第11回 凶行
ドーヴァ王国闘技大会が開催され、幾日かが経った。
銀牙、浩也、フラッド、忍は順調に勝ち進み、遂にベストエイトにまで上り詰めた。
『銀(しろがね)』を操る双剣士、銀牙。
前大会の覇者、ブライ・ハーロン。
百発百中の弓兵、ザック・シュナイダー。
剛剣士、浩也。
飛翔の足技士、虎竜(フーロン)。
瞬殺の拳士、忍。
ドーヴァ騎士団長、ラーバ・カルマス。
沈黙の剣士、フラッド・フリークス。
以上、八名が決勝トーナメント進出者である。
「聞いたよ。弥生ちゃん、聖さんに、オーバードライブを習ってるって?」
弥生と連れ立って通りを歩いていた皐月は、先ほど買ったチョコクレープを齧りながら尋ねた。
「ええっ、そうよ」
「は〜〜何でそうなるのかなぁ……」
呆れてしまう。
皐月の中では、既に銀牙と弥生はくっつくべきという、かなり手前勝手な図式が出来ていた。もともと、銀牙が弥生を守ろうという意思は、恋愛感情からきているのを知っていたので、弥生も銀牙に脈ありだから、後は弥生がその気になれば、めでたくゴールインと思っていた。
しかし、実際はどうだ!? 弥生はいまだに心の整理が付いていないどころか、聖の下でオーバードライブの修行を始めてしまったではないか。これでは、二人の仲は遠ざかりこそすれ、近づくとは思えない。
聖ほど心情を察することに長けていない皐月は、弥生は銀牙と対等でいたいから強くなろうとしていることに気づいていない。もっとも、気づいていたとしても、今度はなぜ対等であろうとする手段が強くなることなのだと疑問に思うだろう。
銀牙は、結構顔は良い。性格だって、多少ひねくれてはいるものの、決して、悪くはないし、おまけに、決勝トーナメントに進むほど強い。実際、最近は会場にファンが集まっているくらいだ。
そんな男に守ってもらえるのだ。女としては願ったり叶ったりではないのか?
そもそも、皐月にしてみれば、それに不満を持つのは贅沢極まりない。
浩也が自分を守ってくれたことはあるが、銀牙のように、明確に誰それを守るという考えからではない。『仲間』を守るのが彼の信条だからだ。
彼の中では、自分も、銀牙も、誰もが同列、人括りなのだ。恋する乙女としては、好きな男の一番でありたいし、その一番の地位にいるのに、自ら捨てようとする弥生の意図がわからない。
「勿体無い……」
だが、別の見方をすれば勿体無くはない。
弥生のオーバードライブの才能はピカイチだ。話によれば、セイライン家での基本の修行を一ヶ月と掛らず終わらせてしまったそうではないか。
通常、あの基本だけでも、何年も掛る。天才と呼ばれる霧幻八鬼星(むげんはっきせい)でさえ、早い者で半年、遅い者は一年を要している。因みに、皐月は十ヶ月掛った。
その点で言えば、弥生は桁が違う。本人も勤勉に努力するタイプなので、鍛えればとんでもない使い手になるだろう。
そういう意味では、今のうちに育てておいたほうが、よく伸びる。皐月としても、親友の才能を埋もれさせておくのは良くないと思う。
しかし、出来れば、先に銀牙とくっついて欲しい。
銀牙は割と助平だと聞いている。ならば、一思いにサラシを解いて、八十五あるというその胸で色仕掛けをかけてやれば……
「ちょっと、皐月! あんたまた妙なこと考えてるでしょ!!」
「えっ? やだなぁ〜弥生ちゃん。私はただ、親友である弥生ちゃんの幸せを願ってるだけよ〜」
「愉しみたいって顔してるわ」
なかなか鋭い……皐月は小さく舌打ちをした。
「おい」
急に声をかけられ、二人が振り返ると、フラッドが立っていた。
常に、斬るような鋭い空気を纏っている彼が、この活気あふれる屋台通りにいるのは、ひどく場違いに見える。
「弥生。話がある。付いて来い」
「……!」
フラッドの口調は、相変わらず、淡々としていたが、有無を言わせぬ迫力があった。
「それ、何の話?」
尋ねたのは皐月だ。
フラッドが、今まで弥生と会話をしたことところを見たことがなかった。その男が今回に限って、一体何の用なのか?
間違っても愛の告白ではないだろう。もしそうなら、阻止せねばならないが、自分が一緒にいるこんなときに話を切り出すはずがない。
フラッドは、表情一つ変えず、言葉にも抑揚をつけることもなく、皐月の問いに答えた。
驚愕。
それはまさに驚愕だった。
心臓を鷲?みにされるほど。
忍も知り得ず、弥生自身も二年間探し続け、その手掛り一つ見つけられなかったこと。
「お前の父、如月の話だ」
そう、フラッドは言った。
「ついて来い。詳しい話はその後だ」
踵を返して歩き出すフラッドを、ふらふらと弥生は追いかける。
「待ってよ! 弥生ちゃん!」
嫌な予感がし、皐月は咄嗟に弥生の手をとるが、乱暴に振り払われる。
皐月に構っている暇はない。
なぜフラッドが、父のことを知っていて、今まで話さなかったかなど、どうでもよかった。
弥生の頭の中を占めるのは、ただ知りたいという思いだけ。
行方をくらました父の話。ずっと求めていたもの。
――やっと……やっと、わかる。
それに心を奪われ、彼女はフラッドの背を追った。
活気溢れる表通りとは一転、裏通りは同じ町なのかと疑いたくなるくらいの差があった。
人の手が入らなければ、建物とはこうも傷むものなのか。どの建物も、到底住めるようなものはなく、精々が雨露をしのぐ程度。住処を持たない浮浪者さえおらず、敷石の間から無遠慮に伸びた雑草に道路は占領されていた。
「フラッド、どこまで行く気?」
父、如月に関する話があると言われ、フラッドについてきた弥生だったが、どんどん周りに人気がなくなるにつれて、流石に不安を感じるくらいに冷静さが戻っていた。隣の皐月も、同じ思いらしく、フラッドを見る目は不信感に彩られている。
一緒に旅をするようになって、それなりの時間が経つが、この男は何を考えているのかわからない。銀牙やラルクレスは信用しているようだし、銀きばに熱心に稽古をつけているのだから、悪い人間ではないと思ってはいるが、普段、無口で無愛想。コミュニケーションのほとんど取れない相手に好印象を持つのは難しい。
「……そうだな……」
足を止め、振り返るフラッド。相変わらず、その表情からは何も読み取れない。ただ、彼には常に近寄りがたい鋭い空気があった。
「それでは、如月の話をするか」
「ちょっと、待って!」
皐月が口を挟んだ。
「何だ?」
「弥生ちゃんのお父さんのことを知っているんだったら、どうして今まで黙っていたの?」
「簡単なことだ。最近まで弥生は、精神的に不安定だった。あれでは却って動揺を誘うだけだと思ったからだ」
「へ〜〜意外と律儀なんだ」
皐月が訝しげな眼差しをフラッドに向けている横で、弥生は衝撃を感じていた。
フラッドが今まで弥生にその話をしなかった理由が本当なら、その話はいつ伝えても構わないものということだ。
それは、つまり、如月はどこにいるとか、どこに向かっているとかいう、有益な情報ではないどころか、最悪のものも考えられる。
不安だ。聞くのが怖い。
聞けば後悔する。こういう嫌な予感は案外当たってしまう。
知らないほうが幸せなことがある。どこかで聞いた有触れた台詞が、重く頭の中で響く。
「……弥生ちゃん。顔色悪いよ」
「体調が優れぬなら、日を改めても良い」
心配そうな顔をする皐月と、やはり表情一つ変えないフラッドに声をかけられる。
怖さも不安もある。
しかし、知りたいという気持ちが勝った。
「フラッド……良いわ。話して……」
皐月が痛ましい顔をした。かなり無理をしているように見えるのだろう。
実際そうだ。が、それは紛れもなく弥生の本心でもある。
「良いだろう」
弥生の心情を察し、フラッドは頷いた。
「単刀直入に言おう」
そう言ってはいるが、このような言い回しをしている時点で、フラッドは前置きをしていた。普段の彼なら、大抵の場合、文字通り単刀直入に伝えたいことを告げるだけだ。先程の、『弥生。話がある。付いて来い』のように。
フラッド自身、意識しているのかどうかはわからないが、微かな躊躇いがあるように弥生には思えた。
それが、弥生の不安を掻き立てる。
そんな思いとは裏腹に、フラッドは、遂に、弥生が知りたかった、と同時に、知りたくなかった事実を告げた。
「如月は死んだ」
弥生の頭の中で、その言葉が反響する。
たった一人で旅をしていた頃から、そして、たくさんの仲間たちと旅をするようになってからも、考えなかったわけではなかった。
父はもう死んでいるのではないか。だからこれだけ必死に探しても会えないのだと。
そのたびに、そんなことはないと、自分を奮い立たせ、今日、この瞬間まで、頑張ってきたのだ。
しかし、今フラッドの前で父の死を口にされると、ショックが大きかった。
「うそ……」
口の端から、無意識に声が漏れる。
「疑うのなら、皐月のオーバードライブを使え。それで真偽はハッキリする」
必要はない。皐月もやってみようとは思わなかった。
冗談にしては不謹慎すぎるし、皐月のオーバードライブ、『記憶針』は、他者の記憶を読み取る。この能力の前には、一切の嘘が通用しない。それを使ってみろと言っているのだ。嘘をつくはずがない。
「じゃあ……どうして……?」
「如月は、お前を守るために戦った。しかし、力が及ばず死ぬことになった」
「分からないわ。どうして父さんが、そんなことをしなくちゃならなかったの?」
「それを今から話そう。ラルクレスが持っている古文書の内容と、スルト教については、知っているな?」
頷く弥生。
ラルクレスの話では、古文書には大昔、人魚族を頂点とした亜人種による文明が築かれていたが、突如、空からやってきた存在の攻撃を受け、全面戦争に突入。が、現れたのと同様に、唐突にその存在は姿を消し、一応の終結を迎えたが、長い戦乱のせいで、国の統制が乱れ、滅んだという話だ。
スルト教といえば、以前、世話になったジーナス家が長を務め、ユニコーン・スルトを神と崇める宗教であるというぐらいの知識しかない。
この二つが、一体何の関係があるのか、弥生には見当も付かなかった。
「ユニコーンは、空から来て、かつての文明を滅ぼした存在を『星の災厄』と呼んでいた」
「ちょっと、フラッド。なんだか話がずれてきてない? 何で弥生ちゃんのお父さんの話にそれが出てくるのよ?」
「大いに関係があるからだ。この話はいささか複雑だ」
邪魔をするなという眼差しを向けられ、皐月はたじろいだ。フラッドは続ける。
「『星の災厄』はある日、突然姿を消した。しかし、ユニコーンはそれで終わりだとは思わなかった。再び「星の災厄」が現れたときに備え、戦力を生み出すことにした。それがジーナス家だ」
「「ジーナス家?」」
弥生と皐月の声がはもった。
「ジーナス家が、ユニコーンを信仰するのは、先祖が強力な力を与えられたからだ。もっとも、世代を経るうちに、その力を持つ者は、数を減らした。今いるかどうかは定かではない。失敗だと考えた次の手を講じた。といっても、ユニコーンは自分を知覚できる者にしか力を与えられない。その存在も減少の一途をたどっていたからな。結局、たった二人だけになっていた。それが俺と……」
ようやく、弥生の中で、幾つものピースが合わさってきた。
「……父さん……」
その通りだとフラッドは頷いた。
「お前は如月と旅をしていたそうだな。奴が姿を消す前に挙動がおかしかったことはないか? 俺のときもそうだったが、力を与えられた直後は、身体が慣れるまでなんらかの異常が起きる」
弥生には思い当たる節があった。
如月は、行方をくらます数日前から、部屋に篭って弥生に姿を見せなかった。おそらくはそれが前兆なのかもしれない。
だが、疑問はまだ残っている。
「私を守るために戦ったってどういうこと?」
「お前には、オーバードライブの使い手の属性が判る眼があるだろう。それを『星の災厄』は、欲しているらしい。もっとも、この点で言えば、銀牙も同じか……如月はそのことを知って、『星の災厄』に戦いを挑んだというわけだ」
「じゃあ、それって……」
「黙れ」
その先を言わせまいと、フラッドが遮った。
「如月が、お前を守るために戦いを決めたのは、奴自身の意志。そして、お前の父としての情ゆえだ。だが、そこでお前が奴の死に罪の意識を抱くのなら、それは、如月への侮辱だ。お前を傷つけるために戦ったのではないからな」
「でも……」
いくら如月が自分で決めた結果とはいえ、原因が弥生にある点は間違いない。この眼がなければ、如月が死ぬことはなかったはず……そう思えてくる。
「まぁ……すぐに受け入れろというのも無理な話か。それはこれからゆっくりと考えていけばよい……もっとも、そんな時間があればの話だがな……」
「えっ……?」
弥生が、フラッドの言葉の意味を測りかねている微かな間、皐月が動いた。
皐月は、弥生と同じ十六歳の女の子である。が、弥生とは刻んできた月日が違いすぎる。
皐月は忍率いる、霧幻八鬼星(むげんはっきせい)の星を担う存在だ。闘技大会に出場していれば、今頃、決勝トーナメントに名を連ねていただろう。
皐月は、戦士なのだ。旅人である弥生とは、戦闘における、あらゆるスキルが勝っている。
故に気づけた。
フラッドが、腰の長剣を抜き放ち、弥生の首めがけて、斬撃を見舞おうとする瞬間に。
弥生はもとより、並の戦士レベルなら、死んだことさえ分からない、刹那の時。
皐月は、袖に隠していた鉤爪で、フラッドの刃を受け止めていた。
「さ、皐月……? フラッド……?」
瞬きをしたほんの僅かな間に、状況が激変し、弥生は困惑した。
目の前に、背を向けた皐月が、鉤爪でフラッドの長剣を防いでいる。そして、フラッドからは、素人の弥生にも分かるほどに、殺気を漲らせている。
「流石だな……」
ニヤリと、口元を歪め、後ろに飛んで距離をとるフラッド。
「フラッド……これ、どういうこと?」
訃報とはいえ、父の話しをし、元気付けるような言葉までかけてくれたフラッドが、自分に刃を向けるのが、弥生には信じられなかった。
「どういうことかだと? 愚問だな。お前が『星の災厄』の手に渡れば、奴らを討つ
ことは困難になる。不安要素は早めに排除すべきだろう?」
フラッドはさも当然と言わんばかりだ。それが、ますます弥生を混乱させる。
「だったら、どうして、さっきはあんな話をしたの? 目的が弥生ちゃんの命なら、態々お喋りする必要はなかったんじゃないの?」
弥生に対して、皐月のほうは、割と冷静に思考を切り替え、今のフラッドを危険と判断し、弥生を庇うように、フラッドの前に立ちはだかった。もう片方の手にも鉤爪を装備し、身構える。
「如月に頼まれたからだ。一応、同類のよしみというやつでな」
「本当に、律儀ね……あなたって……」
「そういうわけだ。弥生の命はもらうぞ」
「させない!!」
弾かれたように、フラッドに迫る皐月。
フラッドは、長剣の切っ先を皐月に向ける。
皐月の鉤爪と、フラッドの長剣がぶつかり合う。
火花が散った。
「さて、とりあえず、決勝トーナメント出場だな」
「ああ、やったな銀牙」
言って、銀牙と浩也は、水だけが入ったコップで乾杯をした。ガラス同士が当たり、カキンと音がした。
無事に、決勝トーナメントに進出した二人は、忍の発案で、豪華な食事をすることになった。闘技大会にはギャンブルの要素があり、仲間たちが自分たちに賭けているので、勝ち進んでいる彼ら懐も暖かくなっていた。
しかし、だからといって、少年二人で、高級レストランになど入れるわけがなく、第一、入ろうという選択肢自体思い付かない。かといって、ファーストフードや、いつもの食堂に行くのもつまらない。
その結果、来たのがこの焼肉屋である。この手のものは万国どこにでもあるらしい。
もっとも、ハヤトと由惟も一緒にいるので、こういう子供が好きな場所のほうが良いとも言える。
二人は、銀牙を挟むように座っていた。
「さぁさぁ銀牙お兄ちゃん! お肉を食べるのです! 早く食べないと私が食べてしまうのです!!」
由惟は次々と、食べ頃の肉を目にも止まらぬスピードで取っていく。
「がっつくなよ……」
呆れたようにハヤト。苦笑して、銀牙と浩也も食べ始めた。
肉を口に入れながら、浩也は何気なく銀牙を見た。
銀牙は、両サイドに陣取った子供二人と仲良く戯れている。
それで、ふと浩也は言った。
「銀牙ってさ。ハヤトや由惟に随分と好かれてるよな」
「そ〜〜〜〜〜なのです!!」
いきなり、由惟が銀牙に抱きついた。
「私は銀牙お兄ちゃんにぞっこんなのです! 将来は、銀牙お兄ちゃんの側室になるのです!」
「「なにーーーーーー!?」」
この発言に、銀牙は絶叫した。
「ゆっ、由惟、ぞっ、ぞっ、ぞっ……って、何言ってんだ!」
「ハヤトの言うとおりだ! 銀牙! 重婚は許さん! 一体誰が正室だ!?」
ハヤト、浩也が思わず席を立つ。他の客が一斉に注目するが、気にしない。
「ちょっ、ちょっと待てーーー! 側室だの、正室だの、一体何の話をしてんだ!? そもそも俺は……わぁっ!」
「大丈夫なのです! 正室は弥生お姉ちゃんなのでーーす!」
首に巻きつかれ、盛大に頬擦りされるものだから、銀牙は言葉を遮られる。何が大丈夫なのか、突っ込みようがない。否、それ以前に、由惟の腕は、十歳児とは思えないほど強く、声が出ないどころか、かなり苦しい。子供がじゃれ付いてきたくらいのレベルではない。このままでは、決勝トーナメントに出場者の身で、十歳児に絞め落とされたという、不名誉を被ってしまう。
「ゆ……由惟……そろそろ……」
何とか由惟の腕を解こうと、銀牙が手を伸ばしたときだった。
「助けて銀牙――――!!」
「!」
四人の動きが一瞬止まる。声の主は、この場にはいない弥生だったからだ。
「銀牙お兄ちゃん!!」
由惟が、銀牙のジャケットに手を突っ込み、紫の玉を取り出した。聖から連絡用に渡された遠声玉(えんせいぎょく)だ。声はそこから聞こえてくる。
「どうした!? 弥生!」
由惟の手から遠声玉をひったくり、銀牙。口調から、弥生の身に危険が迫っていることは明白だ。
そして、今こそ、誓いを果たすとき。
が、銀牙は、予想外の事態に驚愕した。
「……フラッドに……襲われている……?」
わけが分からない。
フラッドは、自分を鍛えてくれた人間だ。それも、弥生を守るために。
そのフラッドが、なぜ弥生を?
「銀牙!」
浩也に肩を?まれた。
「フラッドの意図は不明だが、今は現場に行くことが先だ!!」
浩也に言われ、銀牙は我に返る。
そうだ。もたもたしている場合ではない。
今は、弥生がピンチなのだ。ならば、弥生を守らねばならない。
「弥生ーー!」
銀牙は店を飛び出した。
「銀牙! 俺も行くぞ!」
浩也も後を追う。
走りながら、銀牙は、腰の二振りの刀に触れ、その存在を確かめる。
同時に、脳裏を過ぎるガビィルの記憶。
もう、あんなことは起こさない。
弥生を守る。絶対に!!
地面、壁、あらゆるものを足場に使い、縦横無尽に駆け回り、皐月はフラッドに必殺の一撃を叩き込もうと試みる。
しかし、フラッドは、その全ての攻撃を、ある時は、剣で弾き、またある時は、最低限の動きで回避してみせる。
力量差は十分に承知していたが、まさかこれほどとは思わなかった。
「やぁ!」
横薙ぎに振るった鉤爪が届く直前、フラッドが消える。獲物を見失った爪は、石壁に五本の傷跡をつける。
「!」
針のような殺気が背中に迫る。痛みさえ伴うそれは、いつの間にか背後に現れたフラッドのもの。
皐月は、今しがた自ら傷をつけた石壁に足をかけ、高々と跳躍する。そして、空中で体勢を整えると、フラッドに向けて鉤爪を振り下ろすが、これもかわされてしまう。
「ほぉ……やるな。さすがは、霧幻八鬼星(むげんはっきせい)」
フラッドの口元が微かに笑っている。
遊ばれている。皐月は気づいた。
自分程度では、フラッドを楽しませるのが限界らしい。
だが、弥生が遠声玉(えんせいぎょく)で銀牙を呼んでくれた。ならば、浩也も絶対に来る。
幼馴染として、陰日向で彼を見てきた。浩也なら、フラッドを打倒せる!
もう少しだ。もう少しだけ辛抱すれば……!
疲労を隠せない身体に鞭打って、皐月は自分を奮い立たせる。
「まだやるつもりか……? お前は根性もあるようだな」
返事をする余裕はない。皐月はフラッドの一挙手一投足も見逃さない構えで睨みつける。
「少しばかり、敬意を称して、俺のオーバードライブを見せてやる」
言って、フラッドは、剣を持たない左手を突き出した。
瞬間、フラッドの左腕から、六本の黒い鎖が伸びた。
鎖は、頭上、正面、足元……様々な角度から襲ってくる。
しかも、その狙いは皐月ではなく、彼女の後ろで立ち尽くしている弥生だ。
鎖の速さはかなりのものだが、皐月にはかわせる。が、弥生には無理だ。
皐月は、足のバネを限界以上に使って、一飛びで、弥生を突き飛ばす。「きゃあ!」と短い悲鳴を上げ、弥生は吹き飛んだ。
そして、身代わりとなった皐月に、六本の鎖が絡みつく。
全身に、滅茶苦茶に巻きつき、身体を拘束された。首を捩ることも出来ず、肌に食い込む鎖が痛い。
だが、それで終わりではなかった。
「……!?」
皐月の口から声にならない悲鳴が出た。と同時に、身体から力が抜けていく。
オーバードライブが使える以上、何が起きているのか、すぐに分かった。
鎖が、オーバードライブのエネルギー源である、ディクシスを吸い取っているのだ。それも、激痛を伴いながら。このままディクシスを失うことは、ただでさえ低い勝率がゼロになるということでもある。皐月は、何とか脱出を図るが、鎖を千切るどころか、解くことも出来ない。
「無駄だ。俺のオーバードライブ、闇の具型(ツールタイプ)トゥーチャーチェーンからは逃れられん」
フラッドは、伸ばしたままの左手を握り締めた。鎖の力が強まり、皐月を締め上げる。
「皐月!」
友を救うべく、弥生はナイフで鎖を切ろうと無駄な努力を始める。皐月は「逃げろ」と言おうとしたが、首を圧迫されて声が出ない。
「終わりだな」
終わりという言葉に、弥生は身震いした。フラッドの右手の剣が、血を求めるかのように、凶悪な光を放つ。
「行くぞ……」
フラッドが一歩を踏み出そうとしたときだった。
「待て!!」
銀牙と、少し遅れて、浩也が現れる。
二人とも、眼の前の事態に困惑を隠せない。
「思ったよりも、早かったな……」
ゾッとするほどの酷薄な笑みを浮かべ、フラッドは振り返った。