つが ていしょう【都賀 庭鐘】 1718(享保 3) 〜 1794(寛政 6)頃 ◇江戸中期の読本(ヨミホン)作者。通称は六蔵、字は公声、号は大江漁人(タイコウギョジン)・辛夷館(シンイカン)・近路行者(キンロギョウジャ)・千里浪子。 _上田秋成(アキナリ)の師。 つかごし きょうせい【塚越 亨生】 1894. 9. 4(明治27) 〜 1917. 3. 7(大正 6) ◇小説家。 つかごし ていしゅん【塚越 停春】 1864(元治元. 3. 3) 〜 1947.12.31(昭和22) ◇評論家。本名は芳太郎(ヨシタロウ)、筆名は停春楼・雲野通路(クモノカヨイジ)・山東・春風道人。 つかだ たいほう【冢田 大峰】 1745(延享 2.12. 3) 〜 1832(天保 3. 3.21) ◇江戸後期の儒学者(朱子学派)。名は虎、字は叔貔、通称は多門。信濃の人。父は室鳩巣の門人冢田旭嶺。 _はじめ父について学び、十六歳で江戸に出るが貧乏のため独学。1790(寛政 2)寛政異学の禁のとき、これに反対し市川鶴鳴(カクメイ)・山本北山・亀田鵬斎(ホウサイ)・泉豊洲とともに五鬼と称される。1811(文化 8)尾張藩儒、のち藩校明倫堂の督学となる。 (2)冢田 大峯。豊島豊洲・市川鶴鳴・山本北山・亀田鵬斎とともに〈寛政の五鬼〉といわれた。 (4)冢田 大峰。 (6)冢田 大峰。 (16)塚田 大峯。 つかはら けんじろう【塚原 健二郎】 1895. 2.16(明治28) 〜 1965. 8. 7(昭和40) ◇童話作家。俳号は子竹。 つかはら じゅうしえん【塚原 渋柿園】《つかはら じふしゑん》 1848(嘉永元. 3. 1) 〜 1917. 7. 5(大正 6) ◇小説家。本名は靖(シズム)、幼名は直太郎(ナオタロウ)、筆名は蓼洲(リョウシュウ)・「しかま」・志かま・縦死(ジュウシ)・十四庵(ジュウシアン)・自由思園・時迂叟。江戸市ヶ谷合羽坂上(カッパザカウエ)生れ。 _代々の幕臣で1864(元治元. 9.)京都二条城の定番となる。辞して大阪の御目附(オメツケ)木城安太郎のもとに寄寓。 _1868(明治元)静岡藩士となり駿府田中に移る。1869(明治 2)沼津兵学校に学び、のち静岡の医学校に入る。1870(明治 3)藩命で薩摩に遊学し、帰ると静岡の集学所に入り武技を修めるが、集学所が解散となり小学教員。 _1874(明治 7)横浜毎日新聞社に入社。1878(明治11)東京日日新聞社に移る。 (3)没日は 6. 5。 (5)没日は 7. 5。 (9)没日は 7. 5。 (11)没日は 7. 5。 (13)没日は 6. 5。 (+)『現代日本文學全集34歴史・家庭小説集』改造社  昭和 3年 6月 1日発行 _幼名直太郎、後靖(やすし)と改む。 _六月五日『烈女さつ』を執筆中逝去。 つかはら ぼくでん【塚原 卜伝】 1489 〜 1571(元亀 2) ◇室町後期(戦国時代)の剣客。名は高幹、通称は土佐守。常陸の人。鹿島祠官卜部(ウラベ)土佐守覚賢(アキタカ)の次男。塚原土佐守安幹の養子。 _はじめ下総国香取の飯篠長威斎(イイザサ・チョウイサイ)に神道流を学ぶ。のち上野国の上泉武蔵守信綱(伊勢守秀綱)に神陰流(シンカゲリュウ)の奥義を学び、卜伝流を開く。 _京都に出て第13代将軍足利義輝(ヨシテル)・伊勢国司北畠具教(トモノリ)らの師となる。のち下総国香取で門弟に教える。 (2)(名)高幹(タカモト),土佐守。 (4)名は高幹。 (16)名は高斡,土佐守と称した. (23)生年は延徳2(1490)。幼名朝孝(トモタカ)。 (*)1489(長享 3,延徳元)。 つかもと きょめい【塚本 虚明】 1880. 4.27(明治13) 〜 1939.10.24(昭和14) ◇俳人。本名は槌三郎、別号は甘雨堂。 つがる ためのぶ【津軽 為信】 1550(天文19. 1. 1) 〜 1607(慶長12. 2. 5) ◇安土桃山・江戸初期の武将。幼名は扇、はじめ大浦氏のち津軽と改姓、通称は右京大夫・右京亮。守信の子、叔父大浦為則の養子。陸奥国の初代弘前藩主。 _南部氏の衰退に乗じ、1571(元亀 2)老臣森岡信元らとはかり石川城主・津軽郡代の南部高信を滅ぼし、1580年代に津軽地方を統一。 _豊臣秀吉の小田原征伐に従軍、1590(天正18)秀吉より津軽3万石を安堵され、1592(天正20)文禄の役には肥前国名護屋に出陣。 _1600(慶長 5)関ヶ原の戦では東軍に属し、美濃の大垣城を攻略。 つがる てるこ【津軽 照子】 1887. 2. 5(明治20) 〜 1972.11.28(昭和47) ◇歌人。旧姓は小笠原(伯爵家)。 つきおか よしとし【月岡 芳年】《つきをか よしとし》 1839(天保10. 3.17) 〜 1892. 6. 9(明治25) ◇江戸幕末・明治前期の浮世絵師。旧姓は吉岡、名は金三郎、俗称は米次郎、斎号は玉桜楼・一魁斎(イッカイサイ)・魁斎。後年は大蘇(タイソ)芳年と号した。幕府御家人の子で、月岡雪斎の養子。江戸生れ。 _少年の頃、月岡雪斎の養子となる。 _歌川国芳に浮世絵を学び、のち菊池容斎に私淑して歴史画を研究。洋画風を交え歴史画・美人画を得意とする。 _1882(明治15)絵入り自由新聞に入社。 _明治期には錦絵・双紙・絵入り新聞などの挿絵を描く。 _晩年には時局版画を多く制作する。 _発狂により病死。 ◆墓は東京都新宿区の専福寺。 ◎「血みどろ絵師」とも呼ばれた。 つきのもと いざん【月の本 為山】 1804(文化元) 〜 1878. 1.19(明治11) ◇俳諧師。通称は関永蔵。 つきやまどの【築山殿】 生年不詳 〜 1579(天正 7) ◇徳川家康の正室。駿河今川氏の家臣関口義広の娘。 _1557(弘治 3)松平元信(徳川家康)に嫁す。1559(永禄 2)駿府で家康の長男信康、ついで長女亀姫を出産。 _信康が武田勝頼に内通し織田信長を滅ぼす謀り事をしたと信長に迫られ、家康の命により、筑山殿は遠江国富塚で殺害、信康は遠江国二俣城で自害。 つじ じゅん【辻 潤】 1884.10. 4(明治17) 〜 1944.11.24(昭和19) ◇大正・昭和期の評論家。号は風流外道、筆名は水島流吉。東京生れ。 _開成中学校中退後、国民英学会・自由英学舎などで英語を学ぶ。 _1909(明治42)上野高等女学校に勤務、教え子の伊藤野枝(ノエ)との恋愛事件により退職。野枝が1916. 4.(大正 5)家出し、大杉栄(サカエ)と同棲するに至り、放浪の生活を送る。 _1928(昭和 3)「読売新聞」パリ特派員としてフランスに渡り、翌年帰国。 _1932. 2.(昭和 7)精神が錯乱し斎藤茂吉(モキチ)の診察を受け入院。 _作品は『浮浪漫語』・『絶望の書』など。 (2)生年は1884(明治17)。 (5)生年は1884(明治17)。 (13)生年は1885(明治18)。 (?)アテネ・フランセでフランス語を学ぶ。 つじ しんじ【辻 新次】 1842(天保13) 〜 1915(大正 4) ◇教育行政官。松本生れ。 _文部省設立とともに文部行政の要職を歴任。 _大日本教育会の創立に尽力し、会長。帝国教育会長。 つじ ぜんのすけ【辻 善之助】 1877. 4.15(明治10) 〜 1955.10.13(昭和30) ◇歴史学者。兵庫県姫路生れ。 _日本仏教史を専攻、東京帝国大学国史科卒業。 _東京帝国大学教授・東京帝国大学史料編纂所所長。 _学士院会員。 _1952(昭和27)文化勲章、受章。 _著書は『日本仏教史』・『日本文化史』など。 つじ なおしろう【辻 直四郎】《つじ なほしらう》 1899(明治32) 〜 1979(昭和54) ◇サンスクリット学者。 _東京大学教授。 _著書は『ヴェーダ学論集』・『サンスクリット文学史』・『サンスクリット文法』など。 つじ まさのぶ【辻 政信】 1902.10.11(明治35) 〜 没年不詳 ◇陸軍軍人。仇名は「作戦の神様」。 _1924(大正13)陸軍士官学校卒業。1931(昭和 6)陸軍大学校卒業。 _1937〜1941(昭和12〜昭和16)北支派遣軍参謀・関東軍参謀などを歴任。1939(昭和14)ノモンハン事件では作戦参謀の少佐として服部卓四郎(タクシロウ)中佐らとともに強硬意見を主張し陸軍中央部の意見を無視して作戦を指導。 _第二次世界大戦後、第25軍参謀としてシンガポール攻略に参画。 _1942〜1943(昭和17〜昭和18)参謀本部作戦班長としてガダルカナル島の攻防戦を指導。 _1943(昭和18)大佐。 _1944(昭和19)ビルマの第33軍参謀。 _1945(昭和20)タイの第18方面軍参謀であったが、敗戦後は地下に潜行。 _1948(昭和23)帰国。 _1950(昭和25)戦犯指定解除。『潜行三千里』を出版。 _1952(昭和27)衆議院議員。 _1959(昭和34)参議院議員。 _1961. 4. 4(昭和36)東南アジア視察に出国し、バンコック発の4.21付書簡を最後に消息を絶つ。 _1968. 7.(昭和43)死亡宣告。 つじの ひさのり【辻野 久憲】 1909. 5.28(明治42) 〜 1937. 9. 9(昭和12) ◇翻訳家・評論家。洗礼名は聖ヨハネ。 つじむら いすけ【辻村 伊助】 1886. 4.22(明治19) 〜 1923. 9. 1(大正12) ◇登山家・紀行文家・園芸家。関東大震災の山崩れにより箱根湯本の自宅で妻子とともに死亡。 つじむら おとみ【辻村 乙未】 1895.11.15(明治28) 〜 1974. 7.30(昭和49) ◇小説家。旧姓は正宗(マサムネ)。地理学者の辻村太郎の妻。正宗白鳥(ハクチョウ)・正宗敦夫(アツオ)・正宗得三郎(トクサブロウ)の実妹。 つじむら もとこ【辻村 もと子】 1906. 2.11(明治39) 〜 1946. 5.24(昭和21) ◇小説家。 つだ いずる【津田 出】 1832(天保 3. 3.) 〜 1905. 6. 2(明治38) ◇明治時代の官僚。通称は又太郎。 _紀伊藩士として第13代藩主慶福(ヨシトミ)・第14代藩主茂承(モチツグ)に仕える。 _参議西郷隆盛に推挙されて大蔵少輔、1874(明治 7)陸軍大輔。 つだ うめこ【津田 梅子】 1864(元治元.12. 8) 〜 1929. 8.16(昭和 4) ◇明治・大正期の女子教育家。江戸牛込生れ。農学者津田仙(セン)の次女。 _1871(明治 4)日本最初の女子留学生となり、岩倉具視使節一行とともに8歳で渡米。1873(明治 6)受洗。初・中等教育を受ける。 _1882(明治15)帰国後、英語教師となり華族女学校教授補などを歴任。女子教育視察のため1889〜1892(明治22〜明治25)再度渡米し、生物学・教授法を学ぶ。帰国後、女子高等師範学校の教授などを歴任。1898(明治31)万国婦人連合大会に日本代表として出席。 _1900(明治33)女子英学塾(現在の津田塾大学)を桜井鴎村(オウソン)とともに創立。1905(明治38)日本キリスト教女子青年会初代会長。1913(大正 2)世界キリスト教学生大会に出席。 つだ けんもつ【津田 監物】 生年不詳 〜 1567(永禄10) ◇津田流砲術の祖。名は算長。紀伊の人。 _種子島に漂着し、火縄銃の使用法・製法を学んで帰国。津田流を起こして一家を成した。 つだ こうぞう【津田 光造】 1889.12. 2(明治22) 〜 没年不詳 ◇小説家・評論家。 つだ さんぞう【津田 三蔵】 1854 〜 1891(明治24) ◇明治中期、来日中のロシア皇太子に斬りつけた巡査。江戸生れ。伊賀国上野藩士の子。 _1871(明治 4)名古屋鎮台に入り、西南戦争に従軍。1884(明治17)三重県巡査。1886(明治19)滋賀県巡査、守口署に配属。1891. 5.11(明治24)来日したロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロビッチ(のちニコライ2世)を大津市内で警護中、皇太子の頭部2ヶ所を傷つける(大津事件)。ロシアの脅威を慮る内閣は刑法第116条の大逆罪を主張したが、司法権の独立を唱える大審院長児島惟謙(イケン)は単なる謀殺未遂罪を適用、同年 5.28無期徒刑の判決を下す。秋、肺炎で獄死。 (2)'91年5月24日,来日中のロシア皇太子ニコライを大津市内で警護中,皇太子の頭部2か所を傷つけた(大津事件)。 (6)「大津事件」の項。1891年5月11日,シベリア鉄道起工式に参列途中に来日したロシア皇太子……。 (*)1854(嘉永 7,安政元)。 ◎当時、西南戦争で死んだはずの西郷隆盛(タカモリ)が、ロシア皇太子に同伴して来日するという噂(ウワサ)があった(「東京日日」明治24年 3月31日)。 つだ せいふう【津田 青楓】 1880(明治13) 〜 1978(昭和53) ◇明治〜昭和期の画家。本名は亀治郎。京都生れ。 _浅井忠(チュウ)らに日本画・洋画を学び、パリに留学後、二科会創立に参加。左翼運動に共鳴。のち洋画から日本画に転じる。 _夏目漱石や河上肇らと親交。随筆も多い。 ◎1931(昭和 6)第18回二科展に『ブルジョア議会と民衆の生活』を出品、民衆が恐慌で苦しんでいるのに巨費を投じて新議事堂を建設している事を諷したものであったが、題名が当局の忌諱に触れ『新議会』に改題することを強要された。 _作品はその後所在不明となったが、下絵は国立近代美術館に現存。 つだ せん【津田 仙】 1837(天保 8) 〜 1908(明治41) ◇明治初期の農学者。1867(慶応 3)渡米し大農法に着目、1873(明治 6)ウィーン万博に出席。学農社を設立して農業改良事業の人材を育成。津田梅子の父。 つだ そうきち【津田 左右吉】 1873.10. 3(明治 6) 〜 1961.12. 4(昭和36) ◇歴史学者。本名は親文(チカブミ)、左右吉は通称。岐阜県生れ。東京専門学校(現:早稲田大学)卒業。 _満鉄調査部・東洋協会学術調査部の研究員として満洲・朝鮮の歴史・地理を研究。1919(大正 8)早稲田大学教授。1940(昭和15)『古代史の研究』など4著書が発禁となる。1942(昭和17)皇室の尊厳を侵害したとして有罪。 つだ そうきゅう【津田 宗及】《つだ そうきう》 生年不詳 〜 1591(天正19) ◇安土桃山時代の豪商・茶人。通称は助五郎、号は幽更斎天信、屋号は天王寺屋。津田宗達(ソウタツ)の子。堺の人。 _堺の武野紹鴎(タケノ・ジョウオウ)・父宗達に茶を学ぶ。織田信長に仕え、千利休(センノリキュウ)・今井宗久(ソウキュウ)とともに茶頭(サジュウ)となる(三大宗匠)。豊臣秀吉にも仕え、1587(天正15.10.1)秀吉主催の北野大茶会を後見。 つだ そうたつ【津田 宗達】 1504 〜 1566(永禄 9) ◇戦国時代の豪商・茶人。津田宗及(ソウキュウ)の父。堺の人。 _茶の湯の名器を秘蔵。 (*)1504(文亀 4,永正元) つだ はるこ【津田 治子】 1912(明治45) 〜 1963. 9.30(昭和38) ◇歌人(癩病患者)。 つだ ひょうぶ【津田 兵部】《つだ ひやうぶ》 1608(慶長13) 〜 1695(元禄 8) ◇江戸前期の水利功労者。伊豆国田方郡江間村の名主。 つだ まみち【津田 真道】 1829(文政12. 6.25) 〜 1903. 9. 3(明治36) ◇明治時代の啓蒙思想家・法学者・官僚。幼名は喜久治のち真一郎・行彦、号は真道・天外如来。美作国(ミマサカノクニ)(現:岡山県)津山藩生れ。 _箕作阮甫(ミツクリ・ゲンポ)・伊東玄朴(ゲンボク)に蘭学を、佐久間象山(ショウザン)に洋学を学び、幕府の蕃書調所教官となる。 _1862(文久 2)幕命により榎本武揚(タケアキ)・西周(ニシ・アマネ)・林研海(ケンカイ)らとともにオランダのライデンに留学。 _帰国後、ライデン大学のフィセリング(Vissering)教授の講義筆記を翻訳して、1868(慶応 4)『泰西国法論』を出版。 _明治維新後、徴士となり司法省に出仕し、陸軍刑法や1871. 2.(明治 3.12.)新律綱領などの編纂に当たる。 _1871(明治 4)外務権大丞となり、同年7月の日清修好条規の特命全権大使。 _1873(明治 6)森有礼(アリノリ)らの明六社に参加し同人。機関紙の「明六雑誌」に哲学論文などを発表、啓蒙思想家としても活躍。 _1876(明治 9)元老院議官。1890(明治23)第1回衆議院副議長。1896(明治29)貴族院議員。 _学士院会員。 つだ よねじろう【津田 米次郎】 1862(文久 2) 〜 1915(大正 4) ◇宮大工・発明家。 _1900(明治33)津田式力織機(リキショッキ)を開発。 つちい ばんすい【土井 晩翠】 ⇒土井晩翠 つちだ きょうそん【土田 杏村】 1891. 1.15(明治24) 〜 1934. 4.25(昭和 9) ◇哲学者・評論家。本名は茂(ツトム)。新潟県佐渡生れ。東京高等師範学校博物学部を経て、京都帝国大学に学び更に六年間を大学院で過ごす。専攻は生物学と哲学。 _土田麦僊(バクセン)の弟。 (3)誕生日は 1. 5。 (5)誕生日は 1.15。 (9)誕生日は 1.15。 (11)誕生日は 1.15。 (13)明治二四年一月新潟県佐渡に生まれ、……。 つちだ こうへい【土田 耕平】 1895. 6.10(明治28) 〜 1940. 8.12(昭和15) ◇歌人。号は皐平・微草・千尋・青五・島五。長野県諏訪郡上諏訪町生まれ。 つちだ ばくせん【土田 麦僊】 1887. 2. 9(明治20) 〜 1936. 6.10(昭和11) ◇日本画家。本名は金二。土田杏村(キョウソン)の兄。新潟県佐渡の生れ。 _初め鈴木松年、のち京都に出て竹内栖鳳(セイホウ)に師事。 _大和絵の伝統に近代西洋画の様式をとりいれた日本画を文展に発表、名をあげる。 _1918(大正 7)榊原紫峰(シホウ)・小野竹喬(チクキョウ)・村上華岳(カガク)らと国画創作協会を結成。 _帝国美術院会員。 _作品は『湯女』・『大原女』・『舞妓林泉図』など。 つちみかど てんのう【土御門 天皇】《つちみかど てんわう》 1195(建久 6.11. 1) 〜 1231(寛喜 3.10.11) ◇鎌倉初期・第83代天皇。名は為仁(タメヒト)、土佐院(トサノイン)・阿波院。後鳥羽天皇の第1皇子、母は承明門院(内大臣土御門通親<ミチチカ>の養女藤原在子)。 _1198(建久 9. 1.11)後鳥羽天皇は鎌倉幕府討幕の意をもって退位し、院政を始める。同年 3. 3、為仁皇子は4歳で立太子、同日即位。後鳥羽上皇の討幕計画に積極的ではなく、時至らずと諌めたため、上皇に迫られて、1210(承元 4)弟の順徳天皇に譲位。1221(承久 3)順徳天皇もその子仲恭(チュウキョウ)天皇に譲位し、土御門は中院と呼ばれる。 _同年承久の変後、後鳥羽上皇(本院)は隠岐に、順徳上皇(新院)は佐渡に配流された際、北条義時(ヨシトキ)は京都に留めようとしたが、自ら望んで土佐に流され、のち阿波に移され、同地で死去。 _即位:1198(建久 9. 3. 3)、退位:1210(承元 4.11.25)。 つちみかど みちちか【土御門 通親】 1149(久安 5) 〜 1202(建仁 2) ◇平安末期・鎌倉初期の廷臣・詩人。別称は源通親・源博陸・土御門内大臣。村上源氏の出身(安倍氏流とは別流)。内大臣源(久我)雅通の長男、道元の父。 _後白河上皇の近臣。養女藤原在子を後鳥羽天皇の後宮とし、後白河法皇の寵妃(チョウキ)高階栄子(タカシナ・エイシ)(丹後局)と結んで1196(建久 7.11.)頼朝と結ぶ関白九条兼実(カネザネ)を排斥。 _1198(建久 9)外孫土御門天皇を即位させ、後鳥羽院の別当として朝政を掌握、幕府に対抗。 _著書は『高倉院厳島御幸記』など。 (*)1185(元暦 2,文治元)。 つちや ちくう【土屋 竹雨】 1887. 4.10(明治20) 〜 1958.11. 5(昭和33) ◇漢詩人。本名は久泰、字は子健、号は竹雨。 つちや ぶんめい【土屋 文明】 1890. 9.18(明治23) 〜 1990(平成 2) ◇歌人。号は蛇床子・榛南生。群馬県生れ。 _村上成之の紹介で伊藤左千夫の家に寄宿。 _第一高等学校を経て、東京大学哲学科(心理学専攻)卒業後、諏訪高等女学校の教師・校長、法政大学・明治大学教授。 _伊藤左千夫門下として「アララギ」の同人となり、斎藤茂吉没後のアララギ派を主導。 _1986(昭和61)文化勲章、受章。 _作品は1925(大正14)処女歌集『ふゆくさ』・歌集『往還集』・『山谷集』・『青南集』・『山下水』・『自流泉』、『万葉集私注』・『万葉集年表』など。 つつい じゅんけい【筒井 順慶】 1549(天文18) 〜 1584(天正12. 8.11) ◇安土桃山時代(戦国末期)の武将・茶人。大和国生駒郡筒井の城主。 _代々興福寺一乗院の衆徒の土豪であったが、寺領を侵略して勢力を拡大。 _1567(永禄10)三好長慶(チョウケイ)に仕える松永久秀(ヒサヒデ)に敗れる。1568(永禄11)久秀は入京した織田信長に降伏するが、1571(元亀 2)久秀が信長に叛し、順慶は明智光秀の与力として久秀を滅ぼす。 _1580(天正 8)信長より大和一国を与えられ郡山城を築く。 _1582(天正10. 6.13)山崎の合戦に際し、光秀の出兵要請にもかかわらず郡山城に籠城。 _のち羽柴(豊臣)秀吉に仕え、旧領を安堵される。 ◎『絵本太閤記』などでは、光秀軍として洞ヶ峠(ホラガトウゲ)に陣取って形勢を観望し、坂本城が落城してから豊臣秀吉に通じたとされる。 _明智光秀が洞ヶ峠に来て、筒井順慶の去就を問うたことの誤伝といわれる。 ◎謡曲・茶の湯にも優れていた。 つなしま りょうせん【綱島 梁川】 1873. 5.27(明治 6) 〜 1907. 9.14(明治40) ◇倫理学者・評論家。本名は栄一郎。岡山県上房郡有漢村市場生れ。1887(明治20)受洗。1892(明治25)東京専門学校(現:早稲田大学)入学、1895(明治28)卒業。葬儀は本郷教会、埋葬は雑司ヶ谷(ゾウシガヤ)共同墓地。 つねかわ ひろし【雅川 滉】 1906. 2.25(明治39) 〜 1973.11.17(昭和48) ◇文芸評論家・国文学者(近代文学)。本名は成瀬正勝。東京生れ。成瀬家は犬山城主の家柄。東京大学国文科卒業。 (5)雅川 滉(つねかわ ひろし)。 (9)成瀬正勝(なるせ まさかつ)。 (11)雅川 滉(つねかわ ひろし)。 (13)雅川 滉(つねかわ ひろし)。 つねかわ よういちろう【恒川 陽一郎】 1888. 1.26(明治21) 〜 1916. 8.29(大正 5) ◇小説家・詩人。号は石村。 つねさだ しんのう【恒貞 親王】 825(天長 2) 〜 884(元慶 8) ◇淳和(ジュンナ)天皇の第2皇子、母は嵯峨天皇の皇女で皇后正子。 _ 833(天長10)仁明(ニンミョウ)天皇が争皇太子となる。 _ 842(承和 9)伴健岑(トモノコワミネ)・橘逸勢(ハヤナリ)らの事件(承和の変)に連座して廃太子となる。これは藤原良房の画策といわれる。 _以後、淳和院の東亭子に閑居し亭子親王と呼ばれ、 849(嘉祥 2)出家して恒寂と号する。 876(貞観18)創建された大覚寺の始祖。 つねとう きょう【恒藤 恭】 1888.12. 3(明治21) 〜 1967.11. 2(昭和42) ◇法学者。旧姓は井川。 つのだ ちくれい【角田 竹冷】 1856(安政 3. 5. 2) 〜 1919. 3.20(大正 8) ◇政治家・俳人。本名は真平(シンペイ)、別号は聴雨窓。静岡県富士郡加島村生れ。1872(明治 5)上京。区・市・府会議員、衆議院議員。1895.10.(明治28)「秋声会」結成、1896.11.(明治29)俳句雑誌「秋の声」を発刊、一年で廃刊。 つのだ りゅうさく【角田 柳作】 1878. 9. 8(明治11) 〜 1964.11.29(昭和39) ◇日本文化研究家。1928(昭和 3)コロンビア大学に日本文化研究所を創設。 つばき さだお【椿 貞雄】 1896. 2.10(明治29) 〜 1957.12.29(昭和32) ◇画家。1920(大正 9)長与善郎(ナガヨ・ヨシロウ)の妹と結婚。 つばき ちんざん【椿 椿山】 1801 〜 1854(嘉永 7. 7.13) ◇江戸後期の文人画家。本名は椿弼、字は篤甫、通称は仲太、号は琢華堂・休庵。江戸小石川生れ。幕府の槍組同心。 _画を金子金陵に学び、金陵の没後は兄弟子渡辺崋山に師事。 (*)1801(寛政13,享和元)。 つぶらや こうきち【円谷 幸吉(圓谷 幸吉)】 1940(昭和15) 〜 1968(昭和43) ◇昭和中期のマラソン選手。福島県生れ。 _1960(昭和35)陸上自衛隊に入隊。 _1964(昭和39)第18回東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得。足を痛めて、自殺。 つぼい さかえ【壺井 栄(壷井 榮)】 1900. 8. 5(明治33) 〜 1967. 6.23(昭和42) ◇小説家・童話作家。旧姓は岩井。香川県小豆島(ショウドシマ)生れ。 _1925. 2.(14)詩人壺井繁治(シゲジ)と結婚。 _1952(昭和27)『二十四の瞳』を発表。 _作品は『大根の葉』・『暦』(新潮社学芸賞)など。 (1)生年は1899(明治32)。 (2)生年は1900(明治33)。 (3)生年は1900(明治33)。 (5)生年は1900(明治33)。 (9)生年は1899(明治32)。 (11)生年は1900(明治33)。 つぼい しげじ【壺井 繁治(壷井 繁治)】 1898.10.18(明治31) 〜 1975. 9. 4(昭和50) ◇詩人。香川県小豆島(ショウドシマ)生れ。早稲田大学政治経済科と英文科を中退。壺井栄(サカエ)の夫。 (1)生年は1897(明治30)。 (2)生年は1898(明治31)。 (3)生年は1898(明治31)。 (5)生年は1898(明治31)。 (9)生年は1897(明治30)。 (11)生年は1898(明治31)。 つぼうち こけい【坪内 孤景】 1878. 6.12(明治11) 〜 1904. 7.24(明治37) ◇評論家。本名は鋭雄(トシオ)。日露戦争で戦死。坪内逍遥(ショウヨウ)の甥。 つぼうち しこう【坪内 士行】 1887. 8.16(明治20) 〜 1986. 3.19(昭和61) ◇劇作家・演出家・舞踊評論家。名古屋生れ。幼時から叔父坪内逍遥(ショウヨウ)の養子となる。1909(明治42)早稲田大学英文科卒業。 つぼうち しょうよう【坪内 逍遥(坪内 逍遙)】 1859. 6.22(安政 6. 5.22) 〜 1935. 2.28(昭和10) ◇小説家・演劇評論家・劇作家・評論家・英文学者・翻訳家・教育家。本名は勇蔵のち雄蔵、号は蓼汀・蓼汀迂史・春の屋・「春のや主人」・「春のやおぼろ」・春廼屋朧(ハルノヤ・オボロ)のち逍遥・逍遥遊人、晩年は柿叟(シソウ)。美濃国加茂郡太田村代官所の役人の子として生れる。坪内孤景(コケイ)の叔父。 _県立愛知洋学校・官立愛知英語学校を経て、開成学校(後の東京大学)に入学、1883(明治16)卒業。1928(昭和 3)古稀を記念し早稲田大学構内に演劇博物館が建てられた。 (5)没日は 2.28。晩年には柿叟(シソウ)とも号した。 (9)没日は 1.28。号は晩年柿雙・柿双。 (11)没日は 2.28。晩年には柿叟(シソウ)とも号した。 (13)没日は 2.28。晩年には柿叟(シソウ)を雅号とした。 (16)没日は11.28。 ◆逍遥忌[ 2.28]。 ◆逍遥祭[ 5.22頃]早稲田大学演劇博物館で。 つぼうち としお【坪内 鋭雄】 ⇒坪内孤景 つぼた じょうじ【坪田 譲治(坪田 讓治)】 1890. 3. 3(明治23) 〜 1982. 7. 7(昭和57) ◇小説家・童話作家。岡山県御津郡石井村大字島田生れ。1915(大正 4)早稲田大学英文科卒業。 (1)誕生日は 3. 3。 (3)誕生日は 6. 3。 (5)誕生日は 3. 3。 (9)誕生日は 3. 3。 (11)誕生日は 6. 3。 (13)誕生日は 6. 3。 つぼた まさる【坪田 勝】 1904. 9. 4(明治37) 〜 1941. 3.18(昭和16) ◇劇作家。 つまき しんぺい【妻木 新平】 1905. 5. 6(明治38) 〜 1967. 3.28(昭和42) ◇小説家。本名は福永隼人。 つむら きょうそん【津村 京村】 1893. 8.17(明治26) 〜 1937. 4. 5(昭和12) ◇劇作家・小説家。本名は京太郎。 (5)没日は 4. 5。 (9)没日は 4. 6。 (11)没日は 4. 5。 つむら のぶお【津村 信夫】 1909. 1. 5(明治42) 〜 1944. 6.27(昭和19) ◇詩人。神戸生れ。神戸第一中学校を経て、1934(昭和 9)慶応義塾大学経済学部卒業。アディスン氏病により北鎌倉の自宅で死去。 _映画評論家津村秀夫の弟。 つる あきら【鶴 彬】 1909. 1. 1(明治42) 〜 1939. 9. 1(昭和14) ◇反戦運動家・川柳作家。本名は喜多一二(カツジ)。 _1930(昭和 5)金沢第九(ダイク)師団に入隊。反戦の新聞などを軍隊に持ち込み軍法会議にかけられ大阪監獄に入獄。 _3年後、釈放され、東京に出て川柳作家になる。 _1938(昭和13)反戦川柳により東京野方署に留置、看視のまま翌年豊多摩病院で死去。 ◎1935(昭和10)「銃剣で奪った美田(ビデン)の移民村(イミンムラ)」 _「屍(シカバネ)のゐないニュース映画で勇ましい」 _「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」 つるが しんない【敦賀 新内】 1744 〜 1780(安永 9) ◇江戸中期の浄瑠璃の語り。本名は岡田五郎次郎。 _豊後節の一派の富士松薩摩掾(サツマノジョウ)の門人。敦賀若狭掾が創始した泣き語りを完成させ、新内節(シンナンブシ)と呼ばれる。 (*)1744(寛保 4,延享元)。 つるさわ たんざん【鶴沢 探山】 1655 〜 1729(享保14. 7.13) ◇江戸中期の絵師。名は守見・良信・兼信、号は探川・探春・幽泉のち探山。探鯨の父。京都の人。 _元禄年間(1688〜1704)に禁裏の御用絵師となり、のち法眼。 _京狩野派の山楽・山雪の一派を凌ぎ、探鯨・探索・探泉・探春と明治にいたる鶴沢派を築く。 ◎久隅守景(クスミ・モリカゲ)・桃田柳栄(リュウエイ)・神足常雲とともに狩野探幽門下の四天王の一人。 (2)「つるさわ たんざん」。没年は1729(異25)(享保14)。 (16)「つるざわ たんざん」。没日は1729(享保14. 7/13)。 (*)1655(承応 4,明暦元)。 つるた ごろう【鶴田 吾郎】 1890. 7. 8(明治23) 〜 1969. 1. 6(昭和44) ◇洋画家。 つるみ ゆうすけ【鶴見 祐輔】 1885. 1. 3(明治18) 〜 1973.11. 1(昭和48) ◇政治家・政治評論家・小説家。 (5)没日は11. 1。 (9)没日は11. 2。 つるみね しげのぶ【鶴峯 戊申】 1786(天明 6) 〜 1859(安政 6) ◇江戸後期の国学者。 つるや なんぼく【鶴屋 南北(四世)】 1755(宝暦 5) 〜 1829(文政12.11.27) ◇江戸後期の歌舞伎狂言作者。本名は伊之助、号は姥尉輔(ウバジョウスケ)、初期の筆名は桜田兵蔵・沢兵蔵・勝俵蔵。