10 雨中の剣士

 ――あれから一ヶ月が経った。この地方は雨季に入り、ここ一週間雨が降り続いている。
フィルはシャオタムが驚きの声をあげたよう、ほぼ完全にインフェーブの基礎を把握した。
陰鬱とした雲から雨が降り注ぐなか、フィルは、院への坂を登っていった。雨脚は強くなり、泥道を崩していく。こんなに雨が降っているというのに、これからフィルたち研究法師は、断食修行のため、4日間かけて、修行場所である火山洞に向かう。

 戦闘法師の訓練ほどではないにせよ、行く先々でもしかしたら獣と出会うかもしれない。しかも賢者シャオタムが言っていた、――世界が混沌に導かれる、という言葉が気がかりだ。
何らかの『神的要素』を含む人間が、自らの存在に気づいたらしい。――世界を巻き込むほどの能力など、想像がつかないけれど、かつてローム文明を作り上げた人間と同じ素質を持っているという……。

 シャオタムの話では、そんなやつは、生まれ落ちた瞬間から、人々に圧倒的な能力を恐怖され、殺そうとされるか、配下に加わろうとされるかを繰り返す。
人間の本性を剥き出す、修羅の世界に、生きている子供の精神が、どのようになっていくのか……その先にあるものは、絶望だけかもしれない――だから2万年前、同じ能力を持ったものは、国家を創りあげたのかもしれない。
共感者と、配下のみで創りあげた幻の王国を……。

 院の教官が大声で全員を集める。特殊な樹液で固めた皮の笠をかぶった法師たちがぞろぞろと集まってくる。簡単な説明が済むと、火山洞に向けて全員は進みはじめた。
雨だというのに、大勢の人々が見送りに来ている。――フィルを送り出してくれる人はいない。シャオタムはもうすでに、どこかへ旅立っており、フィルが断食修行を終える頃帰ってくるのだという。

 法師たちは、ロームの樹を超え、延々と続く道を歩いていく。雨脚はいっそう強くなり、100フィート先も見えまいほどだ。整備されてない泥道がぬかるみ、法師たちの足に絡み付く。
インフェーブを使えばこんな泥道を石畳の歩きやすい道に変えることなど簡単だが、インフェーブの概要が明らかとなった今となっては、極力使用を避けたかった。
――あれは、何も知らない人間からすれば、神の力に等しい。

 まったくの伝説かと思われていた、『無限法力』は『インフェーブ』という名で確かに存在していた。
では、賢者の石を精製する方法はどうだろう……。きっと出来るはずだが、フィルが感じた、インフェーブの働きというものは、実際にある現物を、または、その記憶を、模写するという感じだ。
――つまり、賢者の石の現物を見たことがなければ精製不能なのだ。たとえ、賢者の石を含む原石があったとしても、それはどんなつながりを持って結晶化するのか不明だ。
――ただ、永遠に消えない緑炎を生み出すほどのエネルギイを内在させているのだ、下手をすれば、街一つくらいは吹き飛んでしまうかもしてない……。

 そう考えながらフィルは進んでいくと、前の方からざわめきが伝わってきた。はやし立てるような声すら聞こえる。一行はそのばで足を止めてしまった。なんだろうかと、フィルは前の方に人をかき分けながら進む。
――ここから80フィートほど先に、強い雨脚で霞みながら、獣に剣を振るう者の姿が確認できた。

 頑健そうな筋肉が強ばり、凄まじい速度で獣にむかって、刃を叩きおろしている。獣は固い皮膚もった種類で、普通剣などでいくら叩いてもびくともしないのだが――。
少しずつ、獣から赤いものが滴れはじめている。フィルは、剣を振りぬく速度が半端じゃあない事に気がついた。一振りごとに、空気がバチンと音を上げている。剣圧が真空を成すのだ。

何がおきたのか、一瞬わからなかったが、剣士がかきあげるように剣を下から振るうと、金属的な音をだし、獣が絶叫を発した。そうかと思うと、こちらの方に獣の腕がちぎれて飛んできた。ビクビクとまだ動いていて、恐ろしく硬質だ。その時、「あぶねえから離れてろ」と剣士が叫ぶ。声はまだ若い……十代くらいかも知れない。

 ちぎれた腕が突如ひるがえり、一人の法師の喉に飛びついた。叫ぶ暇もなくその法師は首を締め上げられる。周りの法師はオロオロするばかりで、みるみる顔が紫色になっていく……フィルはため息をつき、インフェーブを使う。腕が内在させている情報を書き換えようと試みる……

 激しく流動している『点』を書き換えるのがここまで難しいものだととは、思ってもいなかった。実は今まで、死んだようなものを変化させる事ばかりしていたので、フィルにとって、これは初めての体験だった。

 なんとか流れに乗せて、獣の腕の『点』を凍結させる事に成功した。動かなくなった獣の腕はボロボロと崩壊をはじめる。首をしめられていた法師は白目をむいて失神した。グジャグジャの泥道に派手に倒れこむ。

 周りの法師達は、何が起きたのわかからないといった顔をしてそいつを助けおこす。――そのとき、獣が身の毛のよだつ絶叫を発した。
剣士が、獣に剣を突き刺したところだった。力学的に完全な構図を持っていて、最も十分な破壊力を発揮しているように見える。
その力強さにフィルは身震いを起こした。
剣を引き抜き、振るって血を飛ばす。まだ剣は荒れていて鞘におさまらないのか、小脇に抱えこちらへ歩いてくる。

 「ラムダの法師さん達かい……」
ああそうだ、と誰かが答える。
近づいてきてわかったが、フィル達と年齢はそう違わない見た目だ。あの熟練度は恐ろしい。
 「あんたら、怪我はないか」
そういって法師たちを見まわす、気を失っている法師に近づき、あごをあげる「ああ、気を失っているだけだな」
そして、剣士は首をひねりながら――
 「獣の腕はどこへいったんだ……」
肩を担いでいる法師の一人が
 「わからないけど、突然崩れ落ちたんだ」
そういうと、剣士はふーんとつまらなさそうに、一瞬フィルの顔を見て、そのあと――。

 「俺はこれから火山洞に向かうんだが、あんた達もだろ……俺の名はハーヴだ、よろしくな」
そういってフィルをもう一度みる。
雨脚が弱まる気配はない……。






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