1 積層都市

 奈緒美の眼は見開かれ、わずかに開いた窓から、そこに広がる巨大な積層都市(ラミネートシティー)の黒々とした隙間に向けられた。
この窓を閉めれば、ガラス板に埋め込まれた液晶が自然環境をシュミレートしてくれるだろう。
忘れた頃に天井が唸り、何処からか冷気が吹き込んでくる。
奈緒美は微動もせず、積層都市(ラミネートシティー)の遥か彼方に見える海を見つめる……

 音がして奈緒美は振り返る。
トレーに乗せた食事が配られたのだ。傷だらけのアルミ皿に、ボール紙のような味がするブリトーと、白湯のように味が薄いコーヒー。(しな)びたレタスのサラダが入っていた。
窓を閉める。空電の音がして、窓に液晶が灯り、森林の映像がノイズ混じりでプレビューされる。
ため息をつくと、食事は取らず、消毒臭いベッドに倒れこむ。
瞼を痛くなるくらい強く閉じると、網膜に単純なパターンの図形が浮かんでは消える、奈緒美の昔からの遊び……脳裏には断片的な記憶……

 奈緒美が今まで暮らしていた場所は信じられないくらいの掃き溜めで、汚染が酷く、水溜りなんてサビ色、時々犬の死骸が浮かんでいた。一つ良かったのは海がすぐそばにあった事。海岸……といってもあるのはビニール製品の敷き詰められた浜だけど、そこに立っていれば、海からの風で日中吹き付ける気を失いそうな臭いのメタンガスを避けられた。
あそこは国家から忘れられた、眼を(つむ)られた場所で、毎夜タンカーがゴミを不法投棄に来ていた。あそこで暮らしている人はみんな、そのゴミの中に食べ物を求めて行くけれど、ほじくっていたら、口じゃ言えないくらい酷いものがいっぱいある。人間の死体なんて珍しくも何ともなかった。

 奈緒美は今はもう殆どいない日本人(ジャパニーズ)と呼ばれる人種で、『奈緒美』という名前も、ただ一人の家族だった、祖父がつけてくれた。
祖父は、奈緒美がまだ小さなとき、二人で住んでいたバラック小屋を残して死んでしまったが、優しくて、大きな男だった。
そういえば、同じ歳の友達(つれ)のディーが、お葬式の日、一人で泣いていたら、『とっておきの場所』に連れて行ってくれたのを思い出す。ゴムタイヤを継ぎ接ぎで作った潜水服(ウェット・スーツ)をかしてもらい、ディーの持っているボートを沖まで出すと、一緒にビニールゴミの浮かぶ海に潜った。
潜水はあまりとくいじゃあなかったけれど、ディーが繋いでいてくれる手から伝わる暖かさが、不安を取り除いてくれた。

 透明度のない濁った海の中でそこはまるで別の世界だった。ドーム状に濁りのない空間があって、話やボロボロの図鑑にしか載ってないようなきれいな形の魚が泳いでいた……
驚いて、固まっているとディーは向こうへ行こうと合図する。そのまま着いていったとき、自分の眼を疑った。
そこには、煌々と燃え上がる緑色の炎があった。
きっと、空間写像(ホログラム)だと思い近づいてみたら、ものすごく熱くて……
ディーは嬉しそうにしてた。
よく見ると炎の中心には卵のような石があった。
それから、二人でその場所は秘密の場所、卵の場所というようになった。

 気がつくと奈緒美は涙を流していた。
心が締め付けられるように痛かった。ディーとはずっと幼馴染で、男同士のように殴り合いもする仲だった。
10歳を過ぎたあたりから体は少しずつ女になっていく。でも、ディーの前では馬鹿騒ぎをしたり、魚を取りに行ったり、今までどおりの態度をとっていた。
だけど13歳を過ぎたとき、その噂を聞いた。
身寄りのない女はタンカーに乗せられる……
街に売られていくのだ。
昔、仲の良かった、近所のスクラップ小屋のオネーチャンは海に出て、海獣に食べられたから帰ってこないと言い聞かされた。
あれは、タンカーで街に売られていったのだ。
女になっていく自分が嫌でたまらなかった。周りの目が変わっていく。
だが、ディーだけはいつも変わりない態度で接してくれていた。

 現実の辛さがわかったのは、風の強い日、14歳になる3週間前、祖父が建てたバラック小屋の戸を蹴破って、『街』の薄汚い作業者が入ってきた。
あんまり恐ろしくて声も出なかったけど、何とか声を捻り出した。
もしかしたら、ディーと叫んでいたのかもしれない。
夢中で作業者の暴力を抗っていたら、ディーが飛び込んできてくれた。今まで見た事もない剣幕で作業者を殴りつけてくれた。
だけど、ゴミ島の人間がディーを抑えて、滅茶苦茶にしてしまった。
作業者は、冷めたみたいで、もう暴力を振るうことはなくなって、ディーの滅茶苦茶な姿にを見てると、力も入らなくなって――
髪の毛を引きずられ、そのままタンカーに乗せられた……

 気がつけば、殆どの自由をなくした。
これからどうなるのかも解らない……何より、あんなに仲の良かったディーにもう二度と会えないかもしれない。
でも、生きていればいつかはきっと――

 奈緒美は、食事の入ったトレーを取り、ボール紙のような味のブリトーに噛り付く。
いま、窓はノイズを混じらせながらどこかの砂漠の映像を映しており、小さい点のようなオアシスが段々とズームされていった――






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