Theme『ダンス』  「不条理」     

 

 住み慣れた家は良い。玄関のドアを開けたとき他人の家の匂いがしない、自分の家。

 廊下を何歩進んでどの位置にドアノブがあり、開けて何処に電気のスイッチがあるのか。

ダンスのステップを踏むように、頭でいちいち考えなくても体が勝手に動く。

もし真っ暗だったとしても、支障なく自分の部屋にたどり着けるだろう、長年住んで住み慣れきった家。

手垢で黒ずんだドアのノブも、茶色くなって剥げかけた壁紙も、ラブリーなシミのある絨毯でさえ「愛着」という名のもとに安住の地に変わる。

住めば都、その通りだ。
 


なのに・・・

かあさんは急に引越しを決めた。とうさんと別れると決めてすぐに。

「あんな駄目親父の近くにいたらアンタまで駄目な大人になっちゃうんだから。」

それが僕に告げられた離婚の理由であり、引っ越す理由でもあった。

離婚の理由としては納得できないでもない。

僕はとうさんのことは嫌いじゃなかったけど、かあさんの言い分ももっともだ。

「駄目親父 」という点では。

でもとうさんは、かあさんよりも母性あふれる人だったけれど、人格は別に問題は無いと思う。


 納得できないのは引っ越す理由だ。

僕の為に、みたいなニュアンスでかあさんは言ったけど、ただ単にかあさんがとうさんの近くに居たくなかっただけじゃないのか?

全く、親の勝手だ。僕には選択の自由をもらう隙も無かった。

 

 そんな訳で、引っ越した。

住み慣れない家は不快だ。

玄関のドアの戻りが異常にキツくて挟まれるわ、階段の段の高さを見誤って足の指を打つわ、シャワーの調節のコツがつかめなくてやけどしそうになるわ、惨憺たる有様だ。

 だのに、かあさんは「新しい家はいいわぁ」とか言って壁紙の白さや軋まない床を誉めそやし、新しい生活がどれだけ素晴らしいかをザルになった僕の耳に吹き込み続け、僕の些細な不満の訴えをものともしない。

おまけに引っ越す時に連れて来たワン公は、我が物顔で部屋中を走り回り、もう既に新しい家を自分の陣地と認めている様だった。

 

・・・なにがそんなに嬉しいんだ・・・ 

 今まで住んでた所と駅二つ分くらいしか離れていない新居の何処が良いんだ?

そのせいで僕はとうさんと離れて暮らすことになり、転校までする羽目になり、新しい生活に慣れることもなく・・・

おかげでストレス溜まりまくって10円ハゲできそうだ!

 

 

 何度電話しようと思ったことか・・・でもすぐに電話したら負けたみたいで嫌だし、あんまり電話しないでおくと僕の我慢の限界を超える。

そんな訳で思い立って二週間後、遂にヤッタに電話した。

 

・・・いなかった。

おばさんが出て、ヤッタは友達の家に行ってると言った。

「あら、ひさしぶり〜」とか「元気でやってる?」とかいう質問に「ええ」とか「まぁ・・・」とか適当な返事をして、新しい電話番号を伝えて、投げつけるみたいに電話を切った。

 

くそう!何で居ないんだ!ヤッタの奴!不条理だ!僕が何をした?

なんだか今まで溜めてた憤りが全てヤッタのせいのように思えてきた。

奴は今までと何ら変わらない暮らしをし続けてて、学校の友達と毎日遊んだりとか、住み慣れた家で自由気ままに安穏と生活し続けているに決まってるんだ。

ただひとつ、今までと違うのは、僕が近くに居ないって事だけで。

僕が居ないって事だけで・・・・

 
そうやって人はどんどん親しかった人間の事を忘れていってしまうものなのかも知れない。

身近な人が死んだ時、その悲しみがずっと続かないように。

なくしたものを何時までも悔やんでいないように・・・。


そう考えたら、余計に腹が立ってきた。

腹癒せにテーブルの脚を爪先で蹴ってやった。

かあさんが飲み残したコーヒーのカップが落ちて絨毯が汚れた。

イライラしながら雑巾を持ってきて脚でごしごし拭いた。


ラブリーなシミが出来た。

なんだか可笑しくなって笑ってしまった。


・・・ばかみてぇ。

 

END

 

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