いやしーずでの記録です。
メンバーの一人がメモを打ち込んでくれました。
感謝、感謝。

2000.7.18

  • 人の目が気になり、その度が過ぎる(長い間にわたる)と、 精神は混乱状態に陥る。「自分はこれをしたい」というものがなくなり、 人生に楽しいこともなくなる。「いい子病」。放蕩息子の兄。

  • 「神に帰る」とは?  自分はもう「本当に」ダメで、 自分の力ではこれ以上立ち行かないと悟り、 神に助けを求めること。放蕩息子(弟)。 この場合の「ダメだ」は、他人との比較により生じる劣等感のもたらす「ダメだ」とは違う。

  • ルカ15章 放蕩息子のたとえ  兄は「いい子」であった。 しかし、親にとって本当に「いい子」とは何か? この兄は、父親のために働きこそしたが、 父の心を理解したり、共有したりすることはなかった。 しかしそれこそ、父が子に求めることである。 同様に、神の心を受け止めなさい。

  • 2000.8.8

  • J2キャンプのメッセージ内容  アダムとエバは、互いの体の違いに気づき、覆いをして自分の体を隠した。
    1. 違いに気づいたまではよかったのだが、それを比べてしまったのが間違いだった。互いに互いよりも劣っていると感じてしまったのだ。
    2. 神さまの目から逃れようとした。
    3. 責任転嫁。
  • やはり、「人のためにやっていく」ことに癒しがあるということ。

  • 2000.8.29

    ■ ともに生きている
    • 自分が受け入れられている、この稀有な環境(ラブリ)に置かれていることに感謝はないか?
    • 私のことを、理解できなくても理解しようとしてくれる人たちに感謝はないか?
    • 「中山君は、中山君だけで生きているのではなくて、『中山君たち』で生きている。」――人の中にも自分が生きている。
    • 池上君が大曲の花火を見に行こうとする――しかしそれは池上君個人のことではなく、何人もの人が心を動かすことである。人への影響がある。
    • 「私」ではなく「私たち」で生きている。
    • 「なぜ生きなければならないの。」生きているのではなく、生かされている。  生きている(存在する)だけで神の栄光があらわされている。
    • 人の嫌なところばかり見ていたら面白くない。人のよいところは? 自分のよいところは? 必ずある。
    • 挨拶をすることはとても重要。

    2000.9.12

    • 楽しいことを見つけようとする。
    • 感動/感激しようとする。それを表現する。・ 鬱を治す。
    • 感情は受動的なものなので、意志をもってする。例えば、「今日はスか新しいものを発見しよう」と街に行く。意識する。
    • 意志を持つ時、気持ちがついてくる。感情に負けると、ますます感情が悪くなる。
    • 「迷惑をかけないように」ではなく、「助けよう」とする。マイナスを消そうとするのではなく、プラスをしようとすればよい。
    • 下手でもやり続ければ上手くなる。
    • 自分の子を鬱病/摂食障害/対人恐怖にしてまで用いようとする神さまはすごい! 計画があってのこと。
    • 「自分はダメな人間なのではないか」という恐れと闘う。(藤本先生が競馬へ行く理由)
    • オリンピックで、2位の選手が1位の選手を祝福していた。2位の選手は、自分も一生懸命やったので、相手の気持ちがわかるのだ。
    • 今のプロセスを楽しむ。
    • よろこぶ。『対人恐怖の悦び』。
    • 意味のないことは一つもない。全て神さまが備えて下さったもの。  今意味のわからないことがあるとしたら、わからないことに意味がある。
    • あまりマジメに考え過ぎている。もっと自分を可愛がる。
    • 弟子訓練は、人の悪いところを変えていくものではなく、その人と一緒に喜び、悲しむことだと気づいた。(藤本先生)
    • 「いい子」「いいクリスチャン」になろうとする傾向。自分の判断で「こうあるべきだ」という基準を設け、自分を律しようとしている。
    • 「やっちゃいけないことがあるときは神さまが止める」という信頼を。

    2002.9.36 (むっちゃん福島へ)

    • 人の話の中に、神のみこころを探る。結論はすぐには得られない。=学ぶということ。
    • 人がどう思っているのか気になるのなら、直接その人にきいてみればよい!
    • 結論の出ないことを考えて、神経は疲労困憊している。何か集中できることを見つけて、神経を休ませよう。
    • 聖書  やはり聖書を個人的に読むのがよい。目が開かれる。教えられる。

    2000.10.3

    • 自分を受け入れる(認める)とは?  実際の自分(対人恐怖など)と、自分自身への見方を一致させること。
    • 癒しとは?  問題がすっかりなくなることではなく、問題のあるままで他人(外界)と普通のコミュニケーションがとれるようになること。
    • 自分の狭い世界に埋没してしまわない。そのためには、ちょっとした経験(ゲーセンに行くなど)も学ぶ機会となる。
    • 心と体を分けて考えない。心の病は体に及ぶ。体の病は心に及ぶ。
    • イエスさまは癒しを求める人々(長血の女、悪霊に憑かれた人、ザアカイ、私)をどう見ておられるか? それを知るために、ディボーション、聖書通読。

    2000.10.10

      ■ からだ
    • 心と体は別ではない。互いに影響しあう。
    • 体の状態や形成に影響を及ぼすものは?  心、人間関係、環境……、そして「経験」。
       1回吐くという経験をしたために、以後それを繰り返してしまう。(摂食障害)
    • 体に何を経験させるかが肝心。

      ■ 神の計画

    • なぜ神さまに信頼できないか?
    • 今の苦しみ(心の病)は、神さまが導き、与えたものか?  そうではない。
    • 聖定(神の計画)  神は、始めからアダムとエバが罪を犯すと知りながら人間を創造したのではない。人が罪を犯さない場合と、罪を犯した場合のそれぞれにおける計画があった。(人が罪を犯す「可能性」はあったために、両方のケースを考えておられた。)しかし、神が人間を反逆の罪に導いたのではない。

      ■ 霊的交わりの重要性

    • 「祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。」(ルカ 9:29)  この姿を見せることこそ、伝道。霊的な見方を養うために、よく神さまと交わる。

      ■ 悪しき霊

    • 悪霊の働きを軽視してはならない。この世はサタンの支配下にある。
    • 自責は、サタンの誘惑によるものである。  サタンは、正しそうに見えることを通して誘惑する。自責は一見真面目そうに見えるが、キリストの十字架を無くす行為である。
    • 主の祈り「悪(別訳:悪い者)より救い出したまえ。」  「悪霊から守って下さい」といつも祈る。

      ■ 私たちの完全な堕落

    • 何をしたから、どんな罪を犯したから罪人だというのではない。私たちは完全に堕落している(ローマ7章)。やってしまった「事」ではなく、やってしまうという「性質」。「〜してはいけない」「〜は罪だ」ではなく、もうすでに完全に堕落している私たち。
    • 十字架は、次の両面を思い起こさせる。
      • 神の御子が十字架にかからねばならないほど、私は罪深いということ。
      • その罪から解放されたということ。  だから、罪を犯してしまった時は、聖霊により、そのような自分が赦されていることを感謝する。自責はサタンの誘いによるのである。

    2000.10.17

    • 聖書の中の「〜でなければならない」は、「必ずそうなる」という必然を表していると受け取る。
    • 神さまがどうして下さると信じればよいか? どう祈り求めたらよいのか?

        人間は完全に堕落しているので、何を求めるかについて間違って当然。間違ってもよい。

    2000.10.??

    • 愛されることではなく、愛することが祝福。なぜなら、愛が返ってくるから。愛することにしか癒しはない。
    • 「神を愛しなさい」――神を愛するように人を仕向けることが神の愛。

    2000.11.7

    • ラクに生きる。
    • 「地上は所詮じんましん」
      → ラクになる。しかし、バカにするのではなく、そのように「認識」する。
    • みな歪んでいるので、精神病はフツー。
    • 結果を気にしない。委ねる。
    • 今の回復などは、天国における完全な回復の型。
    • ヤコブ「祈りとオリーブ油(=薬)によって病が癒される。」大きな範囲で見れば、医者や薬も神さまによるもの。
    • ボーッとしている時が、一番頭で考えて、神経を使っている。
      → 真剣に物事を考えることの必要性。何を考えるか? みことばの黙想=ディボーション。
    • 「これだけは」という、支えになるみことばを握らせて頂く。

    2000.12.7

    • コイノニア……交わり、施し、醵金(お金を出し合うこと)、あずかる(例:伝道の働きにあずかる)、共有する
    • 共有できないいやしーず。
    • 「信者となった者はみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。」(使徒 2:44)
    • 自分の感情を信頼してしまっている。神さまが「ともにいる」と言ったらともにいる。
    • まだ自分に敗北していない。
    • 「聖霊の感情」は当てにすること。
    • 今までの経験にからんだ感情に戻っていってしまう。
    • 聖書を読み、自分の間違っているところを排除していく。
    • 東方の博士たち「この上もなく喜んだ」→「じゃあ自分もこの上なく喜ぶようになるんだ」。聖書に書いてあることは全部自分に実現すると信じている。(藤本先生)
    • 「不安があって当たり前。」問題と共存できない? 精神病と一緒に生きていく。
    • 「すべてのことについて感謝しなさい。」不安や酷なことが襲ってきても、実際に声を出して感謝の告白をすることに力がある → 目が開かれる。
    • ダベりながら自分たちのことがわかってくるいやしーず。
       神さまとそのようにすればよい。聖書を読みながら神さまと会話。
    • 落ち込んだときに浮上する唯一の道は悔い改め。

    2000.12.21

    • 自分にしっくりくる事、自分の見る現実にマッチする事を真理だと思わせるのがサタンの方法。聖書の言う事に自分の感覚を合わせる。
    • 聖とは、いのち。いのちのあること。
    • みことばから教えられるというプロセス一つ一つが「いのち」。
       「できる/できない」で判断するなら、
       - 入院している人は?
       - 障害者は?
       どうなるのか。
    • せんべいとスプーンの原理  せんべい(自分のできないところ、罪)ばかり見ていると、その考えに支配される。スプーン(聖書)をいつも見る(考える)ようにすれば、そちらの考えに支配されるようになる。
    • 「問題とともに生きる」「問題があって当たり前」「問題を客観視して共存する」ことに気づいてから、病気そのものについていやしーずで話すことが少なくなってきた。
    • 「私は私だ」  でも人に合わせて、その人に必要な自分を演出している。だから疲れるし、「本当の」自分は必要とされてないのだと感じて孤独になる。
    • しかし、人が(少なくとも藤本先生が)本当に必要としている姿は、その人のナマ。その人の本当の姿を見れば、人は嬉しい。
    • 本当の自分を出すことは、人を愛すること。(偽りの自分でつきあうと、相手は拒絶されていると感じる。)
    • 神さまの前で正直になって(神さまの前では隠すことに意味がないのだから)模擬練習していく。

    2000.12.27

    • 「受け入れる」とは何か?
       - 私が存在していることがまず神の受け入れ。
       - 道行く人が私を敵視しない → 受け入れられている。
       - 私は受け入れられるべきではない者。
    • 「わたしの目にはあなたは高価で尊い」
       - 認められるために何かをする必要がない。← それを求めるのが、堕落した世(みなビョーキ)
       - 賜物がないようでも、人格、能力に欠けていてもOK
       - 自分でできるようにすると、できない。自分はできないけれど愛されていることがわかると、できるようになってしまう。
       - アイデンティティの確立――カウンセリングの目的。
    • 受け入れてくれない人たちだけを見て、受け入れてくれている人を見ていない。  善悪を知る木のみを見たアダムとエバ。
    • みな病気なのだから、共に歩もう。
    • (藤本先生)愛した兄弟姉妹に去られると、頭が真っ白に。「私のいのちを取って下さい。」  でも何で取らないの? 神が生かしているから。  牧師として神が藤本先生を置いていること、牧師としての力が足りなくても神に受け入れられていることを確認。
    • やっぱり、神が何と言っておられるかを聞く。
    • 病気、欠点、……ぬきで、存在をあるがままで認め合う関係の中で初めて、その人の長所、良さ、賜物……が引き出される。
    • その人の長所とともに生きるのではなく、その人の短所、欠点とともに生きる。
    • 「短所を直す」のでもない、「短所と一緒に生きよう」と考えるようになった。
    • やっぱり、みことばと祈り。教えられる/教えられないにかかわらず、みことばが生きて(勝手に)働く。
    • 病気や弱さのゆえに、人に迷惑をかける。
       - 「ごめんね」の一言。
       - 「いつも世話になってありがとう」とケーキでも。
       - 手伝えることをやる。デシーのえさやり、教会の戸締まり、……何でもいい。

    2001.1.11

    • 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(Iコリント 10:31)
    • 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ 43:7)
    • 神の栄光は、
       - 一人一人の「違い」にあらわれている。
       - その人らしく(性格など)生きることであらわれる。
       - ことばや生活を通してあらわれる。
    • 「自分のいのちを捨てる者はそれを得る。」
       -自分のために生き、自分の快楽を求めていくのは的外れ
    • 病気ったかりは病気ったかりらしく。
    • 単純にみことばを受け取る。
       -「私の助けは天から来る」→「ああそうなんだ」
       -「信仰による祈りは病を癒す」→「ああ、癒すんだな」
    • 「人に迷惑をかける」「こんな自分だから人は受け入れてくれない」と悩む人は、開き直ったり、何も考えないで過ごす人よりもよっぽどマトモではないか。
    • 自分が受け入れられていないのを気にするということは、自分もその人のそのような(人を受け入れることができないという)弱さを受け入れていないということになる。

    2001.1.18

    • 相手がクリスチャンだからと言って、「迷惑をかけるけど受け入れて」と甘え、挑戦していると、病気を悪化させる。
    • (先生は)真剣に癒そうとしている。それも無料で。(通常、カウンセリング料は5,000 - 10,000円。)「それに応えて、真剣にぶつかってもらいたい。」
    • 人間としての成長
       = 人の弱さを受け止められるようになること
       = 人の弱さをマトモに受けるのではなく、それを認められるようになること
    • 考えるとは、実は思考停止しているということ。考えずに感覚で判断できるようになる。  「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル 5:14)
    • 詩篇32篇  「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。」(3節)  神経どころか骨々まで疲れきったダビデ。  「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」(5節)  自分の罪を告白していく。「これも悪いです。これも悪いです」と。→ 回復
    • 2つの完璧主義
       - 完璧主義ゆえに色々やる
       - 完璧主義ゆえに何もやらない
    • 「起こってくる様々なことに対処する知識がない。」色々な経験がないのだから、それは当然のこと。
    • 青梅の弥生姉  妊婦なのに様々な教会の奉仕を任され、疲れ果てている。「でも私にはみことばがある。みことばだけが支えだった。」
    • 自己に対する正当な評価
       「できないできない」ばかり言っているが、その中にもできていることがある。
       - 辛くてもともかく仕事に行く
       - ゴミ捨て
       それはきちんと認めなければならない。
    • 私たちは、変わる必要がある。(神は罪を憎む。)
       相手の変化を期待する = 愛
       私たちを変えるために神は私たちに付き合っている。神がありのままの自分を受け入れているとは、今の自分のまま変わらなくていいということではない。
    • 人の救い、そして人の変化のために私たちは救われた。
    • 人の苦しみを簡単に消し、簡単に人を変えることのできる神さまが、それでもなお人を苦しみの中に留まらせるというのは、その人よりも神さまの方が苦しいのではないか。(放っておこうと思えば放っておけるのに。)
    • 藤本先生が一生懸命人に関わっている時、りさ先生は寂しい思いをしている。

    2001.2.1

    • 個の確立
       - 受動的な人間関係。人の反応を気にして、それに動かされ、流されている。
       - 「人に嫌われてもいい。私は自分を貫く。」(藤本先生)
       - 親に大きく影響されている。親を個とし、与える対象として見なしていない。
    • 人格的交わり
       - 相手を人格として認めて付き合っているか。
       - 話の途中で自分の世界(考え)入っていないか。

    2001.2.6

    • わかる(相手の言うことが理解できる)とは?
       ここにボールペンが1本あるとしたら、先生は単にそのペンを同じく見てほしいだけ。でも相手はそれがわからず、自分がいけないんだという思いこみしか見ていない。
    • 「所有しているものを失う」…悲しまされている

    2001.2.13

      □病気と福音――取税人マタイ(レビ)の病から(ルカ 5:27)
    • マタイの病気とは何か
       - 一言で言えば、人生に虚しさを感じていること。
       - 抜け出したいのに抜け出せない(税の取り立てで私腹を肥やすのをやめられない)。
    • 今抜け出せないことは?
       - 過食? それは単に派生、結果の表れでしかない(本質的なものではない)。
       - 自分の意思も働いているのにやめられない。(例えば、生活するためにしょうがないとか、今の富裕な生活に慣れきってしまったという理由を見出す。)その罪責感にさいなまれ、いつもそのことを考えて疲れ切っている状態。
    • みんな病人  - なぜいやしーずはマタイよりも律法学者に近いのか
        「自分が間違っている」と感じている点ではマタイもパリサイ人も同じ。服役中の囚人も、大学教授も、牧師も同じ。みな本当は同じなのに、「授業に出られる人はいい」「吐かないで働いている人は羨ましい」とその人たちを「健康な人」と捉えてしまっている。錯覚している。
       - イエス様の意識の中では、すべての人が病人(罪人)。しかしパリサイ人は病人と健常者を分ける。
       - 教会は入院患者の集まり。なのになぜ医者(イエス様)のところへ行かずに患者(兄弟姉妹、牧師)のところへ行くのか。
       - なぜ病人なのに健康に見せかけるのか。
       - 自分が病人だと思っているか。治療が必要だと思っているか。思っていればイエス様のところへ行く。それでもう解決したようなもの。発見されてない病気まで見つけて下さる。
    • 福音
       - 決定的な違い   マタイ = イエス様を信じ、医者として迎え入れた人
              病人、しかし必ず癒される
        パリサイ人 = イエス様を迎え入れてない人
               病人、解決がなくますます悪化する
       - 病気の本質は罪。イエス様から離れていること。だからイエス様と交わる(イエス様を見出す)ことで快方へ向かう。 □スロ・フェニキヤの女(マルコ 7:24-30)
    • イエス様は、子どもたち(私たち入院患者)を先に治療しなければならない。
    • しかし、その患者たちは既に完璧な医者を持っている。だから、今度は医者を持っていない人にパンくずを与えて下さいと願うようになる。医者のほうは、そう願うようになったかどうかを回復のバロメーターと見る。
    • 「癒しは、人を愛することにある。」 □愛する生き方
    • 愛する行動が照れくさい? だからこそ、愛する行動をして慣れる。普段愛していないのだから、恥ずかしいのは当たり前。
    • はらをくくって「愛する生き方」を。
    • 愛した時に受け入れられないのを恐れるのは、相手をバカにしている。その人を問うている神さまを信頼していない。
    • 期待しあい、それに応えようとするのが普通の関係。反応を気にせず、むしろ相手の期待を上回るものを与えるところに愛の関係がある。 □罪人であるということ。極度の罪深さ
    • なぜ裏切るユダをイエス様は選ばれたか? イエス様は誤りのない方ではないのか?
      • この質問は、考え方が根底から間違っている。
      • 私たちは全員ユダであり、必ず裏切る者、破壊者である。
      • 他の弟子たちは、裏切ることのないように特別にまもられていた。特別の恵み。
      • 例:「どうしようも

    2001.

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