斎藤美奈子 「趣味は読書。」 平凡社 2003.1.25 ¥1429
2003.10.5 中央図書館ジョージア・カフェで読む
『趣味は読書です』なんて言えたらどんなにいいだろう、と幼い頃から思っていた。
思えば、読書は好きだったし、してきたほうなのに、国語の成績がいつも悪かった。高校生のときなんかは友達と『何で本たくさん読んでるのに、国語の成績・・・・あ、ごめんごめん。そんなつもりじゃないんでぇ』じゃあ、どんなつもりやっちゅうねん!な、会話をしたこともあった。国語のテストでは『好きな小説を書きなさい』という教師の思いつき的な設問にバカ正直に『志賀直哉・清衛兵と瓢箪』と書くとなぜか点数が低かった。好きな小説に点をつける行為字体、考えられない愚行だと思うのだが、あれで私の国語嫌いは決定的になった。
でも、やっぱり好きなものは好き。だから対外的には『本なんて・・・』『私バカだし』みたいに装いつつ、ジメジメとひとりでほくそえみながら本読みにふけったりしていた。だからもちろん『趣味は読書』なんていえない。
それが、タイトルになっているんだもん。それをおそるおそる手に取ると中身は『ベストセラー指南書』とでも言ったらよいでしょう。ベストセラーなんてさ、って言いながら読みそびれてしまった人がおそらく中途半端な本好きには多いだろう。それを斎藤さんが読んで解説してくれて、落ちまでちゃんとおしえてくれるんだよー。ちなみに私は『朗読者』『鉄道員』、まったく内容知らなかったんよねぇ。もちろん、あれだけ売れてるから表紙からなんとなくのイメージは知っていたけれど、ふぅ〜ん、そんな話だったんだ。とちゃっかり読後感に浸れる。そしておそらく読んだ人もマスコミや宣伝文句に彩られたイメージで読まされちゃった人も、もう一度斎藤さんの解説で読み直すことをお勧めしたい。きっと違ったお話に触れることができるでしょう。そう、芥川龍之介の『桃太郎』のように。
乙武洋匡 「乙武レポート」「乙武レポート‘03版」「五体不満足 完全版」
「ほんね」「W杯戦士×乙武洋匡 フィールドインタビュー」「残像」
2003.10.5 中央図書館で読む
『五体不満足』から乙武くんの本をダダダァー!!!と読んでみた。彼が凄いのはその類稀なる身体的特徴だけでなく、喋るように文章を紡ぎだす能力なのだろう。とある新聞記者が『文章を書くということは、自分と向き合うことだ』と言っている。文章とは書いた人の人間の深さなのだとも言った。村上春樹の著作の中で、文章を書くことは自分と書く対象物との距離を測ることだ的なことを書いていたと思う。結局、自分をわかっていないと文章は書けないという事なんだと私は理解する。
彼の身体的特徴は自分をみつめるのに極端すぎるほど極端だったんじゃないか。明らかに周囲の友達と違うんだから。そこで乙武くんがラッキーだったのは、障害者学級のようなところではなく普通の幼稚園、小学校・・・と普通教育を受けてきたことだろう。『五体不満足』以降は、自分が障害者の代表みたいにひとくくりにされてしまって、もし人生に“たられば”があれば、『五体不満足』を出す直前に針を持っていきたいと書いているくらい苦悩があったと書かれている。ニュースの森でキャスターを勤めた経験や、スポーツライターになろうとした動機やそこでの喜び、結婚、父の死など自分の日常生活を曝け出して、常に自分をみつめている。自分にしか出来ないことはなんだ???と。
これらは全て、リアルタイムで読む乙武成長日誌のような感じだ。W杯のインタビュー記事を掲載した「残像」でも後書きを見れば乙武くんの日誌の1ページがそこには在る。それでもおもしろいのは、やはり喋るように紡ぎだされる文章力なのだろう。山あり谷あり、涙あり。きっとおもしろい人なんだろうと私は確信する。実は、いつもニコニコしている乙武くんを見て、私はちょっとキモチワルイ・なんでこんなにニコニコしてんのなんて思っていた。(だから、読んだこともなかったのだが)先入観はいけない。これからは、なんでも読んでみようと思った。
武光誠 「大阪商人」 筑摩書房 2003.5.10
2003.10.6 中央図書館で読む
江戸時代、日本経済が発展を遂げた立役者となったのが「大阪商人」と呼ばれるビジネス集団。水の都、商人の町、天下の台所と呼ばれた大阪で権力に頼ることなく、自身の才覚によって商売を起こす=イノベーションを基本思想としてのし上がった豪商の系譜をたどり、商業経済の発展とともに歴史がいかに変遷してきたかを解説してくれる一冊。
まず、江戸時代の大阪の地図。川の多さに驚いた。はぁ〜、こりゃ水の都やわな。水運で全国から様々な物品が集められていたというのも納得。(これは予備知識のなさの証拠だが・・・)問屋を生み出したのも大阪ということだが、確かに問屋街、多いなぁ、と思う。インターネットがこの10年で急激に普及して低価格化と簡略化で誰でも使えるようになった今、問屋を介さないで製造元が小売までしてしまうなんてことも珍しくないし、小売に卸すのが問屋だったはずなのに、普通に一般人も問屋で変えてしまう時代。問屋の今はどうなっていて、どこへむかうんだろうと思わせられた。
小林ゆり 「たゆたふ蝋燭」 筑摩書房 2003.6.20
第19回太宰治賞受賞作
2003.10.12 自宅で読む
デブでチビ、運動音痴の立花サクラ。他人にどう思われるかばかり気にしてちじこまり、家に帰ると母親の言いなり。親のコネで入った会社でも目立たぬように事務をする。同僚に誘われて初めて行ったコンパは母が選んだベージュのスーツ。もちろん浮く。帰って何もかも脱ぎ捨て裸になったサクラは家を飛び出し、自分探しの旅に出る。女装するゲイ・ドラァグクイーンとなったサクラは、目の前が開けた感動、男と体を重ねた初体験、妹との再会、初めて受ける同棲からの嫉妬のなかで、脱ぎ捨ててきたはずの過去が自分の中に現れる瞬間を感じる。それは、結局逃げてきただけ、人のせいにしてきただけ。だけど、ただ内にこもるだけの逃げ方じゃなく、とりあえず逃げる・・・常に行動と結果の伴う逃げ方だったから、逃げることの無意味さと時間の無駄使いに気づいた。とりつかれたかのように真知子にそう告げると、最後の舞台を終え、サマンサとコヨリに別れを告げて、あてもなく空港へ向かった。ラストは『世界を想像することは、もう、私には難しいことではなかった』。
書きなぐり感があって荒っぽいところに、読みすすめさせる強い力を感じる。(飛ばし読みだったけど)それにしても、ゲイとかレズとか、虐待とかトラウマとか、こういう設定が最近多くて少々飽きる。普通の日常生活だとエッセイ風になってしまうからか?昨日、久々読んだ大好きな「小僧の神様」(志賀直哉・著)がとても新鮮だった。
ロイス・キース 「クララは歩かなくてはいけないの?」 明石書店 2003.4.30
2003.10.12 フレンドリーで読む
児童文学における障害の姿から必然的に構成された障害についての概念とその積み重ねが結果としてどのような認識を生み出しているのかを、有名な児童文学作品を取り上げて研究・分析する。
例えば、「ハイジ」。クララという車椅子の女の子が登場し、ラストシーンは誰もがパブロフの犬状態で涙する有名な児童文学のひとつだが、クララは何も苦しいリハビリ・医学的治療でもって2本の足で歩けるようになったわけではない。そこに在るのは@信仰A(子供の人生に対する)自主性、が揃ったところで神が2本の足で立つのに相応しいと判断し、Bアルプスの高地という強固な生気を与える場所によって奇跡的治癒・ハッピーエンドとなって読者の期待を満たすものとなっている。これらは障害そのものに対して『克服するもの』というイメージを前提に持ち、宗教色・信仰心こそが癒しへと続く道と導き、また、早死にする天使のような純粋な弱者、哀れみを受けるべき存在であるが決して受け入れられることではない、障害を負う事はいいことは何もない、障害者は忍耐・明るさ・従順さのような性質を身に付けなくてはならないという概念を結果として直感的に積み重ねて行く事に加担したのではないか。ということだ。ただ、著者は障害者のイメージを作り、強固にした作品群への批判はしていないが、障害を持つ作家がこののち貢献していくだろうと期待を寄せて最後を締めくくっている。
欧米のものは『宗教色』がある。ここで私は違和感を感じてしまうことが目に見えているからついつい尻込みしてしまう。でも、そんなことおかまいなしに泣いていた幼き頃。そこには『障害を乗り越えて・・・』という努力への信仰、もっと言うなら弱者への努力信仰があるんじゃないかと私は思う。自分より弱いものが苦難を乗り越えて、人並みのステージにやっと立つこと。そこに自分の居場所を確認できる安心感と自分のやる気を奮い立たすアドレナリンをもらってスッキリ見終えて万事オッケイ、なのではないだろうか?もっとも、神への祈りなんかない国なんだから『クララ』の見方も欧米と日本では違って当たり前なんだけど。
宮本輝 「泥の河」 筑摩書房 1986.1.28
2003.10.13 cafe jojo 阿波座店で読む
大阪・中ノ島を挟む堂島川と土佐堀川が合流して安治川になるところに架かる昭和橋、端建蔵橋、舟津橋の川沿いにうどん屋を営む晋平と貞子の息子・信夫の成長物語。ある日、家の前の川に舟で生活する喜一がやってきた。突然、鉄くずの下敷きになって死んでしまった馬車のおっさん、沙蚕を採って生活するおっさんが目の前で消えたこと。「夜いってはいけない」といわれた喜一の舟の家。鏡に映ったその母の姿。信夫の視線で大人の世界が描かれている。見たいような見てはいけないような。それが信夫と喜一の秘密、泥の川のでっかいお化け鯉に重ねられている。
大人は汚い!ではなくて、その中にも信夫の父が新天地へ行き戦争体験の生死観から自分の人生を精一杯生きたいと語る場面など、一筋の光がまっすぐ走っていて、大阪弁のせいなのかとてもカラリとして清々しい。喜一の母親が「パンパン」と中傷されても全否定でなく、そこに在るものとして描かれているから嫌悪感がない。ラストは「熱い欄干の上に手をおいて、曳かれていく舟の家と、そのあとにぴったりくっついたまま泥まみれの河を悠揚と泳いでいくお化け鯉を見ていた。」目の前の現実、泥の河であっても生きていかねばならない現実があるということ。最後の一行に少年・信夫が見てきた河と家との姿が凝縮され、これから歩んでゆくであろう社会の姿がある。
私は、大阪に引越してきてこの小説の舞台となった『川口』の近くに住んでいる。梅田へ行くときいつも端建蔵橋や昭和橋を横目に原付バイクを走らせている。先日、昭和橋のうえで信号待ちをしている時、ふと川を見ていると、とりあえず社会に出て楽しいこと、汚いことを知ってしまった自分が、信夫の頃の自分を振り返ってみたり、それでもまだ見ぬ社会があるとあこがれてしまったりと、情景がセピア色して表れてきて、信夫が『お化け鯉やで』と必死に走っていったラストシーンのような気持ちをこうやって時々は思い出したいなと思った。ちなみに、芥川賞をとった『蛍河』と『道頓堀川』で川三部作としておさめられている。
横山秀夫 「動機」 文秋文庫 2002.11.10
2003.10.15 阪急電車梅田⇔烏丸で読む
J県警本部警務課企画調査官・警視、貝瀬正幸は警察手帳の紛失事故防止を狙って一括保管制度を、刑事部の反対を押し切って起案、実施する。だが、テスト導入中にU署で夜間保管していた30人分の警察手帳の盗難事件が起きる。内部犯か、外部とすれば過激派・カルト・偏執的な警察マニアか・・・、新聞記者、夕飯の出前持ち、常連の酔っ払いか・・・。記者発表までの2日間、盗難当日の当直だった益川剛警部補、戸塚巡査、警務課の山崎朝代、保管責任者の「軍曹」こと大和田徹、部下の神谷らと接触を図る。そこに、貝瀬が一括保管制度を起案した理由と外勤警察の鑑と呼ばれた貝瀬の父との関係、定年をひかえた「軍曹」の心の揺らぎ、家族との対話から事件の糸口が見え始める。
特に、一括保管に反対していた益川刑事とのやりとりに著者の特徴が表れている。
益川「てめえらの仕事って何だよ。俺らは体張ってんだ。街ィ守ってんだよ。てめえはなに守ってんだ?本部長か?てめえ自身か?言ってみろ。」
貝瀬「馬鹿野郎、そんなもん家族に決まってるだろうが!」
(中略)
益川「俺も同じですよ。―突き詰めて言やあ家族だ。」
この男はシロだ。益川のしんみりとした声を聞いた瞬間、貝瀬はそう思った。
警察官がこんなにアツイ人ばかりではないと思うが、体張ってるってとこは素直に凄いと思うし、街守ってるよなぁと思う。消防も。市役所などの役人が嫌われるのは結局クーラーの効いたとこで座ってりゃいいように見えるからだし、実際そうだと思う。と、感想から逸脱してしまったが、「動機」、トリックがそのままタイトルに集約されていてすんばらしい。
そのほか、県民新聞、事件記者水島真知子の鷹見市の新聞拡張戦争を舞台にした「ネタ元」。犯罪被害者・加害者の心の闇を事件の真相に据えた「逆転の夏」。D地裁判事安斎利正の公判中の居眠りからはじまるリーガルサスペンス「密室の人」がおさめられている。
横山秀夫 「深追い」 実業之日本社 2002.12.15
2003.10.19 実家にて読む
三ッ鐘警察署、交通課事故係主任巡査部長の秋葉和彦は昨日の交通事故を思い出していた。トラックに撥ねられ志望した会社員の手帳にあった妻と思しき女の写真、それが初めて女性と付き合い、別れて17年もがたつ綾瀬明子であったからだ。事故現場で拾った会社員のポケベルには「コンヤハ オサシミ デス」と毎日のようにメッセージが届けられ、秋葉は明子への想いを振り返り、明子の周囲の男性関係までも気にし始め、深追いの道を突き進んでしまう。そこに出した明子のメッセージとは・・・。
う・・・ん。ちょっと手抜き?他の作品と違うのは主人公のアツサ・一途さがどこに向かっているかということ。他の作品は、職に対して忠実もしくは自分に忠実であり、冷めた態度をとりながらも裏切ることのできない、ザ・男の背中的なのがアツサをかもしだしてたのに、この秋葉は、警察手帳を利用して愛する女の男(しかも昔の!)を脅したり、夫を失ってすぐの明子のところへ通ったり、どーしょうもないバカ男なのが、おもしろくないところ。こんなのもたまにはないと、他の作品がしまらへんちゅうことか・・・?
桐野夏生 「グロテスク」 文藝春秋 2003.6.30
2003.10. 23 実家とフェリー船内で読む
『ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ。日本で一番だと思う。見栄がすべてを支配してるの。だから、主流の人たちと傍流たちとは混ざらないの』
こことは、初等部から大学までエスカレーター式で進学していく名門Q女子高校。≪『主流って何?』『初等部から来る人たちの中でも限られた本当のお嬢様たち。オーナー企業のオーナーの娘・・・。』『じゃあ傍流って?』『サラリーマンの子供よ』≫いわゆる名門校を出て階級社会をそれなりに生き抜いてきたつもりでも、社会に出たらまた別の次元の階級、差別、競争が存在する。そこに生きにくさを感じた女性達の成れの果てとでもいいますか・・・。
学校という枠にいるうちは、学力という指標があった。社会に出るともちろんいろんな指標がある。幸せな結婚を指標にするなら、社会的信頼のある会社の一般事務でもして自分のための時間(習い事に使うもよし、コンパに励むもよし)に使うのがよい。男と張り合いたいなら、成果主義や外資系で実力を発揮すればよいだろう。全てそれは自分の判断である。それが柔軟性というものだろう。私は“怪物的な”美貌や権威、財力などと出会ったことがないから、アマイのかもしれない。それでも現実に起こった東電OL事件やオウム事件を借りた設定は登場人物を決して極端と言わせないものがある。自分の身に照らし合わせると、この先歳をとったり、がむしゃらに走ることに暗澹たる不安を憶えてしまう・・・。
本の雑誌編集部編 「日本読書株式会社」本の雑誌社 2001.9.30
2003.10.30 中央図書館で読む
日本読書株式会社とはナニモノ???に、目黒孝二さんと北上次郎さんの特別対談で答えてくれる。・・・説明すると、この会社はかつて目黒さんが描いてた夢の会社で(確かに本好きならば夢のような生活なのだ、まぁそこらへんは読んでみてくれ)、会員制の読書相談会社なのだ。例えば、私が実家に帰る3時間の電車の中で読む本なにがいいかなぁ…なんていつも考えるんだが、この会社に登録しておくと私の趣味や希望に応じてベストな本をチョイスしてくれるというもの。ベストというわけだから、登録の時に、綿密な面談をして過去の読書歴やどんな本に感動したか、生まれた町、育った町、家族構成、食事の好み、失恋体験から好きな異性のタイプまで膨大なデータを蓄積しておく、ようするに、その人の好みを考えてぴったりの本をすすめてくれるという会社なのだ。商売だから・・・入会金1万円、月の会費1000円、50人の社員は毎日せっせと本を読むのが仕事。それが、日本読書株式会社というわけだ。
まぁ、一読して『わたしゃ嫌だ』と思ったね。誰がうれしくて人に言われて本をよまにゃならんのかと。そんなん、商売になるんでしょうかと。目黒さんもビジネスでは無理だったから、WEB本の雑誌のコンテンツのひとつとして読書相談室をはじめ、それを集めたこの本が誕生したということだ。
で・で・読み始めてみると、・・・『日本読書株式会社』いいじゃん・・・ということだった。ハハハ。だってね、作家別だとか、ジャンル別だとか、疲れてるときはとか、スカッとしたい時とか、例えば『宮本輝を読みたいんですけど、どれから読んだらいいですか』なんてのも。本好きの人たちが、生粋の本読みたちに相談してるもんだから、単にこれ売れてるよとかじゃないのよね。これ読むとますます、読みたい本が増えてきてうれしいやらなんやらで、読まねば読まねばなのだだだ。
「編集稼業の女たち」 本の雑誌社 1998.9.20
2003.10.30 中央図書館で読む
雑誌編集で自分のコラムを書く。・・・出版志望の私にとって夢みたいなというか、夢である。この本には74人の女性編集者が出てきているのだが、そんな連載コラムを手にした一人の女性がいた。エロ系雑誌『スコラ』編集部の梅津美喜さん(当時なので今はどうかわからない)という方である。私はこの『スコラ』、中まで見たことはないが、『女の子のオナニー絶頂ナマ中継』とか『LOVE&SEX新1年生』などなどの特集を掲げているそうだ。そんな男性雑誌編集者への道は“いかなる下ネタにも動じない平常心”を身に付けること、どんなエッチな物事に対峙しても揺れない心を身に付けることだそうだ。
そんな、梅津さんがある日、デスクに呼ばれて『お前、自分のコラムを作ってみないか』といわれる。その名も『ウメズの排卵日記』・・・。
もちろん、梅津さん、女の子です。ウラ若き嫁入り前の女性編集者。でも、女の子だからさぁ、基礎体温載せちゃったら。ってことらしい。2週間分ずつグラフにした梅津さんの基礎体温、そこからは「安全日」「危険日」「生理」がわかっちゃうし、その文字がテカテカと輝いている。全国の男性読者はもちろん、周囲の友人・同業者達に、「ウメズはいついつだったらナマでもOK」みたいな情報が、「今月はそろそろですか?(笑)」などの励まし電話がかかってくる始末だったらしい。
体はってんなぁ・・・。私ならここまでやれるだろうか。ダイイチ基礎体温なんて測る習慣からして3日続く自信がない。それに、「ウメズの排卵日記」ってどんなコラム書いてたんだ???下ネタなら意外と書けそうな気がする私だが、それをまたしても全国の読者や周囲の友人達の目に晒される・・・自分を晒す行為、つまりそれは基礎体温を晒すことと同じということか。そうだ!コラムを書くことは結局そういうことなのか。。。最近、HPに日記を書くということをやってみようかと考えているが、結局それもそういう意味合いで続けるとよい練習になるのかもしれない。
安藤哲也 「本屋はサイコー!」 新潮OH!文庫 2001.12.10 \486
2003.10.30 中央図書館2Fで読む
現在、NTTドコモのオンライン書店の店長をつとめる安藤さんが大学をでて出版界に足を踏み込んだ頃から“カリスマ書店員”などと言われていた往来堂書店時代までを一冊にまとめたものである。明治大学を卒業した後、新聞広告で見つけた有紀書房に営業として入社し、ちょうど1年で退社。リットーミュージックに入社したあと、広告・宣伝も経験し、94年に大塚・田村書店に入社する。田村書店の2号店となる往来堂の快進撃はその書店らしからぬレイアウトから始まり、本棚を編集することにつきる。とにかく実話・おもしろエピソード満載だ。笑えるし、フンフンと勉強になる一冊。
私は「編集・ライター養成講座」で安藤さんの講義を受けていたので往来堂でのエピソードはしっかりメモッていた(本にまとめられているとも知らず・・・)。が、この本を読むと安藤さんの私生活もちらりと覗くことが出来る。ケッコン・リコン・サイコンあり、慰謝料なのだろう、風呂なしアパート生活のうえ、休日は自給500円の田村書店でのバイト。そしてそれが今の書店員鞍替えにつながっている人生のおもしろさ。
あとがきにはこうある。
ある出版社の営業マンから「出版社から書店へ転職なんてタイへんっすね」と言われて「結構面白いですよ」と答えつつ、内心“お前みたいな一丁あがりの人生は真っ平なんだよ”と思っていたと。
講座でアツクその面白さについて語る安藤さんをみて、「そんな出版で働きたい!」と思っていたが、結局業界なんてどこでも同じなのだ。その人次第なのだ、と遅まきながら感じた。だれか有名な経営者の座右の銘で(誰だか忘れてしまったが)“一生勉強、一生青春”と言う言葉を思い出した。安藤さんは自分を根無し草とか飽き性というふうに書いていたが、きっと今も勉強し、青春しているんじゃないだろうか。今は、目指すものがある私だが、ある日ぽっかり穴が開いてしまわないよう、青春していたいと思う。ぽっかり穴が開くことも青春かな?
阿川佐和子 「阿川佐和子のガハハのハ この人に会いたい3」 文秋文庫 2003.6.10 \590
2003.10.31 自宅で読む
1997年〜2001年2月の間「週刊文秋」の連載対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場した24人分のインタビューをまとめた第3弾。登場する方々は少し時代のずれを感じさせられる人もいるのだが、久保純子・北杜夫・本条まなみ・小出監督&高橋尚子・三谷幸喜・田辺聖子・PUFFY・巨人の上原・森繁久やなどなど。そのなかでも、独断と偏見で私のイチオシなのが“渡辺淳一”だぁ!
渡辺淳一といえば、20代30代の女性に圧倒的支持を受けて出す本全てが確信的ベストセラー。いつも「新しく」なく、「同じ」とか「ワンパターン」「マンネリ」といった批判も売れている(後で出される文庫を含むと、ここ10年以上すべて100万部を突破しているという)ので批判なんて嫉妬の類に変わってしまう。どんなに中年男女の不倫物語をけなしても、読者がいるんだもん。お金を払って買って読みたい人がいるんだもんね。で、その渡辺淳一と阿川さんの対談は当時書かれていた『源氏に愛された女たち』を中心に進められる。
源氏といえば、今で言うと福山雅治あたりだろうか。“だまされても、捨てられてもイイワ”的なかっこよさ。そして実際、めちゃくちゃ女に手が早く、だらしない。そんな源氏に渡辺さんが教えられたことありますか?との阿川さんの質問に『教えられたというより、僕の中にある身勝手で好色な部分が全て正直に出ているので、驚き、呆れ、尊敬しました(笑)』と答える。阿川さんの次の言葉は『おおっ』。(これ、私とおんなじ)そのほか、渡辺さんの経験の中で源氏物語の空蝉や夕顔みたいな人物を思い出すようなことはありましたか?の質問に、『いますよ、ぞろぞろ』と、自身の経験豊富さはこれまでの作品・・・というより本人の顔面から放たれている何やら怪しいオーラからバシバシ感じ取れるのだが、やはりそうかと思わずにはいられない自信たっぷりの言いっぷり。そのあとは“エロス”について云々カンヌン。人間の特権はエロスにあるんだろうか。まだまだ甘いオコチャマには興味深い対談でございました。
ところで、阿川さん、昭和28年うまれの50歳!!!見えな〜い!すごいキュートやと思います!
石田衣良 「4TEEN」 新潮社 2003.5.20 \1400
第129回直木賞受賞作
2003.10.31 自宅や図書館などで読む
月島中学に通う頭脳明晰なジュン、ろくでもない父親を殺してしまうダイ、超高層マンションに住む金持ちの家庭に生まれるが寿命が約30歳という早老症のナオト、一般的な家庭に育つテツローの4人組が、思春期にありがちな恋愛、家族との葛藤、病気との闘い、家庭環境のちがい、性への興味などそれぞれの悩みを共有しながら送る日常生活を描く。8つの章の最後は、4人が新宿中央公園でテントを張る2泊3日の旅行にマウンテンバイクで出発する『十五歳への旅』。帰りに誰にも言ったことのない秘密を打ち明けることにして・・・。
劇的!!ということはない。だが、中学生だろうと高校生だろうと大学生だろうと社会人だろうと共感できる緩やかぁ〜な風が吹いているような話だ。実際、ラストシーンでは私は大学時代の友人達を思い出した。ラストは『次の日にまた会うに決まっている友達にさよならをいうのは、いつだってなかなか楽しいものだ。』とある。そう、いつだってまた会えると思って私たちは別れる。そういえば私は先月友人達と久しぶりに飲んだ後、京都烏丸駅で走って終電に乗り込んだ。そのとき、残金200円くらいだったと思う。それじゃあ、あんまりだからと1000円渡された。浜松に住むやつからだ。いつかえすんだろう?まぁ、いつか返せるだろう。・・・
つまりはこういうこと。
トモダチバンザイ!ワカサバンザイ!悩めよ悩め若者タチ!!!でしょう。
直木賞選考委員の間では絶賛だったらしいが、私にはやや淡白な感じがした。青春小説・成長小説らしい泥臭さ・汗臭さをもっともっと漂わせて欲しかった。
手塚晋也 「六月の蛇」 マガジンハウス 2003.4.17 \1400
2002年ヴェネツィア国際映画祭審査員特別大賞受賞作品の小説化
2003.10.31 自宅や図書館などで読む
『こころの電話相談室』相談員のりん子は死にたいと言ってきた男を思いとどまらせる。その男が本心からやりたいことを実行できた喜びをりん子に教えようと、りん子に『DANNA NI HIMITSU』と書いたある写真を送りつける。『あなたも、自分の本当にやりたいことをやったらどうですか。短く切ったスカートを穿いて、町を・・・』と脅迫じみた電話をかけ、りん子を犯し始める。しかし、その先にあるのはりん子の夫・重彦との接触だった。しかも男から接触を図った、図らざるを得なかったその理由が、りん子と男との死・欲望のベクトルの重なりとなってラストシーンを迎える。
冒頭は『少女を連れ込みのホテルに誘い込み、とりあえず小便をしようとトイレに入ったら、まだ性的なことは何もしてないのに、亀頭がすでに濡れていたので驚いた』とある。ふぅ〜ん、こういう小説かぁ、と手塚晋也著というだけで手に取ったことを後悔しつつ、どんな展開になるのか少々楽しみでもあった。読み終えてみて、胸の深いところまで到達しなかったのはバナナとか電動こけしとかの既に固定されたイメージのあるモノが、想像力を駆り立てなかったからだと思う(それらを常用している女性が読むとりん子にシンパシィを感じることができたのだろうとも思うが)。死や性欲というものを曝け出すこと=人と触れ合うこと、本音で語り合えること、本音で体を重ねることの、エネルギーを描こうとすること自体、きっと凄いエネルギーなんじゃないかと思ってしまう。少し、逸脱した感想でした。
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