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簡単に言うと、戦争がなくならないのは戦争で問題を解決しようとする人たちがいるからだ。大アラブ建国だろうが石油とか国益とか民主化の普及はては悪魔退治でも同じこと。そういう意味ではフセインもキリスト教原理主義者のブッシュも同じタイプの人間。(なおフセインはイスラム原理主義者ではないので、アルカイダとはまず関係ないと思われる) 今回の戦争は2人で決闘させれば犠牲者は1人で済んだ。フセインという中東の「悪魔」の後見人が米国でした。イラクが対イランやクルド人に毒ガス兵器を使っても見て見ぬふり、空爆するどころか炭疸菌などをあげたのは他ならぬ米国だ。それを今頃になって探しに行っている。 ホワイトハウスは現在、不正選挙で選ばれたキリスト教原理主義者大統領と軍事タカ派、ネオコン(新保守主義者)に乗っ取られ、そうそう昔のクレムリンのようだ。広めるのが共産主義から「民主化」という名の米帝国になったようなもの。これだけ世界の反対を、国連を無視して「民主主義」とは、欺瞞そのもの。米国民の多くがは9.11テロ以降、気持ちは分からないでもないが、思考停止状態だ(なお私は米国在住者)。 問題は戦争をしないで解決する方法を考えることだろう。たとえば北朝鮮の暴発(ぼうはつ)させない方法はいろいろあるはずで、それこそ皆の英知を絞ればそう難しくないはず。 北朝鮮に翻弄されない者こそ真の知恵者であり勇者となろう。 |
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2003年04月19日 15時59分03秒
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米国は、より正確に言えばブッシュ政権は、今回のイラク侵攻の目的のひとつに「イラクの民主化」を掲げている。 しかし、民主ということでは、フランス、ドイツ、ロシアのみならず、カナダ、メキシコはじめ多くの国がイラク戦争を反対した中、国連を中心とする国際民主主義を踏みにじり強行した。 これこそ米国のある意味、お得意のダブルスタンダードの最たるものなわけだが、ブッシュ政権の目指すものをもう少し見ていくことにしよう。 |
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2003年04月15日 13時32分21秒
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米国によるイラク攻撃はすでにバグダッドも落ち、フセイン政権は風前の灯火である。 今回のこの「戦争」は一体いかなるものであるかちょっと考えていきたい。 |
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2003年04月13日 13時45分25秒
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2001年9月11日((火)
朝、いつも通りミッドタウン、44丁目のオフィスに出勤。9時15分頃、グランドセントラル駅につくが、特に異常はなし。同20分頃、会社の入り口で受付のニコラスさんがラジオを聞いていて「ワールドトレードセンターに飛行機が落ちたとラジオでいっている、五番街からも見えるはず」と聞かされる。 3階に行って自分の端末でインターネットのCNNを見ようとするが、混んでるのかアクセスできず。4階に行くとラジオがかかっており、ハイジャックされた飛行機2機がワールドトレードセンターに激突とさかんに報道。田村さん以外は、6階でテレビを見ているといわれ、6階に行くと、数人いて、テレビ画面に燃えるトレードセンターが映し出されている。 とにかく現場に行くことにしたが、地下鉄が14丁目までしか動いてないと聞かされ、タクシーで行くことにする。すぐタクシーが捕まり、現場を撮影したいので近づけるだけちかづいてくれと頼む。五番街で撮影。 ラジオでブッシュ大統領が「アパレントリー・テロ・アタック」と発表。ワシントンDCも攻撃されているとキャスター。11機がハイジャックされたらしいという。道は思ったより混んでないが、14丁目をすぐると車が少ないかわりに人がたくさんいて歩行者天国状態。 ユニオンスクエアで撮影。もっと近づく。トレードセンターが煙りをあげて燃えている。14丁目で交通規制らしいが、警察はいない。ポリスラインもないのでそのまま入る。ハウストンで撮影。ここにはまだ一般車車両が走っているし、見物という感じだ。 ブロードウエイから入る。しかしビルがかげになって2本見えないと思っていたらラジオで、女性アナウンサーが突然大声で「ああ、オーマイゴッド、、ビルが倒壊しました」と聞こえる。時計を見ると10時。煙が一段と多くなる。信じられない光景だ。急に人がわーといいながら、駈けてくる。何があったのか。右がビルのかげで見えない。とにかくもっと近くへ行きたい。 ブロードウエイのチェンバーストリートで降りる。一度撮影。誰かが「あ、人だ、、人が落ちていく」というが、見えない。通りで見ている人の中には、泣いている人もいる。撮影し、運転手にチップ4ドル込みの14ドルお金を渡すが「止まってまってたりしたから、もっとチップくれ」と言われチップ10ドルを渡す。降りようとすると、その時、、ビルがいきなりドドーンとにぶい音をたてながら、がらがらと壊れていく。映画を見ているような光景。スローモーションだが、ほんの30秒もかからず煙でビルのあった周辺はいっぱいになる、、こっちまできそうだ。自転車に乗った長崎さんに会う。挨拶する。「まるで映画のハルマゲドンみたいですね」「こっちはこんなものかも、フェリーに乗って撮影したらすごかったかもしれない」といいながら去っていった。 もっと右を見たいと、グリニッチストリートへ。テレビ局の車が集まってる。消防車、警察。特に消防士がたくさんいる。レポーター、カメラマン、フォトグラファー。見るとこっちへ灰まみれになりがらみんな歩いてくる。撮影する。灰まみれの人から恐怖におののいた低い声で「妻子に連絡しなくちゃいけない。携帯持ってないか」と聞かれる。僕はもっていなく、別の人が渡す。灰を吸いすぎてげーげー吐くひと。 疲れ切って座り込む人、けがをしている消防隊員もいる。顔を消毒してもらっている。警察も消防もなすすべもない。ハドソン川のほうを見るとファイナンシャルセンターからはたくさんの人たちがまだ避難中だった。2本目が倒壊したため、みな非難することになったのだろう。 先に進むが、灰で苦しくなる。見るとみんなマスクをしている。マスクを貰って前に進もうかと思ったが、目も痛くなるし、カメラを向けても灰でまっしろな風景しか取れない。風が拭いて粉塵があがるとたまらない。それなら風上に行こうと思い、MURRY ST.を右へ行き、川沿いの道を使ってまた左折しVESEY ST.を入っていく、、あまり人はいない。たまらないので、消防隊の人から水を貰う。この先がトレードセンターだったはず。 不思議なことにここまで、ほとんど立ち入り禁止とか言われない。消防隊員がいるだけでメディアはいない。ここはマンハッタンだ。日差しがのどかで異次元の世界に紛れ込んだような錯覚を覚える。 ストリートの先は煙がひどい。何か燃えている。車だ。この右にトレードセンターがあったはず。空爆された街のような景色。 「ここから出なさい」と言われるが、かまわず奥へ。しかし見えない。「ビルはどこですか?」と消防隊員に聞くと、「あそこだよ」と指さすが、煙で見えない。プレスか、なんでマスクしてこないと注意される。 途中でマスクを貰おうから思って貰わなかったことを後悔する。 フィルムを替えようと近くのビルに入る。誰もいないがエレベーターは動いている。中は空気がいいかと思ったが、だめ。苦しい。風が吹く外がいい。道路の車が燃えているが、消防隊員はたいして気にもとめない。撮影再開するとしかたないような顔して放水しはじめた。帰れとおこられる、かまわず進む。別の消防隊員に「マスクしてないと」と言われ、彼は持ってるバッグを開けてマスクを探すが残念ながらひとつもなかった。 また粉塵があがる。苦しい。灰が肺に入ったみたいだ。これ以上いれないと思い。そこを去る。たまらなくなって、消防隊員が残していった山つみのジュースと水を飲む。最後、チャンバーストリートに戻る。先ほどとあまり変わらない。メディアの取材で消防隊員が「見ろよ、2つとも倒れてしまったんだ。どうすることもできない」と天をあおぐ。 11時半。会社に電話。途中、流れるラジオに人が集まっている。マンハッタンの地下鉄は全部運休。タクシーは時折走るが捕まらない。ハウストンでも無理。セントマークスは普段と同じように見えた。 信号待ちの車に、声かけてみる。「いまから病院へいくところだから」と中国人らしきおばさんに断られる。トラックもだめ。最後、マイノリティーが乗っている車の運転手に「お金だすから」と言うと、このまま44までならいいと言われ乗る。乗っている人と話しをする。「最初は11機がハイジャックされて、ペンタゴンもやられたらしい」という。 42丁目で降ろさせてもらう。10ドルほど渡す。グランドセントラル駅前はすごいひとだかりだ。ハリウッド映画の「ゴジラ」を連想する。いや、ビル崩壊は、バベルの塔の崩壊シーンのイメージがあった。 会社は全員待避するところだった。少し興奮してみんなにビルの崩壊シーンを語る。家が同じ方向の同僚とグランドセントラル駅で満員の電車に乗り込む。みんな異様に静かだ。マンハッタンを過ぎると、向かい側のそれまでひきつっていた顔のおばさんがほっとした表情に変わった。 |
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2002年04月29日 14時46分15秒
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| 今週も仕事がいそがしくてここを充実させる暇がないなあ。 なんとかせねば。 |
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2002年04月02日 14時02分17秒
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| さて、そろそろここも始めなくては。 |
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2002年02月28日 13時19分58秒
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| 仕事を終えて家についたのは午前4時半だった。タクシーから見えるマンハッタンの夜景が綺麗で、ちょっと切ない気持ちにもなった。この仕事を始めた頃も、ちょっと疲れた体をシートに沈め、寝静まった東京の街をタクシーから眺めるのが好きで、この気分が味わえるなら、一生この仕事でもいいやと思ったものだ。 で、仕事で疲れているというのにホームページの作成にかかり、初の日記を書いている僕なのでした。みなさんよろしく。 |
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2002年02月23日 19時48分33秒
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