現在までの進路(6)
 病院はさまざまな研究会や学会発表を積極的に行っており、勤務して間もない頃に院内の緩和医療研究会に誘われた。実際かなり興味を持っていた分野であった。
 死に行く人々がどんな心理状況であるかということや、残された少ない日々をどのように充実して過ごさせてあげることができるかを考えることにやりがいを感じた。またそれを一緒に考えてくれる薬剤師や看護婦がいてくれたことも大きかった。
 実際患者さんを持ちいろいろ考えているうちにますます興味を感じた。一つの専門と考えていた消化器内視鏡よりも緩和医療に惹かれていった。
2003年08月19日 02時14分26秒

現在までの進路(5)
 大学病院からかなり遠い、一応関連病院で同じ医局出身の先輩がいない民間病院へ勤務することとなった。まわりは初対面の医師ばかり。
 最初にいやな思いをしたのが、10年ほど年上のバイトのDrで今までかなり実践で内視鏡手技を身につけてきた方の存在だった。そのDrと一緒に内視鏡での止血や静脈瘤治療をすることがあったのだが、私の治療手技をかなり批判し、大学病院でよいと思ってしていたことにもけちをつけられた。かなりのストレスであったが、そのDrは批判する反面人に教えることが非常に好きなDrであった。
 大学病院時代に十分に身につけることのできなかったERCPの手技ではかなり懇切丁寧に教えていただいた。年下であり素直にDrの発言を聞いているといろんなアドバイスをしてもらえた。
2003年03月29日 00時55分57秒

現在までの進路(4)
大学病院の研究医となった。この頃は内視鏡手技を充実させるという目的があったから割り切れたが、なかなか大変だった。
病棟の患者さんを約3名ほど受け持ち、大学病院の収入だけではやっていけないので、内視鏡や、外来等のバイトを掛け持ちしていた。
いろんな処置が長引くときにはバイトを気にして、また受け持ち患者さんが急変したりすると急いでバイトの代わりを探してと、、、
いろんなところを掛け持つということは非常にストレスであった。
また研究面ではいろいろやっていくうちに面白いことに気づき、胃潰瘍と十二指腸潰瘍とでピロリ菌の影響が違っていることについて自分でまとめて学会発表もした。
しかし約3年間このような生活を送ったが、特定の患者さんを深く見てあげることができないバイト生活に嫌気がさしてきた。
2002年04月02日 03時47分08秒

現在までの進路(3)
2年の研修が終了し、主にやりたいと思っていたことが、内視鏡であった。
大学院へ勧められ留学の可能性もあるエリートコースもあった。
しかしここでもやはり将来を考えもう少し内視鏡手技を充実させたいという思いと、内視鏡のゲーム感覚(こんな事言っては失礼だが)なところが好きということから決断した。
内視鏡をしたいがそれだけでは研究テーマがない。その当時医局内の主流研究テーマの胃潰瘍に関してで、ピロリ菌の臨床データを扱っていく事とした。
ピロリ菌のデータをまとめながら上部内視鏡だけでなく、下部内視鏡、ERCPも身に付けていこうと大学の研究医となった。
2002年03月17日 04時29分49秒

現在までの進路(2)
入局してすぐは大学病院で研修。1年目は僻地への思いなど忘れるくらい目の前のことで手一杯だった。
2年目は民間病院での研修。いろんな内科疾患を経験するが、その頃から将来を考え、できるだけいろんな疾患を経験できるよう意識した。
自分の経験した疾患を思い出せるよう、この頃から自分の受け持った患者さんの名前、疾患、年齢をすべてひかえている。
しかしこの頃の進路は医局任せ、また2年の研修を終えたところでどういう研究をしていくか、大学院を選ぶか選択させられる。
2002年03月13日 00時34分01秒

現在までの進路(1)
何回かNHKでドキュメントが放送されていたが、北海道の襟裳岬診療所の鈴木陽子先生を大学の学生時代に訪問した。
その先生のアドバイスが卒後すぐの医局を決める決め手となった。
早くから僻地医療を考えるな、行こうと思えばいつでも行ける。医局への入局は将来も考えてなら、消化器内科が良いと。
消化器内科での検査手技(内視鏡、腹部エコー)は個人レベルで出来、僻地でも役に立つ。
2002年03月11日 03時01分30秒

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