湧別の家 第1回
これは僕が学生だった頃の話である。
当時、北海道のはずれの田舎の大学に通っていた僕(仮名Y)は、
とある夏の日に友人達と、あの「宜保愛子」ですら入れなかった事で
有名な「湧別の家」に行こうということになった。
10年程前だったか、テレビで霊能力者、宜保愛子が流行っていた頃で、
当時、Yの住んでいた地方の辺りもよく霊地として取り上げられていた。
旭川から大雪山を横切り、オホーツク海側の網走まで結ぶ国道、
別名「囚人道路」
明治時代、北海道開拓の為に本州等で罪を犯した人達が
網走刑務所へ護送される途中作った道路で有名である。
その環境は最悪で極寒の中、囚人達は着る服も食事もろくに与えられず、
途中で逃げないよう鎖で繋がれたままの作業というものだった。
休もうする者は鞭打たれ、作業途中に倒れた者達はそのまま放置され、
その死体は繋がれていた鎖ごと道脇に山と積まれたと言う。
年月が過ぎ、土が積もり、今では、「鎖塚(くさりづか)」として、
有名な観光地になっている。
宜保愛子は、そこで「チャリーん、チャリーん・・・」っという鎖の音や、
「うーっ。。。」っという当時の囚人達の悲惨なうめき声を聞いたと言う。
さて、話を「湧別の家」に戻そう。
湧別は網走から更に北、紋別の近くにある街であり、
北海道開拓の一翼を担った屯田兵(とんでんへい)の入植した地でもある。
この「湧別の家」とはその「湧別」の街外れに広がる畑作地帯にある
一軒の空き家のことである。
あるテレビ番組の取材で宜保愛子はその家の前に立ち、
「ここは悪い霊気がすごいです。強すぎて入れません!」っと話し、
家に上がるのを拒んだと言う。
Yとその友人達はある夏の日の夜、湧別に向かい出発した。
(次回へ続く)
戻る
第2回へ