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7月9日朝、中学校時代お世話になった先生(A先生)が亡くなられた。 僕の学校時代全てにおいて、今でもお世話になったと思い返せる人はA先生の他にいない。僕の中でA先生の存在はそれほど大きい。 僕のА先生に対する思いの記録として、今回はА先生に関する雑記にさせてもらいたい。 中学の頃、僕は何もできなかった。よく「人間、特技の一つや二つあるものだ」という言葉を耳にする。勉強のできる頭、体力、社交性、これを一つでも持っていれば学校生活において有利な立場に立てやすい。目立ちやすいからだ。教育実習でも実感したが、話しかけてくれる(社交性のある)生徒はこちらも印象にも残りやすいがそうでない生徒だとやはり印象が薄いままである。その分類でいえば僕は明らかに後者だった。目立ちやすい人間の要素もない。あまり書きたくないがいわゆるイジメも小学校時代から続いていた。長年被害を受ける立場に立っていると物事を眺める視点は達観的になるもので、何か言ったところで本意は伝わらない、無意味だという解答が確実な実証によって得られているため、考えている事を態度に出す事もなくなる。言ってみればクラス環境に入っていけない生徒の典型のようなものだった。 そんな人間が、不可解な協調意識の塊のようなクラス組織で、毎日いじめられに行くような学校で、面白いはずが無い。だがその中で、唯一ゆったりと遊べる空間、それが「科学部」だった。 科学が好きだったわけではない。そこに共通の同志がいた。僕と同様、精神的被害を受けてきた人たち。しかも敵まで共通。そういう部分で暗黙の了解のようなものがあり、仲良くなれるゆとりがあった。A先生は、そんな科学部の顧問だった。 先生は僕たちの状況も理解しており、とても気を使ってくださった。内向的な者たちが集まる部活でおとなしそうに思われるかもしれないが、僕たちのクラブは活発だった。明石の中学校だから天文科学館はもちろん、神戸の青少年科学館といった施設や、先生の実家のある町での山登り、書写山、鹿島神社参拝なんかもした。兵庫県の奥部、おそらく中町だったと思うが加古川の上流に行って水生昆虫を採ったこともある。僕は何かを覚えるには実践をする事が一番だと思うが、その考え方の根源としてこれらの体験が大いに影響している。他にも色々あるが、個人的には、修学旅行で太宰府天満宮を訪れた際、高校受験合格祈願のお守りを買ってもらった思い出もある。「科学部」があったから、A先生がいたから、僕はまだ救われた。 最近よく中・高生がマイナスな面で注目されているが、僕は彼らが(その注目される行為を行った人間も含めて)特別な人種だとは思わない。なぜなら残忍な少年犯罪もイジメも、形の違いはあれ昔からあったことだ。ただ校門の前に首が置かれ新聞社に声明文が送られたりバスジャックがされたりして、それまでになかったインパクトが加算されたことでマスコミが注目し、より目に見える形で世間に知れ渡った。それだけのことだ。言い換えればマスコミによる「衝撃と恐怖」作戦の成果にすぎない。イジメは、それが大人社会に置き換えたとき犯罪の性質をもつ以上、りっぱな少年犯罪である。そして、犯罪被害を受けてきた者が、その生活世界における絶望感から行為者に対し抹殺願望や逃避願望を抱くのは摂理であって、絶望からの逃避手段あるいは憎悪からくる抵抗手段として、被害者が加害者に転化することや自殺という選択肢を選ぶことも充分にありえる。これも何も今に始まったことではない。僕の場合、その可能性を防いでくれたのが「科学部」という存在だった。先に救われたと書いたのはそういう意味だ。 とにかく本当に優しく、厳しく、真面目で、すばらしい先生だった。僕に一生懸命接してくれ僕自身も一番そう実感できた先生は、この先生の他に存在しない。この世に絶対はないといわれるが、霊柩車を見送る時、もう絶対会えないんだなという想いが湧き、何とも言えない気持ちになった。先生と共有できる楽しい時間は二度と訪れない。思えば中学校に入学すると同時にA先生を知ってちょうど10年目。まさか10年後にこんな結末になろうとは思ってもいなかった。苦痛でしかなかった小・中学時代、神は存在しないものだと悟ったが、やはり神は存在しないと感じる。A先生の死はあまりに理不尽すぎるからだ。 先生が病気にかかっていたことは、亡くなられてから知った。2年半前「科学部」の同窓会の時も、その半年後に母校の中学に挨拶にいった時も、元気な姿しか見ていないのだ(実際、この時点ではまだ発症していない)。想像できるわけがない。だが、この中学校での場面が、最期の別れとなってしまった。確か、当時母校の中学で講師として勤務されていた先輩へ挨拶に行ったときのことだ。 お通夜の際には参列者が多すぎて初め会場に全員が入りきらなかった。まだ現役の教師であったから最近まで働いていた学校の現役生徒や同僚教師たち、10年以上勤務してきた僕の母校でもある前任校の卒業生や今は別の学校に散り散りになったかつての同僚教師たちなど、その総数たるや二、三百人は軽くいたという。同級生だけでも、既に卒業してから8年も経過しているにもかかわらず三十人位は確認できた(僕は読経などの式が終わって皆が三々五々となる頃に会場に入ったし、又だいぶ顔も忘れているため視認できる人物も限られており、実数だと2、3倍は多いと思われる)。同じように参列していた当時の教師に「みんな、どうやって集まったの?」と驚かれたくらいだ。 先生の霊前で、改めて教職者への決意を固めたという同級生もいた。やっぱり魅力のある先生だったんだなぁとしみじみ実感する。 悲しみを抑えるあまり思考停止には陥りたくない。まだまだ纏まらないが、先生という存在について今後もゆっくり考えたい。 「ありがとう、さようなら・・・」 ありふれた言葉だが、そんな気持ちでいっぱいだ。 |
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2003年07月14日 05時45分20秒
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