重要である道は何であるかについてクマラの

考えを明らかにした。人間がこの世を生きるための教えであります。人間がこの教え

に従ってこの世を生きたなら、最も幸福な人生を生きることができるでしょう。人間

がそのような人生を過ごすことができるようにクマラはこの教えを世に出したので

す。この教えを胸に抱いてそれを実行したなら、真の人生が何であり、生きる理由が

何であるか良く体験できるでしょう。クマラはこの理由のためにこの教えを世に出し

たのです。クマラはこの世の混乱から人々を救いたいという切なる願いをもってこの

教えを人間に与えたのです。真の生命を生きることはこの教えを実行する事です。も

し人々が自分自身で自分自身の使命を知る事ができたなら、正しい人生と本当の生命

を生きることができるでしょう。