島本理生 「リトル・バイ・リトル」 講談社 2003.1.31
高校生作家の芥川賞候補作
2003.09.1 中央図書館地下のジョージア・カフェで読む
父親違いの小学2年生の妹・ユウちゃん。離婚を2度繰り返した整体師の母。そのため、大学進学を一浪して学費を稼ぐ主人公ふみ。心に父を持つ自分を感じながら、日常生活を送っている。家族、意識しだしたキックボクサーの周、アルバイト先での出来事・・・。その中で困難とともに前を向いて生きていく人々を描いている。
大変なときこそ、笑っているべき。明るさが困難な状況に対抗できる唯一の手段。そして、そこには頼れる誰かがいる。家族であったり、恋人であったり。困難な状況を作り出しているのも、その誰かではあるのだけれど。小説自体強く印象に残るものではなかったけれど、こんなに明るく前向きな話を押し付け感なく読んだのは初めてでないかと思う。離婚や浪人なんて、凶悪悲惨な事件が起こる今の世の中珍しくもなんともない。どこにでもありふれた日常を切り取ったフィルムみたいな感じ。でも、強烈な出来事や特異な登場人物など一切出てこなくても、ありなんだな、と思わせられました。
芥川賞は塵芥の芥の川。
そんな川、入って汚れなくてよかった。今後に期待します。
山田詠美 「A2Z」 講談社 2000.1.11
2003.09.04 中央図書館・地下のジョージア・カフェで読む
夏美と一浩。別々の出版社に勤める編集者同士の夫婦の間に流れるわかりあいすぎる居心地の良い空気の中で、互いが外に、新鮮さ・非日常を求めて恋をする物語。
すべての感情と言葉がとてもリアル。「ほんと、当時のことが映像のように蘇ってきて・・・」という経験をしている人は多いんじゃないだろうか?はしゃぎたい・ドキドキしたい気持ちと、横に居て落ち着く安定感を求める気持ちが押し寄せる波のようにやってくるんだよね(多分)。ラストは『強烈な欲望』『恋の死について語り合うのは、大人になろうとしてなり切れない者たちの、世にもやるせない醍醐味だ』そうだ。結局恋愛って、いつまでたってもその繰り返しか。私も時々、そんな「話したい・聞いてもらいたい・聞かせて欲しい」って強く思うことあります。相手もそう思ってくれていたら問題ないんだけどねぇ。
そうそう、山田さんの代表作の「ぼくは勉強が出来ない」の時田秀美くんのママ「仁子」が出てきてびつくり。そーいや自由奔放な出版社勤めのママだったけど、ここでは脇役に徹しちょっと正常な上司(夏美の上司なのです)だった。けど、ちゃんと恋愛しちょりましたよ。じいちゃんと秀美君も登場してます!
池上彰 「相手に伝わる話し方−ぼくはこんなことを考えながら話してきた−」 講談社現代新書 2002.8.20
2003.09.19 自宅にて読む
NHKのアナウンサーだと思っていた池上さん(週刊子供ニュースのお父さん役の人ですよ)。記者だったんですね。記者時代からキャスターまでこなすようになって、その経験から私達に『わかりやすく相手に伝える話し方とは』と指南してくれるのですが。
一言で言えば『伝えたい相手への想像力』。
話すように書かれたこの本、とても読みやすいし、実体験を伴っているからとても説得力がある。けど、それ以上にその実体験がおもしろいなぁ。記者って大変やなぁと思います。ハイ。
私のお友達にも、新聞記者さんがいて、よく遊んでもらうんだけど、9月16日、タイガース優勝の日。ご飯食べて、楽しく会話を弾ませていたら・・・「『喜びの姿』を取材せなあかん」って帰っていってしまった。まぁ、しかたないってわかってるけど。でも池上さんの本読んで、ぽつん、残された私より何十倍もの緊張感の中で毎日仕事してる記者さんのハードさを知って「お疲れさん」って声かけられる自分でいたいと思いました。。。ってちょっと本から逸脱したような感想だけど、ほんと「記者ってこんなんやぁ」ってのがよくわかります。
あと、参考にしようと思ったのが、「誰かに何かを尋ねられたときは『この人はなぜこの質問をするのだろう』と常に判断する習慣を付けておくと、いつも状況にふさわしいわかりやすい答えが出来るようになる」こと。
もっと意識して、日常生活を送れっちゅうことです。
秋元良平・文 石黒謙吾・写真 「盲導犬クイールの一生」 文藝春秋 2001.4.10
2003.09.20 堂島アバンザジュンク堂で読む
現在、日本いる盲導犬は約850匹。欧米に比べ圧倒的に数が少ないのは、盲導犬訓練士になるのに3年ほどかかり、はじめに100人の生徒がいても3年後には10人くらいしか残らない、つまり訓練士の数が圧倒的に少ないためだ。訓練士になるための勉強が犬のことだけではなく、盲者・障害者のことが多く、そこで挫折する人が多いのだという。
学生の時、京都市ユース・サービス協会の広報誌を作るスタッフをしてたんだけど、そのとき京都で若い女性の介助犬訓練士さんを取材に行くという企画があったことを思い出しました。その企画は編集ミーティングの翌日、地元の京都新聞が記事にしていて、あれよあれよという間にその訓練士さんは超有名人・マスコミに引っ張りだこになっていきました。あれから約4年。この本はいわゆるベストセラーとなり、全国に盲導犬が認知されるようになりました。10月1日からは盲導犬などが公共施設だけではなく人の集まるレストランなどにも一緒に入れるようにすることが義務付けられた「身障者介助法」が完全実施されました。改めて、マスコミの力って凄いなと思います。週刊誌や新聞が隠れた悪を暴くよりも、本がこうやってじわじわとよい方向に世の中を動かす力は清々しいです。
ちなみに文藝春秋の書籍編集者・松井清人さんによると、この「盲導犬クイールの一生」は編集部内では当初、そんなに売れるとは思ってなかった部類の本だったのだそうです。
すずらんの会 「電池が切れるまで 子供病院からのメッセージ」 角川書店 2002.11.20
2003.09.20 堂島アバンザジュンク堂で読む
長野県立こども病院の院内学級で難病と闘う子どもたちがかいた詩をおさめている。宮武由貴奈ちゃん(小4)が院内学級の理科の授業で電池の仕組みを実験した後に書いた詩の題名が本のタイトルとなっている。
『電池が切れるまで、神様に与えられたこの命を精一杯生きよう』という詩を小学4年生の女の子がかいたと思うとガンガン泣けてきた。同じ病室の友達が亡くなったり、自分自身の病気と闘わずには生きていかれない状況のなかで死を意識するには早すぎる子供達の言葉は、強くストレート。そして自分を省み、無駄に時を過ごしていないかと感じさせられます。
血液・腫瘍科の石井栄二郎先生の子供達と関わって医学に対する意識が変わったというくだり、「医者にとって治療成績をよくする事が仕事の第一目的で、生存率の高い治療方法が一番だと患者・その家族に繰り返し言ってきた。それらが苦しくても生きるために絶えるのが当然だと。しかし、院内学級の子供達と関わって、命にとって大切なことは“長さ”ではなく“質”だと教えられた。苦しみを和らげることが医療の本来の姿だと」が印象的でした。
医学の進歩で難病と呼ばれる病気で生まれたり、事故や病気でもその後の生存率が高くなった分、障害が残ったまま生活、社会復帰を送らねばならない人の数も増えています。彼らが病気や障害と闘う姿を本やテレビで見かけることも多くなりましたが、彼らが自分自身をさらけ出すことのエネルギーを考えるとたとえ体は弱く小さくても、私の何倍もの強さを持っていると感じずにはいられません。
近藤史人 「藤田嗣治 『異邦人』の生涯」 講談社 2002.11
大宅壮一ノンフィクション大賞受賞
2003.09.20 堂島アバンザジュンク堂で読む
真ん丸めがねにオカッパ頭の絵描き・藤田嗣治。大学生の時、絵の好きな親戚のおばさんと一緒に行った高松市立美術館で初めてフジタのことを知った。「パリでは最も有名な日本人なのよぉ」と言っていて、なんで美術の教科書や歴史の教科書には載ってなかったんだろうとふと思ったのを思い出した。私のように知らない人は知っておいたほうがいい。知っている人は、この本でより深く理解したほうがいい、と私は思う。
モディリアニ、キスリング、などと共にエコール・ド・パリの芸術家としてゆるぎない名声を得たフジタは、当時の黒田清輝の外光派が主流だった日本芸術界からは冷遇され、その風変わりな容貌と女性関係の華やかさのために国辱とまでいわれた。帰国後も戦争画を書いた日本美術界の責任をフジタひとりで取る形で厳しく非難され、アメリカへ渡り、後に再びフランスへ移り住む。フランスに帰化し、キリスト教に改宗したほどの日本嫌いといわれるフジタであるが、夫人君代さんの協力のもと10年にもわたる取材活動の結果のこの一冊でフジタの日本に対する想いを垣間見ることができる。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食になるとても
帰るところにあるまじや
室生犀星「小景異情」
アップダウンの激しい、壮絶な想いをしてきているフジタも最後は案外、そんなもんかもしれない。それにしても、教科書って何なんだろう。家永さんが長いこと教科書裁判やってたけど、少し実感が湧いてきた。情報なんて、国の力でいくらでも操作できる。恐ろしい。
横山秀夫 「クライマーズ・ハイ」 文藝春秋 2003.8.25
2003.09.16 JR山陽本線電車内で読む
『男には乗り越えねばならない山がある』1985年、御巣鷹山の日航機事故で運命を翻弄された地元新聞記者たちの濃密な一週間。
地元紙・北関東新聞で全権デスクを任された主人公悠木和雄が、世界的規模の重大事故に直面してもなお組織の持ついやらしさで繰り広げられてきた報道、振り回される記者たちの体を張った取材活動、決して幸福とはいえない家族の姿を、日航機事故当日に一緒に登頂する予定であり、苛烈な仕事の中で倒れ意識を失った同僚・安西耿一郎のその息子燐太郎と衝立岩に挑む合間に、17年前のその1週間を思い出すかたちで描かれていく。
クライマーズ・ハイとは命がけの登攀において興奮状態が極限にまで達して、恐怖感が麻痺し、持てる能力以上の力を発揮できるように錯覚する心理状況をさすアルピニスト用語。人生において乗り越えられないような巨大な山にぶつかった時、それが悠木にとっての日航機事故だった。崖っぷちに立ち、修羅場にぶちあたり、クライマーズ・ハイになってその一歩を踏み切る。何のために山に登るのかと聞く悠木に『おりるためにのぼるんさ』と答えた安西の言葉を、日航機事故のデスクをつとめた1週間を振り返った悠木はかみしめ、衝突岩に挑む。
横山さんがここまでアツク書けるのはやはり、警察とか新聞とか公的なもの(公的に近いもの)を書いているからだろうと思う。社会と自分。優先させるべきものさしが、一般企業とは違う。けれど人間そんなに強くない。そこには家族があり、自己の出世もあり、欲もある。どこまでそれを闘わせるか。倫理とか良識とか、一見ありふれたものに感じるが、これほどまでに迫られることは私たちにとって非日常そのものだ。しかし、組織・家族を舞台に描くことで物語を私たちの日常そのものにしてしまう。サラリーマンなら深く共感する部分だらけなのだろう(か?経験ないのでわからないが)。私は、横山さんの女性の描き方が、好きでたまらない。ちゃんと気配りしてくれているというか、落としどころをわきまえているというか。
この本では、彩子という少女が悠木と対立しながらも、日航機事故の報道を通して、死を見つめ、報道そのものを見つめ、自分を見つめることで成長していく過程が描かれている。悠木は彩子がメディアの本質を見抜いていることを感じ取ったくだり・・・≪命の重さ。どの命も等価だと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、命の重い軽いを決めつけ、その価値観を世の中に押し付けてきた。偉い人の死。そうでない人の死。可哀相な死に方。そうでない死に方。≫。その後『最初から気構えが違った』と悠木が述べるのは、彩子が北関東新聞社に就職し女性初の県警キャップになったからである。物事に対峙した時、男だろうが女だろうが関係ないと言ってくれている気がする。それはクライマーズ・ハイという体験であろうと同じだろう。人生の中で乗り越えねばならない山にぶつかり、それが栄光であろうと敗北であろうと、その体験こそが自信であり財産であり人生であるということ。この先、そんな体験を私はできるのだろうか?
某ベテラン新聞記者が好きな言葉は『愚直』だと言っていたことを思い出したが、このアツイ話を読み終えた後では一瞬一瞬と向き合って生きていくことしかないのかなと思っている。
横山秀夫 「陰の季節」 文藝春秋 1998.10
第5回松本清張賞受賞作
2003.09.28 九条マクドで読む
D県警で人事を担当する警務部警務課二渡真治が、人事発表直前になって突然辞めないと言い出した県警大物OB尾坂部の説得にあたる。3年前の退官後、不法投棄産廃監視協会の専務理事に天下った尾坂部にとって辞めない理由とは何なのか探るうちに、尾坂部が刑事部長時代に未解決事件として残ったOL殺人事件と愛娘のレイプ事件の影が見え始める。
斉藤婦警が2度出てくる。最初はコーヒーを二渡に持ってきた時、次は人事異動で刑事課に行った時。2度とも二渡から見ての心情は彼女を買っている。人事の目から見てということだけど。それでも、警察小説で、スナックのママや、お飾りの交通課の婦警でなく、芯の強い女性が出てくるのはなんだかうれしい気持ちになる。「クライマーズ・ハイ」の望月彩子を思い出した。あの作品でも、家族や女性の強さがスパイス的に入っていて話が引き締まっているし、読んでいて共感を持てる。読みすすめる程に警察という組織がどれほど自分と縁遠いかを思わせといて、家族や人間関係の部分で悩み、苦しみ、喜ぶ姿で結局は同じなんだという気持ちにさせられる。
このほか、「地の声」「黒い線」「鞄」が単行本に収められている。すべてD県警が舞台となっているが、すべて読み終えると人間不信になりそうなほど、組織の中の打算と裏切りがトリックになっていて、少々へこみます。
首藤瓜於 「脳男」 講談社文庫 2003.9.15
第46回江戸川乱歩賞受賞作
2003.09.29 近鉄電車内で読む
後半2割あたりに差し掛かると急激におもろくなった。それまでは・・・「まだ終わらんのかなぁ〜」だったけど。
論理的思考の苦手な私は脳男が少しうらやましくなるような。でも、そうじゃない、人間なのに人間味がないっていう苦悩ですか。出来の悪い子ほど可愛いってのも案外そんなもんなんかなぁ。
夢を見るようになった鈴木一郎は、どんな夢をみてこれからどんな人間になっていくんだろう。続編なんかが出たら、きっとがっかりするんだろうけど出たらきっと読むんだろうなぁ。
乙一 「ZOO」 集英社 2003.6.30
2003.09.30 近鉄電車内で読む
赤い装丁が本屋で目に付いて気になっていたものの、「ホラーやしなぁ」と敬遠していた一冊。でも、「何なんだこれは。by北上次郎」の帯が本屋へ行く度、目に付きやがって仕方がないので買ってしまった。まったく、出版社の思うツボのような読者の一人です。
短編10作が収められていたが、印象深かったのは「カザリとヨーコ」。「白い森の冷たい家」。「SEVEN ROOMS」のみっつ。「ZOO」は『何なんだこれは』というほどでもなかったが、店長はホラー初挑戦ということもあり、う・・・ん、すべて新鮮でした。
このみっつはどれも淡々とした残酷物語。でも、設定が面白い!!そして、その中にhumanあり、きっちり落ちもついている。そのhumanと悪の対決のコントラストになんだか不思議な気持ちにさせられる。カザリとヨーコなんて特にそう。優しい一人暮らしのおばあさん・スズキさんと犬のアソにハンバーグまで食べさせてもらえ、一卵性双子の妹・カザリにマクドに誘われてちょっとうれしくなってしまったヨーコ。残忍な母性のかけらものない母と、姉に残飯食べさせ、友達に残飯を食べる姉を見させるためだけにマクドにヨーコを誘って平気なカザリ。たぶん、こんな風景は一瞬だけならそこここにあるのだろう。しかしその究極のところ・・・、こういうことなんだろう。そしてラストの落ち。短いのでぜひ読んでください。おもしろいから!!
すべてをシンプルに。そんな小説でした。
横山秀夫 「半落ち」 講談社 2002.9.5
2003.07.15 ジャンボフェリー(高松→神戸)内で読む
少しお待ちください・・・。
村山由佳 「星々の舟」 文藝春秋 2003.3.30
2003.07.17 自宅で読む
複雑な家族関係という設定を家族というひとつの舟に見立てて展開していくストーリー。近親相姦(母親違いだが)あり、不倫あり、レイプあり、自殺未遂あり、団塊の世代の苦悩あり、戦争の記憶あり、親子の勘当・兄弟間のすれ違いあり・・・と大盛りモリモリ盛りだくさんとなっている。バラバラになり、それでも個々の光を失わないで輝き続ける星が家族という舟に乗って進んでいくんだという”きずな”を描く。
ざっと数えて15人くらいコアな登場人物が出てくるが、それぞれ特徴があり、細かく書かれてあるので読みやすい。テーマは重めだが、潔い前向きさがある。「あきらめ」と「執着」。この2つを使い分けて傷つかないよーに、それでも「生きること」に希望を持って生きている家族のようだ。
畑を耕す長男・貢の<何のために>。それは<何のために>ではなく、生きているという圧倒的なまでの実感なのだ。父・重之がかつて自殺未遂までした娘・紗恵の横顔から感じた幸福のない幸せ。残された枯れゆく人生にも何らかの意味があると信じずにはいられない重之。
ここにも、失った者への、あきらめと執着がにじみ出ている。
それぞれの思いがどこへ向かっていようとも、やはり家族はひとつの舟に乗って進むしかないのだろうか。
。
小説のお手本、みたいだった。起伏があり、読みやすいし、それでいてストーリーに無理もなく全体としてまとまっている。読後感があり、読んだあとスッキリする・・・。そうそう、スピルバーグの映画を見た後のような感じ!パブロフの犬みたいに、「家族モノ=オナミダ」で終了!って感じだから、感想がない。買った・開いた・読んだ・ハイ終わり!
いや、おもしろかったけどね。
森口轄 「子乞い 沖縄孤島の歳月」凱風社 2003.2.15
2003.08.1 自宅にて読む
帯→『南のはての小っちゃな島・鳩間には、
澄みきった青空と、でっかい太陽と、真っ青な海しかないけれど
一人ひとりが主役になれる元気がいっぱいあります』
沖縄県・八重山地方の人口約60人の鳩間島で小学校存続に奮闘した、子供と尾となの人間ドキュメント。
島を歩いて一周しても約1時間。小学校がなくなれば、若い人口はそのままよその島へ移り住なくてはならない。小学校がなくなることは、人口減少、公共施設の撤退、高齢化、島の無人島化を意味すること。そして沖縄に限らずそのようにして地図から消えていった島は多いといいます。それを阻止するために奮闘するのが、高齢のおじい、内地から移り住んだ若者と、まるでドラマのような展開で事実であるだけに読むごとに重みを増してくる。現在も、中学生が来年から1人となるそうでまだまだ葛藤の渦の中に鳩間島はあるようだ。それでも島へ行くとそれを感じさせない空気が漂っているところがなんとも沖縄らしい。
まんが『光の島』の舞台になっているのもこの鳩間島です。
蔵前仁一 「いつも旅のことばかり考えていた」 幻冬舎 2003.4.15
2003.07.20 中央図書館で読む
個人旅行者のための雑誌「旅行人」の発行人兼編集長が自身の旅行の面白エピソードなどをまとめている。
「何のために旅をするのか」というアホな質問をするやつがいる。長期間のバックパッカーでなければ旅行じゃないか?ハワイへ3泊4日のツアー旅行は旅行とは言わないの?旅行から帰ったら成長してなきゃいけないの?ガンジス川で死体の流れているとこを見たら人間なんかに目覚めるんだろうか?そんな簡単に人間の本質って変わるの?彼は「自分が楽しいから旅してます。としか言いようがない。とにかく押し付けてくれるな」ということを書いている。
これに基づくと、私は「楽しいから読んでいる。としか言いようがない」。人間は努力する生き物だと思う。合理的なのか意味をつけたがる。論理的思考に「何故?」は欠かせない。でもさでもさ・・・。好きからはじまったってもいいやんかと私は思う。そこになにか意味を理由をつける必要なんてあるんかい!と。
吉村萬一 「ハリガネムシ」 文藝春秋
2003.08.21 堂島アバンザジュンク堂で読む
主人公・高校の倫理教師がバカ風俗女・サヨコと知り合い、付き合うにつれてどんどん教師のサヨコに対する暴力性が増していくストーリー。弱いモノに対して理由なくふるう・ふるおうとする暴力の存在を描く。
テーマは明解。わかりやすく、性描写もそれだけに偏ることがないのですらすらと嫌悪感なく読めた。一瞬、ありきたり・・・と思うが、自分の中や接する人から受ける暴力的なもの(殴るなどの暴力でなく、言葉・態度などそれに通ずるものは必ずある)を感じ『ハリガネムシめが・・・』と思い起こさせられる。
色々含みを持たせるよりは、このくらいハッキリしている方がおもしろい。
野田知佑 「のんびり行こうぜ」 新潮社文庫 1990.2.25
2003.08.23 JR山陽本線電車内で読む
一つのことを長くやってマンネリになり、精神が老化していくことを嫌っている。一つのことを死ぬまで、という農耕民族的考えではなく、悪くなったらすぐに新しい転地に飛び立とうとする遊牧民族的考えにぼくは深く共感する
私も深く共感する。『遊びをせんとや、生きれけむ』です。
野田知佑 「本日順風」 文秋文庫 2000.12.10
2003.08.24 実家で読む
雑誌のアウトドア相談室で寄せられた読者からの質問に野田さんが答える形式の本。語り口調なので『野田さんってこんな人なんやぁ』というのがわかっておもしろい。
Q1、『because it is there(そこに山があるから)』と言ったのは有名な登山家ジョージ・マロニーですが、野田さんが川を下るのは何故ですか?
香川県の有名うどん屋に並んでいる人が何故うどん屋に行くのですか?と聞かれて『そこに山越があるから』と答えた人がいるとかいないとか・・・。
うちの1歳の姪っ子が抱っこしようとすると、腕から肩へ、肩から頭へと黙々と這い上がってくるので何故だろうと聞くと『そこに山があるから』を言ったとか言わないとか・・・。
・・・えと、野田さんのは答えはかくかくしかじかで、だから私を大切にするよーにという結なり。
そのほか、ダム建設の問題などについてもストレートな物言いで飛ばしている。アウトドアが一時期の流行から誰にとっても身近なものとなったのは間違いない。ただ、そこで野田さんはこういっている。
<年々、アウトドアを楽しむフィールドが狭くなっていく。海も山も川もそうだ。建設省や農水省をはじめとする国家機関がその元凶である。先進国と言われている国の中で、これほど自然が国家権力によって滅茶苦茶にされている所は他にない。ただ楽しい楽しいとだけ言って、外で遊んでいるやつは馬鹿だ。少しは文句をつけようじゃないか。>と。
養老孟 「バカの壁」 新潮新書 2003.4.10
2003.08.25 ばあちゃんちで読む
ばあちゃんでも読んでる『バカの壁』。さすがのベストセラーですな。さて、バカの壁とは?壁の内側だけが世界のすべてだと思っているバカ、壁の向こう側があることすらわかっていないバカ。常識とは知識ではなく、客観的事実を盲目的に信じてはいけない事を知っている事・・・とそれを柱にした一冊。例えとして、アメリカVSイスラムの戦いや15年戦争中の日本をあげている。タイトルとすぐに結びつくその画像が売れる勝因だったんだろうか。
“客観的”などありえないと言った大学時代の教授を思い出した。たとえ理系であっても数字の羅列には何を基準に並べているか、という最初の部分で並べる人の主観が入ってくるんやで!と。だから客観的データなどありえない。信じてはいけない。疑ってかかれと怒鳴り散らしていた教授。その講義で目の前がパァッと開けた感じがした記憶。バカの壁を読んで再確認というという人も多いという気がします。
磯田和一 「書斎曼荼羅 本と闘う人々@A」 東京創元社 2002.3.15
2003.08.30 中央図書館パラ読。
京極夏彦、阿刀田高、小池真理子、有栖川有栖などの有名作家や翻訳家、脚本家、大学教授といった日頃本と闘っている職業人をイラストレーター磯田が取材し、文とイラストで書き綴る。読者からすれば、彼らの書斎・書庫を覗き見できる2冊なのだ。超豪華な本棚&梯子を誂ている人もいれば、まさに本のマウンテン状態になっている人・床が抜けそうな人もいて、それは台所の棚やトイレまで進出している。普段は編集者でさえ未踏の部屋へ取材を行っているとあって開く前からウキウキになる。<「IN★POCKET」で1999.1月から2001年9月号まで連載した34人の書斎・仕事場がおさめられている。>
特に面白かったのは、京極夏彦の“水木楼”(水木しげるの大ファンなのだ。他にも水木ファンぶりが伺える品が…)。佐野洋のスライド棚を開けると男性用トイレの出現!とか。花村萬月のタイトル変更「本と闘わない人」編(作家にしては少ないのだろうが、十分多い!)。引き戸がついてりゃどこへでも本をしまう癖は直したほうがいいんじゃないとついついおせっかい心を呼び起こさせる有栖川有栖のご自宅(クローゼット・流し台・電話台・靴箱等々)。内藤陳(ボートビリアン・日本冒険小説協会会長)の本の山脈・大山脈!!氏を師を仰ぐ作家も多く、連載最終回だった内藤サンの書斎を関係者たちがかなり注目していたというほどだったそうだが、内藤サンは「旅から戻ってきますとね、まず祈るように、そっとドアから顔だけ入れましてね(笑い)、地震なんぞに巻き込まれ、崩れていませんようにって、おそるおそる室内を覗きます」とか、「本の山の間の本を抜取るときは、インディ・ジョーンズのようにね、さっと素早く、本と本を入れ替えます。うまいものですよ。」などと話しておられる。イラストレーター磯田は「現実を見ても信じられない・・・」と書いているほど。本と闘う人々のチャンピョン!彼らは皆、本の置き場所等々に悩んでおられるのだろうが、図書館通いの私にとってはうらやましい限り。最後まで見て終ると、うらやましー!がうんざり・げんなりの溜め息が出てくるほどだ。いつか私も本に囲まれ格闘しつつ、大山脈にウモレタイ!
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