第七十一回 お題:「最後」
541 名前:一日の終わり 投稿日:04/07/19 03:39 ID:ifGI7QDQ
車窓より。
屋根瓦の上を夕焼けが歩いてゆき、送電線の上に寂寥(セキリョウ)が鳥のような輪郭をしてとまっている。
雲海を炙る、今日という活性の燃える歯車を押し終えた惑星は、劣化の時を迎え、ありとあらゆる知覚の延長には重たい時間がしがみ付き、ところ構わず錆がふつふつと涌いていた。
胸元に指先が伸びる。
→ON (sogar "apikal blend" /12K)
《エレクトロニカ is 音の桃源郷》のプチプチとはじけるノイズは擽(クスグ)りはじめ、項(ウナジ)を走る波頭に視界は溶解する。
それはまるで建築体の壁面に吹く量子嵐であり、集積回路を長い脚で歩くパルス蟲であり、金属板の上に彫られた阿弥陀模様を上下運動するのに酷似した体験であった。
物思いが使い古された因果の玉をついて拡散してゆく。
「そうか、ヒトは終わりを撒き散らして時間と空間の峰と峰を踏破してゆくのだ。
レコードは再生を予期されており、再生された瞬間に終焉を予定されるのだ。
だとすれば、拡張して、全ての行為が誘発するのは終焉であり、すなわち世界では何も起きてこなかったというのか!
「いや、少なくとも我々には繰り返しがある。それは希望の現身(ウツシミ)だ!
かねて聴き込んだ音楽渦の中心に巻き込まれながら視線をプレイヤーの輪郭(フォルム)に沿わせて、縋るように円周=輪廻の象徴を追い求め、その永遠の退廃の陰に雨宿りする。
やがて翻って再びなぞる視線の『始点』に至る思いにもう一度嫌な気分を再生したところで我が町へ到着。
流れ出すともう切迫感は人ごみに溶け出して霧散しまっているのだった。
こうしてヒトは生きているのだ
微かな首肯
胸中にひとつ
そして繰り返しを幾らか含んだ一日が、また終わる
チャンプ作品に対する批評
グリーンブック ◆yCYysoyX.A
1点
内容を正確に把握できませんが、妙に納得させられました(錯覚かもしれません)。なんでしょう、この感覚は。酔いました。
MUJINA ◆iXws.WGCLY
2点
一読して思ったのは、これは宮沢賢治だなあ。賢治の詩には地質学の硬質な理系言葉と仏語が
奇妙に同居しているが、この詩も4,5連目の「量子嵐」「集積回路」「パルス蟲」
「阿弥陀模様」「因果」と現代版宮沢賢治復活! という感がある。それとサイバーパンクっぽい
世界。さらに6連以下はテツガクの世界。作者独特の輪廻観が展開されるが、繰り返しを絶望や
ニヒリズムの陥穽に捕らえられることなく、「希望の現身」とするところは、「シジフォスの神話」
やニーチェの運命愛を思わせる。
ともかく、繰り返し=反復に生の本質、ポエジーの発生を見るところは私も大いに同感するところで
あります。
Canopus ◆DYj1h.j3e.
2点
ぼくはイナガキタルホをイメージしたなあ。いずれにしろ、現実のス
リットをちょいとこじあけて、裏側にあるものを見つめる感覚だよね。
ここで言いたいのは、こうした感覚はいわば詩の本流ともいえるものであって
ぼくはこの詩にものすごい既視感を感じた。といっても、もっとハッチャケた
ら、ワケわかんなくなるだろうけどなあ…。