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やがて、夜の巨人の声が小さくなっていき、静寂が訪れる。
フィルは夜明けまえ、草原で星を眺めていた。
濁った雲が、星をたまに隠しながらゆっくり流れていく。
その、永遠なる星の天蓋の下でフィルは、無限法力の謎について
考えていた。
世に名を残したいならば、太古の時代に、賢者たちが解く事をあきらめてしまったこの問題を解いてしまえばいい。
いつしか、東のほうが赤らみ始め、星が見えなくなった。
フィルはヨロヨロ起き上がり呼吸を一定に整える。
夜の巨人が、その持てる力すべてで、音なき最後の絶叫を発する瞬間をねらい、深く息を吸い込み、肺を気でいっぱいに充実させた。
指先まで、気が発している光で満たし、爆発呼吸で、一気にそいつを開放する。あたりの草が、金属的な音を発し、一瞬だけ共振をおこす。
フィルは果てしない満足に包まれる。つまり法力とは、生命全てがもつ、一つの根源に結節する「ことば」というわけ。
こうして、毎日繰り返す、一連の儀式を終えたフィルは、そこから40分ほど歩いたところにあるラムダの町に帰っていく。
――石畳で造られた坂を登って、宿に帰り着く頃、陽は、巨大なロームの樹を超える。
週末の午前中で、人々は活気をもって仕事を始めている。
法院への身支度を整え、遠方からの学生に対し、院が無料で提供する宿をあとにしたフィルは、ラムダの中央通りを真っ直ぐ進み、法院に向かう。
フィルは法院に今年入学したばかりで、皆伝を得ていた。
無限法力をこの階層で発現する解法パターンの一つを、論文と、自らの体で証明してみせたのだ。
法院とは、法力学院の略称で、16歳からの法術師が日々、さまざまな法力を発見、もしくは学習するところであり、その大半は成長につれ薄れていく力を、幻覚系の植物で補っている。
つまり、大量の薬物の摂取が許された、堕落的な場所という認識が一般的で、法院の卒業生達が真っ当な職につくことは珍しい。
人生で初めて、両親から離れ、独りで暮らし始めたときの、一番の不安であった食事は、行きがけにある、うまい穀物食を食わせる、ロジャームースの穀物粥と名づけられた店で十分満足できていた。
毎朝そうするよう、店内に右足から入る。見た目よりもずっと奥行きのある店内で、10数個のテーブルのうち、一番奥を選ぶ。
磨き上げられ、細かい傷すらも摩耗した、その、木製のテーブルにつき、床を壊すほどの巨大な体躯をした従業員がこちらに来るのを確認する。朝が来ることへのけだるさを装いつつ、スィバの実と、カウスの乳で作ったミルク粥を注文した。
フィルは、ゆっくりと、必要以上のそしゃくをする。それが確実に集中力を高めるのを感じる。
泥壁の所々にあいた穴から漏れる朝日が、空中を舞う埃を捕らえている。幾すじもの光の帯は、光沢のない塗装のカウンターを、ゆっくりと通過する。
断食まであと一月ほどだ。始まるまではこの食事を楽しめる。
口をもぐもぐさせながら、表を犬が駆けて行くのを見守っていたら、続いて現れたのは、同じ院生で、名前をリース・ノマンダという女学生。
店内を覗き、フィルを確認すると妙な笑みを浮かべ、入ってきた。
――フィルは彼女が少し苦手だ。
リース・ノマンダはこの地方の女性が皆そうであるように、腰をくねらせ、女を高らかに、そして健全に誇る。
テーブルに細い脚が、優雅に乗っかる。
「フィルってば、いつもここにいるのね」
両手で後ろ髪をかきあげる。石鹸の香り。
「まあね、――それよりも、テーブルに腰掛けるのはよしなよ」
「あら、ごめんなさい。あたしったらレディーのすることじゃなかったわね」
クスクス笑いながら椅子を引き、音を立て座り、脚を組む。注文を取りにきた従業員に片手で用はないと示しながら、
「そんなにここの料理っておいしいの」
「うん、悪くないよ」
口をもぐもぐさせながら――
「他の店は朝から肉を食わせようとするからさ」
「でもキミ、菜食主義ってわけじゃないんでしょう」
「ちがうけど、肉を好んで食うことはないね」
「えー、あんなに美味しいのにい」
実際、この会話はもうどうでも良くなっていて、フィルは天窓の雲が不規則に形を変えるパターンに、口をゆっくり動かしながら、見とれていた。
「――でね、今日まっててくれない……」 リース・ノマンダがこっちをじっと見つめる。
適当に相槌を打っており、何を言われたか、わからない。もう一度聞き返す
「え……すまない、ぼんやりしてた」
いつもの鼻で笑うような表情はもうなく――
「あたし、明日実践なのよ」
実践とは、実践訓練の事をいう。戦闘型の法力師が一切の武器を持たず、命がけで、ディル山にいる、獣あいてに3ヶ月戦う。
非戦闘方の法力師が二ヶ月火山洞窟で断食に耐える課題と同じ時期にある課題で、毎年両方とも半数の生徒が再起不能近くに追い込まれる。死亡者は戦闘型法力師の中から、結構な数出るらしい。
リースは沈黙してしまった。
「今日、どうするの」
フィルは、噛み砕きつづけたせいで、完全に液体になってしまったスィバのミルク粥がこぼれないように、小さく口を開き、尋ねる。
リースは、フィルの顔を見つめる。
「話があるから、授業後まっててほしいの」
そのまま、視線をテーブルに落とす。
フィルは口の中のミルク粥を飲みこむ。
「どこでだい」
リースは、少し考え深げな表情をし、
「そうね、院の、緑炎のとこがいいわ」
フィルは微笑むと、小さく頷く。
「わかった、じゃあ、まっとくよ」
リースも微笑み、今度は静かに椅子を下げると、
ゆっくりと席を立ち、少し振り返り、軽く手を振り、そのまま行ってしまった。
ゆっくり粥の残りを飲み下すと、テーブルに朝食の代金を置き、フィルはさっきよりも賑やかになった通りに出て行く。
永遠の緑炎へ
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