マックス・ヴェーバー入門
山之内 靖著 岩波新書


 ヴェーバーはなぜ西洋において近代合理化が進み、他地域に対して優位的な地位につくことができたのかを明らかにしようとしていた社会学者である。彼は、その研究内容ゆえに今日までに多くの人が西洋賛美者と彼を捉えていたという。著者はその捉え方に反対する。彼は、一生の中で10年以上を神経症に苦しみ自らの生活を乱している。その時に勤労を美徳とするプロテスタンティズムに疑問を覚えたのではないか?と類推する。むしろ、彼は西洋の価値観に対して疑問を投げかけそれが何かを問う者であったと言う。

 働きたくても働けない。働かないといけないという思いこみがどこからくるのか?何が自分を苦しめるのか?そういったことにヴェーバーは悩んでいたであろうことを著者は丁寧に考察していく。そして、神経症が治って後の彼の精力的な執筆活動は神経症の時期の悩みに対して、一定の解答が得られた証と言う。


 それでは、ヴェーバーは一体どのような考察をしていたのであろうか?著者の見方を紹介したい。ヴェーバーは中世後期の段階で禁欲的なプロテスタンティズムが発生したことはプロテスタントが神の許しを乞える形態を唯一「労働」としたことによって近代合理化を成し遂げることができたという。それは、行動規範を「個人」に限定し、労働を行えない人に許しはこないという定理によって人を「孤独化(個人主義化)」することに成功したという。
 この、人格の孤独化による合理化というプロセスは西洋のプロテスタンティズムの中で発生してきたが一端発見されるや否や世界のどこの国も対抗することはできず、その意味で非常に大きな普遍性を持っているとヴェーバーは言う。その普遍性はとても手放しで歓迎できるものではない、それは少なくとも人に救いをもたらすものではない。しかし普遍性を持っている。引用すると、


「この普遍性は、それがもつ独特の形式性、計算可能性、機能性といった性格により、人間から社会的ないし文化的な属性に即した差異を剥奪し、人間を同質的な原子へと還元する力として働きます。合法的支配がもつ平等主義の原理および高度な規律にもとづく効率性は、逆らいがたい力として全ての文化諸類型を圧倒してゆくことになる、というのです。・・・省略・・・。そしていったんそこに引きこまれてしまうと、いかなる特性を帯びた文化と言えども、この機能的合理化の道を歩むほかはなくなってしまいます。」P213


 これは非常に重要な示唆ではないでしょうか?百年前にヴェーバーが論じたと思われる事柄はまさに現実に推移しつつあります。日本はすでに文化と言えるほどのものを維持できているでしょうか?また、長い間市場主義陣営の敵であった共産主義は効率化競争に敗北することによってソ連・東欧諸国の崩壊を招きました。その後は欧米的な市場社会・効率社会の構築を目指していることは周知の事実です。


 普遍性を持つ価値観が倫理的に「人間的」に矛盾なく受け入れられるかどうかという問題にマックス・ヴェーバーは挑戦しました。
 本書は、今、孤独を感じるとすれば、それの根底は何か?近代合理化が我々にもたらした意味とは何か?現代に生きる我々はどうすべきか?そうした疑問を意識化するためにお勧めの一冊です。

かかし

2003年04月22日 書

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