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ヘルマン・ヘッセ 著 高橋健二 訳 新潮文庫
この著書を読み、著者の真意は私には残念ながら掴めなかった。ゆえに少しうがった見方で書評をして見ようと思う。それはつまり、日本人がこの書を読むことにより何を得られ、何を理解することが出来るのか?ということである。 本書のストーリー自体は非常に明白である。シンクレールという少年が数多くの人々に出会いながら、キリスト教という制度、引いてはその制度から導き出される世界観というものが正しいのだろうか?自らの生活そのものと照らし合わせてもすでに矛盾があるのではないだろうか?という疑問についてその深層に迫っていく物語である。 そのシンクレールを導く形で登場するのがタイトル名のデミアンである。彼は既存のキリスト教の捉え方が絶対ではないことをシンクレールに提示する。 「宗教の欠陥はきわめて明らかに見うる点が一つあるんだ。…省略…旧約と新約の、この神全体は、なるほどりっぱなものであるけれど…省略…しかし世界はほかのものからも成り立っている。…省略…この半分全体がごまかされ、黙殺されている。…省略…全世界を、いっさいあがめ重んじるべきだ、とぼくは思うんだ。そこでつまり、神の礼拝と並んで悪魔の礼拝を行わねばならない。…省略…あるいはまた、悪魔をも包含している神を創造しなければならないだろう。」 デミアンに惹かれる自らを感じつつもシンクレールは既存の世界の居心地に溺れるようにして、彼から離れていく。しかし、「神」が目の前にいる世界以外を体験し、自らの堕落を経験し、年を取るにつれて肌でデミアンの言葉を感じていく。そんなシンクレールを通して、キリスト教とは何か?神とは何か?を問う作品であると思う。 さて、本書を読んで思うことは、ヨーロッパ(また、アメリカ)において如何にキリスト教が重要なキーワードとなり得るのかということと、また近代における産業革命による生活の変化、軍隊の近代化による戦争の質の変化によってキリスト教が如何に破壊されたのかが理解できた。もちろん、絶対的な指標と言うには一部、且つ、局面的なことであるには違いないが、このような疑問がキリスト教社会に提示されたということは重要な意味が存在すると思う。近代に入り、ニーチェが「神を死んだ」と言った当時に、キリスト教が抱える課題を認識しようという方には非常に大きな示唆を与えてくれる書ではないだろうか。また、その意味で小説という形でキリスト教について興味を持つきっかけになる一冊であると思う。 かかし |
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2003年04月16日 書
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