百物語第三夜 其の六
まいごとかくれんぼ


  降りしきる雨の中、僕は一人の少女に出会った。
 その少女は骨の曲がったビニール傘を差し、泣きじゃくりながらも前を見据え、しっかりした足取りで歩いていた。
 左手には、もう一本のビニール傘。
 酷い雨だった。そんな中少女はどれだけ彷徨っていたのか、制服のブラウスまで濡れそぼっていて、それなのにまだ雨の中を歩き続けるつもりのようだった。
 立ち止まった。あまりに気の毒で、あまりに心配で、せめてその姿が視界から消えるまで見守ろうと思った。
 少女が振り返った。
 え、と訝しむ間もなく、彼女は水たまりを跳ね散らかしながらこちらに向かってきた。

 「あの! 」
 涙に濡れた頬を隠そうともせずに。
 「小学校四年生くらいの女の子、見かけませんでしたか! 上はピンクのTシャツ、下はジーンズっぽいミニスカート、髪の毛はこのへんで結んでてでこのくらいの背です! 」
 そういって彼女は自分の肩口に手をやった。
 「……妹さんが迷子なの? 」
 少女は、ふ、と目を落とし悔しそうな表情をした後
 「はい! 」
 はっきり返した。

 涙を拭くためのティッシュを渡した後、僕は少女に事情を尋ねた。
 喧嘩したら妹が出ていってしまった、お母さんに探してきてと頼まれた、と少女は言った。
 「いつもなんです」
 少女はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
 「あやのはいつもそうやって好き勝手するんです。私はお母さんにあれこれ頼まれてどこにもいけないのに……今日だって……」
 また泣き出す。明らかにティッシュが足りない。
 (弾幕薄いよ! 何やってんの! )
 某艦長の声に急かされて鞄を探る。何か拭くものはないか! 何か……!
 あった。
 仕事帰りに某所で買ってきた、パンツじゃないから恥ずかしくないアニメの、偉い角度からスク水着用キャラを撮った超ビッグバスタオル。
 (コレクターとして、且亦少女に妹捜索依頼を出されてしまった青年男性として。
 はたしてこれを差し出すべきなのか)
 
 暫時。

 僕は袋を開け、大判のタオルのごく隅っこだけを鞄から器用に引っ張り出し、少女に涙を拭くように促した。
 首を振る。
 「……風邪引くよ」
 「でもそれお兄さん買ったばっかりなんじゃないんですか? 」
 指で拭いながら尋ねてくる。
 「いや、大丈夫、どうせ自分で使おうと思ってたから」
 (嘘つけぇぇぇ末永く大事に保管しておこうと思ってたんだろうがぁぁぁぁ)
 自分に突っ込む。だがしかし、コレクター魂よりもこの際目の前でリアルに困っている少女を優先すべきなのもわかっている。
 「……ほんとですか? 」
 「ほんとう! 」
 少女を説得するためというよりも自分を励ますために宣言する。
 その様子がおかしかったのか、少女が笑った。
 陳腐な言い方だが、花が咲いたように見えた。

 「すみません」
 角っこの、青空とマシンガンの先だけでなんとかまかなってもらいながら。
 僕は少女と並んで歩いていた。
 「その様子だと随分探したんだろうから、警察に聞いてみた方がいいんじゃないかな」
 少女は首を振った。
 「ダメなんです、前もこういうことあって、お母さんにあんたがきちんとしてないからだってすごく叱られて……。
 お母さんそれでなくてもおじいちゃんの介護してるから疲れてるんです。
 私も早く帰って晩御飯作らないといけないのに……」
 うつむく。
 まだ中学生なのに。
 そんなに色々なものを負っているのか、この少女は。

 「……じゃあ、とりあえず家に電話してみたら? もしかしたら妹さん家に帰ってるかも知れないよ」
 「私、携帯持ってなくて」
 「いいよ、僕の使えば」
 差し出そうとして待受がアレなことを思い出す。慌てて引っ込め
 「じゃ、じゃあ僕が番号打つから言って」
 「ハイ、お願いします。」
 少女は無防備に自分の家の番号を口伝えた。間違えないように打ち、手渡す。暫くして少女が電話口の向こうにいる誰かと話をし始める。
 「もしもし、お母さん? あの……あや帰ってる? うん……うん……わかった、すぐ帰るから」
 目元が悲しげに沈む。
 電話が終わるまでの僅かな時間に、僕は、何かこの少女にしてやれることはないか考えた。
 そのせいで忘れていた。
 電話を切った後、間髪入れずに、待ち受け画面が表示されることを。
 そこに居たのは、同じくパンツじゃないから恥ずかしくないアニメに出てくる、眼帯をした白軍服の少女だった。

 妹が居て安心したらしく、顔色に血の気が戻ってきた。先程まで青ざめて濡れていた頬が暖かい色を帯びてくる。
 優しげな眉、薄く開かれた唇、そして自然な睫毛に縁どられた黒目がちな瞳が僕に向けられている。
 (見とれてる場合じゃねぇぇぇぇ! )
 どうする。どうする。どーすんの俺!
 だが、四択のカードのどれをめくっても真っ白、という悪夢に苛まれる必要はなかった。少女は何も見なかったかのように平静な表情で携帯を折りたたむと、
 「ありがとうございました」
 と返してきた。
 「あ、うん」
 「妹、うちに帰ってお風呂入ってるそうです」
 「……そう」
 大変だね、と言おうとしたのを飲み込んだ。そんな言葉は多分聞き飽きているだろう。僕は少女に何もしてやれない。何を肩代わりしてやることもできない。そんなこと、わかってる。
 こんな話は日本中どこにでも転がっているんだろう。その中の一人にこうやってめぐり合って何かしてあげたいと思っても、きっと何もできないまま終わってしまうんだろう。出会いは刹那に過ぎて行き、別れは永遠に選択肢を奪いとってゆく。いつだって。
 感傷にふけっている僕に、こんな言葉が投げかけられた。
 「あの、お兄さん、妹探すの手伝ってくれてありがとうございました。
 お礼させてもらってもいいですか? 」
 
 少女の家に向かう途中にある、今は使われていない小さな屋根付きのバス停。
 そこで僕と少女は二人して腰掛け、温かい缶飲料を飲んでいた。
 僕がコーヒー、少女がココア。
 「少しだけ」
 少女は呟いた。
 「少しだけ、家に帰るの、待って下さい」
 誰かに言い聞かせるように、少女は言った。
 ……ココア飲み終わるまででいいんです。
 その言葉を確かに聞き止めながら、僕は、なんと返していいか分からないままだった。

 それから少女が、タオル汚しちゃったので洗濯して返します、といったのを全力で拒み。
 拒んだにも関わらず半分ほど鞄から引っ張り出され。
 抜けるような青空を背に戦う軍曹が世間に晒され。
 再び少女と顔を見合わせる羽目となり。
 ……そして少女は何事もなかったかのようにもう一度僕の鞄にタオルを詰め戻し、
 「……ありがとうございました」
 と深々とおじぎして、帰っていった。

 あれから数日。
 あの制服の群れを見かける度、僕は少女の姿を探していた。
 だが少女は見当たらなかった。
 そこにいたのは、少女と同じような年頃だけど、きっともう少し自由で、もう少し奔放で、それゆえにもう少しだけわがままを知っているだろう、そんな女性の雛形ばかりだった。
 (そういえばあの少女は晩御飯を作らなくてはならないと言っていた。
 こんなところで遊んでいる時間はないんだろう)
 そんなことを考えた。
 そして、いよいよ少女が気の毒になった。
 とはいえ、僕はもう少女と連絡を取る術すらなくしていた。
 落ち込んで深酔いしたときなんかに勢いで電話してしまうのを恐れて、僕は早々に発信履歴を削除してしまったのだ。
 だから、少女との縁を取り戻すよすがは、もうない。
 (実を言えば、なんか色々な意味での記念として、タオルは洗わずにとってあるけれども)

 そのタオルに印刷されていた軍曹の笑顔を思う度、僕は少女の幸せを願った。

 次の週、土曜日の昼過ぎ。
 携帯が鳴った。
 番号に見覚えはない。
 だが同じ地域の固定電話からだったので、とりあえず出てみた。

 「……お兄さん? 」
 耳を疑った。聞こえてきたのは、少女の声だった。
 「……なんで番号知ってるの? 」
 空気の読めないことに、僕はそんなことを聞いた。少し間があって
 「……お兄さんの携帯から私の家に電話したでしょ? そのときの番号、ナンバーディスプレイで見て控えておいたんです」
 肩の力が抜けた。

 「……怒ってますか? 」
 少しおどおどした少女の声に、僕は慌てて頭を振った。
 「いや、全然怒ってなんかないよ。……嬉しいよ、電話くれて」
 ちょっと待て嬉しいとかいうのは早いんじゃないのか! 何慣れてるフリしてるんだよ! と自分の中の何かからツッコミを受け不安になる。
 「……よかった」
 小さなつぶやきが聞こえた。
 (なんだ。
 この子も不安で。
 こんなヘタクソな僕の言葉を待ってたのか)
 言葉を交わすたびに自分の中の取り繕いが解けてゆく。そんな僕に少女が優しい追い打ちをかけてきた。
 「あの、突然なんですけど、お兄さんにお願いがあるんです。
 今日、お兄さん、暇ですか? 」
 ……。
 自慢じゃないが、土日には自分と遊ぶ以外の用は余り入れない主義だ。
 「……一応空いてるけど、どこか付き合ってほしいところでもあるの? 」
 言いながら選択肢はこれで良かったのだろうか、と迷う。もっと強気で行くべきなのか、それともどうすべきなのか。恋愛シミュレーションゲームだったら考えなくても三つくらい選択肢が出たのになぁ、等と馬鹿なことを思い、反省して。
 返事が返ってこないことに不安になった頃。
 「あの……」
 思い切るような声で
 「プールに連れてってもらえませんか」
 そんな頼みごとをされた。
 
 駅前で僕は少女と待ち合わせをした。
 私服の少女を見つけられるか心配していたのだけれど、少女の方が僕を見つけてくれた。
 「お兄さん! 」
 緊張しすぎた僕は上手く笑えなかったのだけれども、少女はそんなこと気にもせず。
 僕と少女は、市の体育館に併設された温水プールに向かうバスに乗った。

 小学校の頃は、スポーツクラブの水泳教室に通っていたのだと少女は言った。
 だが祖父の介護が始まると、母親から送迎の余裕が失われ、少女はあらゆる習い事を諦めなくてはならなくなった。
 「今日はね」
 少女はどこか辛そうな、透明な笑顔で言った。
 「妹と親は泊まりで親戚のお葬式に行ったの。おじいちゃんをショートに預けられたから。
 でね。
 私はね。」
 暫くの間言葉が途切れる。
 「……お母さんが、学校の試験が近いから、うちで勉強してなさいって。
 ご飯はいつものように自分で作ってねって。
 おじいちゃんもいないんだから集中出来るでしょ、って。
 ……そりゃあ、お葬式なんて行ったって面白くないけど……」
 窓の外に目をやる。少女の横顔の背景を緑が流れてゆく。
 ふいにこちらを向いた。
 「でね、つまんないから遊ぶことにしたの! 」
 屈託のない笑顔。ほんとうに、僕なんかとプールに行くことを楽しみにしているような。
 「お兄さん。
 ……ありがとう」
  頭を下げられた。
 (……ありがとうなんて、いうな。
 まだ中学生なのに。
 もっと、わがままになっていいのに)
 ぎこちない笑顔を返しながら。
 僕は、あまりにもささやかな楽しみしか思いつくことの出来ない少女の境遇に、胸つぶれるような思いをしていた。

 親戚の女の子をプールに連れてきたような顔で僕は受付を済ませ、着替を済ませてプールサイドに出てきた僕は、吐血しそうになった。
 

 スク水少女が現れた!
 
 どうしますか?
 
 →拝む
 写真を撮る
 抱きつく

 スク水少女は逃げ出した!

 などというゲーム的場面展開が咄嗟に思い浮かんでしまう自分からむしろ逃げ出したくなったのだが、少女の
 
「どうですか? 」
 という恥ずかしそうな問い掛けに我に返った。
 「お兄さん、こういうの……」
 言いかけた少女と目が合う。途端真っ赤になって俯いてしまう。沈黙を埋めたくて言葉を探し口から出たのが
 「あ、あの、どうして……」
 なんて台詞だった。
 ……そのあと僕は何を言おうと思ったのか。どうして僕がスク水が好きだと知っているんですか、と口頭で尋ねようとでも思ったのかバカめ。
 だが少女は僕の問を理解した。問の真意を理解した。
 「私忙しいからかわいい水着とか買いにいけないんです。学校の授業以外で泳ぎにいくこともないし……。
 それに……。」
 恥ずかしそうに俯いて。
 「お兄さん、スク水のアニメとか、好きみたいだったから……」
 ぐは。
 早く水に浸からないと色々な意味で僕が死ぬ。多方面で死ぬ。つかもう死んでる。

 気を取り直して。
 少女は水泳教室に通っていたというだけあって綺麗なフォームをしていた。きちんと水泳帽をかぶっている。注意されるまで帽子を被らなかったり忘れたと言い張ったりお金がないから買えないと嘯く、そんな少女を多数見てきた僕にはそれがいよいよ好ましかった。
 一緒に泳いでタイムを競ったり、片方のフォームをチェックしたり、そんなことを繰り返しているうち、ふいに少女が見えなくなった。
 (あれ……? )
 慌てて探す。見当たらない。もうプールからあがったのだろうか? プールサイドも見まわすが姿がない。
 (どうしたんだろう、まさか溺れたなんてことは……)
 水の中に少女がいたとしたら。
 浮かび上がれぬまま沈んでいるとしたら。
 考えただけでいたたまれず、僕は潜って水中から彼女を探した。
 と、潜水でこちらに向かってきた少女が、潜っている僕の目の前にまで来て手を振る。
 水から出ると大きく息をついた後
 「……今、私のこと、探してくれた? 」
 と聞いてきた。
 「うん」
 答えると、
 「ありがとう。
 また私がいなくなったら、探してくれる? 」

 「……うん」

 いつまでこんな近くにいられるのか、その宛もないまま、僕は約束をした。

 それから暫くの間。
 ほぼ毎日のペースで、少女は僕に電話をかけてきた。ほんとうに時間がないらしく、大体一日の終り、11時くらいのこと。おにいさん、少女は小さく呼び、よかった、出てくれて、とため息をつく。それから、その日のうちに学校であったことや家でのことを簡単に話し、最後に
 「おやすみなさい」
 を言ってきた。僕は
 「おやすみ」
 と心を込めて言って、少女の明日が平穏であることを祈っていた。
 だがそんなささやかなやりとりもいつか途絶えた。僕は少女がきっと僕に飽きたのだと思った。或いは少女が電話越しに僕と時間を共有する数分間の他に何か新しい楽しみを見つけたのだと思った。或いは引越しをしたのだと思った。自分はあくまで外野に過ぎず、そうして少女にとって自分は、自分にとって少女がそうであるほどにはかけがえがないわけではなく、何か目新しい重要案件が現れればないがしろにされるような、その程度の存在なのだろうと言い聞かせた。同じ学校の同じ年頃の相手を選ぶべきだと思っていた。自分はあらゆる面で不釣合だと思っていた。こんな関わりを誰に明かせるわけでも、また明かしたところで誰が共感し応援してくれるわけでもないことはわかっていた。極端な年の差に隔てられた男女は周りから見れば常に不均衡でどちらの動機も詐欺を疑われがちなのを僕は十分承知していた。嫌な言い方だが少女は僕に清潔な援交を持ちかけて時間を共有することの対価として自分の欲しいささやかなあれこれをおねだりしようとしているのではないかと端から見られるだろう。そして僕は偶然をいいことにやはりいくばくかの負担の対価にスク水を着てプールで泳いでもらうというほどの曖昧な援交を持ちかけているのではないかと周りから見られるだろう。
 そこにあったのは、無作為の出会い、少女からは無邪気な好意、僕からは胸痛むほどの気がかり。
 それだけだったのに。

 少女から電話が来なくなって一週間も経った頃だろうか。
 夜の十時頃、公衆電話からの発信があった。
 ふと予感がして慌てて出ると、泣きじゃくる少女の声。
 「お兄さん。
 私、家出しちゃった。
 見つけてくれる? 」
 ようやく聞き取った途端電話は切れた。いかにも小銭が尽きた風の切れ方だった。僕は慌てて起き上がり、服を着て、あの日と同じ雨の中に飛び出した。
 バスタオルを鞄に詰めて。

 少女の居場所は一つしか思い浮かばなかった。
 あのバス停。里山に打ち捨てられた、小さな古いバス停。
 こんな天気、こんな時間、あんなところに少女が一人いるのだろうか。
 質の悪い連中に捕まってあんなことやこんなことをされやしないだろうか。
 いっそ、実は少女は既に死んでいて、僕は魂の名残に呼ばれているだけだったら……。
 僕は頭を振った。物語の枠組みをいくつ集めたところで今日これからの予想には役立たなかった。
 現実はもっと平凡で、密やかで、悲しい。
 ひっそりと生きているあの少女のように。

 少し迷って例のバス停に着いた。
 暗い夜の中、雨の紗に隠されるように、少女は一人で座っていた。
 僕の気配を認めると、立ち上がり、駆け寄ってきた。
 「お兄さん! 」
 傘が落ちた。冷え切った表面、それに負けず内から立ち上がる熱。すがるように指が背中に回される。
 雨は僕を濡らし、少女を濡らし、そして大地に落ちていった。
 「お兄さん、電話できなくなってごめんなさい」
 泣いているせいで熱くなった息を吐きながら少女は懸命に言葉を紡いだ。
 「電話お母さんに禁止されて……私、うちのことも勉強もがんばるからこの電話だけはさせてっていったのに、……もう会ったりしないから、電話だけさせてくださいっていったのに……。
 大切な人だっていったのに……。
 だったらなおさら、勉強や家の仕事に差し障りが出るかも知れないって……」
 そこまで言って、耐えきれなくなったように少女は号泣し始めた。
 僕は、鞄の中から青空をだして、少女を包んでやった。

 さてこの事件、自分でも一体どのような顛末を迎えることかと危惧していたのだが、意外なところに解決の鍵があった。
 少女の母と自分の母が趣味の市民サークルで懇意だったのだ。
 母の友人たちが、僕のことを、非常に真面目な好青年、と全面的に証言してくれた。
 ほんとうに、ただ心配だけ、あの子はそういう子だと。
 それで僕は社会的な抹殺を免れることができた。
 あの世代のエネルギー、また一度築き上げた信頼の強固さというものは、ほんとうに侮れないものだと改めて実感した。
 少女の家庭状況についてだが、今回の事件の発覚で、行政の見直しが入り、介護度の再判定が行われ、結果少女の母は前よりも少しだけ楽できるようになり、そしてまた父親も今よりもっと手助けをすることを確約し、そのおかげで少女には少しだけ自由な時間が増えた。

 プール。
 少女の母親は、妹を連れてゆくなら、という条件をだしてきた。
 どうしても行きたい、という少女の説得に根負けしたらしい。
 二人きりで行って関係を過度に邪推されたりその結果通報されたりするよりもよほど気が楽なので、僕は承諾した。
 
 今僕は少女と一緒に週末のプールを楽しんでいる。
 少女の妹はまだときどきどこかにいってしまうけど、そうしてそのうちもどってくるのはわかっているけど、二人して顔を見合わせて笑い、探しに行く。
 少女が言ったからだ。
 探してもらえるのは嬉しいんだよ、と。

 軽食コーナーのテーブルの下、屋上に向かう階段の隅。プール施設の敷地内という自分なりの不文律の中で懸命に隠れ場所を変えながら、少女の妹は、僕たちが見つけると、ものすごく嬉しそうな満面の笑みを浮かべ
 「お姉ちゃん! お兄ちゃん! 」
 といって駆け寄ってくる。
 そのたびに、ああ、この子も見つけて欲しかったんだな、思う。
 必要とされたい。
 いなくなったら探す意味があると思われたい。
 何かをするからじゃなく、何の役に立つからじゃなく、ただ、自分という存在を。

 「あのとき、見つけてくれて、ありがとう」

 かくれんぼの終りのたびに、小さく告げられる感謝の言葉。
 その度に、もうお礼なんていわなくていいのに、と思う。
 でも。

 (もし君が迷子になったら、何度でも見つけてあげるから)

 そんな言葉を飲み込んで、僕は、少女とその妹と僕自身のために、温かい飲み物を買うのだった。




2010スク水絵日記コンテストにて
金賞をいただきました作品
です。
お読みいただき投票頂いた皆様
ほんとうにありがとうございました。


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