ラティハン40年の体験から見た仏教    

 

 副題・仏教の原点・釈尊 樹下の悟り

   

                                    東海支部・伊藤孝司




はじめに

幼心の疑問


神を求めて

山上の垂訓

悟りへのメカニズム

宗教の源流

釈尊の樹下で悟りしもの

≪釈尊の代表的悟り“因縁”と因縁の“真理の奥に隠されている神の意志”≫

トップページへ;スブドの解説:真の生き方

はじめに

 このエッセーは社内報に連載した原稿から転記したものです。社員教育のために執筆したエッセーですが、改めて読み直して見ますと、これをこのままスブドジャパンに発表して良いものか、どうか、と迷いました。それはスブドメンバーの一部の人達から批判を受けたり、あるいは疑惑の眼で読まれたりする可能性を感じたからです。その為に(私が不評を買うのは構いませんが)スブドの為にと思って投稿した原稿がスブドジャパンの調和を乱しては私にとって大変不本意だからです。

 それでも、なお、発表する気になったのは、熟慮の末ですが、スブド日本の揺籃期に、バパがされた「ひとのラティハンを批判してはいけない」という注意を思い出したからです。

 その当時は、なぜ、そんなことを、わざわざ言うのかと訝しく思いましたが、最近その真意が分ってきました。また、その当時のことですが、私が入会したとき「スブドは何がおこるか判らない。死ぬかも知れない。それでも良いか」と覚悟の程を聞かれました。

 その時、私はまさか霊的礼拝をするという信者を神様が殺す筈はないと考え、はたまた、スブドがこれほど凄いものとは思わなかったので「はい」と答えました。入会して40年もラティハンを続けていますと、その間には思いもよらぬ事がおこり、いろいろと体験をしました。

 そして思い出したのはバパが「ひとのラティハンを批判してはいけない」という注意でした。

 バパが注意された真意は[「スブドは(今までにない)常識を超えた修錬だから、ラティハンによってどのようなことが起こるか判らない。死ぬような苦しみに遭うかも知れない。それでも良いか、後悔しないか。」という配慮からの注意と分りました。

もう一つの注意は、(私の体験ですが)スブドは、常識では考えられない事が起こります。そのうえ、ラティハンは、人によってそれぞれのラティハンがおこります。従って、十人十色のラティハンとなります。当然の結果としてラティハンは人によってみな違います。

 従って自分のラティハンと違うから「あれは‥‥おかしい‥‥云々。」「彼は(私が体験したことのない)次元の違うラティハンをしているそうだが、そんな筈はない。彼のパッションから出たものではないだろうか」と否定したり、批判してはいけない]という注意と思います。

 さて、これよりバパのされた注意が適切であったという体験を報告します。それはクライシスについての記録です。

 私のスブド日記によれば1979年12月9日の集団ラティハンの後、服部先生が[伊藤は昨年の秋より今日にかけての状況はクライシスだ。神と人(伊藤)の問題であるから、神と共に苦境を克服する修行を今していると思え!その為には「ラティハンをして職場を見つめていれば良い」今の状況を脱皮すれば、神に頼るコツが分る。神と共に歩くことが大切!]という記録があります。それから、また、先生が言われたことは「先回(10月13日)のラティハン合宿で受けた(私のジワ?の)為に一週間くらい厭世観に悩まされ仕事はいやで食欲もなかった」といわれました。私がその原因の大であるという口ぶり。全くその通りと思う。(注:先生のラティハンはこの様に会員のジワの状態をことごとくキャッチされていました

 そして、その翌日の日記には「‥‥それにしても今がクライシスとは、クライシスがこんなに苦しいものとは想像もつかなかった」とあります。

 11年前1966年6月に先生が集団ラティハンで、「クマラが話をする。お前は‥‥」で始まるトークを先生が先生自身に受けられた“クライシスに関するトーク”をラティハンをしながら聞いていた時には、他人事と思ってノホホンとしていたのに。まさか自分がクライシスになろうとは夢にも思わなかった。ひどい厭世観はクライシスによるものか、スブドを知らなければ自殺もしかねない程だ。オープンのとき死んでも良いかと言われたのはこのことだったのかとあります。

 私のクライシスの記録は下記のとおりです。

 1980年3月29日の日記には「お前(伊藤)はひたすらラティハンに打ち込んでいれば良い。何も心配することはない」と先生を預言者としたクマラトークがありました。

 ラティハン後の座談会で先生は、私に「クライシスの峠は越した」といわれました。

そうするとクライシスの発生から峠まで既に1年半も苦しんだことになります。

クライシスの参考資料として“クマラトーク”を日記より転記します。

 1968年6月26日ラティハンにてクマラトークが服部先生にあり、その言によれば【クライシスとは[霊的成長に伴う転換期で、思春期のようなものであり、(神への道を求むるならば)誰でもが通らねばならぬ道である。この流れがお前(服部)の頭の考えをさえぎるのである。だから、お前は自分で思わぬ行動をしたり、考えたり、何故そうなるのか、判らぬので、苦しんでいるのである。これがクライシスなのである。これは神の力に接触させるためには、誰でも通らねばならぬ関門である。

「世を選ぶか?神を選ぶか?」このことを知っていればクライシスの苦しみを越しやすくなるのである。「頭の中をカラッポにせい!」]】とあります。

 また、バパの「ひとのラティハンを批判するな」の注意に関して私見をのべさせて戴きます。ラティハンはご存知のように、知情意を離れた“無心の境地”で神に全託する魂の礼拝です。そこは「神とジワの世界」で(人間の介在は許されぬ)神の聖域です。その聖域で行われるラティハンを批判してはいけないとバパは言われたのです。

 何故ならばラティハンをしている人が意志を用いればラティハンは止まり、ラティハンになりません。ですから、意志を用いていない状態のラティハンを批判してはいけないのです。そのラティハンで、無意志の人をリードしているのは神だからです。意志を捨てて(正しい)ラティハンをしている人はすべてを神に任せているのですから(誠に無責任な言い方ですが)そのラティハンの言動には責任はありません。ラティハンから出てくるものが(例え常識的に)承認できない言動であっても、ありのままに受け入れるべきです。何故かと言えばそのラティハンをリードしているのは神だからです。

 それは、ちょうど、夢に似ています。人間は自分で、自分の見る夢の内容を希望した通りに見ることは出来ません。ラティハンも、それと一緒です。自分で自分の希望するラティハンを理想どおりに実現することはできません。すべては神のご意志のままですから。以上がバパの注意の骨子です。

 バパの注意は注意として、誤解を受けないための配慮は社会的常識からみて当然と思います。趣旨が重複するかも知れませんが、私の所存をこの際、述べさせて戴きます。

 今回発表したエッセーは私が所属している東海支部で現実に起った事実にもとづいて書いたものです。事実をありのままに書いたものです。私はラティハンによるこれらの常識を超えた神の恩寵をスブドの機関誌に発表するのは神の意志に沿ったものであり、それは私にかせられた使命と思って発表したに過ぎません。  それ以外に他意はありません。このエッセーに書いてあることは、東海支部で服部先生を中心に真摯にラティハンをしていた過程で自然発生的に出てきたことです。従って何らの意図もなく、思考の介入もありません。

 先生が真摯に信頼と服従の心で全てを神に委ねたとき、すなわち、ラティハンの中で、先生の口を通じてトークの形で神の指示、啓示が出たのです。そしてそれは真実、神の言葉として信じるに値するものであることは一緒にラティハンをした私の命に替えて保証します。

 しかしながら、スブド会員といえども、先生と一緒にラティハンをして、そのトークに実際に触れなければ中々、信じられないのも事実です。

 私はそのトークに接すること(少なくとも)30年に及んでいますが、ただの一度たりとも先生の意志からでたトークと思ったことはありません。そしてそのトークはすべて神の言葉として信じるに足るものでした。

 先生の神との結びつきは深く、あるとき、先生と会話中に半年前の私の行動を指摘され注意されるに及んで、深く恥じ入り赤面したことは今でも忘れることはできません。

 また、このようなこともありました。道路拡張計画で先生の診療所が移転を要請され、先生は5階建てのビルを計画したのですが「クマラ(自称された神の名前)に任せなさい」という指示がありました。しかし中々Goのサインがありません。数年後にクマラから受けた設計図は2階建ての診療所でした。完成後訪問して見せていただいた家は、住まいと診療所が一緒の家でした。 非常に合理的でデザインも良く住みやすそうな魅力的な家に仕上がっています。トイレは配置的にみて東北の角が妥当と思いましたが、家相的には鬼門です。家相学が神意に基づく学問で(本当に)運命を支配するものであれば、神の設計した家のトイレが鬼門にある筈はないと興味津々で見に行きました。

 やはり鬼門の位置にありました。これを境に家相は運命に関係しないと悟り切って捨てました。その時先生は、診療所でここにコンセントが欲しいと思った場所には一箇所を除いて全部あったとクマラの設計の正確さに驚いてみえました。   後日「5階建てのビルにしなくて良かった。クマラの指示がなければ、今ごろはビルの為に働いているようなものになっていた。」と述懐されていました。

 先生は日常生活でも、この通り神との接触は深くいつも神の支配下にいました。社会生活でもこの有様ですから、全託でラティハン中に受ける神からの力は如何ばかりか、多分私達の想像をはるかに超えた次元であったことは想像に難くありません。

 閑話休題、しかしながら、会員の中には、ここに記した内容の一部に受け入れがたいと感じられる方もいらっしゃる可能性は充分にあります。私は実際生活においても、スブドにおいても体験なしに鵜呑みに信じるのはどうかと思っている人間の一人ですから、そのように感じられる人がいたとしても、それは至極、当然のことと思います。

 しかし、です。ラティハンで一緒に受けた当事者としての私は、この内容を否定し去ることはできません。何故ならば、これを否定することは、自分の受けた40年のラティハンを否定することになり、この40年間に一生懸命にしたラティハン主体の生活は一体、何であったかという事になります。それは私のスブド人生を否定するものであり、私の人生そのものを否定することになります。私の生命そのものまで否定することになります。

 しかし、幸いなことに私自身は、例え人が何と言おうと先生と一緒にしたラティハンは神の指導によるものであり、先生が神の預言者(注:予言者ではありません)として神からの言葉、注意、アドバイスを預かり私達に伝えられたトークは信じるに足るものと確信できます。従って前述のような私自身の人生を否定するようなことには絶対なりません。

 それはそれとして、なお、この記事について否定的な方もいらっしゃる可能性は充分にあります。それは、それで構いませんが、出来ればラティハン後の満ち足りた穏やかな気持ちで読んで戴きたいものです。そうすればジワで判断ができますからベターな読み方と思います。その上で納得できなければ、それはそれで結構かと思います。

 願わくば、スブド会員が(服部先生のように)ラティハンの中で受け、それにより神の存在をより確かなものと感じられ、神の指導を身近に感じながら実生活を送ってゆくという体験が出来れば、それこそ、スブドの目的とするものであり、それがどのようなものであっても非常に貴重なものであると信じます。

 そのような体験を少しでも多くの会員が経験し、出来るだけ多くの人が、ああ、そのようなこともスブドでは起こるのかと認識を新たにしてラティハンに一層励まれるようになれば望外の喜びを感じるものであります。

 以上のことをお含みの上で、このエッセーを読んで戴ければ幸甚と存じます。

 

≪幼心の疑問≫

 小学校で「お釈迦さまが難行苦行を捨てて、小女の捧げたスジャータを飲み菩提樹の下で悟りを開かれた」と教えられて、子供心にも不思議に思ったのは「何故苦行を捨てたのか、何故、忽然として一週間で悟れたのか、悟りとは、どのようなうものなのか、何が分かったのか、何を覚えたのか、どのようにして覚えたのか」と、まあ、ざっと、この様に思ったまま、疑問は何時までも心の底に残っていました。

 今考えると「釈尊の樹下の悟り」を知的分野の知識であると思い子供心にその違いが分らず不思議に思ったのは無理からぬ事でした。

 この疑問は未解決のまま成人となったため「仏教はお釈迦さまが自分の頭で考えて悟ったもの」と思っていました。しかし、これは唯物論的発想の結論であって大変な誤解であると現在は思っています。

 ≪神を求めて≫

 神の有無は子供の頃からの関心事でしたが確かめるすべもありません。

 たまたま27歳の頃、人が信じられなくなり、神ならば心の底から信じられるかも知れない。信じても良いかも知れぬと思い、縁あって鞍馬山の猿役別院の信者になって5〜6年たった頃の出来事です。

 朔日(ついたち)15日の祭りの行事日に寺の本堂で大勢の人の中にまじって読経していた時(私だけに)妙なる笛の音が聞こえて来るのです。このような事が度々あり、この不思議な出来事によって神の存在は、ほぼ、間違いのない事実らしいという感を深めました。

 昭和35年早春「スブドという魂の修行をする会があるから一緒に入らないか」とさそわれたとき「今、以上に神に近づける方法」と思い入会して現在に至りました。

{注:スブドとは梵語のスシラ・ブディ・ダルマの略称で「神の指示によって生きる」という意味です。スブドは宗教ではありません、従って教義もありません。スブドの本質は新しい礼拝方法である(梵語で)ラティハン(訳して霊的礼拝・霊的修練・exercise)のなかにあります。新しい礼拝方法のラティハンは(心を静め無心になって宇宙の創造者である全知全能の神に、身も心も全てを委ねる魂の礼拝行で)宗教的実践の方法です。分かり易く言えば、通常的な「心で祈る礼拝」でなく、無心の境で神に接する“魂の礼拝”です}

 豊田市にある鞍馬寺の別院への参拝をしながら、名古屋のスブド東海支部のラティハン会場に半信半疑で通うこと2〜3年目のある夜の集団ラティハンで、私の近くで「ベイシラマンダヤ、ベイシラマンダヤ」と繰り返し繰り返し唱えている人がいます。

 この言葉(呪文)は私が子供の頃より父親讓りで、信仰している毘沙門天の真言です。

 この事があって、仏教の真言は人間による造語ではなく“神呪”と知りました。  毘沙門天も想像上の神ではなく実在する神であり、スブドに入会するときにスブドの神は唯一全能の神と言われたが、毘沙門天をおがんでいたのか?と、(私は仏教徒ですから)ほっとした気になりました。そして半信半疑で通っていたスブドも安心して信じる事が出来る様になりました。

 このことがあったお陰で、今まで鞍馬寺とスブドと別々の神を信じ、二足の草鮭をはいているような、すっきりしない気分も解消して、鞍馬の神も、スブドの神も一緒であると判り安堵しました。

 その夜のラティハン(礼拝行)が終わってから、一応、「服部先生がベイシラマンダヤ、ベイシラマンダヤとラティハン中に言って見えたが何のことだか知っている人はいませんか」と尋ねましたが、服部先生を含めて、だれ一人として、その真言を知る人はいませんでした。正に、これは無心の境で、神に全託した時にのみ、受けることの出来る“神の言葉”と知りました。そして改めて「神は実在する」という感を深めました。

 {註;鞍馬山のご本尊は千寿観世音菩薩・毘沙門天王・魔王尊(サナートクマラ)を三身一体の尊天として尊崇し奉り宇宙の大霊として祀っています。(注:クマラは服部先生が礼拝中に「余はクマラである」と自称されて出現された神の個神名です。「宇宙の太霊であり、宇宙の根本生命であるところの神。霊的な光である」とも言われました。また、「スブドの根源はクマラである。スブドとクマラは同じものである」と自己紹介的に言われたこともありました。しかし、クマラの件は、いずれも先生がラティハン中に受けたトークに起因する事ですから(霊的なことでもあり)トークの真実性は確かめようもありません。私は素直に信じていますが、信じる、信じないは自由です。物事をシンプルに整理して考えることが好きな私は「キリスト教の唯一全能の神」や「回教のアッラーの神」はたまた「仏教での如来または本仏」は呼び名こそ違うが(クマラと自称された神と)同じ方と信じて疑いません}

 日本で最初に毘沙門天が出現されたとされる奈良の信貴山の真言は“ベイシラマンダヤ”で鞍馬寺の真言は“ベイシラマナヤ”です。(前出のベイシラマンダヤの真言をつぶやいた)Dr服部が後日、鞍馬山の尊天クマラに呼び出されるという因縁があるにもかかわらず信貴山の真言を唱えた、ということは誠に不思議で興味深いことです。

 この真言の一件から半年後の集団ラティハンで服部先生が、今度はクラマ、クラマと言いだし、それから一週間後にはクマラ、クマラと言いだしました。それを聞いて二度びっくり!何故かと云えば楚語のクマラが訛って鞍馬になったと鞍馬寺の縁起本に載っているのを知っていたからです。服部先生は当時、鞍馬寺に行った事もなく(当然の事ながら)この様な事は知る由もありませんでした。

 そのほかに、次から次へと人知を超えた不思議な事がおこり、遂には、誰か何と言おうと神を信じざるを得ない心境になりました。“神は厳存する"と確信するようになり子供の頃からの懸案であった「神はありや、なしや」の哲学的な謎も解けました。そして、また、この様な出来事のあったお陰で、スブドは神と確実に接触することの出来るこの世で最も卓越した修錬であるという確信も得ました。

≪山上の垂訓≫

 昭和40年(1965年)5月の事です、服部先生が自宅でラティハンをしていると突然「ひと月後に教える事があるから鞍馬山に行きなさい」という指示を受けました。 それから数日後に「この教えは6月25日の夜に教える、教えは沢山あるから記録しておきなさい、そして、その教えを、すべての人々に広めて貰いたい」と言われ「伊藤を助手として任命する」との指示があった。と私に言われました。

 服部先生は鞍馬寺の信者ではなかったのですが、私は信者でもあり、神の教えは知恵、いわゆる記憶する知識という認識しかありませんでしたから、“啓示を聞いて利用しよう”と思い唯々諾々喜び勇んで出掛けました。

 しかし、です。その記録した神の言葉は日本語でなく、何のことやらさっぱり分からず随分とがっかりしたものです。

 服部先生の後日談によりますと鞍馬山中で受けた啓示は、その後、日本語で語られ、第1節から第10節まであり、その啓示についての心得として「この教えは未だ世に出ていない。教えは文章として理解するのでなく、ひとつひとつ、体験によって、ゆっくり深く理解するものである。これは体験すべき事で、口でいっても何にもならないから、言ってはならない。クマラの教えは体験を経て初めて理解出来るものである」との注意があり「体験するまで人に話してはいけない」とクマラから注意されていた。それで今まで黙っていたが1986年7月に「鞍馬山の教えのほんの一部でよいから会員に発表して欲しい」との指示があったから、第1節だけを発表すると、言われ、

@「生きる意味」ということについて、A金銭について、B仕事について、

C愛情について、D病気について、G欲望とその結果について、F運命につて、

G神と人間の関係について、H人間の名誉について、I人間の生死について、

以上第1節の第1項目から第10項目について約一時間にわたって朗読されました。 その啓示の内容は“語り口調の分かり易い言葉”で綴られ諄々と諭すが如く語られた感銘深き名文でした。

 この啓示を聞いた時「成る程、やっぱりそうか、そうだったのか、すべて了解!」という感じて゜今まで暖昧であった人生観の核心がつかめて大変嬉しかった事を覚えています。

 昭和40年(1965年)頃の私の認識では“啓示”は(神の教えではあるが)知識として認識しているだけで「正邪を区別する正しい判断力、すなわち、般若と漢訳した“まことの智慧″悟りの智慧」いわゆる、「真理の言葉」とは認識していませんでした。

 ですから、鞍馬山で啓示を受けた時、日本語でなかった為に、何が何だか、さっぱり分からず、不審に思ったのですが、実際には、そのとき無意識のうちに私の内部の魂は啓示を受けていたのです。(注:魂の定義は、生命力・命・内的感覚・内的自己と言われ、心理学では深層の心、あるいは超越的無意識とも言い、釈尊は「不記」とされましたが、仏教の教義では阿頼耶識、種子識、として説かれています。禅では“思いの外の自己”と表現した人もいます) 

 鞍馬山で先生と一緒に受けた啓示は、(自覚の有無に関わらず)知らぬ間に私の内的自己(魂)に挿入されていたのです。その後のラティハン(霊的礼拝)で芽ばえ成長し日常生活で体験して自分のものになっていたのです。ですから、そうか、そうであったか、と(先生が発表されたとき)素直に受け入れ、かつ、理解することが出来ました。

 余談になりますが誤解を避けるために鞍馬山について話をします。それは京都駅から北方へ16キロの所にある標高520メートルの山です。先生は都会からほんの少し離れた所なのに人里はなれた深山のようで珍しい所だと言われたことがあります。

 クマラの世的教示(副題・スブドの世的指導原理)を受けてから後、先生がクマラに呼び出される度ごとに何時もお供をして鞍馬山に行きました。鞍馬寺に参拝する為ではなく、さしずめ森林浴ならぬ“霊浴”という所で山道をゆっくり登って行くのが常でした。参拝者もいますので精々10分位しかラティハンは出来ませんが霊気が山中に充満していますから、それで充分でした。夜中に二人でラティハンをする機会に恵まれたとき「全山これ尊天」というトークを受けました。私に言わせれば鞍馬山は聖地で神の浄化が受けやすい所です。念のために申し添えますがミックスには全然縁はありません。

 ≪悟りへのメカニズム≫

 クマラの「世的指導原理」の啓示とその体験から、釈尊が菩提樹の下の悟られた状況を推察しますと、お釈迦様は6年にわたる難行苦行と禁欲生活の疲れと、苦行をやめた解放感で、それまで束縛されていた緊張感から解放され、心は静まり、思考や欲望も霧散してゆき、心底に隠蔽されていた魂が、あらわになって現れきて(宇宙の創造者たる)神との接触が行われたのです。その接触により神からの力を受け、魂は浄化され、魂の浄化が深まるにつれて、次元を超えた静寂の境地に至り、神の言葉(啓示)を受けて、究極の真理を悟られたのです。

 爾後、釈尊は常時、神と接触し、神の教えを受ける事が可能となったのです。その教えを人々に説き、自らもその指示に従って行動し、教えを身につけ、神の意志を代行できる究極の覚者(仏陀)になられたとラティハンの体験から推察します。

 東京大学名誉教授・玉城康四郎氏がNHK教育テレビで原始仏教の講義をされました。「楚語のダンマはダルマとも発音し同義語である。ダンマは形のない命、あるいは如来とも云う」とダンマ・ダルマの解説をされました。また、仏陀の目覚めの原形について触れ「釈尊は菩提樹の下で、あらわになったダンマに目覚め、そのダンマを尊敬し尊重し、これを根拠として生きてゆくと決心された」とあります。  また、その時の状況に触れ「業熟体(注:先生独特の言い回して魂のこと)にダンマ(如来)があらわに現れきて、ダンマが業熟体に浸透し続けて行く、業熟体が深まりダンマにめざめた」と説明されています。

 以上の件を要約しますと「釈尊は菩提樹の下で神からの力を受けて、浄化された魂は、神(如来)の教えを受け、その教えに従って行動して教えを身につけて全てを悟られた。その悟りに基づいて如来の教えを説かれたのが仏教の始まりであって、仏教は(お釈迦様が)人間として自分の考えを論理的に纏めた哲学的な教えではないのです。

 仏教としての教えの原点は、釈尊自身の知恵による思索ではなく、すなわち“人間力の思考”ではないのです。“神に教えられた真理”を教義の原点としていることに刮目してください。この識別は宗教に対する認識を大きく左右する重要なキーポイントであるからです。

 ≪宗教の源流≫

 世界の著名な宗教の開祖はすべて(宇宙の創造者たる全知全能の唯一最高の)神の啓示を受けた方です。その啓示を実践し、その実践により悟りを開いた人です。

 神の啓示と実践により悟った真理を人々に伝え、それを文章にまとめたのが経典です。

 キリストが受けて伝道したのがキリスト教であり、マホメツトが受けたのが回教で、釈尊が受けた啓示が仏教として伝わったのです。

 キリストは愛。回教は(神への)服従。仏教は中道、中庸を基調として説かれています。それぞれの時代に即して「神が必要とされた教え」を基本としています。

基本テーマのとり方、国情、土地柄で“教義の重点の採り方”に若干の差はありますが教義の根源に流れる真理は一つです。何故ならば教義の源流は同じ神から発したものだからです。

 歴史に見る宗教戦争なんて愚の骨頂!親(神)の心、子知らずの最たるものです。

 「真理は一つ、切り口の違いで争わぬ」が神の真意でしょう。

 従って、これらの宗教で礼拝している神は(宗教によって)唯一全能の神、アッラー、如来と別々の名で呼称されていますが同じ方で「唯一最高の神」ということです。

 宗教は各自の自由に任せ、それぞれの人に合った好きな宗教を選べばよいのてす。

 ≪釈尊の樹下で悟りしもの≫

 @“神の実在を確認”釈尊が最初に体験したのは、神の力と接触し、その法悦を味わうと共に、神の存在を厳粛なる事実と実感したこと。“神の存在を確信”これは釈尊の悟りの根底をなす重要な悟りです。

 A“神と接触する法”難行苦行や禁欲でなく、心を静め無心になり、身も心も全てを神にゆだねる。いわゆる、神への全託が神と接触する方法であると悟ったことです。(注:仏教の宗教的実践の方法としての座禅、念仏行は、全託に通じるものがあります)

 B“神への信頼と服従の信念”これなくば、神との結びつきによる悟りへの道は困難です。「生きるとは神の指示に従って行動をする事である」という啓示の実践も困難です。前述の釈尊が樹下で「あらわになったダンマに目覚め、そのダンマを尊敬し尊重し、これを根拠としてゆくと決心をされた」というのは、この信念を意味します。

 C“宇宙の神秘的秩序、すなわち、真理を悟り、かつ、その秩序は神の意志によって定められたものと悟る。宇宙の秩序の中には「人間の生き方としての秩序、すなわち、如何に生くべきか、という生き方の法則」も含まれており、この秩序を形成している原理、原則、いわゆる、「真理についての教え」を受ける。この“啓示”の会得により釈尊が出家の動機となった「生老病死」の疑問は解消され、覚醒して仏陀となられた。

 伝説によれば、7日間、樹下を動かず法悦に浸っておられたが、7日目の浅夜「縁起の法」を悟り、つづくその夜の早暁、涅槃の境に至り覚醒された。時に太子35歳、12月8日、夜明けの空には明星が美しく、きらめいていた。と語りつがれています。

 これより釈尊は指示に従って行動し、その体験を経て深く理解した悟りを説く。これが仏教の始まりです。

≪釈尊の代表的悟り“因縁”と因縁の“真理の奥に隠されている神の意志”≫

 樹下での神との接触により「神は宇宙の創造者であり全知全能にして全ての支配者である」従って「この世の事象はすべて“神の定めた秩序”の結果」と断じて、因縁は秩序のルールによって生じる。従って“因縁の起源は神”と悟り「万物は因縁より生ずる」という、この永遠にして「平凡の真理」を見つけられ「因縁の原理」「縁起の真理」を説かれた。(注:仏教の根本思想は因録の二字につきます)

 万物は移り変わるという「万物流転」の原理も「因縁」という母胎から生まれくる真理です。因縁の“因"とは原因のこと、“縁"とは因を扶けて、結果を生ぜしめる間接の力です。

 この因縁の理は聖書の一節にも「−粒の麦、地に落ちて、死なずば、ただ一つにて終わらん。死なば多くの実を生ずべし」と説かれています。

 しかし、です。「祇園精舍の声、諸行無常の響きあり」「生者必滅、会者定離」「盛者必衰は世のならい」「生老病死」と無常、すなわち、変化は万物流転の結果と分かりつつも、何故か、うら悲しく、やる瀬ない感じがします。

 「会うは別れの始まり」「生があれば死がある」と分かっていても自分の事になると「何故、この俺が」と納得できません。どうしても「そうじゃけれども、そうだけれども」という感じが湧いてきて中々諦めきれません。

 「色即是空、空即是色。花も散らねば実もならぬ」ことくらいは先刻承知、とは言うものの「理屈は分かるが何故この俺が」と愚痴がでます。

 「因縁」を知り、「あるがままの姿を見て、あるがままに生きよ」と諭されても、すっきりしません。

 この疑問に散々悩んだ末に、ふと気がついたのは「この世の秩序(ルール)を創ったのは神」「神は全知全能にしてこの世の支配者」「この世の事象は全て神の定めた真理、原則の現れた結果」ということでした。

 この三つの言葉を考えれば“因縁の起源は神より発す"言い替えれば「因縁の震源地は神」という事になります。

 しからば何故、私達を慈しむという神が、死別とか、滅失とか、老化等の私達の忌み嫌う変化を与え給うのかという疑問が生じます。このように些か矛盾を感じて、思い出したのは皮肉にも、キリストの「神は愛なり」という言葉でした。

 この回答は1988年に服部先生が話され(私が初めて耳にした)「仏典・阿頼耶識」の経典の中にありました。

 その時に先生が話されたアラヤ識の話を要約すると「アラヤ識に良い考えをいれると(現実的に)良いことが起こり、悪い考えを入れると、魂が汚れ現実的にも悪いことがおこり、悪い結果を招く。ラティハンはこのアラヤ識を浄化する為にしているのだ。東海支部の現状を見るとアラヤ識を浄化しては汚し、汚してはラティハンをしているのが実情で進歩がない。折角ラティハンをしているのだから、アラヤ識を汚さないようにしなさい。その為には悪い考えを捨てて、良い考えをアラヤ識に入れるように心がけなさい。」と言われました。

 そこで私は「良い考えとは、どのような考えですか」と尋ねましたら「良い考えは積極的、肯定的、楽観的、楽しい気持ちなどの明るい考え」その反対に「悪い考えとは、消極的、否定的、退廃的、悲しい気持ち等の暗い考え」と言われました。

 この件については、もう少し私見を追加します。私の理解した範囲では、アラヤ識は人間の“魂”の一部分を占め、かつ、魂につながる“超越的無意識”の部分と認識しています。簡単に言えば「アラヤ識は潜在意識の奥の院」です。

 日常生活に於いて“悪い考え”を持って暮らしていると“ジワ(魂)”が汚れ、その結果、悪い結果が生じるから、努めて楽しく、明るく生きなさい。ということです。

 この教えで「神の思考」は楽天的志向、積極的志向と分りました。従って「神は宇宙の法則(原理、原則)を発展的志向で制定された」とみつけたり、です。

 「万物流転」の原理もこの積極的志向、発展的志向に裏付けされて制定されたのです。

 生老病死の四苦の変化も、生物の進化の為に必要な条件です。

 その変化(生老病死)は進化の為に定められた神の摂理です。変化無くして進歩なしです。

 万物流転の法則の“変化"がなければ、地球上の生物はアメーバのままかも知れません。従って、われわれホモサビエンスもあり得ません。神はあらゆるものが良くなることを望み、それを意図し、志向しています。変化はその為に必要なプロセスです。自分に都合の悪い変化だけを取り上げて恨みがましく愚痴るのは総論賛成、各論反対で人間の勝手な我がままです。神様には地球を良くしたいという意志があります。良くなることを望んでおられます。

 変化は、より良くするための“神の意志"と受け取れば素直に従えます。

 しかし乍ら、日本の社会に巣食う悪しき「否定的習慣」が曲者です。消極的、悲観的な思考になり易いからです。ですから、今後は身の回りに如何なる変化が生じようとも、それが例え意に反して、気に入らなくても、将来的には良くなる為の変化と観じ、明るく希望をもって対処すべきです。

 “変化は消滅"というマイナス思考は(神のご本意ではないと)切って捨て「冬来りなば春遠からじ」「舎利子みよ、空即是色の花ざかり」と希望を持って明るく考えることが肝要です。このように悟れば、般若心経の一節「一切の顛倒夢想を遠離して、究竟涅槃す」を実践した事になり、いわゆる「神との絆による徹底した楽天主義」である“究極の悟り"を会得したことになります。

 結びの言薬としてお駅迦さまの最後の言葉を使わさせて戴きます。

 釈尊は樹林の中で身を横たえ、弟子や信者たちに見守られて安らかに息を引きとる。

 「すベての事象は過ぎ去る。怠らず努めるが良い」それが最後の言葉であった。この世の無常相を見た仏陀は、それゆえに一回限りの人生を全力を尽くして努力しなさいと諭されたのであった。                        合掌

                  記・平成7年(1995)9月3日・東海支部・伊藤孝司                                itotaka4@orange.ocn.ne.jpQCサークルをメインテーマとしている社内

 

 

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