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↑こっちが大事、日記はどうでもいいです・・ |
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帰国翌日から出勤し続け(さすがにくたびれて半日の日も多かったけど)、先週は学会で、さすがに客観的にヤバい感じがしたので今日は久々の休みを取った。
相棒が買ってくれた Electric Light Orchestra のCDを聞きながら子供部屋(布団置き場とタンス置き場も兼ねている)の掃除から始め・・と思ったら、これだけで掃除と洗濯、不要品の処分などで精いっぱいで他に手がつけられなかった。夕方から娘の矯正歯科の相談に行き、大きな駅の近くにある塾に送り、待っている間に懸案だった肩がけバックを買った。今まで使っていたユニクロのものは元々カジュアルだったのが、くたびれて学会に持って行くには躊躇するような状態だったからだ(でも持って行ったけど・・さらに出国時も帰国後も美容院に行く暇も無かったから頭は3ヶ月分くらい伸び放題のまま行ったけど)。今度は合皮の入った少し大人っぽいものにした。さすがに40才、服も髪型ももう少しキチンとしないと。でも大学教官になった時にもそう思ったのに、すぐにGパンとTシャツに戻ったんだよねぇ・・なんて雑談チックな独り言をつぶやくのが貴重なオフの時間。 学会では自分の未熟さを再認識したのだけど、その話はまた別の機会に。 |
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2004年09月15日 01時04分02秒
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帰国2日後には研究助成のプレゼンがあり(100万円獲得)、たまった大学の仕事、10日発表の学会の準備もあって夢遊病者のように動いている。
荷物は週末にやっとほどき始めたものの、不在中の自宅の乱れぶりはそれなりで(相棒も頑張ったとは思うけど・・)、腐った食べ物満載の冷蔵庫や散乱した服と一緒に荷物の片づけを進めているところ。さらに出張中は良い子だった双子は私の帰国後に寂しさを実感したらしく、まとわりついてくるので家ではほとんど仕事が出来ない。 台風のためか自宅ネットワークがトラブったり、助成も当たったけど車が当てられてトホホだったりで、月曜日からメール全てに目を通せる状態になったところ(急ぎのメールがいくつかあって真っ青だったりして)。 最終日は朝まで実験してアパートに荷物を取りに走って飛行機に乗ったので、 アメリカから日本に出張に行くような別れの実感の湧かない旅立ちだった。搭乗するなり眠り、乗り換えと食事の時以外は眠り続けたので時間感覚も無いまま日本に着いた。着いたら仕事が待っていて、また走っている。もうあの日々には戻れないのか・・と感慨にちょっと耽り、学会のポスターが全く出来ていない現実に愕然としている。 今まで「緊急事態だから」「今がチャンスだから」と頑張ってきたけど、気が付けば非日常が日常な日々。 |
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2004年09月08日 18時56分58秒
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あと8時間後には飛行機に乗っているはず、でもまだラボで仕事中。金曜日は送別会をしてもらって、大学院生から「こっちのポジションに応募しないの?」と言ってもらえた。当初とは計画が異なる部分も大きかったけど、共同研究もまとまったので良い関係が作れたつもり。二ヶ月が1年に感じるほど濃い時間だった。さすがに帰りたいと思い、帰れることが分かっているから頑張れたんだなと再認識。海外でずっと仕事をするなら、もっと色々な覚悟が必要だろうなぁ。でも国内で働くのも、覚悟は必要なんだよね。
今回新鮮だったのは、初めてラボ全員が好意的だったこと。今まで2回のポスドクは当然のことながら上司には絞られ、先輩ポスドクにはいじめられ、テクニシャンとの関係に悩み、自分が椅子取りゲームから落ちないように笑顔で走り回っていた部分がある。大学に異動しても公募で別の候補を推したグループからの露骨な嫌がらせもあった。それが全員が私に親切でこちらのアドバイスを聞く。ポスドクじゃなくて「Visiting Scientist」だからかも。自分はいつの間にか偉くなったのかな。でもどんな立場でも目の前にあるチャンスを生かすべく走るのみ。空港まで走ることにならないようにまた仕事。とにかく幸せ。 |
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2004年08月29日 17時03分56秒
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娘1号が火曜日の飛行機で帰った直後は自分でも不思議に感じるほど落ち込んでしまった。彼女のいないアパートで母娘の蜜月の時間を思い出し、あの時あんなに怒るんじゃなかった、もっと抱っこしたかった・・など寂しい気持ちで一杯になった(あと10日で自分も帰国するのに)。そして置いて行かれるというのはこういう状態なのかと気が付いた。 今まで自分は出かけることで精一杯で、後に残される人がどんな気持ちなのか考える余裕が無かった。もちろん頻繁に電話をしていて、相棒や実家の両親が週末やお盆に双子を連れ出しては、楽しさや忙しさで寂しさを忘れさせようとしていた事は分かっていた。でも胸にたまる泥のような寂しさまでは分かっていなかったし、今も本当の気持ちまでは分かっていないと思う。 娘から無事に帰国した連絡をもらったら急に落ち込みから回復して、今は最後の実験に邁進している。でも自分が帰国したらみんなにたくさんお礼を言わないとなぁ。今朝(日本時間の土曜日の夜)は相棒から久しぶりにサッカーの試合に行ったと連絡があった。私が出国して以来、大好きな浦和レッズの試合もず〜っと諦めていたのをおばあちゃんが見兼ねて外出させてくれたそうだ。こちらで仕事をしている事が日常化しつつあり、自分に日本の家族というもう一つの世界がある実感を失っていた部分もあるのだけど、私を待ちながらそれぞれの時間を過ごすしている人々がいる。 |
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2004年08月22日 12時42分50秒
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今までは薬(イブプロフェン+塩酸エフェドリン)を飲む時間を体で知るという感じでしたが(切れると熱が上昇して体中が痛くなりめまいもする)、今日の夜から薬無しでやってみる事にしました。 そんな折り、日記を見たとまこ先輩からこちらの様子を心配するメールを戴きました。「何かできることがありましたら御連絡下さい」と書いてあって、こっちはアメリカにいるのになぁ・・とダルい体で力なく笑ってから、結構幸せな気持ちになっている自分を発見しました。ものすごく遠く離れていても、職種や環境が違っても、私には私を思い出してくれる人がたくさんいます。そういう人に良い思い出し方をしてもらえるように・・というのが私のモチベーションの一部かも知れません。私がホームページを持っているのも、自分の歩く姿が誰かの目に止まることを期待しているのかも知れません。 私も何かの折りに高校時代からの友人、仕事で知り合った人、掲示板のゲストなど色々な人を思い出します。彼等の多くはホームページは持っていませんが、彼等の歩く姿は私に色々なことを考えさせます。人が支えあうというのは、こういう形にならない部分もあるのでしょうね。 相変わらずアップダウンの日記ですが、皆様宜しくお付き合い下さい。 |
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2004年08月17日 14時03分52秒
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院試が近くなって、学生の英語指導に連日2時間以上かかるようになってきた。大学の書類仕事もあるし、研究助成にも応募しなきゃいけない、共同研究者との打ち合わせなどもあり、ポジション残してこちらに来ているというオイシイ立場である以上、さぼれない。さらに朝はサマーキャンプに行く娘の弁当作らなきゃいけないし、睡眠時間は4時間台・・あ〜あ、日本の生活と同じになっちゃったなぁ・・と感慨に耽ったところで倒れた。 先週は風邪をひいて、週末には回復したつもりだった。しかし弱った体に細菌かウイルスが感染したらしく、月曜日には風邪症状とは別の悪寒。火曜日に帰宅したところで急に力が抜け、熱が上がり体中に激しい痛み。這うようにして日本から持って来た抗生物質を抗炎症剤を飲んだら何とか動けるようになった・・ということは、何か感染しているよ!それなのに薬はあと1回しか残っていなかったので、水曜日は朝飲んだ薬が切れないうちにAIUに提携病院を聞いて行こうと考えた。しかし地図が分からなかったり電話が通じなかったりでウロウロするうちラボ内に知れ渡ることとなり、騒ぎになってしまった。 結局、ボスに医師免許持っている研究者のところまで連れて行かれ、その場で診察。グラント書いている最中という感じだったので申し訳なかった。考えてみれば医学部には医者がいるのね・・熱にうなされて思考が停止していたかも・・ 今日は勧められた市販薬で少し楽になったと思いきや、薬が切れるとめまいがするほど具合が悪くなる。夕方になって下着を60度間違えて履いている自分を発見し(40年の人生で足が入る部分に身を入れていたのは初めてじゃなかろうか)、己の状態がかなり悪いことを知って初の早退。でも寝る暇は無く、薬飲みながら添削。今は薬効いて来た直後なので日記にそういう時もあるさと記録しにきた次第。 |
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2004年08月13日 14時19分31秒
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こちらでの実験もそこそこ軌道に乗ってきた。とは言え「やりました、見ました」レベルであって、論文になるようなレベルを作るのは難しいらしいことも分かって来た。というのは、私が計画していた実験のうち、イムノブロットと免疫染色は日常的に動いているものの、GFPはラボメンバーには経験が無いそうで、私がこちらの学生と一緒に条件検討している状態だ。来週から始める二次元電気泳動も学生1人しか取り組んでいないので不安な状況。 そんな中、日本での仕事も休めない状況で、今週は研究助成の書類を印刷するのに難儀していた。A4の紙を取り寄せたのは良いが、ラボのプリンターが頻繁につまる。それなのに問題の書類は両面印刷で14部の提出を要求しているのだ。半日苦労しても数部しか作れない。コピーで増やそうと思ったら、コピー機がA4を受け付けない。1号のお迎え時間が迫っていたので諦めて帰宅して、翌日にふと思い付いてトレーを見て、A4に合わせてトレーの位置を調整することに気が付いた。印刷の不具合についてこちらのテクニシャンに聞いても分からなかったのだけど、本当にA4を使っていないんだからしょうがないか・・それから何とか印刷を終了し、ネットで調べた大学に一番近いFeDex のオフィスで出してきた。余談だけど、料金が3500ドルと出て受付の人がびっくり。アカウントを日本で作ったため、3500円と出ているのではないかな(本当だったら泣く)。 そして今朝は学生から英文添削の要望が大量に送られて来たため、ラボで印刷していた。8月下旬に修士の入学試験があってみんな実験しないから出張出来るのだけど、出張中も彼等の勉強を見るのが出張の条件でもあった。練習がてらに勧めた教科書の英文和訳などの回答をスキャナで取り込んで送る学生も大変だけど、Graphic Converter で開いて印刷し、添削してFAXする自分も大変。日本のポジションを残している以上、しょうがない。 |
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2004年08月07日 02時30分56秒
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木曜日に無事到着した娘1号は驚くほど変わりなかった。予定よりかなり早く飛行機が着き、駐車場を探してウロウロしていた私に電話が来た時の「ママ〜!今どこにいるの?」という言い方も、私と駅で待ち合わせする時の調子と同じだった。そこそこ適応力はありそうだとは思っていたが、道すがら多くの外国人とジェスチャー+英語で会話していたらしい。特に同年齢の女の子とは夏休みの予定についてイラストを交えて語り合い(その子はバドミントンのサマーキャンプに参加するのだと)、お互いの名前も交換してきたそうだ。 金曜日の午前中はサマーキャンプの見学に行き、午後は研究室に挨拶に連れて行き、シッターさんに2時間ほど預かってもらって早めに帰宅。土日も買物やアパートのプールでベッタリ過ごしたので、いきなり仕事モードから育児モードになった感じ。 彼女を最初から同行させなかったのは正解で、彼女が来るまでの3週間は仕事を軌道に乗せるまでの激動期という感じだった。毎日がアップダウンの繰り返し。プラスミド調製も電気泳動もタンパク濃度測定も、たった一つの仕事でも思い通りに進まなくて落ち込んだ日。様子がつかめてきて「う〜ん、仕事をしている感じがするわぁ」と盛り上がった日。SDSゲルの転写を反対方向にしてしまい(今まで1000回くらい転写したけど、この手の間違いはまだ2回目)一日の仕事と貴重なサンプルをパーにしてしまい悔し涙を流した日。GFPコンストラクトが一回目の条件検討から期待通りの局在を示してラボが盛り上がった日。何とか今週からは落ち着いて仕事が出来そうな、そんな時期に彼女はやってきた。 私の頭はこちらでのプロジェクトと外国生活と育児と書きかけの論文や国内や海外との共同研究先の打ち合わせ、学生への遠隔指導でフル回転状態。少しは頭のシワが増えたかも。彼女も明日からいよいよサマーキャンプだから、しばらくグッタリして帰ってくるんじゃないかな。 |
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2004年08月02日 13時18分12秒
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今日は1号がアメリカにやって来る日。昨晩の出発時(日本時間では午後)は心配で心配でアパートの中をウロウロしては「連絡来な〜い!」を連発していた。予約した時から「本当に1人で飛行機乗れるの?」と思っていたんだけど、あまりそう言うと本人が不安になるだろうから我慢していたけど、出発が近付くにつれ「パスポートとチケット持った?」みたいな言葉が何度も出てしまい、旅行会社に何度も「エスコートサービスの予約入ってますよね?」「荷物は持ってもらえるんですか?」「女性の係員ですか?」と問い合わせしまくっていた。 本人はいたって落ち着いていて、飛行機の食事や飛行機の中で読む雑誌(乗るまで開けないように言ってある)、アメリカでの生活をとても楽しみにしているようだ。 うちの娘1号は天然優等生なのだと思う。学校では成績上位、スポーツテストは学年1番、絵や書道でも賞をたくさん戴き、友達も多くて、児童会長もやっている・・と書くと嫌味(というか親バカ?)なくらい出来がいい。もちろん、自宅では甘えんぼうだったりトイレ掃除を忘れて怒られたり普通の子供なんだけど、素直でとても扱いやすい。 子供が無理をしているんじゃないかと言う人もいるんだけど、親の資質と関係なく「扱いにくい子供」がいるように、「扱いやすい子供」もいるんじゃないかな。もちろん、いつか優等生でなくなった時にも目一杯受け入れたいと思っている。だって私は小さい頃からいじめられっ子で友達もいなくて、勉強もスポーツも下の方で、暗くていじけやすくて反抗的だったから。中学生の時には学校内で色々と問題を起こして内申点をカットされ、匿名の苦情電話が多くて、度々呼び出しを食らった親が恥かしいからと卒業式に出なかったくらいなので、それくらいやられてもしょうがないと思っている。 それはどうとして、もうすぐ彼女に会える!昨晩はおでんも作った。ママの手料理なんてほとんど食べたことがないので、どんな反応するかな。 |
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2004年07月29日 20時39分11秒
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多くの日本人研究者が「自分達は研究のレベルは高いが、英語で損をしている」と感じているようだ。私はその部分には同意だけど、幼児期からの英語教育には否定的だ。なぜなら国際的な業界にいる自分でさえ英会話なんて年に2回くらいし使わないので、喋る度に思い出すのが大変。子供に週?回習わせたところでほとんどの時間は英語に触れないので身に付かないと思う。実際、娘1号は4年通ったけど身に付いていない。 日本人研究者の問題は英会話の能力ではなく、コミュニケーション力不足と外人恐怖症ではないかなぁ。分からないことは聞く、やりたい事は主張する、相手の文化に尊敬を払い、自分達の文化を卑下しない、そういう教育をすればオドオドしない悩僂爐隼廚Α?侏茲譴仞こΔ慮生譴畔顕修鮃??拔?気擦突澆靴ぁ??両?惺擦留儻譴亮?箸派床曾侏茲襪里錬腺味圓寮萓犬?鮨遊?奮阿凌А垢聞颪?虱茲討い訶澄覆燭屬鷆技嬋埖?覆鵑任靴腓Δ?法1儔駭辰鮟?錣擦訖討痢峪匐,鮃餾歐佑砲靴燭い?蕁廚痢氷餾歐諭匹辰堂燭箸覆?鮨佑魄媼韻靴討い襪鵑犬磴覆い?覆 ?笋蘯磴ず△惑鮨優灰鵐廛譽奪?垢?△辰燭韻鼻?佞?腓辰討澆襪畔未紡腓靴燭海般気い發鵝?こγ罎凌佑班佞?腓ζ散颪箸靴討留儔駭辰覆鵑世茲諭 娘?号には今も英語の勉強をさせているけど、それは今回のように使う機会があるので、外人見ても驚かないレベルでやらせている。ちなみにディスニーの英語システムとベネッセの BE-GO は大人にも役立つのでお勧め。でも本当に勉強して欲しいことは英会話じゃない。今回の滞在で何か感じてくれるかなぁ。 |
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2004年07月19日 05時28分58秒
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二回目の週末を迎え、周辺の地理や店の品揃え、治安もある程度把握出来た。土曜日は掃除と買物と食事作りで終わってしまい、日曜日もコインを作るための買物と洗濯2回をしたところで午後になってしまった。アメリカまで来て何しているんだか・・と自己嫌悪になったので、これから論文と研究計画を書くつもり。しかし二ヶ月住むのだから、やはり周辺の状況を把握しておかないと安心して眠れないよねぇ。 今住んでいるアパートは夏休みで帰国する日本人留学生に借りているのだけど、目の前に管理棟が見えるような高級アパートで、普段は洗濯機に使うクォーター(25セント硬貨)の両替機も動いている。しかし今週末はそれが止まっていて、硬貨を作るために現金で小さな買物をしなくてはならない。アイスクリームショップで店員さんにお釣りをクォーターでくれと言ったら断れたり、なかなか大変。仕事関係の英語は何とかなるけど、生活系・雑談系はまだ力不足だ。 |
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2004年07月19日 05時19分16秒
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土曜日の夜は時差ボケのためか眠れなかったので、日曜日まで起き続けることにした。明け方の2時から翌午後2時まで連続で論文書きをして、夕方ちょっと出かけただけ。月曜日には全ての labo safety の勉強を終え、自分の実験机ももらった。火曜日からは実験と interview(研究室のメンバーに30分ずつくらい時間をもらってどんな仕事をしているか聞いたり自分の仕事について紹介する)も始めている。大学内の移動が自力で出来るようになり、周囲と簡単な雑談も出来るようになり、同じセクションの日本人の方に非常に適応していると言われたのだけど、かなりくたびれている。この辛さは国に関係なく研究室を移動する度に感じるもの。実験室の物品の場所、機械の使い方、メンバーの興味や人間関係、その他研究室の事情・・それらを把握するために自分の五感をフルに使っているようだ。 着いたばかりの頃も疲れていたんだけど、それは日本を出発するまでの1ヶ月の平均睡眠時間が4〜5時間で、徹夜も多かったのをひきずっていたのが一つ。これと寒さのダブルパンチが癒されるとともに新しい疲れがやってきた状態。仕事が軌道に乗ればまたハードだし、それでも前身あるのみ。 |
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2004年07月16日 10時59分59秒
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水曜日の夕方に着いて、木はIDや駐車場の手続き、金は主に labo safety と呼ばれる実験をする人に義務づけられた教育を受け(というかパワーポイントの資料を自力で読んで質問に答えるもので、1日ちょっとで何とか出来る量)、夕方からFaculty のソフトボールの試合に出て飲みに行って・・と結構頑張ったような気がする。 初オフの今日は朝ゆっくり起きて、初めて一人で車に乗ってスーパーまで行き、今は肉じゃが作っているところ。家族とは何度か電話で話しているが、みな変わりなく過ごしているようだ(1週間くらいいないのは良くあるから)。 明日は洗濯をしたら、ずっと論文書きをしようと思っている。不義理をしている(=共著者がこちらの執筆を待っている)論文が少なくとも2つあるが、日本にいた時には昼間は学生のケア、夜は家族のケアで、自分の仕事が後回しだった。もちろん、どちらも自分の意志で選んだことであり、職務上の責任や家庭人として責任に照らし合わせれば当然するべき仕事であり、やりがいも楽しさもある。けれども、自分の仕事を考える時間がどうしてもコマ切れになり、考えがまとまらなくなることに不満がたまっていた。 そう言えば「料理人味平」とかいうマンガの中に料理人が年に一度自分の味を取り戻しに来る寺の話があったけど、今の自分にとってもこの2か月は仕事の方向性を見直すには良い時間だと思う。こちらの共同研究先の都合も考慮すべきだが、何よりここ2か月の思考のほどんとは自分の仕事に使って良いのだ。試薬の注文とか論文中の英語が分からないとか抗体はどこにあるとか遠心機が壊れたとか、水イボを取らなきゃとか明日のプールの用意は揃っているかとか塾の交通費が無いとかPTAの草取りの出欠を提出しなきゃなんて話ではなく、徹夜で数時間ぶっ続けで論文書いている時にヒラメくような贅沢な時間が普通の生活をしながら得られるのだ。 その陰には送り出してくれた研究室、受け入れて下さった研究室の皆さんの協力、家族の理解、S財団のお金など色々なサポートがあることは意識しつつ、この時間をめいっ僂さ??靴茲Δ隼廚辰討い襦福ΑΔ判颪い燭箸海蹐燃慇犬?蚣席献札潺福爾亡悗垢訌蠱未?渡叩椒瓠璽襪罵茲襪箸いΕ?舛世辰拭法 |
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2004年07月11日 07時31分21秒
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やってきましたアメリカ。昨年末に共同研究の打ち合わせをしたR大で2か月弱の研究活動をするために着いたところです。正直、研究計画を練るより行くための算段の方に力をそがれてしまい、準備不十分な状態で来た部分があって心配です。 S財団より渡航費を戴き、ビザを取得し、アパートを探し、一緒に連れて行く娘のためのサマーキャンプの予約をし、予防接種や英文の健康診断所のために病院に行き・・海外で働くって大変なんだなと思いました。私は短期滞在ですが、長く働く人はもっと面倒な手続きをするのだから偉いです。 こちらに来てマズったと思ったのは服装です。平均25℃らしいんですが、今日は雨降って19℃。日本の半そでのまま来た自分は部屋で震えています。それにアメリカ人は空調ガンガンが好きなようで、成田空港からノースウェストに搭乗した時点から私んお苦しみは始まっていました。上着を持ってこなかったのでブランケットをかぶり、寒い寒いと思いながら寝るみじめさ(でも出発前日がほぼ徹夜だったので寝っぱなし)。しかし白人の皆さんは自分と同じような半そでの人だけじゃなく、ノースリーブのワンピースのおばさんなど平気で歩いている。皮下脂肪の量が違うのか? アパートに着いてもベッドにかかっている布団が薄いので貸して下さった日本人の方に問い合わせたら自分達はそれしか使わなくて大丈夫だったそうな(アメリカナイズされているのかな?)。でも寒くて目が覚めてしまったので、近日中に何か買いに行くつもり。パジャマが半袖短パンだったのも失敗なのね。 そんな訳で、何か腹に入れないと寒くてしょうがないので、試しに炊いてみた白米を山盛り食べています(おかず無し)。異国でふりかけご飯を食べている自分、かなり変。でも明日から出勤だから寝込む訳にはいかないですよね。 今回の滞在に関しては、またパブリックページの方にでもまとめようかと考えています。 |
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2004年07月08日 16時51分10秒
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一日がドド〜っと終わって、帰りの電車の中で今日は何したんだっけ・・とあれもやったこれもやったと盛りだくさん。例えば電気泳動のゲルは超寝不足でも無意識に作ることが出来るんだけど、最近はそれより少し上のレベルの仕事も夢遊病者のように出来ていたりする。 偉い先生方が良くもまぁあれだけの仕事量をこなすもんだと思っていたんだけど、こういう状態の延長なのだろうか。でもたまにはじっくり考えないと頭の芯はバカになるんじゃないかな。 最近、共同研究をいくつも持っていて、自分の仕事に興味を持ってくれる人が多くなったのはいいことだと思う。でも、ひとつひとつについてツメが甘いような気がして、いい加減な仕事をしていたらみんな離れて行くんじゃないかと落ち着かない。あるプロジェクトは相手側のデータもらって半年間も論文を書く時間が取れなくて本当に申し訳なかった。 背伸びするのは必要だけど、身の丈を考える必要もあるんじゃないかと思う今日この頃。でも7月〜8月はアメリカ滞在の予定でまた背伸び、そんな近況でした。 |
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2004年06月19日 13時24分07秒
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2月の卒論シーズンから今に至るまでは、毎度のことながら自分の仕事がストップしてしまう。N君(彼の思い出は別の機会に)と一緒に最後の解析を進め、彼のために論文を集めてダイジェストを解説し、卒研発表を滞りなく終了したのが2月末。さらにその週は試験監督も。3月第1週から新しい卒研生3人の指導と別ラボの助教授に頼まれたモレキュラー指南(つまり(つまり助教授+そこの学生3人の指導)を同時に行い、4週間7人につきっきり。それと並行して修士1人+卒研2人の引き継ぎ(サンプルと文書の整理やマニュアル作成の指示、どうしても実演が必要な実験は学生と一緒に教えてもらう)で、連日誰かに呼ばれ続け、ほとんど昼食抜きの週もあった。 28日、久しぶりに夫婦で小旅行に出かけ、神社でおみくじをひいた。「これまではみなあだ花にて実を結ばなかったが、これからは大きな実をつけるであろう」という言葉にえらく感じるものがあった。 学生の指導も石を積んではほとんど崩すようなもの(卒研で出て行く人が多いので)、実験を教えてくれたら共著者にしてくれると言われて3年以上指導した某研究室からは論文が出ず(院生3人も指導したのに・・今回の指南もその可能性大)、抗体をくれたら共著者にしてくれると言われた論文からも名前が外され(まぁ、たいしたディスカッションはしていないんですけどね)、その時にはどれも実を結ぶと信じて頑張ったことのほとんどが形になっていない。古くは博士を卒業する時に出すつもりだった論文は、もう少し実験すれば・・と指導教官に言わ続けて2年も週末を使って実験したのに書かせてもらえなかった(最近になって書いてと言われたんだけど論文ネタを多数抱えている今は辛いだけ) まっすぐ形になったのはS君カラミの新規タンパク質で結構なジャーナルに掲載されたのと、小さな論文が一つ(論文賞候補になったんだけどね・・と言い訳)。私の人生はあだ花だらけだ。 でもこれからは実を結ぶのか・・そう言えば、最近の別のおみくじも「厚くたれこめた雲間から光がさすように運が開ける」なんて書いてあった。 5年前にこの職場に来た時はテーマが次々にコケるし、教授には学生ともどもアカハラ受けてボロボロ。今は連続大当たりでラボの主導権はこちらに移り、やりたい事がてんこ盛り。こんな時はもう倒れるまで働くしかないかな、本当の花を咲かせたと思える日まで。 |
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2004年04月01日 20時36分22秒
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正月明けの8日〜10日が学会でした。発表はもちろん、博士課程の指導教官と投稿論文の相談したり(ずっと投稿に待ったがかかっていたものが今頃になって復活)、共同研究の打ち合わせをしたり、共同研究の売り込みをしたり本当に良く働きました。真面目な話ばっかりしていたので、下品な言葉でも連発したい気分。 2日はカラオケとゲーセン、3日は温泉センター、4日はサッカー観戦と遊びまくっていたのでちょっと諦めがついていますが、また忙しい日々の始まりです。 下らない話と言えば、双子が3才半となりおしゃべりがますます楽しくなってきました。 3号は松島菜々子の「行ってみたいと思いませんか〜♪」というCMに「思いませんよ〜♪」と歌っています。 今朝は学会疲れの私が相棒に「アイシテイルって言ってくれたら起きるわぁ」とバカなダダをこねていたら、2号が「アイ〜ン」と言うので大笑いしました。育児の山を越えたような気がする今日この頃。 |
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2004年01月11日 00時27分01秒
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年末はすっかり寝込んでしまい・・いや、学童も保育園も28日から休みなもんで、寝込むというよりはズビズバ〜と鼻をかみながら家事育児をフラフラとこなしたと感じです。やっと回復してきたと感じたのは紅白を見る頃だったので、こんなに長期間具合が悪かったのは久しぶりです。 元日は近所に住む実家と弟夫婦と餅つきをして、その餅を雑煮やおしるこにしておせちと一緒に食べました。今年は母の負担を減らすために初めておせちを外注しました。近所のとてもおいしい料理屋のだったので大変立派なものでしたが、う〜ん、やっぱりおせちってたくさん食べるようなもんじゃないですねぇ。という訳で、来年も自分で作るほどではないと思ったのでした(ますます家事手抜き)。 午後から近所の「子育て鬼子母神」をまつる寺院(子だくさんの我が家にはぴったり)に初詣。昔の日記にも書いたかも知れませんが、いつも「論文が出ますように」とお願いしそうになってから「いやいや、仕事が神頼みではまずいんじゃないの」と思い、「相棒や子供たちが長生きしますように。家族仲良く過ごせますように。どちらが優先かというと、仲が悪くなってもどこかで長生きしてくれますように。」なんて心の中で唱えています。 日記や日頃の掲示板の書き込みを見ていただければ分かるように、真面目だけど下らなくて根性はあるけど心は弱かったりする私ですが、今年も宜しくお願い致します。 |
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2004年01月01日 18時58分56秒
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