
時の流れに |
1月
冬の朝は、いつになく大地も凍てつき。時も、また、振るえながら過ぎ。
ただ、風のもたらす音色が妙に耳に響く。暖かい光を放つ太陽が、南の空に高々と顔を出し、無限の恵みを降り注いでも、それを受けとめる息吹が、活性に欠けて。日に浴びて風化を待つばかり。
「切磋琢磨」磨けば、「それなり」に光る石も、殻が硬く。ガラスのように、硬質だが脆く、落とせば「ガチャン」と壊れる。鉄のように、熱い内に打たれて不純物を除けば、素直で粘りのある良質の純鉄に変われたものを!
石は、硬く、脆く。粘土は、柔らかく、柔軟性があり、子供の手でも万物に変わる。しかも、「粘土は粘土」である。
午後の陽射しが傾く頃。街のざわめきが増し、行き交う人も、急ぎ足になる。汗と埃でまみれた、一日の垢を、熱い湯船の中で落した後の一杯が、五蔵にしみる。
一時の糧を求めて、彷徨する人の後ろ姿を追いながら。今宵は、どんな夢を見るのやら。夜空の星の、数え切れない事を誰が教えるのか。まだ、眠りにつけそうもない。
4月
風に吹かれて鯉のぼり。鯉にあやかる訳では在りませんが、好景気の風に吹かれて早く昇り調子になるように!!
街人のから、人は皆、時の流れだけは、公平に進むものと、実感。「少年老い易く学成り難がし
一寸の光陰軽んずべからず」(朱熹
偶成)
花粉情報が終わったと言うのに、未だに花粉症が直らない。早く紫陽花の花がみたい今日この頃。
5月
「幸福とは幸福をさがすことである。」”私はこのルナアルの言葉を,高等学校の便所の落書きのなかで発見したのだ。私はこの大きな真理を何べんもよみながら、目にしみるような窓の青空に目をやった。人と人とに出会いがあるように、人と言葉のあいだにも、ふしぎな出会いがあるもんだなあ、と思いながら。”(寺山修司)
例年、春になると鴬の声で明ける朝が?今年はいずこへ行ったのやら。青い空、新緑の香り、鴬の音色・・・とくれば
を願う。
6月
雨の日はいつも・・・
長靴を履いて泥水の中、蹴飛ばしながら下向きに歩く
いつも曇り空の6月の日
10月
秋の日の ヴィオロンの
ためいきの身にしみて ひたぶるにうら悲し。
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ
過ぎし日の おもいでや げにわれは
うらぶれて こゝかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな」 (落葉
ヴェルレエヌ)
紅葉の美しい季節です。
12月
クリスマスケーキを売る声も何となく迫力にかけ。道行く人は、コートの襟を立てるばかり。例年になく、酔っぱらいが少ない駅前広場は、終バスに乗ろうとバス停の周りだけ人沢山になり、チャルメラだけが妙に暖かく、深夜の胃袋と心を暖める。
スーパーのチラシは、「良いもの」から「お買い徳」に変わり、「個人」から「家族」での団らんに変わる。
不自由にならないと「物」よりも「思う気持ち」の大切さが分からないものか。
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