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過去の日記
>>円環の中から(02/02/28)
>>不実な生活(02/02/20)
>>目をつむり、日記を書く(02/02/10)
>>病気の境界線(02/02/06)
>>気まぐれな日本の私
あるいは
わかっちゃいるけどやめられない
(02/02/04)
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>>1.38メガの「存在」 02/03/13(Wed)
寝ぼけてる時っていうのは、たいていろくなことが起きやしないわけで。
目覚し時計を止めようとしてベッドから落っこちたり、
メガネ踏んづけたり、
友達からかかってきた電話で起きて、
「あ〜、んじゃ、今から行くわ」って答えておきながら、
実は全然覚えてなくて、二度寝した後に苦情の電話がかかってきたりとか。
終いには、本当は寝ぼけてなかったくせに、
「ああ、今回の日記、寝ぼけてた時に書いたもんでさぁ、面白くなかったでしょ」
とか言い訳の口実にしはじめるわけですよ。
まぁ、そんな言い訳してみたところで、友人には
「あ、そうなの。別にいつもと変わんなかったけど」
と、あっさり言われたりするんですけどね。
で、今回は寝ぼけて何をやったかと言うと、水をこぼしたのですよ。
まぁ、その程度のこと、別に大騒ぎするほどのことじゃないんですけどね。
・・・こぼれたのがパソコンの真上じゃなければ。
幸いパソコン本体は無事だったんだけど、
もろに水をかぶったフロッピーディスクが完全にいかれてしまっておりまして、
ディスクドライブに入れると、聞いたこともないような、
ちっとも心地よくないデジタルサウンドが流れ出したるする始末で。
ここ二年で書いた文章や、書いてる途中の小説なんかは、
全部このフロッピーに入っていたもんだから、
二年分の記録はきれいさっぱりなくなってしまったわけで。
漫画家・近藤ようこが、
過去の作品をまとめた短編集「春来る鬼」のあとがきで、こんなことを書いている。
「昔のもの(作品)を出すのは失神するほど恥ずかしい。
(中略)だが、漫画家としての私は漫画以外に存在証明がない。
昔出した単行本が絶版になったまま、忘れられてしまえば、
その間の私の漫画家人生が無くなったのと同じことなのだ。」
20年以上プロとして作品を出し続けてきた人間の言葉になぞらえるには、
あまりにも稚拙なものぞろいだし、
実際に完成した作品の数など片手で足りる程度なのだけれど、
それでもやっぱりその痛みは同じなんだと思う。
例え、苦しい失敗や後悔の記憶であっても、
ありとあらゆる記憶は現在に繋がる存在の証明であり、
無意味であることはあっても、無駄ではない。
だから、「失った」という記憶も、きっと無駄ではない。
これからも失いつづけるだろう僕は、
そう祈りながら、キーボードを叩きつづけてるわけで。
※引用部分内()は作者(小林)注です。
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