「告白 三女の受難」  とっくり長女さん(仮名)独占インタビュー


▲いよいよ完結編。気合いが入るとっくり長女さん(仮名 30歳)

 第1話 「鶏事件」

そういわれてみるとたしかに三女はひどい目にあってますね(笑)
一番忘れられないのは「鶏事件」でしょうか。
ええ、これは聞いた話なんですが、その日、小学生だった三女は、父と次女の3人で、鶏小屋の前にいたんですよ。
はい、1メートルくらいの高さの小屋で、
当時、メスの鶏とチャボが1羽ずつ、オスのチャボが1羽の計3羽がいたんです。
ちなみに今はつがいの烏骨鶏を飼っていますけど、どうですか。
あ、どうでもいいですか。
え〜、その日父は思いつきで鶏小屋の掃除をしようとしたんですね。
で、まず3羽を外に出して、中をざっと片付けて、さて、こいつらを戻そうというときに、
これも思いつきで、父はその作業を三女に頼んだんです。
三女はあの通り常にやる気満々な女ですから、まかせとけとばかりに、まずメスのチャボの胴体をつかみ、小屋の中に放りました。
そして次にメスの鶏。彼女たちはおとなしくてそこまではすんなりいったんですね。
ところが悲劇は3羽目のオスのチャボを三女が捕まえた瞬間起こりました。
突然、そのオスのチャボが、何を思ったか暴れ出したんです。
オスのやることは種を問わずいつも意味不明です。
暴れるチャボと慌てる三女。
そして次の瞬間、父が3羽の鳥と三女が入っている鶏小屋の扉を目にもとまらぬ早業で閉めてしまったんです。
三女は「ぎゃーっっ」と、断末魔の叫び声をあげました。
それを聞いた鶏たちはさらに大パニックです。
「ぎゃ〜!」「こけーっ」「開けて〜!」「こけーっ!!」「うわああぁぁ」「きーっ!!」
泣き叫ぶ三女と鶏たち。
鶏たちは三女の頭に乗っかり、その上で羽をばたばたし、服をくわえてひっぱり、体をつつきまわします。
三女が羽まみれになりながら、払いのけようともがけばもがくほど、鶏たちも大暴れです。
地獄絵図とはまさにこのことでしょうか。
それを金網越しに見ていた父と次女は、涙を流して笑っていたそうです。
父は今でもその時のことを思い出して「あれはおもしろかった」としみじみ遠くを見ています。
次女は「笑い死にするかと思った」と当時を振り返ります。
わたしもぜひ現場に立ち会いたかったと思います。(談)(2002.02.13)

 第2話 「凧事件など」

ああ、あの凧事件。
いや、それはちょっと・・・(と、言葉を濁すとっくり長女さん)。
これを話しちゃうとますます政界は混乱しますよ。
・・・え?お土産?(がさごそ・・・)まあ、お気使いなく・・・。
えーっと、あれはやはり小学生だった三女におそいかかった災難でした。
冬休みの課題で、凧を作って来いというのがでて、三女はよりによって父に相談したんですね。
父は何を思ったのか「おう!まかせろ!」と自信満々に、なんと凧を角材で作ったんですよ。竹ひごじゃなくて。
できあがったその額縁のような凧に、三女は大喜び「やったあ!!」

冬休み明けのその日、学校で凧上げ大会だというので、三女は喜び勇んでその額縁を持って出かけたのでした。
グランドで見た他の子供の凧と自分のとは明らかに違う、とここでちらりと思ったようですが、
ミナコ・サイトウも舌を巻くほどのポジティブ・シンキングな三女のこと、
「おおっ!盛ちゃんのが一番上がりそう!」とますます上機嫌。
ところが、いざみんなで上げる段になったら、当然ですが三女の凧は一向に上がりません。
みんなは、すたすたっと走ってすぐ上手に上げていくのに、
三女はひたすら重い凧をずるずると引きずりグランドを走りまわったそうです。
ゆうゆうと糸をあやつって楽しく凧上げする同級生達を横目に、グランドを縦横無尽に走りまわる三女。
なぜか一人だけ汗だくです。
そしてとうとう時間がきて、みんなは凧を片付け始め、「楽しかったね」などと、和気あいあいとしたいい雰囲気の中、
三女だけは息を切らし、顔を真っ赤にしていたそうです。
彼女の凧は終始、1ミリたりとも浮かぶことはなかったのでした。
結局、凧のしくみも、凧のおもしろさも全然わからなかったそうです。

懲りない三女はその後も「風景画」を描いてこい、という宿題を父に頼み、
富士山に松の木、といういまどき風呂屋にもないような大胆な構図の絵を描かれ、
それを堂々と提出し、担任の先生に「これはどこから見た富士山だ」と聞かれて逆切れしたこともありました。
そういえばこの父は三女の父親参観日に遅刻した上に、なぜか教室の前のドアからゆうゆうと入ってきたので、一躍クラスの人気者になりました。
これには三女も大喜びでした。(談)(2002.04.07)

 第3話 「リベンジ」

盛子の受けた虐待はこんなものではありませんよ。
まだ保育園児だった4・5歳のころ、父に「このブス!」と言われ、大泣きしましたこともありました。
「盛ちゃんはぁ〜(グスッ)、バカって言われるのはいいけどー(グスッ)、ブスって言われるのはいやだ〜!!」
と泣きじゃくりながら心情を吐露した盛子の顔を今でも覚えています。
と言いたいところですが忘れてしまいました。
そんな心的虐待を受けつつ日々暮らしていた盛子ですが、ついに我慢の限界が来たのか、おやじに復讐したことがあったんです。
あれは、盛子が小学生だったある日。
彼女はまだ、たまにおやじと一緒に寝てました。おやじが「盛ちゃん一緒に寝よう」とせがむからです。
せがむ方もどうかと思いますが、応じる方も変ですよね。でも、そこは深く追求せずに話を進めましょう。

その日、盛子は風邪ぎみでした。
おまけになんだか胃腸の調子も悪かった。
それでも夕飯を食べて、お風呂に入って、おやじと仲良く枕を並べて寝ていて、ふとセキこんだそのとき!
盛子は激しく嘔吐!!それもおやじの方に顔を向けてセキとともに勢いよく吐いたので、おやじの顔はゲロまみれ。
ちなみにその日の夕飯はカレーでした。
「そういえば、にんじんがそのままの形で顔に乗っかってたなあ」と当時を振り返る盛子。
「親の顔に泥を塗る」とはよく使われる言い回しですが、親の顔にゲロをかけるとは!!
おやじはゲロだらけになりながら、Tちゃん(母)を必死に呼び続けたそうです。
それ以来、おやじは二度と盛ちゃんと一緒に寝たがらなくなりました。
盛子の勝ちでした。(談)(2002.05.01)

 おまけ 「次女の受難」

それはもう10年近く前の話。
車の免許を取った次女に、おやじが安い車を調達してきてやると宣言。
(とっくり父の方針は、”車は買ってやるが、中古の安いやつ限定”)
「まあ、お前の注文も聞いてやる」という父に、高校を卒業したばかりの次女は、
「車のことはよくわからないからなんでもいいけど、赤いのだけはやだ。赤じゃなければどんな車でもいいよ」と頼んだ。
「よし、わかった」と勇んで出かけたおやじが見つけてきたのは真っ赤な軽自動車だった。
トマトの赤。ポストの赤。山田隆夫の着物の色だ。
しばし呆然としたあと、我に返った次女は涙混じりに抗議した。
「赤だけはやだって言ったじゃん!!他に何の注文も出してないのにっ!」
それを聞いた父の一言。「これは、赤じゃない(きっぱり)」
あまりに意表をつく答えに次女はただじたばたするだけ。
それでも大騒ぎする次女を見て、父はTちゃん(母)を呼び、こう聞いた。「なあ、これは赤じゃないよな」
母はすかさず「そうだよ。これは赤じゃないよね。お父さん」
次女は大混乱。

次の日から次女は真っ赤な車で通勤した。(2002.05.01)