愛知県には木曽川や豊川、矢作川などの大きな川があるものの、知多半島には大きな川がありません。そのため水源に乏しく、溜池などで雨水を溜めて降った雨で灌漑してきたものの、恒久的な水不足になっています。水不足は深刻で「知多の豊年米食わず」という知多半島が豊年の年は他の地方は水害で米が出来ないということわざもありました。

 1947年(昭和22年)には大干ばつに襲われ、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害がでました。これを機に用水運動が起こりました。知多の農家の久野庄太郎さんは、木曽川から水を引くことを思い立ちます。それを新聞で知った当時の農業学校教師だった濱島辰雄さんは久野さんの元に駆けつけ、二人はルート作成のため半島全土を歩き、緻密な測量を行い、3ヵ月後、愛知用水の計画図が完成したのです。
 1948年(昭和23年)知多半島1市25町村の代表が集まり、「愛知用水期成会」が結成されました。濱島さんは高校教師を辞め、末端水路の整備に、久野さんは田畑を全て売り払い活動費にあてました。最初の課題は莫大な建設費です。二人は当時の首相、吉田茂に陳情。国の協力を取り付けました。
 1950(昭和25)年、世界銀行に融資を申し込み成功。世界銀行から借り入れの条件として「5ヵ年で事業を完成させること」「海外専門家の技術援助を求めること」等が付されました。
 1955年(昭和30年)に愛知用水公団が設立され事業が始まりました。
 1957年(昭和32年)から、水をためる牧尾ダムと、木曽川から水を取り入れる兼山取水口と、水を流す水路の工事が始められました。EFA(アメリカ・エリック・フロア社)から派遣された技術者と日本の技術者はは優れた、土木技術と、最も新しい土木機械を使い、わずか4年で工事が完成しました。
 1961年(昭和36年)9月30日は、木曽川の水が110kmに及ぶ愛知用水を流れ、知多半島へ届くという歴史的な日となりました。

 愛知用水の完成は農業用水としてだけではなく、名古屋南部地区工業地区の発展や西知多臨海工業地区の完成等、知多半島の発展に大きな貢献をしています。
 当時は農業用水が中心だったのですが、今では都市用水が4分の3を占め、逆転しています。昭和38年と平成12年を比較すると、農産品の粗生産額は約3倍、水道の給水人口は約6倍、工業出荷額は3,000億円が4兆2,000億(約14倍)へと、飛躍的な数字になっています。
※この事業はNHKプロジェクトXにて2002年5月28日に放送されました。


【愛知用水路】



愛知用水の働き水路の役割二期事業(水路改築・牧尾ダム堆砂対策)


知多郡美浜町付近の画像です。クリックで拡大。


兼山取水口 東郷調整池 佐布里池 前山池 美浜調整池
愛知用水の歩み
1948年(昭和23年) 6月 運動が始まる
1949年(昭和24年) 7月 農林省が調査開始
1952年(昭和27年) 5月 愛知用水土地改良区設立等推進母体の発足
1955年(昭和30年) 10月 愛知用水公団設立
1957年(昭和32年) 8月 世界銀行借款契約、政府保証契約に調印
     同年     11月 工事着工
1961年(昭和36年) 9月 工事完了(通水開始・管理開始)
愛知用水通水記念切手発売
1962年(昭和37年) 5月 水資源開発公団設立
1968年(昭和43年) 10月 愛知用水公団を水資源開発公団に統合
1982年(昭和57年) 3月 愛知用水二期事業開始
1996年(平成8年)  3月 牧尾ダム堆砂対策事業開始
2003年(平成15年) 10月 水資源開発公団から独立行政法人水資源機構へ移行



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※背景の画像は愛知用水とは関係がありません。