佐野眞一 「だれが『本』を殺すのか」プレジデント社 2001.2.15 \1800
2003.11.22 自宅で読む
「この挑発的なタイトルは嫌だな」が最初の印象だ。私が本好きだからというわけではないと思う。重々しいタイトルが最初の一ページをめくるのをおっくうにさせる。はたして、おじさんはこういうのが好きなのだろうか?(最近では猪瀬直樹『道路の権力』。絶対中身が濃ゆいんだろうから、タイトルくらい軽めにしたらどーかなぁと思うんだが)。
読み終えた感想は、まずタイトルどおり、出版業界を縦横無尽に取材しており、出版界を知ろうと思う人には必読書だと思った。でも、もっと感じたのは著者の佐野さんが「『本』の世界に今起きている事件ルポタージュとしてこれを書いた」と書いてあるように、何か知りたい事象がある時にどうアプローチしていくべきかという見本をみせてくれた気分になったことだ。
本を取り巻く、書店、版元、流通、地方出版、編集者、図書館、書評、電子出版。携帯電話、テレビゲーム、ブックオフ、マンガ喫茶などの娯楽・メディアの多様化を丹念に取材し、全体を俯瞰しようと試みる。また、佐野さん自身の取材の細やかさや執念深さというか、神経の図太さみたいなものも感じた。
出版をめぐる現状は非常に厳しい。しかし、ただそれを嘆くだけ、、、ならまだしも「不況だ不況だ」といい散らかして他人の足を引っ張る輩(たとえば「このご時世に転職なんて・・・(どこも雇ってくれんで)」と言う一言が、気の弱い私を落ち込ませ、へこませ、楽なほうに流れさせるのです。)が多いことに、私は参るし、困るし、辟易する。
そういう人はおそらく不況という看板文句を引っさげて不況の中身を何にも見ないでずっと過ごしていくんだろうと生意気にも思ったりする。
だから、なんなんだ・・・
というと、何にも知らないのにただテレビや新聞で読んだことを口から鸚鵡返しのように言うのではなく、まず知ること。もっと知ること。そしたらそこにある問題点が見えてきて(誰が『本』を殺そうとしているのかが見えてきて)おのずと問題解決の糸口がみえてくるというもんじゃないかと思うのだ。
と、少し一般論的になってしまったが、もうひとつ思うことは、この本を出版関係者はどう読んだんだろうということだ。ぜひとも本音を聞いてみたい。
永江朗 「菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語」 アルメディア 1999.1.15
2003.11.5 中央図書館で読む
1986年12月、名古屋市郊外にオープンしたヴィレッジヴァンガードはれっきとした、だけどちょっと変わった偏った本屋さん。今では、京都新風館というOL向けのおしゃれスポットや、東京・神保町にまでオープンしているという。本屋ブームの先駆けである。その成功物語をフリーライターの永江さんと対談形式でつづった一冊。
とってもおもしろかった安藤さんの『本屋はサイコー!』が色あせてしまうかもしれない一冊。今から20年もさかのぼって従来のスタイルを変える本屋を作ろうとしたのだ。それはそれは周囲の理解なぞ得られなかっただろう。それゆえ、読むほうとしてはおもしろい。この本には写真がけっこう収められているのだが、1号店の看板がやけに目に付いた。本屋らしくなく、スマートでなく、本当に何屋さんだかわからない。まさに倉庫。が、よく見てみると『読書は散歩だ。コースはいくらでもある・・・』とかいてある。このセンスで、本にキャッチコピーをつけ、立てかけて、客を笑わせて、ニコニコしていた菊地さんが目に浮かんでくる。
このHPを作り出して、何の基準も持たず、ただ書く事のトレーニングになればと思い、読んだ本の感想を書いてきた。でもただ溜まっていくだけの文章を見て、どうすりゃいいのか、私らしさを考えあぐねている。自分のスタイル・・・。難しいが、難しく考えなければ意外と簡単なのかもしれない。
山田詠美 「ベットタイムアイズ」 新潮文庫 1996.11.1
2003.11.10 山手線の車中で読む
黒人脱走兵スプーンとクラブ歌手キムの怠惰な生活の中で、“心”と“体”とそこから紡ぎだされる言葉による、愛についての物語。
『僕は勉強が出来ない』から山田さんに入っていった私にとって衝撃的なほど表現が違う。そしてこれが山田詠美のオリジナルなんだと思わせる強く今までに出会った事のない言葉遣い。男女の出会いから終わりまでを感覚的な表現で貫くこの小説で、男女の恋愛にとって言葉がどれほど軽く頼りなく、信用ならないものなのかと私は今、振りかえさせられている。)
宮本輝 「青が散る」 文秋文庫 1985.11.25 ¥520
2003.11.10 ドリーム大阪1号車内で読む
これは、大阪茨城市に新設された大学事務局を前に入学しようか迷っている主人公・椎名燎平が、真っ赤なレインコートを着た夏子に出会い、入学を決意するシーンから始まる燎平・大学4年間の青春物語であり、筆者の自伝的小説。新設大学に発足したばかりのテニス部を舞台に、コートやなにもかもがいちから作り上げねばならない大学生活は、テニスだけでなく、様々な人との出会いの場でもある。その彼らが4年を経て、それぞれの道を進みだす青春の光と影を描いている。
この本はタイトルの通り青春は『散る』のである。だから、多少残酷、容赦ない描き方だと思う。爽やかさだけでない、汗臭く、泥臭く、青臭い真剣勝負を描く。だから張り詰めるものがあるし、胸の奥深いところまで届く。だが、私はその泥臭い青春を送ってきただろうかとふと振りかえさせられると次の言葉が出ない。青春の鮮やかさとその対極にある空しさを読んで、勝敗とは関係ない何かにのめり込む、打ち込むことが青春の特権だったのかァと歳を取った自分を感じてしまったりもした。特にこの部分など・・・
『随分つまらんことをやっているような気がする。俺自身、時々本気で馬鹿らしくなる時があるんや。テニスなんか、いったい何になる。俺はテニスをやるために生まれてきたんはと違う。しかし、しかしやなァ』
『女の子と楽しく遊んでそれが何になる。車を乗り回して、映画を観て、それが何になる。俺達人間は恋をするために生まれたのでも、スポーツするために生まれたのでもない。しからば、いったい何のために生まれたか』
『・・・つまり、それがわからんために、足踏みをしてるわけや』
『4年間の足踏みか』
『一生つづくかもしれん足踏みや。しかし、最後は体が決定する、これだけは真理やぞゥ。人生の勝敗は体力が決定するんや』
『そうとも言えんと思うけどなァ・・・』
読み終えたあとは、呆然とするほど圧倒されていた。そして遅くない、まだまだあがいてやろうと思った。
宮本輝 「錦繍」 新潮文庫 1985.5.25
2003.11.15 肥後橋スタバで読む
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。」
亜紀が10年前に別れた夫・靖明に宛てた手紙からはじまるこの物語は、亜紀から靖明へ、靖明から亜紀への往復書簡のみで綴られる。靖明の不倫相手が起こした心中事件がきっかけで愛し合いながらも別れた二人が、10年を経て偶然出会い、手紙によって過去を埋め、命を見つめた二人の認識の重なりを経て、未来へと歩みをすすめるために筆を擱くまでの男女の哀しく切ない物語。
手紙だけでひとつの物語が終ってしまう小説を読むのは初めてだったので新鮮だった。書簡体の小説というらしい。前半は過去のことがメインなのでサスペンスを読んでいる感覚。話題が過去から現在となり、ようやく未来のことが語られる時、物語は結末を迎えてしまうところに、一度壊れてしまった男女が同じ未来を歩くことはできないなんて残酷な終り方だなぁと思った。ま、これは女性から見た感想だ。男性からみて、『別れた相手から連絡があるのはうっとおしいこと以外ナニモノでもない』と男の子が言っていたのを思い出し、男性がこの本を読むとどんな気持ちになるのかと思った。
でもそれ以上に困ったのが、『不思議な生命のからくり』という意味不明な言葉がでてきたことだ。“あ、これはちょっと私の国語能力を超えちゃってるかも…”と思ってそのまま読み進めていたが、彼の大作といわれる「流転の海」の第1部を読んでから、偶然とか必然とかがごっちゃになって、仏教や密教の曼荼羅みたいに生きているものと死んでいるものとがグルグル輪廻している、というイメージがそれなのか?というイメージに至ったのだが、そこからはまだよくわからん。
宮本輝 「優駿 上・下」新潮文庫 1989.11.25
2003.11.28 心斎橋スタバで読む
感想だけ、少し・・・。
映画になっているだけに、ストーリー展開がおもしろく、長編と思えないくらいにダダダと読みきってしまった。馬と一緒に駆け抜けたような気分だ。
だが、この本をもっと面白く読むためにエッセンス的に著者の人物像を知っておくといいかもしれない。
彼は、大学時代に父が借金を残して他界し、借金取りから逃げるようにして母と引っ越したという経験を持っている。がしかし、卒業後はサンケイ広告社にコピーライターとして入社し『この頃、競馬に熱中。競馬必勝法なるものを考案。』小金虫(こがねむし)クラブなるものを設立して危うくサラ金地獄になったと彼自身の公式ホームページに書いてある。
競争馬とそれらを取り巻く人々の人生を描いた感動の長編小説も、このころ仕入れたネタの数々がいきいきと蘇ったのかと思うとページをめくるスピードも自然と速まるものである。物語としての感動のドラマと、生々しくも今私たちが生きている現実とを微妙に交錯させながら読むのもなかなかおもしろいんじゃないかと思います。
重松清 「ナイフ」 新潮社 1997.11.20
2003.11.12 自宅布団のなかで読む
<『私はナイフを持っている。私は私の一人息子をここまで苦しめてきたおまえたちを、殺せる。』>身長150cmの私は、体は小さくても明るくはつらつとした中学生の息子・真司を誇りに思っていた。「死ね/殺すぞ」という乱暴な言葉を使うことでさえ、臆病者の私とは違うのだと。しかし真司も父同様、いつのまにかイジメの標的となっていた。ある日、会社の飲み会で酔いつぶれた私はふと目をとめた露店で500円のナイフを買う。背広のポケットに入れたナイフが、会社でも満員電車の中でも不良中高生の前でも、私を強くさせる。刺すのか、刺されるのか。ナイフの行方が、難民キャンプへと派遣されたかつての同級生で自衛隊員のヨッちゃんの行方に重ねられてラストシーンを迎える。
『心の支え』にあなたは何を持っていますか?と問いかけられた気がした。なぜだかわからないがたまらなく不安定な気分に陥る時がある。その時に対処できる切札的なものがあればと思うこともある。だがそれが『ナイフ』だなんて哀しいとしか言いようがない。息子にナイフを手渡そうとした父に「こんなものいらないよ」と言った未来ある中学生・真司の言葉にほっとさせられた。
その他、短編4作が収められていてどれもイジメをテーマにしているが、それとは別に伏線がきれいに描かれていて、なんだか小説家のテクニークな部分を感じたりもしました。なかでも「キャッチボール日和」はおすすめ。おとーさんも息子も、どの作品も(ほぼ100%)涙なくしては読まれへんものとなっております。
村上龍 「69 sixty nine 」 集英社文庫 1990.9.25
2003.11.14 自宅で読む
タイトルは1969年の“69”。この年、東大は入試を中止し、ビートルズ、ローリング・ストーンズのメロディが流れ、ヒッピーが愛と平和を叫んでいた。主人公・矢崎剣介は基地の町・佐世保市の進学校・佐世保北高校の3年生。主義も思想もない、目立ちたがり、お祭り大好きの剣介たちが、北校バリケード封鎖に、モーニング・エレクション・フェスティバルを開催し・・・。無垢で元気で自分に正直に生きる著者の自伝的青春小説。
高校1年の時、学校の図書館で借りて読んだ。当時はそのタイトルと真ピンクの表紙がこの本を手に取るのに一瞬の躊躇を与えたが、来年映画になるらしいと知り、懐かしさのあまり今度は一瞬の躊躇もなく買ってしまった。当時同じクラスだった秀才N君は図書館に置かれた『69』の図書カードにある私の名前を見たらしく、普段はめったに話もしないのに「Tさん、村上龍の69借りてたよなぁ。おもしろかったァ?」と尋ねてきた。勉強一筋純真無垢なイメージだったN君、あれは軽いセクハラやったんちゃうけ…?と思ってしまうのは私の精神が汚れているからなのか?ま、そんなことより何より!読むと記憶は冷凍保存してたかのごとく鮮明に蘇ってきたきた!たちまち気分はセーラー服を着て読んでいた頃の自分に戻り、笑い転げていた。
村上さん同様、このころの基準って“楽しい”って感覚だけだったような気がする。“今が楽しいか楽しくないか”。目の前のことを全身で楽しみ、もっともっと楽しいことはどこにある?と走り回ってた気がする。ムスってしてる尚ちゃんはほっとかれて、猫背の暗ぁ〜いトミィもそのキャラ自体が笑いのネタだった(決してイジメじゃなかったんやで)。村上さんはあとがきに<これは楽しい小説である。…当時楽しんで生きていた人のことは良く、楽しんで生きていなかった人のことは徹底的に悪く書いた。楽しんで生きないのは、罪なことだ。…>と書いている。読んでスカッとするのはそのせいなのだった。とにかく、何気に開いたページを眺めるだけで声を出して笑っている自分が好きになる、そんな小説やというのに太鼓判!
岩瀬達哉 「新聞が面白くない理由」 講談社 1998.6.15
2003.11.19 Uプラザで斜め読み
1995年、「無党派」「がんばろうKOBE」とともに流行語大賞に選ばれた「官官接待」。地方の役人が、補助金の決定権を持っている中央の役人を“食料費”という名目で供応する実態を表した言葉だ。これを新聞メディアはこぞってバッシングしたが、この本は“記者クラブ”をとりあげて官マスコミ接待の実態を示し、新聞が官公庁の広報機関、官報・広告・効果あるPR誌と化していると提起する。
都庁内にある記者クラブ室の見取り図が載っていた。記者クラブといっても見たこともないし、あまりイメージもなかったから、その豪華さには度肝抜かれた。はぁ〜?これ全部税金で建てた建物ちゃいますのォ?新聞社といっても株式会社やで。取材活動って仕事じゃないの?これって新聞社の負担すべき経費やろ!と、腹立たしさが押さえられなかった。中小企業はその税金払うんもヒィヒィ言って捻出してんねん。しかも、記者クラブやマスコミ幹部らへの接待で情報を囲い込んで(る可能性だって十分ある)。
大新聞社というのが一番問題なんじゃ?と私は思う。そりゃ癒着もうまれるちゅうねん。それに世界中を見ても稀らしいが、ひとつの新聞社で1000万部なんてなんとも日本らしくないか。みんな同じもの読んでる安心感だろうか?フランスのフィガロ、ル・モンドという私でも聞いたことある新聞社で40万部ということだ。だがそのぶん地方新聞が強力だという。新聞をまともに受け入れている人はいないと思うが、それでもこの本を読んだ翌日は今までの読み方はできないはずだ。

筒井康隆 「ヘル」文藝春秋 2003.11.15 \1048
2003.11.20 実家のベットの中で読む
彼の作品は初期短編しか読んだことがなかったが、横尾忠則の絵がとても印象的だったので買ってしまった。その初期短編はいまでも強く憶えている。人間の脳みそをビーカーに入れて、脳みそだけとなった人間はいつまでたっても生身の人間と会話ができるという近未来を描いたものだった。
ヘルを読んだあと、その短編を思い出すと『いかに筒井さんが歳をとり、死をより現実的なものとしてみているのか』ということを感じさせられた。現世でも地獄でも天国でもない、三途の川を渡るまえの世界らしいこのヘルで繰り広げられるドタバタは、仏教図にもでてきそうなもので、ちょっとリアルすぎた。今までの自分の人生を振り返り客観的に自分を見る姿も、いったん心臓停止してしまい蘇生した人の証言に似たものを感じ『筒井さんはなぜこんなに死を恐れているんだろう』という疑問さえ湧いてくるほどだった。それを七五調とドタバタで脚色している感が否めない。
それでも、死んだらどうなるかという世界を仏教図ではなく、横尾忠則の表紙のように、色とりどりに様々な人物をかわるがわる登場させて、見事に読者を混乱させるこの感覚を味わい、筒井さんの短編だけでなく長編も読んでみたいと、さらなる興味を湧き起こしてくれる一冊だった。
≪bk1おすすめ書評に選ばれました!(2003.12.6)≫

松永真理 「なぜ仕事するの?」 角川文庫 2001.2.25
2003.11.21 自宅で読む
なぜ仕事するの?と聞かれてスパッと答えられる人はどれだけいるのだろうか。いったい自分は何をやりたいのか。何をやったら退屈しないでいられるのか。周囲を見渡せば、ああはなりたくない先輩たちにとてもじゃないけど手も届かないほどのキャリアウーマンたち。悪意と敵意に満ちた時間を過ごすにはもったいない、後になって気づくには遅すぎる、リクルート「就職ジャーナル」「とらばーゆ」編集長を歴任し、@モード開発の立て役者となった松永真理が仕事を通じて見えてきたものを、届けてくれるエッセイ集。
半年前に読んだ本である。実家のお気に入り本棚に置いてきたのだが、この半年、何度母親に送ってもらおうかと思ったかしれない本である。友達や家族と職業について話す時、手の届きそうにない夢を語るのはかなり勇気がいる。フンっと鼻で笑われたりしないか。自分なんかじゃとても無理だろう。とかとか、急激に士気が下がり、さっきまでの意気込みはどこへ行ったんじゃいといわんばかりに卑屈になってしまったりする。だが、この本を始めに読んだ瞬間、自分は何をやりたいか、自分を主語において素直にストレートに考えなさいよ、という単純なことに気づかされた。それが見えたら次に自分が何をすべきががみえてくるというもの。悩める20代の女性たちよ。一読の価値ありだと思います。
群ようこ 「鞄に本だけつめこんで」「本は鞄をとびだして」「本棚から猫じゃらし」 新潮文庫
2003.11.21 堀江・ベーカリーカフェで読む
本代が月に10万を超えるという群さんが読んだ3冊あわせて64冊の本とその思い出について綴ったエッセイ集。
群さんは、ああなりたいという憧れの人であり、でもああはなりたくないやはり憧れの人である。林真理子と並ぶブックオフ100円コーナーの常連単行本、いつでもどこでも読めるというイメージであまり真剣に読むことがなかった群さんの本だが、やはり真剣に読むことなくぱらぱらと飛ばし飛ばしに読んだ。読んだあと、エッセイというのは難しい、とつくづく思った。“あんたの話なんか聞いてんじゃないんだよ”と思ったり、本の内容ばっかり書いていると、“で、あんたはどう思ったの?”となる。
そのなかで惹かれるのは、自分が読んだ事のある本について書かれている部分だ。芥川『鼻』。志賀直哉『網走まで』。ミッチェル『風と共に去りぬ』等々・・・。人それぞれ感じる部分が違うんだと思ったり、自分が読んだ時を思い出したり。そうしていると、やはりある著名な作品を読むというのは人と話す際の共通言語になるんだろうなぁと思わせられた。そして共通言語が増えれば増えるほど、本の飛ばし読みが、熟読に変わっていくんだろうなぁと。今の流行りも読みたいし、古典も読みたいし、・・・あぁ欲求不満・消化不良で吐き気がしてきそうだ。

横山秀夫 「第三の時効」集英社 2003.2.10 \1700
2003.11.30 自宅で読む
殺人の時効は15年。ここに海外渡航した期間は含まれない。
友人であり、元恋人の本間ゆき絵をレイプし、帰宅した夫を刺殺して逃亡中の武内は逃亡中、台湾で1週間を過ごしている。もし武内が海外渡航中を時効の計算に入れないことを知らなければ、事件からちょうど15年が過ぎた日に、知っていればその1週間後の第2の時効にゆき絵に連絡をいれるだろう。なぜなら、ゆき絵はその後、武内にそっくりな耳たぶを持った娘ありさを出産し、育てていたからだ。
ありさにとって父を殺した犯人が実は本当の父だったという事実が明らかになることは惨く、だれもが武内に逃げ通して欲しいと祈るなか、強行犯捜査2班の楠見班長だけが冷血に第3の時効を睨み、用意周到な行動をとっていた。
このほか、「沈黙のアリバイ」「囚人のジレンマ」「密室の抜け穴」「ペルソナの微笑」「モノクロームの反転」が納められている。
昔、よく見ていた火曜サスペンスを思い出した。この本に入っている話はどれもF県警本部を舞台に、主となる人物がかわるだけで他のメンバーも同じなので、ぜひぜひシリーズ化して欲しいものだ。今も火曜サスペンスがあるのか知らないけど、もうどれもこれもテレビに引き込まれてしまうだろうこと請け合いだ。来年、「半落ち」が映画化される。あれは直木賞受賞をめぐってすったもんだ(死語?)があったように、ちょっとリアリティにかけるオチに心から感動すべきなのか、強引に感動すべきなのか迷ってしまう部分があるのだが、「第3の時効」etc はトリックというかオチに心置きなく感動・感心できる。しつこいようだが、映像化されるといいのになぁと思う。といって「顔」、まだ一回も見たことないんよねぇ。今年のお正月にでもレンタルで見るしかないか。

山田詠美 「PAY DAY!!!」新潮社 2003.3.20 \1500
2003.11.27 自宅で読む
ニューヨークに住むハーモニー(♂)とロビン(♀)は学校教師でアフリカ系の父と証券会社勤務でイタリア系の母を持つ双子の兄妹。両親の離婚によって、ハーモニーは父とNYを離れサウス・キャロライナへ、ロビンは母とそのままNYで住むことになった。
しかし、2000.9.11。ワールドトレードセンタービルで働いていた母の姿はいつまでもあらわれることはなかった。心配してきてくれた父とハーモニーとともに生き残ったロビンはサウス・キャロライナで残りの高校生活を送ることになった。
多感な高校生時代を送る2人は、将来の進路や恋人との関係を通して自分をみつめ成長していく。ある時、アル中のウィリアム伯父さんがお酒も飲まずにアライグマのラッキーのお墓から離れようとしない。ばかばかしいと思いながらも、ラッキーが何を意味しているのかを考えるうちに、ロビンは大切な母を失ったことの意味に気づかされる。
『PAY DAY』それは、何があろうとちょっとだけ、みんなが幸せになれる日。
言いたいことはよくわかった。
大切な人との別れによって成長してゆく10代・青春の日々の成長譚。
それは、強烈な喪失感と、にもかかわらずやりすごされる日常生活を伴う。恋もすれば進路にも悩むし、くだらんケンカもすれば、バカなテレビ番組も見る。私自身がそうだったからよけいリアリティがあった。
だけど、なぜか退屈。
読み終えるまでに3日もかかってしまった。ラストを知りたい欲求が続かない。
アメリカが舞台にあるから?
人種問題が自分から遠いところにあるから?
山に登るとき、頂上までの距離を把握できないことが最も疲労とストレスを招く。まさにそんな感じだった。
でも、ラストはもちろん要所要所・・・で、詠美節。それにすくわれたか。
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