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Q 上は熱湯、下は冷水、なーんだ?
A 凍り付いた扉を融かす&猫の湯たんぽ用にと、熱湯の入ったヤカンを手に納屋へ向かっていたら、凍った地面でつるんとすっ転び、びちゃびちゃの水たまりへ腰を強打、上から降ってくるヤカンと熱湯。
あけましておめでとうございます。何がめでたいかっ! 熱い冷たい熱い冷たい痛い熱い、アレ冷たい? やっぱり熱い! もう自分でも分かんねーよ。という、そんな素晴らしいスタートを切りました。ちなみに昨年のラストはK-1を観ていたら、永ちゃんのステージでうとうとしてしまい、気付けばK-1で一番楽しみにしていた須藤・キッド戦がぼんやりとしか印象しか残っていないという有様で、二番目に楽しみにしていたシュルト・ホースト戦が3秒くらいのダイジェストだったという、まるで自分とK-1の一年を象徴する様な締めでした。
けれどまあ、初夢も見ましたし、やっぱりおめでたい。入院している自分がベッドに寝たまま見舞いの友人(架空)と談笑していると、手にしていたメモか何かを壁とベッドの隙間から落としてしまい、隙間が10cmもないものだから、顔を壁にくっつけ片目で床のメモを確認しながら隙間から差し込んだ手を伸ばしていると、ベッドの下からにゅっと手が伸びてきて、メモを渡してくれ、ああ、友人がベッドの下へ潜り込んでくれたのかあ、悪いなあ、なんて、お礼を言おうと振り返れば、友人はミカンか何かを喰っていて、あれ? 今、メモ取ってくれたよね? なんて問うても、友人は、え? なに? 知らないよ、みたいな反応で、え? ベッドの下に這いつくばってくれたんじゃないの? え? じゃあ、さっきの手は誰のもの? と背筋がぞぞっとしたところで、何かを察した友人が屈み込んで、ベッドの下を覗いたところ、瞬間にして表情が青ざめ固まる友人、自分もベッドの上から逆さまに恐る恐る覗いてみれば、そこには青白い裸足の素足が二本、10cmも隙間がないその間に立てる筈なんてないし、そもそも病室には自分達二人しかいないし、ええっ? あれって一体、誰の足? そうして二人、怯えた視線を絡ませあったところで、ふと友人の目線が自分の背後
へとゆっくり移動、焦点が定まったところであらん限りに眼を見開き、友人絶叫、脱兎の如く病室から逃走、え? なに? 背後に何かいるの? ねえ? ねえ? と、しかし振り返る勇気もなく、取り敢えず自分もギャーッって叫んだ、ところで夢から覚めました。そんな内容の初夢。全身、汗だく。めでたいのか?
まあでも、今年はここ何年も貰ってなかった年賀状も頂きましたし(それも二通)、やっぱりおめでたい。自分が喘息で掛かり付けている病院からと、猫の動物病院からでしたけれど……。ということで、飼い始めた猫はもう本当に猫可愛がりしてるというか、特に家族の溺愛っぷりがアレで、正月ということで猫は生魚を食べているというのに、自分はカップ麺しか食べていないのという、この格差なのですが、自分もそれに不満を抱くどころかあっさりと納得してしまうくらいには猫まっしぐらな有様な今日この頃。
そんなこんなで、猫を飼い始めてからは猫にべったりで、更新回数も減少傾向にあり、そしてまだ当分は猫まっしぐらな状態が続きそうですが、なにはともあれ本年もよろしくお願いいたします。
11/12
なんだか随分と久し振りです。
ここ暫くの間、何をしていたかと言えば、昼も夜もなく求められるまま数時間おきにミルクを飲ませ、ウンコシッコの世話をする日々を送っていました。
事の発端は先々月の頭、九月の初め、大きな台風が上陸した時まで遡ります。
家の裏には、普段は半ば物置き同然で、ガラクタやら何やらが散乱している有様の納屋がありまして、まあ、盗られて困るものもそうそうないという事で(とはいえ、かつて米泥棒(! 平成のこの御時世に)の被害にあったり、車の冬用タイヤを盗まれたりした事があるのですが、そんな被害に遭っても)普段は扉も開け放たれたまま、出入りも自由な状態にありまして、しかし、流石に降雪の季節や台風の到来する時機なんかは、ぴったりと扉を閉ざし、それらの災害に備えるわけで、当然、先々月初頭の台風上陸の際にも、窓という窓、扉という扉を閉ざして一二日。台風一過。で、暫く振りに納屋の扉を開けた妹が「中から、猫の鳴き声がするー」と。ありゃあ、どこぞの猫が紛れ込んだまま一二日の間、納屋の中に閉じ込められてたのかしらんと。しかし、扉を開けても飛び出てくる気配もなく、不審に思って納屋内を捜索、鳴き声の出所を探ってみれば、段ボールの空き箱の中から、生まれたばかりの子猫が一匹。まだ爪も引っ込められず、青灰色の目はついいましがた開いたばかりといった風で、精々が生後二週間といったところ。どうも人気が無く出入りが容易な納屋が、いつの間にやら出産場所に選ばれていたようで。恐らくは、ちょっと母猫が離れた間に扉を閉ざしてしまったものだから、母猫は戻るに戻れず、子猫一匹放置状態、段ボールの中に取り残され、ただでさえ孤独で心細い上に、丸々一昼夜以上の断食を強要されちゃあ、そりゃミーミー鳴き声を上げるのも道理。ここで腹を空かせているのを放って置くのは気が咎めるけれど、取り敢えず扉も開け放したことだし、子猫も結構な大声で鳴いてるし、暫く納屋に人間が寄り付かなければ、そのうち母猫が戻ってきて授乳するだろうと楽観的に放置してみたものの、たった何日かの間、離れ離れになっただけなのに、すっかり我が子の事を忘れてしまったのか、それから更に一二日経過しても母猫が戻ってくる気配は全く無くて、その間、子猫は鳴きっぱなし。鳴き声は小さくなるどころか、より一層、音量を増して、昼夜を問わずミーミーミーミー鳴き止まず、ミルクも何も飲んでいないのにどこにそんな元気があるのか、と不思議に思う程で、生存本能のなせる業か、そりゃもう発情期の成猫も斯くやという大音声。そうやって母猫に見放されて餓死してしまうのも自然の摂理だとは思うけれど、餓死した子猫の死体は誰が片付けるのかと想像すると、え? 私? というか、そういった心配以前に子猫の鳴き声が余りにも大きくて、納屋と家屋は幾らか離れてはいるのだけれど、暑気払いの為に窓を開ければ、ミーミーミーミー居た堪れなくなるような鳴き声が聞こえてきて、しょうがないから猫用ミルクと猫用哺乳瓶を買いに走り、そうして思わせ振りな冒頭に繋がります。
もっとも、正確にいうなら子猫の鳴き声に居た堪れなくなったのは妹の方で、あんまり「どうしよう? どうしよう?」と言うものだから、ほぼ毎週欠かす事なくテレビの『ぽちたま』『らぶらぶ猫ちゃん』を閲覧し、夜な夜なネットで可愛いらしい猫画像を収集している所為で、知らず知らず子猫育児の為の知識という猫を飼っていない人間にとっては人生においてこれっぽっちも必要としない完全に無駄な知識が付いてしまった私が助け舟を出したというのが正解に近いのですが、最初は妹が“「面倒は必ず私がみるから」とか言ってた癖に、最終的には絶対お母さんが世話することになるんだよ! アレ? 私、お母さん?”理論((C)『銀魂』)でもって、結局、私にお鉢が回ってきたというか、子猫とはいえきっと動物的本能で、自分より強い(=危害を加えられる)相手と弱い(=危害を加えられない)相手との判断がつくのでしょうか、妹だと警戒しまくってミルクを飲むどころか、抱きかかえられた途端に引っ掻きまくりの噛みまくりで大暴れし、妹の手も腕も生傷だらけにして逃げ出す癖に、私だと何故か比較的おとなしく哺乳瓶をくわえるというのが世話係を申しつかった大きな理由で、要するに、子猫によって私に子猫以下というレッテルを貼られた為、お母さん役になりました。
まあ、片手の掌にちょこんと乗っかるサイズの子猫が、懸命に哺乳瓶からミルクを飲む姿は、大変に可愛らしく、見ているだけで和むし、自分に懐いているというのは、それはそれで嬉しいものですが、それにしたって自分の食事ですら一日一回取るか取らないかなのに、多い日には一日八回くらい子猫にミルクを与えるという睡眠もままならない生活は厄介だし、それ以上に問題なのが私が重度の猫(というか動物全般の)アレルギー持ちであるという点で、前世でいったいどんな悪事を働いた因果なのか、猫好きなのに猫アレルギーという大変な業。秋なのに重度の花粉症といえば想像に易いでしょうか、目は真っ赤に充血、クシャミ鼻水は止まる事をしらず、肌は湿疹が酷く、喘息の発作まで出る始末、という諸症状のコンボでもってKO寸前の有様。自分以外にも妹とかも猫アレルギーがあるので飼うのは難しそうという事で、発見直後に念のため一度診察してもらった獣医さんの方で、里親を探してくれるよう頼んであるのですけれど、あんまり芳しくなくて、このまま段ボールボールハウス暮しをさせるのも不憫だし、いつまでも名無しというのも不憫だし、どなたか子猫(生後二ヶ月弱、雄、雉虎)をもらってくれませんかねえ。(もらってあげてもいいよという奇特な方はメールください)
というのを先月に書いて、アップしたつもりだったのだけれど、アップしておらず、せめて自分のサイトくらい責任持って見れと思いました(上記は時系列だけ直しました)。
結局、子猫は今も家の納屋におり、すくすくと成長しています。子猫中心の生活は相変わらずで、朝晩すっかり寒くなった昨今、自分はタオルケット二枚にくるまって震えているくせに、現在も段ボールハウスで暮らす彼の為にいそいそとタオルや毛布をセッティングしたりしています。そして世話をしている私よりも、妹や母親の方が何だか情が涌いてしまったみたいで、嬉々として猫飼育グッズやら何やらを買い与えたりしている次第で、どうも我家で飼うという方針みたいなので、申し訳ないのですが上記の里親募集は無かったということでお願いします。自分としてはもっとちゃんとした環境で飼われた方が猫にとっても幸せだと思うのだけれど、いかんせん猫の餌代すらままならない身としては発言力は皆無に近いというのが現状であります。
まあ、私も嬉々として子猫と遊んでいるのですけれど。
8/24
最近、観た映画の感想みたいなものでも書きます。ネタバレはあったりなかったりですが、あると思っていた方が無難です。
『下妻物語』
ロリータファッションに身を包んだ不思議系少女と、特攻服に身を包んだレディースヤンキー少女との友情もの。タイトルの下妻ってのは、物語の舞台となる茨城県の田舎の方の地名。これがもうホント田舎で、いや自分もヒトの事をどうこう言えるほど立派な場所に住んでいる訳じゃないっていうか、むしろ負けず劣らずの田舎に住んでて、作中のロリータ娘は数時間かけて東京へお洒落服を買いに行ってるのだけれど、うちの近所のお洒落ボーイお洒落ガールなんて数時間かけて109とかですからね、ジャスコとかすら遠いですからね、最寄りのコンビニは夜九時で閉まりますからね、食品や日用雑貨なんて二三日おきに売りに来る移動マーケット(軽トラ、軽バン)頼りだったりする人もいるくらい田舎ですから、本当に他所をどうこう言えた立場ではないのだけれど、いや、それにしたって田舎。で、そんな田舎に親の都合で越してきたロリータ娘とひょんな切っ掛けで知り合いになったヤンキー娘が、真逆の価値観を超えて互いに理解を深め友情を育んで云々、みたいなストーリーが展開する訳だけれど、田舎っ子が可哀想なのはドロップアウトした時の選択肢の少なさというか、都市部だと作中の様にファッションにかぶれるもよし、バンドでも組んで楽器を弾くもよし、芝居に傾倒して舞台にあがるも、オタクになって(他人から見たら)ガラクタを蒐集するも自由自在で、その点、田舎だともう本当にヤンキーになるくらいしかなくて、けれど誰もいない田舎道をパラパラ鳴らしながら走ったところで虚しさを通り越して牧歌的感すら漂う訳で、そう思うと涙が出てきませんか? どうですか? それでも十年くらい前から情報化が進み、2局しかなかった民放も4局に増え、インターネットもぼちぼちと普及してきて、物という点では相変わらず心許ないものの、いつの間にやらオタクという選択肢も選べる様にまでなって、そうしてドロップアウターはヤンキーとオタクへ二極化した構図をとり、そしてついにはヤンキーとオタクのハイブリッド、暴走族に入っているガンダムオタク、を生むまでになるのだが、彼についてあんまり詳しく書くのもアレだと思うし、第一それはまた別の話というか、そもそも映画と全然関係無い事ばかり書いてしまっているのでここらで軌道修正しようと思ったのだけれど、ノリと勢いが大半を占めている映画だったので、あんまり書く事ないや(最悪)。ファッションとかに興味があればまた違った見方も出来るのでしょうけれど。映像が全編を通してオレンジフィルターをかけたみたいな、夕暮れ時の様な色調で、気怠げな歌声のBGMや虫の音と相俟って、なかなかにノスタルジックな雰囲気が漂っていて良かったです。以前は、こういう青春モノみたいなのは、むず痒くなってしまって余り得意ではなかったのだけれど、最近、割と抵抗なく観れる様になって、これが歳をとったてことかしら。
★★★☆☆
『ナショナル・トレジャー』
有史以来、様々な王や皇帝が奪い合った財宝はその度に規模を増し、いつしか世界を統べる王でさえ手に余るほどの莫大な量になるが、しかし、それらの財宝はフリーメイソンによってアメリカへ持ち込まれた後、行方知れずとなってしまう。その一連の物語と財宝に到る手懸かりの暗号とを代々伝えてきた一族に生まれついた少年は、幼い頃に聞いた祖父の話を信じ、暗号を解読し財宝を探す事を決意する。成長した彼は、ついに暗号に記された場所を解き明かすが、そこにあったのは新たなる暗号だった。どんな手段を用いてでも財宝を得ようとする出資者と意見が分かれ、命を狙われながらも財宝への謎を解明しようとするが……。というストーリーの宝探しもの。ひとつの謎(暗号)を解明した先にはまた別の謎、それを解明してもまた他の謎と、この手につきもののアクションに次ぐアクションというか、ピンチになったら力任せに強行突破というのが少なく、中々に手が込んでいる印象でした。ただ、作中の謎(暗号)の殆どがちょっと馴染みがないというか、ドル紙幣の図柄や、有名な建造物や、キリスト教の聖人などの、アメリカの歴史や風俗に造詣がないと分り辛いものが多くて、練られてはいるのだろうけれど、(アメリカ映画なのだから仕方がないとははいえ)「おおっ、それを持ってくるか!」という驚きみたいなのが得られなかったのは残念です。あと、主人公を追う敵役が欲しいのは分るけれど、ちょっと強引(結局、主人公達も同じ手段(犯罪)に手を染めているし)に感じました。とはいえ、話のテンポも良く、スピード感もある展開だったので面白く観れました。フリーメイソンの隠し財宝とか考えるから分り辛いのであって、日本の場合に例えたら分かり易くなるかしら、と想像力を働かせてみると、ええと、徳川埋蔵金? …………。折角なので叫んでおきましょう「『マザー3』まだー?」
★★★☆☆
『ノッティングヒルの恋人』
ハリウッドのトップ女優と、ノッティングヒル(イギリスの地名)に住む本屋の冴えない店主との、逆シンデレララブストーリー。だと思ったのだけれど、それなりに男も頑張っていて、意外とそうでもないのかしら。でも、アプローチする方や主導権を握っているのは女の方っぽいし、男はそれに振り回されている感は否めないし、女優の飴と鞭っぷりとか、やっぱり逆シンデレラストーリーなのか。男女の身分違い(女性が上)の恋物語自体は昔からあるけれど(騎士と姫とか、平民の男と貴族の娘とか)、それらで主導権を握るのは大抵は男の方で、こういう女性の方が主導でストーリーが進んでいく映画が作られ、それなりに高評を得る(得たんだよね?)背景には、最近の女性の社会進出とか立場の向上とか或いは男性の弱体化とか受け身がちとかそういう世間の風潮とかそういうアレとかナニとかが関係していたりいなかったりしそうなのですが、そういう話はガラでもない以前に良く分らないので脇に避けまして、それにしても同居人のスコットランド人のキャラクターがアホ過ぎて本当に良い味を出しており素晴らしかったです。彼以外にも、周囲の友人達は皆、良い奴ばかりで(キャラ的にも性格的にも)、ああ、友情ってのは良いもんだなあ、と。あれ? 恋愛映画だっけか。恋愛映画なんて男と女がすったもんだあって最後にくっついて終りじゃねえか(暴論)。ええと、作中ではハッピーエンドだったのですが、何年も有名女優の事を思い続けて、勝手に撮影現場とかにまで訪ねる様なやつは、普通ストーカー扱いされて、最悪、捕まりますので、気を付けて下さい。
★★★★☆
『ブレイブ』
まるで夢の島のようなゴミ捨て場の傍でバラック小屋を立てて生活する、土地を追われたネイティブアメリカン達。彼等はまともな仕事もなく、ゴミ捨て場から拾ったガラクタを売ったり、犯罪に手を染めたりして生活していた。物語は一人のネイティブアメリカンの青年が、仕事が貰えるという話を聞いて、とある建物を訪れるところから始まる。そこで彼を待っていたのは大金と引き換えにして、自らの命を差し出すというものだった。青年も多分に漏れず犯罪歴は真っ黒であとがなく、妻子の為にと、大金を得る代わりに死ぬまで拷問を受けるという取り引きを承諾、報酬の半分(新築の家が立つ程の金額)を前金として渡され、一週間の猶予を与えられる。死の瞬間が決められている人間が如何にして過ごすか、というのは割と良くあるけれど、それでも非常に興味を惹かれる設定というか、むしろこの設定が今作の全てといっても過言ではないというか、この後、青年は鬱ぎ込んでみたり、かと思えば妙にはしゃいで散財したり、犯罪者仲間がたかりに来たりなんだりと、それなりにドラマはあるものの大抵はありきたりというか予想の範疇であるし、エンディングにしたところで 1大人しく拷問を受ける 2金を返して勘弁してもらう 3家族と一緒に逃亡 の何れかくらいしか選択肢はないように思え、そこに目新しさや驚きは無いけれど、それでも死を前にした人間がどのような思考をしてどんな生きざまを見せるのか、というのには目を逸らせなくなるような魅力があり、最後まで張り詰めて観ました。冒頭の面接のシーン、面接官の部屋の灯りを消した瞬間の衝撃が素晴らしかったです。
★★★★☆
『あの夏、いちばん静かな海。』
聴覚に障害を持つ主人公が、ある日、捨てられていた折れたサーフボードを拾った事を切っ掛けにして、サーフィンに魅せられていく話。主人公は口が聞けず、主人公の彼女も同じ障害を抱えているので、全編を通して二人は全く会話をしない訳で、自然セリフは非常に少なくなるのだけれど、しかしその分、要所要所で非常に効果的に音楽を使用していて、声で語るよりよっぽど雄弁に物語を紡ぐ事に成功しているように思いました。切なさの半分は久石壌で出来ている映画。
★★★☆☆
『エド・ウッド』
史上最低の映画監督の称号を持つ、映画監督エド・ウッドの半生を描いた作品。幸か不幸か私はエド・ウッドの作品を観た事はないのですが、作中の撮影シーンを見る限りでは、史上最低と呼ばれるのも止むなしといったところで、基本的にNGはなく、例えば、俳優が予定外にドアにぶつかってしまったので撮り直そうとしても「彼はいつもぶつかっているんだ。そういう役だ」で済ませるし、大蛸に襲われるシーンは浅い川ででかいぬいぐるみ(盗品)を抱えた俳優がばしゃばしゃやってるだけだし、墓から甦ったゾンビが通りかかった警官を襲うシーンではゾンビ役の俳優が墓から上手く出れないのを見兼ねて警官役に「はやく、引っぱり上げるのを手伝え」と指示する始末で(もちろん、その後、引っぱり上げたゾンビに警官が襲われる、というのがOKテイク)、一事が万事そんな感じだから、完成作品の出来は推して知るべしといったところ。不思議なのは、それでも彼の周りには、往年の名優からプロレスラー、テレビタレントからオカマ達の顔役的人物まで、雑多な人間が集っていて、幾ら低予算とはいえ映画に出資する人物も少なからずいるということ。特に、以前、彼の作品にベラ・ルゴシが出ていると聞いた時には、何故? と首を傾げたものだったけれど、今作を観ればそれも納得がいく。エド・ウッドという人物は本当に友情に篤い良いヤツで、映画に懸ける情熱というか、作りたいという欲求に正直というか、そういう部分も並々ならぬものがあって、周囲に人が集まるというのも頷ける。まあ、幾らかの脚色はあるだろうし、実際には打算や腐れ縁みたいな関係だったのかもしれないし、幾ら人が集まったって、出来上がる映画はアレな感じなのだけれど。それでも、映画を作り続けること自体に意味があるというか、一心不乱に何かに情熱を傾けるってのは素晴らしいなあ、と思わせる内容の作品でした。バートン色が薄かったのも結果として良かったです。
★★★★☆