アキっち
アキっち
『せぇーの!』
『せぇーの!』製作委員会
約束は守られず、夏が終わると一人また一人と基地に顔を出すことが少なくなってきた。
その理由としてリューちゃんの中学受験があったからだ。
その日、俺はカズくんとマサやんと三人でリューちゃんをからかいに家まで行った。
おばさんは優しく俺達を迎えてくれ、リューちゃんの部屋まで案内してくれた。
「お菓子なんか出さなくてもいいよ、おばさん」と、軽口を叩いて遠慮なく上がった。
「今、何してるんだ?」カズくんが聞いた。
「勉強じゃないの?」と、答えたのはマサやんだった。
リューちゃんの部屋は俺の部屋よりもずっと小綺麗でコロコロコミックが転がっているような事もなかった。
学習机にむかいカリカリと鉛筆を滑らすリューちゃん。
小さな声で「邪魔しちゃ悪いかな」と囁く二人を尻目に俺はリューちゃんに飛び付いた。
「頑張ってるか、おい」
「うわ」
驚くリューちゃんの顔に俺は喜んだ。
「邪魔するなよ」
呆れた表情でカズくんがたしなめた。
かろうじてリューちゃんが「大丈夫だよ」と言った。マサやんはただ笑っていた。
俺は学習机に目を凝らした。
並んでる参考書を確認して満足した。
「ちゃんと、やってるみたいだな」
「さすが、リューちゃん」
うんうんとマサやんが頷く。
「どこを受ける気?」
カズくんが聞いた。
「灘とかラサールとか星光とかそういうとこかな」
俺でも知ってるような学校の名前をリューちゃんが答える。
「すごいなぁ」俺は感心した。
「カズくんはどこか受けないの?」
カズくんの成績はリューちゃんに劣らずいい。俺とマサやんは、よく二人に宿題を写させてもらっていた。
カズくんは何も言わずに首を振った。答える代わりに「早いけど、もう帰ろうか。勉強中なら邪魔しても悪いからな」と言った。
「そうしようか」つられてマサやんも言う。
俺は彼らに従い腰をあげた。
「まだ、いいよ。ゆっくりしていきなよ」
そう言ってくれたが俺達はやっぱり遠慮してリューちゃんの部屋を後にした。
「あ、そうそう」
カズくんが足を止めてリューちゃんに袋を手渡した。
「何これ?」
訝しげにリューちゃんが伺う。
「あ、そ、それは…」俺が言うよりも早くカズくんが「後で見てくれ。俺達からのプレゼントだ」と薄笑いを浮かべながら言った。
「別に今じゃなくても」
焦ってマサやんが言う。
「アキっちが選んだんだ」
「あ、カズくん。余計な事を」
妙に恥ずかしくなってきた俺は口を挟んだ。
「そ、そうそう。アキっちが選んだんだ」
「バカ。マサやんだって」
「いいから、いいから。帰るぞ、ほら」
変な三人をきょとんとしたままの表情でリューちゃんは見送ってくれた。
俺達は解散の十字路に足を向けていた。
「受かると思う?」
やっぱり俺は不安だった。
「知らない」
「マサやんには聞いてないよ」
「リューちゃんなら受かるって」
俺とマサやんは素直にカズくんの言葉を受け入れた。
他に信じられる言葉がなかったからだと思う。
「俺さ、さっきリューちゃんの机調べちゃったよ」
正直に俺は告白した。
「見てて笑えたよ」
カズくんが言う。
「いいんじゃない。ダブってたら嫌だしね」
笑いながらマサやんが言う。
「受かるといいな」
それは三人の願いだった。
カズくんは校区の違いで俺とマサやんとは違う中学に行くことが決まっている。
あっと言う間に秋が過ぎ、冬が来て年が明ける。
この年の初雪は二〇日を過ぎて訪れた。
俺は、冬休みに一度も基地に行かなかった。皆がどうなのかは知らない。
三学期が始まると、卒業式の予行練習が行なわれる。
そして、学年代表にはカズくんが選ばれた。
俺達はカズくんを茶化したが本心では嬉しかった。
おそらくリューちゃんとマサやんも同じ気持ちだったと思う。
卒業式の当日を迎えた。
あの夏の日々から一瞬でここまで飛んできたような錯覚に襲われた。
この日に近づくほど日々は薄くなっていたように。
卒業式はつつがなく淡々と進められた。
立派な服に身を固めた五年生の代表が送辞を述べた。
いよいよ、カズくんの答辞が始まる。
明らかに緊張したままカズくんは舞台へ上がった。
息を飲む音まで聞こえてきそうだ。
「じゃい校生の皆さん…」
いきなり間違えたカズくんに体育館のあちらこちらから小さな笑いが起こった。
俺も笑いそうになったが耐えていた。マサやんが隣で囁くまで。
「じゃい校生だってさ。ジャイコウセイ…ジャイ子かよ」
不思議なもので笑ってはいけないと思えば思うほど笑いたくなる。
リューちゃんが俺の脇を突っつき「笑っちゃ駄目だって」と言ってくれた。
それでもマサやんが調子にのる。
「クリスチーネ郷田。代表作は虹のビオレッタ。小学館から好評発売中」
マサやんのせいでカズくんの答辞はほとんど耳に入らなかった。
卒業生退場で体育館から出た後、俺はマサやんのケツを蹴飛ばした。
俺達は教室に戻り、カズくんを冷やかした。
しばらく、騒いでいると担任が戻り卒業証書の入った筒をクラスの全員に手渡した。
思っていたよりも軽かった。
六年間の重みは感じられなかった。
校舎を出ると両親が待っていた。
「卒業おめでとう」
「ありがとう」
「帰るか」
「うん」
校門を越えて俺は家路を辿った。
いつもの帰り道。
中学生になればもう通る事もなくなる道。
駄菓子屋を過ぎ、神社を過ぎ、解散の十字路まで来た。
俺は両親に「ごめん、先に帰ってて」と言って、卒業証書の入った筒を渡し、来た道を戻った。
神社にまで戻った。
久しぶりに訪れた神社は小さく見えた。
少し背が伸びたのかもしれない。
石段を登り社に近付く。
境内の下を覗いたが、秘密基地はいつの間にか無くなっていた。
ダンボールすらそこには無かった。
そして誰もいなかった。
寂しいと感じたが泣くほどでもなかったし、素直に涙が出せるほど俺は可愛くもなかった。
最後にお別れがしたかった。
学校よりも神社に、秘密基地に、そして大事な何かにお別れを言いたかった。
「おい、アキっち」
後から声をかけられ驚いて振り向いた。
いつものイガグリ頭が見えた。
マサやんだった。
「マサやんだけじゃないよ」
リューちゃんも一緒だった。
「二人とも何しに来たの?」
先に来ていた俺がするには妙な質問だった。
「なんか、よくわかんない」
それが二人の答えだった。
冷たい風が吹いた。
俺達には関係なかった。
「あのさ、下の記念碑に俺達の名前を書き込まないか?」
俺は提案した。
「いいね、やろうやろう」
すぐに乗ってきたのはマサやんだった。
「ダメだよ、そんなの」
リューちゃんは止めたが俺は続けた。
「いいじゃねぇか。俺達の卒業記念だ」
「そうだよ、そうだよ。書いちゃおう」
マサやんは俺の言葉に同意してくれている。
「キレボウズにバレたら…」
リューちゃんが喋ろうとしたその時。
「こら! ガキ供!」
誰かの声が響いた。
瞬間、坊主だと思った。
しかし、坊主は言わない。
「俺もまぜろよ」とは。
皆で笑った。とりわけ俺はよく笑ったと思う。
最後に現われたカズくんから順に尖った石で記念碑に刻む。
『カズくん アキっち リューちゃん マサやん ここにあり!』
社の前に整列した。
「いくぞ」
俺は言った。
「いいよ」
「早く」
リューちゃんとマサやんが続けて言う。
静寂。
「こら、アキっち笑うな」
なぜか、カズくんにたしなめられた。
「笑ってないよ」
「いいから、早く」
マサやんがせかす。
「俺が言っていいの?」
不安になって聞いた。
「いいよ、いいよ。アキっちが言えよ」
「でも、カズくんのアイデアでしょ?」
「早くしようよ」
「わかった。じゃ、言うぞ」
「おう」
「いいよ」
「いけ」
俺は息を飲んだ。
『せぇーの!』