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舟橋 聖一 この作品は幕末の動乱の最中、本来跡目相続とは縁がなかったはずの井伊直弼が大老になり、水戸藩浪士に討ち果たされるまでを彦根藩の密偵として影ながら支えていた一人の女性の生涯と絡ませながら展開されていく小説である。 私がこの小説で感じたことは多くの場面で私の思考に斬新な歴史の意味を与えてくれたこと。井伊直弼という人物、学校教育や一般通説の中においては朝廷の勅を待たずして外国との和親条約を結んだことや安政の大獄における浪士たちの大規模な取り締まりによって悪役の感が浪士側の歴史から見た観点では否めない。そして、歴史はその浪士達が打ちたてた維新政府に受け継がれていくことになるゆえ、そうした書物が多く出ることになる。そうした中、井伊直弼の観点よりの幕末を捉えて話をすすめ周りに仕える女性達に焦点を当てたために非常に情深い作品でもある。井伊直弼の観点から、習ってきた歴史を思い起こすと、水戸藩の浪士達が決行した「桜田門外の変」がその後の日本になんと大きな迷走をさせたことかが計り知れないように思う。もちろん、井伊大老が生きて政府(幕府)を取り仕切っていたのならば、幕政はもう少し長く続いていたのかもしれない。天皇を国家元首とした明治政府とは少し形が違った政府の誕生を見ていただろう。とはいえ、直弼が見ていた次代とは、「桜田門外の変」で井伊大老を討ち取った水戸藩浪士達とは確かに違っていたが明治政府とはそれほど違わなかったのではなかっただろうか?キーワードは本当のところ、「天皇」か「将軍」かと「攘夷」か「開国」。幕政は打倒されなければいけなかったのだろうか?私自身は「桜田門外の変」あの時に井伊大老が討ち取られる必要性はまったくなかったように思う。というのは、決行した水戸藩士が目指していたのは「尊王攘夷」であるが、彼らが見ていたものは結局首のすげ替えにしか思われないからだ。幕政の中でも攘夷を主張していたのに違いない。井伊の影響力が強く、幕政の中において攘夷を高らかに叫ぶことができなくなったために、「尊王」などという言葉を使って自らの目的を達成しようとしたにすぎない。 幕政と新政府はその違いを認識した上で論じるべき事柄のように思う。少なくとも、幕政には国家元首と言えるほどの権力が存在したうえでは三〇年は正当性を保ち得たように思う。しかし、武士が一段上の座布団で胡座を掻く時代はすでに欧米が侵入してきた当時には終わることが必然であったように思う。幕府方の武士も尊王方の志士も憂国の士は日本の物差しだけで計らずに自らの見聞を広めていたように思う。が、それでも幕府という形で政権が保つことはできなくなっていたと思われる。幕府の中でも優秀な人間が集い、大富豪などの中からも・・・。そうした人々によって、維新という形を得ずとも新政府は誕生していたと思う。ただ、井伊大老が生存していたのであれば、維新ほどの血を見ることなく、新政権に移行することが出来ていたのではないのだろうか?という疑問。私はこの考え方は不遜であり、歴史というものは自分の思い通りにはならないものであるとしても、そんな考えをふと思いめぐらすのである。そういう題材を「花の生涯」という歴史小説は与えてくれた。その点、歴史を見つめ直すよい題材となる書であることは請け合いである。 かかし |
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2003年03月29日 書
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